困ったことに、奥歯が疼き出した。
人間ってバカげたことに、歯が疼き出すと、「あっ、これはアカンやつだわ、これは確実にアカンやつだわ」と、その痛みの真の意味に気づきつつも、「でも、もしかしたら、今日一日限定で悪くなっているだけの歯のコンディションなのかも知れないから、深く考えなくてもいいかもよ」と、その不安を掻き消そうとする。
僕もそんな数多の人々の愚行を倣い、その痛みと向き合うことを先延ばし先延ばしにしていたものの、ついにアカン、豆腐を噛んでも歯が疼く、冷たいものがしみるのは当然のことだけれど、温かいものまでしみだす始末。

「これは、歯医者に行くしか他ない」と決断し、歯医者の選定に入るも、過去に、麻酔を効かせる場所を間違え、当の親知らず界隈は、神経が元気ビンビンな状態で、力ずくで親知らずを抜かれた経験、あろうことか、右も左も同様の医療ミスをされ、生死の境を彷徨った経験を持つ僕にとっては、歯医者選びは何よりも重要。
金は無いくせに時間も無いこの身分、土曜も日曜も金を稼がねば暮らして行けぬ経済状況だけに、平日はおろか、土曜だってマメに通える保証はない。

そんな折り、弟が通っていたという近所の歯医者が、日曜日もやっているという情報を入手する。
「日曜日もやってくれているのは心強い。時間の無い僕にはうってつけの歯医者だ。だって、通える日の選択肢が豊富なんだもの、日曜日もやってくれているんだったら」

そんな思いを胸に、インターネットでWebサイトを拝見し、おお、なんだかフリー素材の写真ばっかり使ってて、作られた演出を感じるなぁ、などと職業病を出しつつ、予約の電話をかけてみる。

「すみません。初めてなんですが……」

ひとまず、予約を取り付ける。しかし、一抹の不安が。
それは、受付の電話の女性の応対が、絵に描いたようなダメ受付のそれであり、愛想もなければ、どこかしら高圧的で、「お前、何様やねんボケッ!」と、心の中で呟いてしまうようなタイプのスタンス、そんな横柄な対応をされたもんだから、不安はムクムク。

しかし、こちとら、不安のムクムクよりも、歯のズキズキが耐えられず、皆の前で先生に怒鳴られた後の小学生の如く、テンションが下がった状態で日々を過ごしているのだ、ええい、受付なんて関係ない、愛想なんて関係ない、いざ出陣や。

自転車を医院の前に止め、緊張の面持ちのまま、自動ドアの前に立ち、ドアオープンのボタンをプッシュする。
ドアが開く、一歩を踏み入れる、中を見渡す。

「違和感……」

なんというのだろう、言葉でも文字でも表せないけれど、どこかしらに違和感を覚えた。
医院内はどことなく、インドア系のアミューズメント施設、もしくは繁華街にあるラブホテルを彷彿とさせ、ギラついた受付ブースの内部には、あきらかに品のない若い女性が二名。

「帰ったほうが良さそうな……」

そんな第六感が働くも、ここまで来て引き返すわけにはいかない。
名前が呼ばれるのを、椅子に座りながら待っていると、「お前、なんでそんな怒ってんねん?」と、心の中で呟いてしまうほど腹の立つ声が受付から飛んできた。「奥へどうぞ」、と。

待合フロアと施術フロアの境目は、あろうことか、民族雑貨屋で購入したであろう、大きなサイズのエスニックな布切れで仕切られていて、それをくぐって施術フロアに入ってみると、そこは受付フロア以上に、アミューズメント施設、もしくは繁華街のラブホテルの雰囲気が濃くなり、薄暗い照明、ライムグリーンの壁、無表情に蠢く大勢の歯科助手たち。

「いよいよ、帰ったほうが良さそうだぞ……」

オドオドとしている間に、これまたエスニックな布で仕切られた、薄暗く小狭いスペースに案内された。
待つこと、5分。一人の歯科助手がスペースに入って来て、問診っぽいことをし始める。
スペースが小狭いのと、問診の態度が横柄なのとで、えげつない圧迫感を感じて、何もかもが「近い、近い、近いねん!」と、今すぐにでも逃げ出したくなりながらも、無事、問診が終了。

既にフラフラに疲れきってしまった。帰りたい。歯の痛みなんて、耐えて耐えて耐え抜いてやるから、今すぐに帰してくれ。
施術フロアに名前を呼ばれた僕は、千鳥足の状態で、小狭いスペースを抜け出した。

どうやら僕の担当医は、泉ピン子似のおばさんのようだ。
言われるがまま、アホ面して口を開け、あちらこちらと歯を点検され、「じゃあ、レントゲンお願いします」の一声で、施術台から僕は立たされ、歯科助手に案内されるまま、先ほど通過したエスニックな布を再びくぐり抜け、受付フロアに舞い戻り、そこに設置されているエレベーターへと通された。

2階に上がると、そこは、無機質な宇宙船のようなフロア。
モノトーンの最先端機器たちが、所狭しと並べられている廊下を奥へと案内され、辿り着いたのは、突き当たりの撮影室。
またこれが、どう考えても最先端機器であろうレントゲン。
まるで見たこともない機器、形状、その姿形に、この機器で撮影されているシーンさえ想起できなかった僕は、思いつくまま、窪みに顎をはめ込もうとするも、「あっ、そちらは医院の人間の立ち位置ですので、逆側へご移動お願いします……」と、愛想のない指摘を受けた。そんなん、言うてもらわんと、分からんがな。
どうやら、医院のスタッフが作業する際に手を置く用の窪みに、顎を乗せて準備してしまっていたようだ。帰りたい。

レントゲンの撮影が始まる。
土星の輪っかのようなものが、僕の顔の周りを、円の軌道に沿って回る回る。
プシューッというスペーシーな音と共に回る土星の輪っか。近未来的な拷問を受けているような印象で、まるで、キューブリック監督の『時計じかけのオレンジ』の拷問シーンを頭に思い浮かべながら、レントゲンが終了する。

帰りはお前、来た道をそのまま戻るだけやから、分かるよな、一人で戻れるよな? と言わんばかりな態度で、「施術台にお戻りください」と促され、泉ピン子似を目指す。
施術台に戻った僕は、再び、アホ面して、大口を開けて、尖りに尖った器具で、口内をキュイーンキュイーンされるのであった。

ちなみに、その歯医者には2度通い、あまりに不安だったため、その後、歯医者を変更した。

「もう神経抜いてあるから痛くないからねー」と言われて施術を始められた瞬間、神経が残っていて、脳みそと背骨に稲妻のような激痛が走り、施術台の上で、しゃちほこのように反ってしまったこと。
そんな経験をしているにも関わらず、「次の治療は、さすがにもう神経ないから、麻酔なしで大丈夫だから」と言われるも、信用できるかいな、またしゃちほこなるんちゃうん……といった恐怖。これは後日、他院で治療を受けた際に、やはり神経の取り残しがあったことが判明する。
そして何より、受付の横柄な態度、予約を取ろうにも、「先生のスケジュールが」と言って、10日以上間を開けられそうになること。
先生は「神経の掃除だから、一週間と言わず、週に二度くらい来てもらってもいいから」と言ってくれたにも関わらず、受付でその旨を伝えると、「いえ、治療は必ず一週間の期間を開けた後でないと予約をすることはできませんので」と、ぶっきらぼうな態度で詰められたこと。

最終的には、その歯医者の口コミを見てみたところ、普通の虫歯の治療にも関わらず、歯茎の中に銀歯の破片を埋め込んだまま治療を終わらされ、その後、その破片を除去するために、大学病院に通い、歯茎を切り裂いて除去するという大手術を受けた人のコメントを読み、さすがに他院への通院を決めた。

もう、あの医院で僕がアホ面して、大口を開けることは、二度とないだろう。

『デタラメだもの』

201150705