性格上、予備の予備までを買い備えてしまうという人も、世の中には多いのではないだろうか。要するにあれ、万が一トイレットペーパーが自宅になくなってしまっては困る。だから、現状はあるけれども、念のため予備を買っておこう。にはじまり、ついには、トイレットペーパーの予備がなくなってしまっては困る、ってえなもんで、予備があるにも関わらず、そのまた予備を備えておくという性分のやつ。

僕には特段、そういった性分がないため、何らかアイテムの予備を買っておくという行為は平生行わない。予備はおろか、メインのアイテムそのものすら、なけりゃないで何とかなるだろうと楽観的に考えるため、予備る必要、予備っておく必要がないのである。

がしかし、そんな僕が唯一、予備を保有しておかなければ発狂してしまうであろう物がある。それは、鞄の中に忍ばせた本である。現在読んでいる本だけに留まらず、もう一冊。そして、予備の予備となるもう一冊。常に鞄に入れておかなければ、ムズムズと不快感に襲われ、平常心を保てないわけです。

この珍妙な性分が炸裂するのが、やれ出張やらやれ旅行やらと、宿泊を伴う外出をする際。このクソ忙しい現代人は、やれ出張やらやれ旅行やらと言っても、時間に追われついぞ過密なスケジュールを組んでしまうもの。何時にここに着いた途端、そこいらで昼食を済ませ、とっとと客先やら観光地やらを巡った上で、即座に移動し、その日の宿に入る。で、ちゃっちゃと食って飲んで、気づけばダラダラと食って飲んで、で、疲れ果ててバタムと寝入る。翌朝目覚めた刹那、ちゃっちゃと支度して、朝食を頬張り、とっとと客先やら観光地やらを巡り、ランチを流し込み、「あっ! もうこんな時間やん!」と呟くや否や、帰りの便に間に合わせるため駆け足る。で、乗り物に乗るや否や、缶ビールをプシュ。グビグビやりながら、意味のない会話を繰り広げ、気づけば、「えっ? もう着くの? 帰りってなんか早くない?」などとほざき、下車し、手を振り、別れる。おおよそこんなもんじゃないだろうか。

ところがだ、こんな過密なスケジュールが予想されているにも関わらず、まずは主として読む本を鞄に忍ばせる。で、その本を読み切ってしまった場合、手持ち無沙汰になることが予想されるため、予備の一冊を忍ばせる。で、もし万が一、旅先で速読に目覚め、奇跡的なスピードで予備の本を読了してしまった後の心許なさを想像し、予備の予備としてもう一冊を忍ばせる。

それだけならまだしも、万が一、満足に読書の時間が確保できず、中途半端な隙間時間が連発してしまう状況に陥った場合、小説やらビジネス書やらを熱心に読み耽ることができない。そんなクリティカルな場面に備えるために、辞書のようなものも鞄に忍ばせる。隙間時間に数行読んだだけでも価値がある書籍。すなわち辞書。英和辞書の場合もあれば、英英辞書の場合もある。そして、その一冊が果てしなく重いんだ。肩にズシリときやがる。そんな私、書籍の重量が原因で、背負う鞄が重くなり過ぎ、両肩を圧迫した結果、旅先で肩こりに悩まされ、高熱が出てしまったという経験もあるほど。

にも関わらず、主の本と予備の本と予備の予備の本と辞書を携行することはやめられない。なぜなら、万が一、読書の時間が確保できたときに、本がないために手持ち無沙汰な時間を過ごすことになっては、あまりにも悲惨だから。

勘のいい読者なら気づくだろう。お前、インターネット系の仕事に従事してやがるんだから、電子書籍とかで読めや、と。そうしたら重量もクソも関係なく、手元のスマートフォンのみで読書ができるんだから、何万冊持っていっても不便じゃないだろうが、と。

嫌なんです。旅先での電子書籍は。日常生活においては、電子書籍を読むことに抵抗はないのですが、なぜか旅先で電子書籍は、嫌なんです。せっかく遠方に出ているにも関わらず、電子書籍は風情がなくて、なんか嫌なんです。自分でも分かっているのです。それができれば、こんな悩みとは金輪際、綺麗さっぱりサヨウナラできるということも。でも、嫌なんです。

そして、何より悲しいことは、これまでの人生、そうやって大量の書籍を携行していったにも関わらず、あまりの過密スケジュールを組むもんだから、読めたとしても、主となる本の2ページ程度。最悪のケースでは、主となる本を開く瞬間すらない。そういう実績が残っているのです。予備の本はもちろんのこと予備の予備の本も、もちろん辞書も、開くことすらないんです。

さらに悲しいことに、衣類やら機械類やらと同じ鞄に書籍も詰め込むもんだから、本たちは鞄の中をガサゴソと移動。その結果、帰宅後、書籍を取り出してみると、出発前には美しかった本の四隅が折れ曲がっているなどの惨状もあり、げんなり、しょんぼりしてしまう始末。毎度、大量の書籍を携行していった自分を恨み、巨大な後悔が押し寄せるのです。

実はこの性分には、さらに阿呆なカラクリが仕込まれておりまして。それは、僕が類を見ないほどの乗り物酔い人間だということ。自身で運転する車以外の乗り物には、もれなく酔う。その昔、地元大阪から東京まで夜行バスを利用して移動する際、地元のバス停を出発し、次の乗客を拾うために大阪上本町というバス停で停車した時点で、既に酔いが限界を迎えていたという事例もある。乗車時間わずが十数分で限界を迎えたんだぜ、東京まで6時間強もの移動が待っているというのに。屈強な人間だろう。どうだい?

で、何が言いたいかと言いますと、移動中の乗り物の中では、書籍を読むことは不可能だということ。ひと文字でも視線で追いかけた刹那、胃の奥底からマグマのような物体が、口腔内目がけて噴出してくるだろう。なので、乗り物の中では絶対に本は開けられない。絶対に禁止だ。となると、俺は一体、出張先やら旅先やらで、いつ何時、読書に耽ろうと考えているのか。それは自分でも分からない。働き方改革が巻き起こり、日本人がますます労働をしなくなり、無駄に呆ける時間も存分に増えるだろうし、その時間を活用してこの謎と向き合ってみたいと思う。

デタラメだもの。

20190414