大阪人だからだろうか、話を大きく盛ってしまうクセがある。特に、人と会話していて調子が良く、ウケにウケてる状況なんかになると、もっと笑いをくれ、もっと笑いをくれと貪欲になり、話をどんどんと盛って行く。脳内の別の自分が、「おいおい、そんなに話を大きくして大丈夫かね?」と、さりげなく心配してはくれるものの、「大丈夫、大丈夫、笑いは一期一会、この瞬間を逃すと二度と来ない。逆を言えば、この瞬間だけで終わるもの。話なんて、盛ったほうがおもろいやん」と、その心配を焼き払い、さらに大げさな話を続ける。

他人のエピソードなどを語っている場合には、あくまで見聞き知ったことを語っているだけなので、どれだけそれが現実離れしていようが、話の手離れが良い。最も厄介なのが、自分のエピソードを、大いに盛りに盛って語ってしまったとき。

その昔、音楽をやってる連中たちと某家に集い、鍋をつついたりお酒などを呑んだりしている最中、初対面の若手と語り合うことになった。彼は即座にこちらを慕ってくれ、兄貴、的な視線を送ってくれる。何を言うても響く。何を言うても感銘を受けてくれる。こちらの音楽に対する姿勢なんぞにも、大いに尊敬の念を示してくれるじゃあないの。
もとより、音楽に関しては雑食のワイ。偏ったジャンルに固執せず、どんな音楽でも柔軟に溺愛できる姿勢が彼に感銘を与えたらしく、ヨイショと持ち上げられ、持ち上げられ、気分よくなったワイは、「まぁ、こんな雑多に音楽を貪った結果、CDも集めに集め、今じゃ、家のラックに3,000枚くらいはあるよね」などと話を盛ってしまった。

こういうケースでひと言、言っておきたいんだが、こちらが明らかにネタと分かる数値だの距離だのを使用した際は、即座にそれを、ネタだと受け止めて欲しいのです。そういうの、関東の人には一切通用しないのは、なんとなくの経験上、理解しているし、こちらも傷つくのが嫌なので、めったと使わないが、そこはせめて関西人、ちゃんとネタはネタとして受け止めて欲しいのです。

ところが、彼、「さすがっすね! 兄貴! 今度、兄貴の家に遊びに行かせてくださいよ!」と来やがった。CDが3,000枚あるということを真に受け、そして、兄貴の凄さの証明が、家に3,000枚のCDがあることだという、僕を尊敬するひとつのファクターとして、CD3,000枚をコミットしやがった。

ということは、もし、彼が家に来たとして、3,000枚のCDが無かったとする。そうした瞬間に、兄貴への尊敬やら畏怖の念やら憧れの眼差しは消失してしまうということになるわな。ブロックゲームのジェンガで言えば、根底で上部の重みをズシリと支えている一枚のブロックを、問答無用に引き抜かれることになるというわけだ。
そんなアホな。家に3,000枚もCD、あるかいな。せいぜい、あっても200枚やわ。話を盛り上げよう思うて、15倍、盛っとるねん。家来るとか言うなよ。そんな殺生な話、あるかいな。

もちろん、彼を家には呼べない。彼は家に来たがる。「家、行きたいっす!」の話が持ち上がる度に、適当なことを言って誤魔化す。バルサン焚いてるから無理だとか、親戚一家が泊まりに来てるだとか言うて。
そのうち、それも面倒になり、彼とは会わんようになるわよね、自然の流れとして。疎遠になるわよね。彼、元気にしてるのかしらん。生息さえも知り得ない関係になるわよね。誰のせい? 話を盛った人のせい? そない殺生な。

そういえば、幼少の頃、話を盛ったことで殺されかけた経験もある。

当時、ミニ四駆なるレーシングカーの模型が流行し、キッズたちはこぞってそれを手にし、熱狂していた。
ミニ四駆というのは、いろいろな車種のラインアップがあり、マシンを構成するパーツがケースに入って販売されている。買いたてのキットは、標準のパーツしかセットされていないので、いわば、生まれたての状態。それを組み立てて、コースにマシンを持参し、走らせ、スピードを競いながら遊ぶ。

ところがこのミニ四駆、モーターやらタイヤやらホイールやらベアリングやらシャーシやらを強化できるアイテムが単独で売られており、それらを購入し、本体を改造していくことで、どんどんとスピードが速くなっていく。改造すればするほど、自分のマシンが強化されていく。そのため、キッズたちは、より最強のパーツを手に入れことを憧れとしていた。

ある日、マンガ雑誌かテレビ番組かで、正確な名前は忘れたが、ミニ四駆史上、最強のモーターが発売されるとの発表があった。実際にそのモーターを搭載したマシンが走っているところをテレビで目にしたが、思わず失禁してしまいそうなほど、速かった。あのモーターが欲しい。キッズたちの全員が、そう思ったものだ。
ただ、住んでいるのは、大阪でも都会とは呼べない街。近所の模型屋に、そんな流行のモーターなどが入荷するわけもなく。憧れが憧れのまま流れる日々が続いた。

話は変わって、小学生の頃は、校区なるものが定められていて、ここの道路から向こうは行ってはダメだよ、ヨソの学校の校区だからね、君たちキッズは、ここの道路からここの道路までの区間しか移動しちゃダメ、校区外に出るときは、マザーかファーザーと一緒にね。なんていうルールがありましたよね。

とある晴れた午後、親の用事に付き合うべく、親とともに校区を出て、大型スーパーへと向かった。我が小学校区の境界となる道路沿いには当時、イッコーホビーなる、模型屋さんがあった。位置関係でいうと、こちらの校区の境界があって、道路を挟み、イッコーホビーが向かいに見えている状態。親と大型スーパーに向かう際、そのイッコーホビーの店内にチラッと目をやると、ミニ四駆のセットが数台、売っているのが目に見えた。「へぇ。イッコーホビーって、ミニ四駆も売ってんじゃん!」という軽やかな印象を持った。

後日、友だち同士でミニ四駆の話で盛り上がっている最中、話はやはり改造のネタへと。あの軽量シャーシがヤバイとか、真鍮のギアにはグリスを塗りすぎるとダメだとか。そして話の中心は、例のモーターに。
友だちの中でも、不良とされている男の子が、やけに例のモーターの話をしたがるもんだから、僕は調べに調べたそのモーターの知識を披露。大いに盛り上がる。不良から賞賛される。心地良い。よっしゃ、話をもっと盛ってやろう!

そう考えたのが、悪夢の始まり。なんと僕は、不良からの賞賛欲しさに、「校区外にあるイッコーホビーに、例のモーターあるらしいよ」なんてことを口走ってしまったのである。不良は大喜び。喜び過ぎて、はしゃぐ、叫ぶ、そばにある物を破壊するの祭り状態。そして、僕への賞賛は、その瞬間、最高潮に達した。「ヤベッ……」とは思ったものの、イッコーホビーがあるのは校区外。僕たちキッズは、あちらへは行けないシステムだ。真相なんて確かめられるわけがない。まだ幼い僕の脳みそは、単純にそう考え、安堵していた。

ところが相手は不良。時にルールやマナーはもちろん、人として守らねばならない境界をも踏み抜いて行く人種。校区なんて知ったこっちゃあない。翌日、彼はなんのためらいもなく境界線を越え、イッコーホビーを訪ねたそうだ。そして、例のモーターの所在を確かめたそうだ。無かったそうだ。そりゃ、無いよ。チラッと目にした店内に、ミニ四駆が数台だけ売られているのしか、見てないんだもん。例のモーターなんて、あるわけないじゃん。

彼の怒りが沸点に達したのは、容易に察しがつく。翌日、僕の目の前に現れたのは、数日前、喜々として僕を賞賛してくれていた彼ではなく、猛り狂ったガタイのいい、荒くれ者のただの不良だった。お察しの通り、シバかれた。首を締められた瞬間、恐くてすぐに泣いた。失禁しそうになった。ちょっと、失禁した。

こんな経験をしているにも関わらず、いまだに話を盛ることはやめられない。目先に待つ、より大きな笑いが欲しい。先にも書いたが、話を盛ることは、ジェンガのブロックを高く積む如くの行為。その話を支えているブロックが外れたときの崩壊のリスクも描いておかねばならない。そうならないための防御策は、最低限、モーターが本当に売っているかどうかだけは、事前に確かめておくことだ。

デタラメだもの。

20160716