広告の仕事をしていると、世間の人たちの動向に驚かされることがある。事実は小説より奇なりとはよく言ったもんで、特にWeb広告の出稿のお手伝いをさせていただいていると、顕著に驚く機会が多い。なぜ驚かされるかというと、「え!? こんな場所に設置されているバナー広告、なんでこんなにもクリックされてるの?」というケース。

広告の仕事をするということは、自分と消費者は異なるもの、と考えなければならないはず。なぜそう感じるかというと、個人的にバナー広告をクリックすることはほぼ皆無だから。広告屋になる前から、バナー広告をクリックすることはなかったから。世の中、ターゲティング広告が主流で、ワントゥワンマーケティングも熱を帯びている昨今、最先端技術によるターゲティング技術により、例に漏れず、僕もターゲットとして特定されているはず。しかし、クリックしたくなる広告は、表示されないんだなぁ、これが。

ところが世間の人たち、しっかりとクリックしていらっしゃる。こんなページの隅に設置されたバナー広告なんか誰が見るねん! と思っているような広告でも、しっかりとクリックしていらっしゃる。「広告を作るなら、消費者の気持ちになれ!」とか言われても、無理無理。あんな隅のバナーを見つけてクリックする人の気持ちなんか、一ミリも理解できないもん。

もっと驚くのが、クリックの数。量。日本にはどれだけ人間がおるねんと、単純に驚かされる。人の数を数字で理解したと思うなよ一般大衆。ほんの些細な広告を出稿しただけでも、びっくりするほど広告表示され、クリックされるんやからな。観客総動員数は100万人でしたとか言われて、へぇ100万人やったんや、ちゃうで。100万人とか、めっちゃ多いで。小さなバナー広告を出稿しただけでも、アッという間に100万回表示されたりとかするねんで。人口って末恐ろしいで、ほんま。

僕が人口の多さ、まだ見ぬ人々の多さを実感したのは、広告屋になってからではない。それは中学一年生の頃。当時の僕は日本を代表するロックデュオ B'zにハマッていた。「B'zかっこいい、稲葉さんかっこいい、クンカクンカ」とドハマリしていた。ファンクラブにまで入っていたくらいだから、今思えば、相当なもんだ。

で、世間的にはB'zの知名度がグングン上がり、CDをリリースすればまたたく間に一位。ツアーの発表があっても、争奪戦でチケットは取れない。絶対に取れない。そんな状態の折、僕はある違和感を覚えた。その違和感こそが、「まだ見ぬ人々は世の中に無数におるねんで持論」の礎。
どういうことかと言うと、クラスにB'zが好きな奴がひとりもいなかったのだ。そして、家の近所にもB'zが好きな奴がひとりもいなかったのだ。僕の住む街の界隈には、B'zが好きな奴はおろか、B'zに興味を持っている奴さえいなかった。俺が住んでいる街は、比較的都会なほうだ。大阪でも都会に類する街に住んでいるはずだ。それなのに、B'zに興味を持っている奴がいないだと。

じゃあ、なぜ、CDをリリースすればまたたく間に一位なんだ。ツアーの発表後、なぜあんなにも瞬殺でチケットが売り切れるんだ。稲葉さんがテレビに出れば、なぜあんなにも多くの女子が悩殺されているんだ。一体この街のどこに、B'zに興味を持っている奴がいると言うんだ?

結論。まだ見ぬ人たちって、ほんまにたくさんおるんよね。

自分の日々見ている世界ってものは、実はとてつもなく狭く、得てして、まだ見ぬ広大な世界を忘れ、自分の立つそこが世界のすべてだと錯覚しがち。それは危険な状態だ。だからこそ、Webサイトの中でも、こんな辺鄙な場所に設置されたバナー広告なんて誰がクリックするねん、と侮ることなかれ。それはあなたの価値観でしかない。もしかすると、あなた以外のすべての人は、あなたとは別の価値観を持っているかもしれない。もっと言うと、「こんな辺鄙な場所にバナー広告出すやなんて、誰がクリックするねん!」と、あえて思わせるために、優秀なマーケッターがそこに配置するよう、指示を出したのかもしれない。まだ見ぬ人々がたくさんいるのと同様、世の中はたくさんの不思議で包まれている。

そして、この逆も、然りなんだ。世の中にはまだ見ぬ人々が実にたくさんいるのに対し、知名度があり、テレビに出たり作品を発表したりして、世の中のまだ見ぬ人々たちを歓喜させている一流な人たちの数。この一流の人たちの数が、いかに少ないか、だ。

よく芸人ってのは、クラスで一番面白かった奴らがお笑い専門学校に集い、その中でも群を抜いて面白い奴だけが舞台に立ちファンを笑かすことができる。しかし、そこはまだスタートライン。それを継続し、売れ、生業にしていける奴は、そこからさらに目減りしてしまう世界。実に厳しい。要するに、まだ見ぬ人々がよく知る、一線で活躍している一流たちは、選び抜かれたものの中から、さらに選び抜かれ、そして勝ち抜き、勝ち抜き続けて尚、輝き続けている人たち、ということだ。

その昔、フォークデュオ ゆず がデビューしたとき(今回、デュオの話題、多めやね)、世間のミュージシャンもどきたちは思ったはずだ。こんなこと、俺たちにもできる。路上で歌って、売れるんだったら、俺たちも売れる。こんな奴が売れるんだったら、俺たちもぜったいに売れる。

結論、ぜったいに、無理。

世に出られるということには、必ず理由がある。それは才能かもしれないし縁かもしれない。運かもしれないし金、人脈、行動力なのかもしれない。そのいずれをどのようにすれば世に出られるかは誰にもわからない。しかし、そういったものを欠いて世に出ることは不可能だ。

まだ見ぬ人たちは、驚くほどたくさんいる。世に出る一流の数はあまりにも少ない。ゆずを見て、俺たちにもできる、と思った奴は、まだ見ぬ人たちのほうだ。まだ見ぬ人たちは一度、まだ見ぬ人たちがどれほど多いか、興味本位でもいい、体感して欲しい。圧倒されると同時に、日本はまだまだやれる、と自信が持てる。

まだ見ぬ人たちの中から、突き抜けることも飛び抜けることもできるチャンス多き今の時代。ゆずにはなれないかもしれないが、決して君はクズではない。君だけの地図を広げ、期待に胸をムズムズさせ、首から下げた鈴を鳴らし、出発の合図としよう。グズグズしている暇はない。韻、失敬。

やったモン勝ちの世の中、なんでもかんでも先取りしよう。早くしないと、世間のみんながB'zのこと、好きになっちゃうよ。

デタラメだもの。

20180428