事務所の近くには、三階がヨガのダンスレッスンのスタジオ、二階がアメリカンでスポーティーなお姉さま方がホールを務める飲み屋、一階が丼屋のチェーン店という、不思議な層を成したビルがある。
ちょうど、人が信号待ちで立ち止まる正面に位置しているビル。

これほどにターゲッティングが分かれたビルも珍しく、信号待ちをしている人々の視線は興味によって散り散りなわけだ。
女性に関しては、ヨガのダンスレッスンのスタジオには興味があるかも知れないが、普通、人って、信号待ちでビルの三階を眺めるってことはしないよね。
だから、隣にいる同僚社員などとおしゃべりしながら、楽しく信号待ちのひとときを過ごすことになる。

問題は、男性陣である。

三階のヨガのダンスレッスンのスタジオは、なかなか罪深いやつで、三階部分が総ガラス張りになっていて、きっとこれには、女性は見られれば見られるほど美しくなるからというような原理も働いているのだろうが、とにかく総ガラス張りで、これがなんと、冬場には、室内のヨガの熱気と、外気の冷たさとが相まみえて、結露っつうのか、曇るっつうのか、とにかく、室内の熱気を曇りガラス状に伝えてきやがるわけで、この様子がオフィス街に淫靡なテイストを放散するらしく、こういった類にご興味のある男性陣は、信号待ちの最中に、日常ではペコペコと下げ慣れた頭を思いっきり上にもたげ、三階を凝視するわけである。

そして二階はというと、アメリカンでスポーティーなお姉さま方が、タイトなスポーツウェアのようなものを着込みながら接客をするという、ハッピーでパーティーピーポーな飲み屋が、快活で且つ淫靡なエナジーをオフィス街に放散しているため、こういった類にご興味がある男性陣は、得意先や上司から怒られたり詰められたりして消失しきっている心を満たそうと、信号待ちの最中に、日常では項垂れ慣れた首をやや上にもたげ、二階を凝視するわけである。

そして、一階。こちらは言うまでもない。腹をすかせた男性陣たちが、丼屋のチェーン店前に掲出されているポスターの中で燦燦と輝くカツ丼やらにヨダレを垂らしながら視線を注いでいる。
きっと、日常の飛び込み営業に疲弊した気の弱い人たち、丼屋の店内には、とても強気で飛び込んで行けるのだろう。得意先や上司には、果てるほどに気を使っている日常ゆえに、丼屋のスタッフに対しては、多少、横柄な態度を取るのかも知れない。
そんな男性陣が、丼の中に注ぐタレの如く、真っ直ぐでピュアな気持ちを丼屋に対して注いでいるわけである。

そんな様子を見ていながら、はははんと思う。はははははんと思う。何をははははんと思っているかと言うと、人それぞれで欲望の種類が違えば、欲望の優先順位も違うという様子に、はははんなわけである。

二階よりも三階を見る男性っちゅうのは、比較的高額な料金が発生する、コンセプト重視の二階の飲み屋は、自分とは無縁だと感じ、三階の清らかな淫靡さを求め、少々小金を持ったような連中、夜な夜な繁華街で飲み歩けるような小金を持ったような連中は、三階のような純真で無垢な中に潜む淫靡さよりも、ストレートな欲望という風なものに惹かれる。
そして何より、男性によっては優先順位高いんじゃね? と思われる淫靡さ、邪淫さよりも、食うことに飢え、食欲第一で丼屋を睨みつける男性の、何たる勇ましいことか。何たる原始性、男性的シンボル、無骨、無頼、はははん、その姿はまるで勇者。

というように、その人のステータスまでもが透けてみえるようで、はははんなわけだ。

そして、もう一つ、このビルから感じるコメディさが、三階から一階までを眺め下ろした場合、三階で汗かいて、二階で酒飲んで、一階でメシ食うて帰ーえろ、とでも言わんばかりに、麻雀で言うところの、一気通貫している様が、何とも痛快で、ストレスだらけのオフィス街の中、何とも単純で明快で、笑ってしまうわけなんだ。

しかし実は、このビルを取り巻くストーリーには、スピンオフがあるので、ここではそれを語りたいがために、この文章を書いているにも関わらず、既にこの文字量を消費してしまっているという体たらく、おしゃべり。

で、何がスピンオフかと言うと、このビルの対面には、大きな老舗のビルディングがあり、そのビルディングの地上二階部分には、社会で働く人たちが休息できるような、公開空地がある。
真四角のブロックで設えられた椅子が数個、ゴミ箱が数個、灰皿が数個あるような、庭とも言えない公開空地。

ここには、仕事や社会に疲れきったような社会人たちが、それぞれの心の休め方を求めて集ってくる。
項垂れながらスマホに目を落としているような人もいれば、一人無言で菓子パンを貪っているような人もいる。
所在無げにタバコの煙を見つめている人もいれば、単純に項垂れたまま、考え事をしているような人もいる。
まぁもちろん、快活な笑い声があったり、単純な休憩で訪れている人はいるものの、そんな現代社会の陰鬱なパーツを凝縮したような空間がここにありながら、どよんと悲しみが鬱積したような風情に包まれたこの空間はビルの二階部分にあるわけで、なんと、そこからふと目を流すと、例のビルが、例のビルが対面に一望できるわけである。

その景色たるや、人間の心情を虚無にさせてしまうほどの破壊力があるんだな。
汚れ無き淫靡さという欲望や、アメリカンで闊達な欲望や、原始性のある勇ましい欲望などを直視した瞬間、こちら側の自分とのギャップ、欲望の一切合財を、社会という無機質なモンスターに刈り取られてしまい、ロボットと化してしまった自分の空虚な心に、劇物を捻じ込み注ぎ込まれるような感覚。
信号待ちの時には、あれを欲望として捉えられるのだろうが、この二階の公開空地、世の中のストレスを一手に浴びたような沈鬱な場所からあれを眺めると、君の人生にはこの先、何一つ喜びも悦びも慶びも歓びもないんだよ、欲しがるなよ、求めるなよ、望むなよと、欲望から突き放されるような気持ちになる。
特に、陽が落ちた後は、それぞれの店が放つネオンが、余計に欲望のコントラストを強め、公開空地とのギャップを嫌味なほどに演出してしまう。

こんなにももの悲しいスピンオフストーリーが、オフィス街の片隅で日晒しになっていても良いものだろうか。
そんなことを思いながら、深夜残業を終え、最寄のコンビニで、缶ビールとから揚げ棒を買い込み、さてパンクロックでも爆音で聴きながら、プラプラ帰ろうかしらんと、もぞもぞとイヤホンを探したり、上着に袖を通したりしながら、例の場所で信号待ちをしていると、もぞもぞと上着に袖を通す仕草が大袈裟だったためか、大手を挙げているように見えたらしく、一台のタクシーが僕の前で停車。
後部座席のドアーがシューと開いたので、恐縮しながら、「あっ、止めてませんので……」と伝えると、運転手のあからさまな舌打ちだけを残し、客を乗せるために喜んで開いた風情のドアーが、冷笑するようにバタムと閉じた。

切な過ぎて、信号待ち。
僕が見上げたのは、二階でも三階でもなく、頭上に輝く月だったとさ。

デタラメだもの。

201151107