季節の変わり目だからだろうか、雨の前触れだろうか、それとも、もうすぐ梅雨がやってくるからだろうか、仕事帰りなど、街を歩いていると、ノスタルジックな気持ちにさせる風の匂い、潮風のような匂いが鼻腔にやってくるもんだから、ふと思考を巡らせて、そういえば、僕がこれまで生きてきた大阪という街の中でも、特に下町には、他の都道府県の人が驚くくらいの数の、たこ焼き屋があるなぁと考えてしまうのは、ごくごく当然のことだろう。

犬も歩けば棒にあたるらしいが、大阪の下町を歩けば蛸にあたる。
僕の住まう町には、無数のたこ焼き屋がある。

その光景を幼少の頃から、当たり前のことと思い、何の違和感も持っていなかったけれども、他の都道府県の人が町にやってきて、古き良き下町をアテンドなどしていると、

「あれれ?さっきもたこ焼き屋、ありませんでした?」
「ええ、ありましたよ」
「向こうに見えてるのも、たこ焼き屋じゃないんですか?」
「ええ、そうですよ」
「わぁ!またたこ焼き屋だ!」
「ええ、たこ焼き屋です」
「普段、こんなにもたこ焼き屋、見かけないですもん」
「僕の町では、ネオンや24時間営業の商店などの明かりで、見上げてもすっかり見えなくなってしまった夜空の星。ぽつりぽつりしか見えません。なので、仕事で落ち込んで帰った日などは、何を見上げて、何に語りかければいいのやら、すっかりわからなくなってしまいました。都会都会って、便利になるだけが全てじゃないですね、ほんと。見上げても、夜空に星を見つけることも、なかなか難しくなってしまったんですよ。でもね、でもね、夜空を見上げて見つかる星の数よりも、町のたこ焼き屋の数のほうが圧倒的に多いという事実。これだけは、胸を張って誇れるんですね。人って、その誇りだけを持って生きて行くことも可能なんじゃないだろうかって、最近よく思うんですよね。たこ焼きを食べた後の爪楊枝で、歯の隙間をシーシーしてる時なんかに」

といった会話が成立するくらいに、多い。

おばあちゃんがやっているたこ焼き屋、おじいちゃんがやっているたこ焼き屋、チェーン店のたこ焼き屋、町のいたるところ、商店街の両サイド、風情のある店が連なる。

そんなたこ焼き激戦区の中で、数年前、たこ焼き屋をオープンした若い兄ちゃんがいた。
店の造りも広く、どうやってこんな地代を払っていくんだ、やっぱり粉もんって、そんなにも儲かるのかと思ってしまうほどに、商店街の中では、なかなか立派な店だ。

そろそろその兄ちゃんの店も、商店街の中の馴染みのたこ焼き屋になり始めた頃、同じ商店街の中、200mほど離れた場所に、突如、若い兄ちゃんたちが、たこ焼き屋をオープンさせた。

まさに、群雄割拠。

こっちの店が頑張れば、あっちの店も頑張って、こっちの兄ちゃんが声を張り上げて威勢を見せれば、あっちの兄ちゃんたちも、声を張り上げて、威勢を見せる。
味はどんどん良くなるし、サービスもどんどん良くなる。
そこには、正しき競争社会の姿があるように思えて仕方がない。

そして何よりも胸を打つのが、延々と、たこ焼きの仕上がりに目を落とし、串でコロコロと回転させ、最高のたこ焼きを作らんとする、その雄姿。
その姿を見ていると、兄ちゃんや、兄ちゃんたちに、「一球入魂」とバックプリントされたTシャツでも作ってあげたくなる。

朝の早くから、たこ焼きを作り、閉店時間は、ちょうど日付が変わるころ。

終電の仕事帰り、商店街を抜けて帰っていると、兄ちゃんの店は少し前に閉めたのだろう。店の前で鉄板などをホースの水で洗ったりしている。

兄ちゃんたちの店には、飲食スペースに、中年の夫婦と思われる男女が談笑しているので、恐らく、まだ店が閉められないのだろう、兄ちゃんたちの中のひとりが、未だ黙々と、たこ焼きを回し続けている。

その視線が、あまりにも男前過ぎるもんだから、このノスタルジックな風の匂いも手伝って、思わず目尻から涙がこぼれそうになる。

うう。痛いよ。痛すぎる。
何が痛いって、部下たちとの仕事帰りの軽飲みの後、何の威厳を示すためか、路上に違法駐輪している自転車に向かって、盗塁でベースを盗む俊足の選手のように、華麗なスライディングを決めた際に、右足の膝頭を捻挫してしまったようで、数週間経った今もまだ、膝頭が痛い。痛いよ。痛すぎる。

兄ちゃんやお兄ちゃんたちの雄姿を横目に、人気のない商店街の中を、右足を引きずりながら帰る。
そして、アーケードが途切れ、夜の町が訪れる。

ああ…。今日は、訪問先のお客さんに、会社移転前の名刺、以前の住所やら変更前のメールアドレスが書かれた、昔の名刺を、間違って渡しまくってしまったみたいで。それも今日だけじゃないようだ。古い名刺をいつから配り、何枚、誰に渡してしまったのかもわからない。

「お前!もろた名刺に書いとるアドレスにメール送っても、返ってくるやんけ!なめとんのか!」

というクレームのお電話で、それが発覚した。

ふと空を見上げてみる。
願いをかける星さえ見当たらない。
おい、星空よ、そんな数で、俺の町のたこ焼き屋に勝てると思うなよ。

俺の住まう町では、無数の星ではなく、兄ちゃんやお兄ちゃんたちが、朝も昼も夜も、たこ焼きを転がし続けながら、その瞳を、キラキラと輝かせているんだ。

『デタラメだもの』

201140531