仕事からの帰宅途中、最寄り駅の改札を出たすぐのベンチの上に、おっさんが横たわっていた。おそらく酒を飲み過ぎたんだろう。膝丈ほどの高さのベンチの上に、のんべんだらりと横たわっている。隣には奥さんと思われる女性。隣に立ち、おっさんの出っ張った腹を、「ほら、行くよ……」と言わんばかりトントンと軽く叩きながら、「ほら、みんな見てるよ……」と言いたげにトントンと軽く叩いている。

そういや道端や駅構内で女性に介抱されながら、オエオエやっている男の姿を見かけることがある。世間的には誠に情けなく映っている。男とあろうものが、酒に潰れて女性に介抱されるだなんて。という具合の視線を痛いほど浴びている。まぁ、当の本人は強烈な吐き気のなか、そんなことを意識する余裕もないだろうけれど。

勝手なイメージなのだけれどもねぇ。それほどまでに酔い潰れるということは、その女性とお酒を飲んでいるとき、ずいぶんと調子に乗っていたんじゃなかろうかと思うわけだ。自分が下戸だとわかっておきながら、女性を前にして、「日本酒、おかわりしよかな?」などと酒豪ぶって、ピッチ早く「おかわり」を連呼していたんじゃないだろうかと、勝手に想像してしまうわけ。

で、酔ったら酔っただけ舌も調子に乗り、やけに饒舌になり、我、笑いの覇者なりと周りをイジッてみたり、自分のことを自慢したり、政治を批判したり、上司の不出来を詰ってみたり、どこかのプロ野球チームの4番バッターの成績を非難してみたり。有能な評論家よろしく、大量の唾を飛ばして大声張り上げていたに違いない。

その結末が、これである。介抱である。なんとも情けない。酒に弱いことが情けないのではなく、誠に勝手なイメージで申し訳ないが、結末までの調子の乗り方と結末のギャップが酷すぎて情けないのだ。

もし仮にだ、同席していた女性がお酒を口にしない人だった場合、男の盛者必衰を冷静に見せつけられることになる。下戸に酒が入ることで調子に乗っていくさまを眺め、下戸に酒が入ったことで介抱が必要なほど崩れ去るさまも眺めることになる。いったい、どんな気分なんだ。さだまさしの関白宣言と関白失脚を同じ日に見せつけられるようなもんじゃあないのかい。

まぁ、駅の改札すぐのベンチで横たわっていたおっちゃんは、調子に乗ったんじゃあなく、日々のストレスが蓄積した結果なのかもしれない。そうだとしたら、放免だ。ただ、若くして調子に乗って、飲めない酒を煽った挙句、オエオエやって女性に介抱されている連中には同情できない。どんな面して、翌日、職場に現れるんだ。

じゃあお前の場合はいったいどうなんだい? と聞かれたならばこう答える。僕は酔いつぶれているさまを他人には一切見せないようにしている。どれほど気分が悪く、オエオエやりたくなったとしても、その宴が終わり、「おつかれっした!」と散り散りに解散し、姿が見えなくなるまでは、そういった素振りを一切出さないようにしている。

もちろん、アルコールを大量摂取しているため、酩酊した結果、電信柱に顔面をぶつけ、眉間から大量出血したり、二階に構えられた店で飲んでいるときなどは、帰りの階段で足を踏み外し落ちそうになったことなど、情けない失態を披露したことはあるものの、それは単に鈍くさいだけだもんね。酔ってなくても電信柱に顔面をぶつけることはあるし、酔ってなくても階段から落ちる人はおるしね。てへぺろ。

ただ僕の場合、「おつかれっした!」の後がタチが悪い。もともと気を使いすぎる性分のため、「おつかれっした!」の後、責任感から解き放たれた解放感が、爽快感とともに襲ってくるため、臨場感溢れる醜態を、孤独感のもと繰り広げるわけである。

まず、公共の場において自分だけが音楽を楽しめるように設計されているイヤホーン的なものを耳に装着する。音量をとにかく上げる。そうして、その音量に負けないほどの大声で、歌を歌いはじめる。俗にいう「原曲のキー」で歌うので、腹から声が出ることになる。ただ、イヤホーンのなかの世界に酔っているから、俗世間にどう聞こえているのか、どう見られているのかなんて関係ない。

そうやって歌いながら、テクテクと帰る。途中、コンビニに酔っては、追い焚きならぬ、追いビールをする。イヤホーンを付けたままレジの店員さんとの応対をするのは、人としてどうかと思うので、一旦イヤホーンをしまう。そして店を出た後、すぐにイヤホーンを装着し、再び音楽を鳴らし、大声で歌う。

さらにタチの悪いのが、歌に感情を込めすぎて、自分で自分に感動してしまい、大泣きすること。大声で歌を歌いながら、ワンワンと泣きながら、イヤホーンをしながら、缶ビール片手に歩いている。そんな中年。もはや救済の余地がない。
眼鏡をかけているため、スムーズに涙が拭けないので、涙を拭うときは缶ビールを地面に置き、立ち止まったまま拭う。あまりにも感極まっているときなどは、拭っても拭っても涙が溢れてきやがるから、その行為を一歩ずつ行うため、一向に家へと着かないこともある。

冷静に自分の様子を振り返ってみると、駅の改札すぐのベンチで奥さんに付き添われ、出っ張ったお腹をポンポンされたり、飲めない酒を煽ったがために、女性に介抱されながらオエオエやったりしている男のほうが、よっぽどマシなような気がしてきた。母性溢れる女性ならば、男性を介抱してやることくらい、お茶の子さいさい。むしろ、ウエルカムなのかもしれないな。それに比べて、僕の醜態は母性などくすぐるはずもない。忌避されること間違いなしだ。

お酒は強いか弱いかハッキリしているほうが良い。強い人ならどれだけ飲んでも故障しないだろうし、弱い人なら、すんなりと介抱だってしてもらえる。強くもなく弱くもない、僕のような人間がいちばん収まり悪い。酔ったからとて、他人に迷惑をかけるようなことは一切したことがないが、社会にはずいぶんと迷惑をかけているな。

もし、次に酩酊し歌いだしそうになった暁には、素直に改札すぐのベンチで、のんべんだらりと横になろうと思う。付き添いはいないため、お腹をポンポンされることはないだろうけど、駅が閉まる時間になれば、駅員さんに肩をポンポンされ、起こしてもらえるに違いない。それも一種の介抱と呼んでしまっても過言じゃあない。

酒に酔ったうえでの醜態は知られていないかもしれないが、自分に酔ったうえでの醜態は、多くの通行人に目的されているのかもしれない。

デタラメだもの

20170730