まさか、こんな日が来るなんて。信じられない。大切にしてきたのに。無理させずに、負荷もかけずに、穏やかに過ごして来たつもりなのに。まさか、こんな日が来てしまうなんて。信じられない。自宅のパソコンが壊れた。電源さえつかなくなった。厳密にいうと、電源ボタンを押せば、ファンは動き出す。起動しようと頑張るものの、二秒ほどすると力尽きて諦めてしまう。もう、ただただその動作を繰り返すばかり。何度やっても、繰り返すばかり。そんな事態が、ある日、いきなりやってきた。

やばい、データ消えてしもたがな。

これまでにもパソコンが故障したことはある。経年劣化により、オペレーションシステムなるパソコンの中心的存在のソフトウェアが故障したものの、さまざまな手法を駆使して、データを救出し、まるでバトンリレーの如く、一切のデータを失わずに、今日まで生きてこれた。初代のパソコンの調子が悪くなった後に、データを救出し、二代目へ。二代目のパソコンの調子が悪くなった後には、再びデータを救出し、三代目へとJ Soulしてきたわけである。

ところが今回は違う。だって、電源が入らないんだモン。

電源が入らないということは、なんの手法も試みることができない。つまりは、パソコンがただの箱と化してしまっているということ。これまで生きてきた中で身につけてきた技やら術やらの一切を、もはや受け付けてはくれない。ということはつまり、データが救出できないということ。あかんがな。

これまでにもデータを失いそうになったことは、ある。そんな経験から、たくさんのことを学んだ。重要なデータは、パソコンの内部に保存しないってこと。そうすることで、パソコンが故障したときはもちろんのこと、パソコンを買い替えたときにも、データの移行がめちゃめちゃ楽なんだぜ。だから、重要なデータは、完全に外付けハードディスクに保存してあるから、今回のトラブルとは無縁だ。

しかし盲点だった。重要なデータとはつまり、仕事に支障をきたすデータたち。それなしでは、継続的な仕事ができなくなってしまうデータや、自分にとってのレガシー的なデータ。そいつらは、外付けハードディスクの中だ。ところが、やや重要なデータたち。つまりは、仕事に支障はきたさないものの、生活にやや支障が出るものや、ないと死ぬわけではないが、ないと困るもの、なくなってしまうのは寂しすぎるものたちなど、重要のランク付けからワンランク下げられてしまったデータたちは、ゴッソリとパソコンの中にある。そいつらは、ただの箱の中に永遠に閉じ込められたままになってしまう。あかんあかん、それはあかん。生活が不便になるだけでなく、過去のノスタルジックな思い出たちの一切合切を捨ててしまうことになる。

そうだ、業者さんに、相談しよう。

思い立ったらすぐ電話。直近で対応いただける時間で、家に来てもらうことに。結局、次の日の朝から、自宅に来てもらうことに。さぁ、早う、パソコンの電源、直してくださいな。それが無理なら、データを復旧してくださいな。僕のかわいいパソコンを治療してやってくださいな。

「これ、もう、無理っすね」

え? 無理とかあるん? 業者さんってパソコン界でいうところのお医者さんちゃうん? そんな簡単に諦めたりするもんなん?

「修理とか出されるんでしたら、部品類はすべて海外製なので、戻ってくるのに一ヶ月以上はかかりますね。費用的にも二十万くらいかかるんちゃいますかね?」

はぁ? その間の仕事、どうするん? っていうか、購入した金額の倍以上の修理費かけて、一ヶ月以上、パソコンなしで暮らして、どうやっておマンマ食えばいいの?

「それか、データの復旧しましょか?」

パソコンを修理するのは諦めるしかない。背に腹は代えられん。というか、もはや、データ復旧の一択やん。それでお願いします。新しいパソコンは、なんとか工面しよう。それなら、話は早い。早うデータ復旧してくださいな。

業者さんは、おもむろに自分のノートパソコンを取り出し、今、ただの箱と化した僕のパソコンの内部から取り出されたハードディスクとつなぎ込む。ジョイント。すると、彼のパソコンの画面内に、これまで僕が手塩をかけてきた、見慣れたフォルダやファイルたちがズラズララララと表示された。おぉ、なんだこの、もう二度と出会えないと諦めていた友人、知人に再び会えたときのような感動は。涙が出そうじゃないか。

なにやら、その業者さんの料金システム的には、ある一定の容量の復旧は基本料金で、その後、十ギガ復旧ごとに追加で料金が発生するというもの。
先にも述べたが、あくまで、やや重要となるファイルたち。仕事がめっぽうできるタイプの僕くらいになると、仕事に支障をきたすデータ、命を脅かす類のデータは、すべて外付けハードディスクの中。やや重要となるファイルなんて、そんなにもないだろう。もしかしたら、基本料金内で収まる程度かも知れない。

気楽な気持ちで、「このデータも復旧お願いします。あ、あと、このデータも。それと、このフォルダもお願いします。それと、こっちのフォルダもっすね。あ、そうや、このフォルダもお願いします」と、業者さんのノートパソコンの画面を指差しながら、復旧希望のファイルやらフォルダを指定していく。

こんなもんかな。救えないデータもあるのはあるけれど、そこは諦めよう。費用が高くなってしまっては困る。だから、必要最低限にしておこう。
「以上です!」と業者さんに伝える。彼は電卓を取り出し、パチパチチと打ち出す。「新しい保存用の外付けハードディスクもご用意させていただきまして、復旧費用、合計八万五千円っすね。へへ」

聞き間違いだと思った。データだよ。無形物だよ。しかも、重要なデータじゃないんだよ。やや重要なデータたちだよ。なんでそんなに高いん?
まだ見積もり段階ということもあり、思わず、

「知人や友人で、パソコンのハードウェアに詳しい人間だったら、頼めばデータ復旧って、してもらえるもんなんですかね?」と尋ねてみた。
「まぁ、システムいじれる人だったらやれるかも知れないっすけど。どうされます? その人に頼まれます?」

実はそんな知人も友人もいない。それどころか、普通の友人さえいない。完全に僕の回答待ちになった。二択だ。目の前の業者さんにお願いするか、てめぇでなんとかするか。その回答を、彼は待っている。

「データ復旧だけを専門にやってらっしゃる業者さんっていますよね? そんな業者さんに頼めば、もうちょっと費用って安くなるもんなんですかねぇ……?」あがいてみた。
「同じくらいじゃないですかねぇ。だいたい、どこも同じ方法でデータレスキューしますんで。どうされます? 他の業者さん、探します?」

またしても僕の回答待ちになった。二択だ。目の前の業者さんにお願いするか、まだ見ぬ業者さんにお願いするか。その回答を、彼は待っている。

「復旧、お願いします……」

僕は諦めた。僕は負けた。目の前の彼に依頼する以外、方法はない。あれやこれやと動き回っているような時間もない。
結果的に、作業は六時間ほどかかった。無事に、僕が指定したデータたちは復旧された。超高額な費用をかけて守られた貴重な、やや重要なデータたちだ。なにが悔しいって、業者さんのパソコンの画面には、僕の失われたデータたちのすべてが表示されていたこと。僕が指定したデータだけを選択し、プイッと外付けハードディスクにドラッグアンドドロップ。彼はパソコンを救う立場だよね。パソコン界の医者だよね。画面内に出ていたんだよ、僕の失った、全ファイルが。でも、僕に指定されたかったデータは、救出されない。みんなはこう思うだろう。お前が指定しなかったから、救えなかったんだろうが、ボケが、と。でもね、指定すればするほど、お金がどんどん積み上がって行くんだもん。ファイルが選択されればされるほど、お金が積み上がって行くんだもん。諦めるしかないよね。

僕が彼の立場だったらね。会社に出す見積書とかには、お客様が指定されたデータ容量だけを書き込み、その実、すべてのデータを復旧してあげるね。だって、真実は分かんないじゃん。作業は一緒なんやもん。ドラッグアンドドロップだけやもん。そのほうがお客様、いや、患者様は喜ぶに決まってるもの。それが営利団体の通念違反だっていうなら、僕のことをブラックジャックと呼べばいい。そうまでしてでも、お客様のデータは、すべて救ってあげたい。だって、作業は、ドラッグアンドドロップだけやから。

まぁ、無事、僕のやや重要なデータたちは復旧されました。パソコンがなくては仕事ができないため、業者さんが帰られたあと、すぐにパソコンを購入した。便利な世の中だわな。スマートフォンで購入したよ。ただね、聞いておくれよ。何が悲しいってねぇ、新しく購入したパソコンが、五万円強だったのさ。やや重要なデータの復旧に、八万五千円を投じた後に、五万円強でパソコンを購入。物の価値ってものを見失っちゃいそうだな。

って戯言を、今、こうやって書いているのは、もちろん、五万円強のパソコンなのである。

デタラメだもの

20161203