出したものをいちいち片付けるというのが、なかなか解せなくて、反抗的になって、幼少の頃などは、部屋など、身の回りがグチャグチャになっていたものだ。

そういえば、小学生の頃から感じていた、そういう違和感。
明日も使う教科書を、なぜに今日、家に持ち帰らねばならぬのだ。すぐまた使うであろう鉛筆や消しゴムを、なぜにいちいち筆箱になおさねばならぬのだ。すぐにまた読むであろう読みかけの本を、なぜに本棚にいちいち仕舞わねばならぬのだ。解せない解せない、非効率過ぎて、解せない。

そう感じていた僕は、徹底的に、収納を指導してくる大人たちと抗い、権力やら腕力やらで押さえつけられ、それでも抵抗をやめなかった僕は、通知表と呼ばれる、人間を評価する下らない紙面の備考欄とやらに、アレやらコレやら文句をツラツラと書かれて、お前たち大人は、なんじゃい、聖人かい?完璧な人間なんかい?だとしたら、ロボットかいお前らは?ひとつもミスを犯さないような天空人のような存在なのかい?崇拝すれば気が済むのか?と毒づき、やたらめったら、路上に唾などを吐き散らしていたけれど、成人して果てしなく歳を取った今でも、変わらず、収納というものは解せない。

「出したものは片付けなさい!」
「うるさいわい!すぐにまた使うんじゃい!出したものをいちいち収納しては、またいちいち取り出して使って、ちょいと使い終わったと思った刹那、またしても収納するような無駄な時間を浪費するほど、人間の人生は短くないんじゃい!」

となるわけである。

この考えに異論のある人は、おそらく僕よりも、余命が二倍くらい長い人なんじゃないだろうか。
僕も、余命が今の二倍近くあるとするならば、出したものを収納することも粋なこととして取り組むかも知れない。
しかし余命が二倍ない今の現状、僕には収納している余裕はない。

そんな風な僕には特異な性質があり、これが、前述を主張するに胸を張れる所以なのである。
それはつまり、使わないものに関しては、徹底的に収納するという性分を持ち合わせているというところ。
なので、僕の身の回りは、散らかっているどころか、閑散と見えるほどに整頓されている。
要するに、超合理的なのである。
すぐ使うもの、よく使うものに関しては、徹底的に片付けず、これは使わないだろうと踏んでいるものに関しては、徹底的に片付ける。

この性分の自分で面白いと思うところに「これはよく使うよなぁ」と決め込んだものが多いシーズンには、想像に易いが、身の回りが異常なくらいに散らかることになる。合理に囲まれることになるのである。
その状態を見て人は、「ほんまにお前、それらの全部を使う予定あるんかい!」となるのであるが、当の本人にしてみれば、「使うから出しとるんじゃい!」となるために、他人との間に、意見の相違が生まれ衝突、となってしまうわけである。

そしてまた自分の中で特異だと感じる性分のひとつに、つい先ほどまで、「これ、近々使う予定あるよねー!」と感じ、身の回りに出しっぱなしになっていたものたちが、一瞬にして、「ん?やっぱりこれもあれもそれもどれもこれも使わんのちゃうやろか?」と極端に感じ、収納するどころか、全てを捨ててしまうことがある。

往々にしてこういう予感は正しかったりするもので、パソコンのアプリケーションやファイルやフォルダなどを例にとってみると、頭に浮かぶのが、少しく以前、職業柄、パソコンをさまざまカスタマイズしたり、いろんなソフトウェアをインストールしたりなど、パソコンの内部をゴテゴテにして使用していた頃があった。

これほどまでに使い込んだパソコンは、買い換えることも難しく、生涯このパソコンを使わねば、容易くは内部の移動などもできず、困ったもんだと頭を抱えていたある日、予期せぬ事故で、パソコンが故障し、一切の復旧も認めぬ悲惨な状況に陥った。

死んだ……。

そう思った。これで俺は仕事ができぬ、趣味もできぬ、今まで培ってきたものの全てが消えうせてしまった、もうオワタ。
一時はそんな絶望に苛まれたものの、ふと、自分の特異な性分が顔を持ち上げ、

「待てよ?ほんまにアレもコレもソレもドレも、俺に必要なもんやったのか?ほんまは使わんもんやったんとちゃうんけ?ほんまは要らんもんやったんとちゃうんけ?」

そう思い、何のソフトもインストールすることなく、前のパソコンから、何ら移設することもなく、ほぼ購入したままの状態でパソコンを使い始めてみた。
するとどうだろう。
そのまま、一切パソコンをイジることなく、今日までそれを使い続けている。特に何も困らない。不便もないわ、問題もないわ、むしろ動作が軽くて快適で、ルンルンしながら、真っ昼間っからシャンソンなんか聴いたりして、紅茶を飲んだり、鼻歌歌ったり、以前の生活よりも優雅に生きることができているではないか。

そんな経験に味を占めた僕は、これら本棚にクソ詰まっている書籍たちの大半も不要なのではないだろうか?
そう思い、読まなくなったビジネス本など、実用的な書籍の全てを処分することに決めた。
ビジネスなんか、我に関係なし、我に関係のあるものは、ファンタジーのみ、ファンタジー系の書籍さえ家にあれば、我はどこまでも生きていける。そう思い、大量のビジネス本を紐で縛り、集合的な意味合いのあるゴミ捨て場に持ち込んだ。

部屋に戻り、スリムになった本棚を眺めながら、はははぁ、身が軽くなった、俺の中からビジネスという四文字が消え去り、浮世離れの生活を歩めるぞ、ぎゃはははと楊枝片手に高笑いしていると、ふとあることに気づいた。

「あれらの書籍、古本屋と呼ばれるサービスに持ち込めば、それ相応の対価を貰えるのではないだろうか?結構、高価な書籍もあり、別荘のひとつでも購入できるかもしらん!」

天才的な閃きに、猛烈な勢いで部屋を飛び出し、集合的な意味合いのあるゴミ捨て場に駆けつけた。
その間、ものの五分程度。
世間とは、猛スピードで流れているもので、閃き、駆けつけたその五分の間に、ゴテゴテと闇鍋の如く散らかっていたゴミ捨て場から、先ほど我が捨てた高価な書籍類のみを丁寧に運び出し、持ち去っていた猛者がいたのである。
なんとまぁ、損をした。自分の持ち物を、計らずも他人に分け与えてしまい、それだけならまだしも、そいつはきっと今頃、僕が分け与えたその財産で、別荘のひとつでも買っていることだろう。

その事実に、トボトボと肩を落としながら家に帰り、気分転換に読みかけのマンガでも読もうと本棚に目をやると、先ほど捨てた実用書群の中に混ざって、読みかけのマンガまで捨ててしまっていることに気づき、憤怒憤怒激怒激怒の末、煮えきらぬ気分のまま古本屋に足を運び、読みかけのマンガを購入。

必死の思いで自宅に戻り、マンガをペラペラとめくると、ひとつ前の巻を購入していることに気づき、「一巻の終わりだ……」と呟いたかどうかは、当時、部屋で買っていた金魚のみが知る事実である。

デタラメだもの。

201141102