当たり前というのは、いつからそれが当たり前になったのか不明だ。もはや当たり前になり過ぎていて、なんら疑いも持たんけれども、その実、それが当たり前のことじゃあない場合だってあるんだなってことが、たくさんあり過ぎて、今日も仕事をしながら終始、別のことを考えながら業務に従事する。

テレビのせいなのか、親のせいなのか、教師のせいなのか、兄弟のせいなのか、友人のせいなのか、恋人のせいなのか、本のせいなのか、自分のせいなのか、思考の中に当たり前という概念を作り上げてしまった僕たち私たちは、今日も疑うことなく毎日を過ごす。

よくよく考えてみれば、これほどまでに謎の多い身体の仕組みを持っている人間。怪我をしたらやがて治ったり、アルコールを飲めばやがて分解してくれたり、眠った後はしっかり目覚めてくれたり、快感を覚えれば出るものもでる。ふと臓器のある部分に不可思議な痛みを感じたとしても、それをすぐに忘れてしまえるほど、身体の中では、何かが起こり何かを治癒してくれているんだな、当たり前のようでいて、それがほんまに当たり前のことなんか? 疑ってもみたくなる。

と、そんなスケールのデカい話をしたかったわけじゃあないんだ。僕のように矮小な人間にとって、そんなスケールのデカいことを考えている余裕なんてない。もっとちっぽけなことを考えるほうが性に合っている。僕が疑いはじめている当たり前は、料金について。ほら、もうテーマが小さい。

世の中、料金設定というものがなされているよね。これを購入するためには、いくらの料金を支払わねばならないという、アレ。これをレンタルするためにも、いくらの料金を支払わねばならないと定められているし、これを飲むためにも、いくらの料金を支払わねばならないと定められている。あれに疑問を感じてしゃあない。

たとえば、ファストフードのポテト。美味しいよね、アレ。本品のバーガーを凌駕するほどの魅力を持っていると言っても過言ではないポテト。なんだったら、ポテトセットなる商品ラインアップを追加し、ポテトを主役、その他、バーガーやらナゲット的なやつやらを脇に添えても、人気メニューとして成立するんじゃあないだろうかとさえ思うほど美味しい。

しかしそのポテト、しなっしなの状態で提供されるときあるよね。作ってからかなりの時間が経過したのだろう、油が染み込みきってしまい、揚げた感も損なわれ、醍醐味のカリカリの部分は既に消失してしまっている。外装の紙パッケージだって、油がしゅんでベトベトになっている。あれに定価を支払う理由が分からん。あのポテト、全力で仕事してないよね? ポテト本来のポテンシャルを活かしきれてないよね? それやのに、なんで定価なん? ちょっとした値引きあってもええんちゃうのん? 当たり前のように定価を支払うことに、悔しさを隠しきれない。

しなっしなだけじゃあない。塩加減だってそうだ。まれに、ぜんぜん塩がまぶされていないポテトが提供されるときもあるし、逆に、塩のかたまりがゴリゴリに付着しているときだってある。味付けが人任せなので仕方がない部分もあると思うが、ちょっとしたイレギュラーな要求には、「マニュアル上、無理なんで!」と、なにもかも突っぱねているんだったら、ポテトの塩加減もマニュアル通り、しっかり対応してもらいたいもんだ。塩加減がデタラメなポテトが提供されてきたら、「マニュアル通りの塩加減じゃあなかったので、本品は受け取ることができません!」と、受け取り拒否する権利だって、あるんだぜ、こっちには。

ただ、そんなクレームをつけたいために物申しているんじゃあない。要するに、商品本来の魅力の80%しか発揮できていない仕上がりの商品は、料金だって80%にするのが世の常ってもんじゃあないのってこと。当たり前のように、文句を言わず、しなっしなのポテトを食べてきたけれど、あれは全部、泣き寝入りの類だってことに気づいてしまった。

生ビールだってそうなんだ。駆けつけ一杯の生ビールを楽しみにし、直前の水分補給を一切絶ち、店が混んでいて入れなかったらどうしようという不安とも戦いながら、ようやく入店、着座し、あらんほどの清々しいボイスで、「とりあえず、生!」と叫び、ご褒美がテーブルにもたらされることを、少年のような気持ちで待つ。ようやく提供された生ビール。ジョッキを豪快に持ち上げ、さぁ飲むぞ! ぐびぐびぐびび。「ん、なんか、ぬるくない?」。これである。

冷えていて且つ喉越しを楽しめるのが生ビールの醍醐味。それを欲してここまで来たんだ。それを手に入れるため、その他の欲には目もくれず、あらゆるものを我慢してきたんだ。それやのに、生ビールが冷えてないって、どういうことなん?

またしてもそう。クレームをつけたいわけじゃあない。店が混んでいるときは、生ビールがオーダーされる数も飛躍的に増え、ジョッキを冷やす時間もないなど、最高のパフォーマンスを発揮できない理由も分かるんだ。だから言いたいのは、生ビールの温度が最高潮の時と比べ、二割減していたんだから、料金だって二割減になるのが世の中ってもんじゃあないのかい。それをなぜに、最高潮で味わえたときと、同額のマネーを支払わねばならんのだ。当たり前のようにやり過ごしてきたが、よくよく考えてみると、解せん。

世の中の一般的な仕事の場合、100%の満足を提供できなかった場合、「今回、商品がイマイチやったから、ちょっと値引きしてえやぁ」と、減額を要求される。それに対し僕たちは、「すんません。すんません。ほんま申し訳ございません。しっかりと値引き対応させてもらいますんで!」と、料金から、満足に至らなかった部分を考慮し、値引く。満足度が100%で提供できなかった理由が、その商品の制作時、納品時に、親が死んだからとて、財布を落としたからとて、恋人と別れたからとて、指名手配を受けたからとて、決して許されない。激怒されるか減額させられるかの二つにひとつ。

それなのに、ポテトも生ビールも。と思うと、泣けてきやしないだろうか。
もっとあり得ないのが、レンタルDVD。レンタルだからある程度は我慢せい、というスタンスなのかも知れないが、ある一部のガサツな連中の手によって、DVDの盤面にキズがつけられていること、あるよね。あのキズってもれなく、その映画の名画面で、音飛びやらコマ落ちを発生させやがる。自分が最も感情移入し、さぁ泣くぞ、さぁこの映画から人生の大切なものを授かるぞ、そんな場面で、必ず音飛びやらコマ落ちが起こる。すべて台無しじゃ。酷いときには、そのままDVDプレイヤーの動作が停止し、それ以降のシーンへと再生できなくなってしまったこともある。しかも何が大罪って、音飛びやらコマ落ちが一度起こってしまうと、その後もまた起こるんじゃないかと、意識の何割かがそちらへ向いてしまい、作品に集中できなくなってしまう。

それでも、定価。映画を最大限に味わい満喫し、人生の大切なものをしっかりと授かった場合と、同じ料金。なんでなん。映画監督が、その場面で、効果的に音飛びやらコマ落ちを画策し、仕込んでいたんなら仕方がない。それも演出のひとつだから。でも、ある一部のガサツな連中のせいよね。それなのに、定価って、あり得ますか? せめて、コマ落ちした分の料金も、定価から落としてもらわないと割に合わない。

そういったケースで最も泣きを見る瞬間が、ライブハウス。動くアーティストを目に焼き付け、生ならではの音を感じ、盛り上がるライブ。それなのに、身長の決して高くない僕、前に背の高い男子が来た暁には、醍醐味のうち、動くアーティストを目に焼き付けることの一切の権利が奪われてしまうの。オールスタンディングだったなら、ある程度、自由に場所を移動できるため、権利を掠奪されるのを回避もできるが、指定席の場合、終わる。指定席にも関わらず、アーティストがステージに登場した瞬間、暗黙の了解で会場中が総立ちになり、立ち見と化すパターンのライブの場合である。
身長の高い男子の肩越しに、なんとか、動くアーティストを目に焼き付けようと工夫をするものの、そうした結果、妙な姿勢でライブを見るハメになり、ライブ後、左右いずれかの首の関節を痛めてしまい、やれ鍼灸やら、やれ整骨やらに通わねばならなくなり、健康保険が適用されるからまだ良いものの、それなりの出費を伴うことになる。

背の高い男子に非がないことはもちろん承知している。彼らだって、望んで高身長に生まれたわけじゃあない。そんなちっぽけなことを言っているんじゃあない。こっちは醍醐味の半分を奪われているんだ。料金だって、半額でいいじゃあないの。それを言いたいわけである。

どこまでの低身長の人が減額対象になるのか議論が面倒臭いと言うのなら、小学校時代よろしく、ライブハウスの指定席では、背の順で席を割り振るとか、チケット購入の際、申し込みフォームで自身の身長も申告する制度とし、決して、背の低い人の前には、背の高い人が来ないようにプログラミングされた上で席順を決定づけるとか、方法はいっくらでもあるはずなんだ。当たり前のように、背の高い男子の背中だけを眺めるライブを楽しんできたが、やっぱりこれは当たり前のことじゃあないよね。

あかんあかん。書けば書くほど、自分が小さな人間に思えてきた。だって、そんなことを声高に叫んでみたところで、サービス業というものは、「だったら食うな」「だったら飲むな」「だったら来るな」と突き放してくるに決まっている。僕みたいな人間を相手にしてくれるわけがない。だから泣き寝入りするしかないの。

そんなしょうもないことを考えながら、地下鉄の電車内。さっきから、やたら座席が窮屈だなって思っていたところ、シートの中央に目をやると、めちゃめちゃ巨漢な男が着座していた。一般人の二人分のスペースは確保している。しかも、あろうことか、股を開き気味でリラックスして座っていやがる。それのせいで、僕は座席の端、追いやられ、肩身の狭いを思いをしながら、窮屈さを押し付けられていたのである。これは解せん。

そう思い僕は、すっくと立ち上がり、「それだけ大きい図体で且つリラックスした状態で着座されているということは、二人分のスペースを確保してはりますよね。だったら、料金も倍支払ってもらいますか。もしくは、半人分ほどのスペースに追いやられていた僕の料金を半額にしてもらえるよう、大阪市営地下鉄に交渉してもらえませんか」と言ってやった。

言ってのけた刹那、巨漢男のグーパンチが、僕の頬をヒットした。ふっ飛ばされる僕。車内の乗客から嘲笑される。はずい。はずい。余計なことをした。さっさと席に戻ろう。頬の痛みに耐えながら、赤ちゃんみたく床を這い、席に戻ろうとしたところ、元々僕が座っていた席は、別の誰かに取られてしまっていた。それはそれは、半人分のスペースでも充分に座席の醍醐味を味わえるほど、痩せ細った男子だった。

デタラメだもの。

20170108