ここのところ、暑さを感じる日もチラホラあって、身体がジュンと汗ばむこともしばしば。
快適やわ、過ごしやすいわ、キャッキャッなどとはしゃいでいると、当然じんわりと身体に汗をかく。
当然のことながら、生きているんだもの、人間だもの、ニオイも出る。

ニオイ?
と、この季節の変わり目に、改めてニオイについて考えてみる。

そういえば若かりし頃、何もかもが敏感になる多感な青春時代、クセ毛ひとつで自殺一歩手前まで悩んでみたり、おでこの形や、なで肩いかり肩、人より短い足やら、人よりデカイ顔面やら、どれを取っても死活問題の悩みへと誘われてしまう、そんな誰しもが経験するあの年頃。

思えば、体臭が気になって気になって、ワキのニオイが気になって気になって。
当時所属していた、少年野球チームのある日の試合中のレフトの守備。相手バッターが打ち上げたフライを捕球するために両腕を天高く上げる動作によって、自分のワキのニオイが地球に散布されやしないかと、ほとんどの打球を、少女が憧れの先輩にバレンタインチョコを渡す時のような可憐な仕草でもって、捕球していたこともあった。

自分はこの体臭と共に、今後の人生を歩んで行くことが、果たしてできるのだろうかと、ズッポリと塞ぎまくっていた。
そして思い立ったのが、手術して、この悩みを一掃してやらん、ということ。

名医の執刀により、見事に死活問題であったワキのニオイは除去され、平静な顔をして、学校生活を営むことができたものの、その後の人生の知識、知見により、ワキのニオイというのは、太古の昔、いわゆる男性のフェロモンの象徴であったらしく、ワキのニオイが強い男性ほど、たくさんの女性が寄ってきたのだ、と伝えられているではないか。

その事実を知ったが後の祭り、自分のワキのニオイを武器に、数多の女性を寄せ付けるということは、名医の執刀による素晴らしいオペによって、叶わぬ夢と散ってはしまったものの、死活問題、いわゆる、死を選択するに匹敵する青春の悩みが解消されたことで、その後、平々凡々な人生を歩むことになる。

今だに微かに微妙に微量のニオイがあるけれど、酸いも甘いも経験し、人生の辛酸を嘗めまくった果て、この年にもなると、そのニオイの残り香が逆に、妙に愛おしくなって、絶対にそれを手放すまいと、想いを馳せ始めている昨今、汗ばむ季節になると、その残り香が鼻腔を突いて、いい感じやんか、とルンルン過ごしている。

が、そこで、歴史を揺るがすほどのショッキングな仮説に行き着いてしまうわけさ。

それは何かというと、フェロモンの名残りであるこの芳しい香りは、フェロモンを持っているからこそ、そのニオイを発するわけで、となると、自身のフェロモンが、年齢的な問題や、肉体的な衰えによって、枯渇してしまえば、そのニオイは皆無となってしまい、男性としての魅力がただでさえ元来より備わっていないにも関わらず、全くもって喪失されてしまうことになるのでは?

それだけならまだしも、年齢と共に台頭してくると言われる、加齢臭というやつに、取って代えられるのではと、再びこの年齢になって、死活問題に直面してしまったのである。

僕の愛おしいニオイの行く末や如何に?

その死活問題に怯え切ってしまった僕は、とは言え、どうにかその現状を良好に改善して行かねば、どうにか僕の愛おしいニオイを死守せねばと考え、ただ自分の身体は老いていくもの、それには抗えないものと踏み、こうなれば科学の力に頼るしかないと閃いた。

そうだ、学者さんに、相談しよう。

思い立ったが吉日、即行動、あるルートから、ある学者さんに相談を持ちかけてみた。

「すみません。僕のワキの愛おしいニオイを、なんとかして後世に残していくことはできませんかねぇ?たとえば、香水みたいなスプレーにしてもらうとか…」
「はい?何をおっしゃってるんですか?」
「いや、だから、僕の愛おしいニオイをね…」
「申し訳ございませんが、ご対応いたしかねます」

上手く意図が伝わらなかったのだろうか、いきなり電話を切られてしまった。
なにやら、聞くところによると、論文の発表を控えているデリケートな時期で多忙なんだとか。
仕方ない、学者さんのラインは諦めよう。

そう消沈していると、さらなる難題にぶち当たってしまった。
それは、ニオイというものは、鼻腔へと吸い込んで行くことで、一時的ではあるにせよ、ニオイが消えてしまうという事実。

いざ、自分でニオイを吸い込んでみると、まさか、どんどんとニオイが薄くなって行くではないか。
思い切り吸い込んだ後には、ニオイの形跡さえ残っておらず、まるで無臭を特徴とした特殊な人間であるかのように、僕のワキからは、何のニオイも発していない。

となると、何か?ただでさえ、加齢臭の台頭で、ニオイはかき消されて行くのに、それに追い討ちをかけるかのように、自分の鼻から吸い上げる呼吸によって、さらにニオイは失われていく、と。
さらに思えば、当初より、青春時代に、わざわざ手術などして痛い目を味わわなくとも、常時、鼻腔から強烈な吸引でもって、ニオイを吸い続けていれば、コンプレックスと呼ばれる強大な存在にならずに済んだんじゃないか。

ああ、もう、何が正しくて、何が間違っているのかさえもわからなくなってきた。

それらの事実に、完全に打ちのめされてしまった僕は、ニオイを後世に残して行く作戦より先んじて、如何にして自分の身近に漂う空気を吸い込まずして生きるか、つまりは、自分のニオイを自分で吸い込むという愚弄な行為を禁ずる方法を、ひたすらに模索し続けている、そんな汗ばむ今日この頃なのである。

デタラメだもの。

201140427