頑固な大将がやってる寿司屋で、センスのない食べ方をした客が喝を入れられる。こだわり派の大将がやってるラーメン屋で、ペチャクチャおしゃべりしながら食べていた客が喝を入れられる。こういうのは、たまに聞く話。客は、そんな大将の態度よりも、余りあるほどの美味な食を求めて通う。これほどの味を提供してくれるんだから、大将の態度も仕方ないよね。むしろ、頑固な大将、こだわりの大将の存在も、店の価値を高めてるって、客自身が、自分の解釈で、店を良しとする。そんな話は、たまに聞く話。

職場近くに、お昼どき、サラリーマンたちがごった返す、焼きスパゲティの店がある。数種の限られたメニューしか提供せず、オフィス街の昼どきとあって、豪快で且つ、目にもとまらぬ速さで調理してくれる店。働き盛りのサラリーマンたちの胃袋を、十二分に満たしてくれる店。安く、そして量が多い。とてもありがたい店なのである。

ところがだ、その焼きスパゲティ屋、なにが曲者かって、大将が恐すぎる。どう恐いかって、店のスタッフに対する態度が、度を超してひど過ぎる。
「シバく」「殺す」「ボケ」「カス」は当たり前、狭い店内の中、ぎっしりの客の中にいて、店のスタッフさん、おばちゃんのときもあれば、おねえちゃんのときもあるが、これらの暴言を吐かれまくり、半泣きになりながら働いている。それはそれは異様な空間。さすがにそういったパワーハラスメントに耐えきれず、同じスタッフさんを二度は見ないほどに、入れ替わりが激しい。

皿を片付けようと、大将の後ろを通れば、「お前、邪魔なんじゃ、ボケ!」と言われ、皿洗いをしている最中に、大将から調味料を取れと指示を受け、それを優先で対応していると、水が流しっぱなしにしていたため、「水くらい止めろや、どアホ! 殺すぞ!」と言われ。とうてい、飲食店内で聞けるフレーズではない。

また大将、小声でやればいいものの、豪快な調理スタイルに任せて、そのままの勢い、大声でスタッフさんを怒鳴る。スタッフさんの顔が強張る。それを見て、「ボケッとすんなや! シバくぞ!」と、またしても怒鳴られる。それがいつもの流れ。

その店には、たまに後輩と訪れる。うどんやら安い定食やらを中心に食している昼どきに、焼きスパゲティを提供してもらえるため、本来ならばもっと重宝したい。
後輩と二人、焼きスパゲティを食することに、いつもちょっぴりワクワクしながら店内に入る。数種しかない限られたメニューのなかから、どれを食すか選んでいる間、さらにワクワクは高まる。注文した焼きスパゲティが運ばれ、ひと口。これがまた、なかなかうまい。気分を弾ませていると、今日もやっぱり、大将の暴言。スタッフさんが怒鳴られ、辱められ、貶められ、凌辱される。そのBGMを耳にしていると、だんだんと心が痛んでくる。後輩と二人、無言になる。悲しい気持ちになる。「やめてあげて……!」と、悲痛な叫びを、心の中で響かせる。焼きスパゲティの味が分からなくなる。

いたたまれない気持ちになり、ただただ無心で焼きスパゲティを胃袋に押し込み、椅子から立ち上がる。「ごちそうさまでした」。大将とスタッフさんにお礼を言うと、「いつも、あっりがとうございやすー!」と、満面の笑みを浮かべ、腰を低くして返礼する大将。いやいや、その笑顔には騙されないぜ。だって、あんた、そんな人間じゃあ、ないだろ。僕たちの目の前で、スタッフさんに怒鳴るわ、キレるわ、暴言吐くわ、そっちのほうがあんたの本性だろうよ、そんな付け焼刃のお客様第一主義的な笑顔には、騙されないぜ。だってさぁ、「あの人、ニコニコしてるけど、裏があるよね」とはよく聞くが、裏の顔を、表の顔以上にたっぷりと見せつけられたら、もはやどっちが裏か表か分からなくなるズラ。そう思いながら、いつも店を後にする。

ところがだ、ここ数回、スタッフさんは変わらず、同じ女性。ということは、大将という厳しい試練に耐えているのだろう。もちろん、大将の性分が丸くなったわけでもなく、そのスタッフさんが、殊更に優秀なため、大将の怒りに触れないということもない。
焼きスパゲティを平らげる時間のうちに、平均して四~五回は怒鳴られている。仮に焼きスパゲティを注文して平らげるまでの時間を、二十分としよう。二十分のうちに約五回怒鳴られていると仮定して、ランチの営業時間が三時間と仮定すると、都合、一日のバイト中に、四十五回は怒鳴られていることになる。僕がもしそこでバイトしたなら、初日は耐えられたとしても、翌日は店には足が向かないだろう。もしかすると、初日の途中で、逃げ出すかもしれない。もしくは、手近にあるフライパンで、大将の頭をどつきまわしているかもしれない。

それがだ、ここ数回、スタッフさんが変わっていない。暴言の精神的苦痛は、変わらず続いている。それなのにだ、その女性スタッフは辞めていない。なぜだ。なぜだ。考えろ俺。それがなぜかを、目から血が出るほどに考え抜け、俺。

そして思いついたのが、こりゃ大将、閉店後に抱いとるな。

その昔、学生の頃、不良と呼ばれる男子たちが、ふとした瞬間に優しい素振りなんかを見せると、女子たちはキュンキュンして、「めっちゃ優しい!」と、一気に胸をときめかせていたことはなかっただろうか。
日ごろ恐い奴、悪い奴が、急に優しくすると、レバレッジが効いて、極端に優しい人間に見える。そして、それに惚れる女子が、なんと多いことか。
ちなみに、日ごろから優しくしている奴は、ある瞬間、その優しさを欠いてしまうと、「偽善者」だの「本性はクズ」だの「終わってる」だの言われる。ちなみに、僕は圧倒的に後者。合計すると、優しさの回数は、恐くて悪い連中より多いにも関わらず、あっちは加点方式、こっちは減点方式。日ごろから人に優しくしている人間は、そうやって損をするケースがある。お分かりだろうが、焼きスパゲティの大将は、もちろん前者。

だからだ。店を閉めた後に、スタッフさんを抱きしめているんだぜ、きっと。抱きしめる以上のことをやってるんだぜ、きっと。その刹那、スタッフさんは、営業中に受けた恐怖やら悔しさのすべてを、テコに乗せ、原理を利用し、バッチーン! と、逆サイドに振るわけだ。そりゃもう、大将が魅力的に見えて仕方がないわな。法律で規制されている、やっちゃあいけないお薬を服用しながら、性交渉などをすると、平常時よりも快感が味わえるとはよく耳にするが、そういう類の現象と同種のものだろう。普通の人では受けることのない仕打ちをさんざん受けきったあとの、男の優しさ。かなりの快感と、中毒性が予想される。もちろん、次の日も、スタッフさんの足は、店へと向かうだろう。否。店ではなく、閉店後の大将の優しさへと向かっているのかもしれない。
家庭内暴力を受け、どれほどダメ男と分かっていても、そいつと離れられない女性がいると聞く。そんなタイプの女性も、同種の価値観を持っているのかもしれない。きっとそういう男は、打ちのめした後の女性に対し、「あれもこれも、ぜんぶ、お前のため」なんて撫でた声で言ってのけ、それに対し女性は「うれしい……」なんて、涙を流したりするんだろうなあ。

ということで、何が言いたいかってえと、基本的には、店側がスタッフ同士の揉め事を、客に聞かせるのはご法度だと思う。気分も害されるし、せっかくの食事が、マズくなる。しかし、閉店後に抱いてる場合は、良しとしよう。需要と供給が成り立っているから、こっちだって、心を痛める必要がないんだもん。それは、一種のプレイということだろ。僕らは、ある種のプレイを見せつけられながら、焼きスパゲティを食しているということで納得できる。良かった。これで、なんら気を遣わずに店を訪れることができる。

そんなことを考えながら、ナポリタンを食べていると、急にスタッフさんがおそるおそる大将に声をかけた。

「24番さん、ナポリタンじゃないです。明太子です」

どうやら、あまりの忙しさに、大将が24番テーブルのお客さんのオーダーを聞き間違え、違ったメニューで調理し切ってしまった様子だ。焼きスパゲティとは言え、調理には、それなりの時間を要する。待ってる側からすれば、今から作り直されるのはかなりの迷惑だ。なんせ、時間のないお昼どき。さぁ、どうする、大将。

「おい! とりあえず、24番に、作り直すから時間くれって言え!」

でました、逆ギレ。自分がミスしたにも関わらず、スタッフさんに怒りをぶつける。そして、何より、狭い店内。大将がスタッフさんに怒り交じりで発したその指示、当然のように、24番さんの耳にも入っている。耳を塞いでいたとしても、きっと聞こえていただろう。

スタッフさん自身が指摘してあげたのに逆ギレされたことで、スタッフさん、「え?」と、一瞬、理解ができない、といった表情に。それを見た大将。「はよ言いに行けよ! カス!」。こんな華麗な逆ギレ、かつて見たことがない。あまりの迫力に、スタッフさんは、即座に24番さん卓へ。

「すみません。作り直しますので、お時間いただけませんでしょうか?」

24番さんからすると、それ、さっき大将の口から聞いた。否。聞こえた。
もはや24番さんは、「はい……」としか言いようがない。しかも、なんか僕が明太子をオーダーしてしまって、店の調和を濁し、大将のミスを誘発し、それによってスタッフさんが怒鳴られるという、悲惨な事態を巻き起こしてしまって、なんかすみません。自分のせいじゃないのに、謝罪を強制されるような空気。

スタッフさんは、怒鳴られたこと、辱められたこと、お客さんを気まずい空気に巻き込んでしまったこと、それらを気にして、今にも泣き出しそうな表情。恐かったんだろう。辛かったんだろう。悔しかったんだろう。でもね、これだけは言ってあげたい。今日の閉店後は、うんと気持ちいいことが待っているぜ。

デタラメだもの。

20170311