春の気候ともなると、花見やなんやらで、人々がお酒を飲む機会も、増えると思う。

世のおっちゃんおばちゃんは、桜の風情に酔いながら、上品なお酒と下品なノリで、桜を満喫することだろう。
世の若者たちは、桜の風情もわからぬまま、桜の風情に酔ったフリをしながら、その実、花見に参加している意中の異性に、いかに手を出さんとするかを企んで、酔うどころか、下心ばかりを散らせることだろう。

それにしても、お酒とは、上手に付き合いたいもんだ。

お酒を欲する人の心理とは、一種の変身願望だそうで、なりたい自分になるためにお酒を飲むらしく、普段は真面目にルールを遵守するようなタイプの人は、ハメを外してみたりだとかルールを破ってみたりだとか、普段から感情を抑えている人は、笑い上戸になったり泣き上戸になったりだとか。

酒場で酔っ払って、どんどんとその人間性が変貌していく人は、じゃあ、普段から、こんな風であんな風な変身した後の自分をひた隠しに生きているのかってことになり、じゃあ、そのふり幅がとても大きい人を見れば、その人にとって、浮世とは何たる行き難いものなのかと、心配になってしまう。

それにしても、僕は、酔うと、なんとも自己破壊の気があって、食えない。

草むらにダイブしてみたり、高いところから飛び降りてみたり、硬質の壁にブチ当たってみたり、それによる惨状で、スーツが避けたり、捻挫や打撲、そういったことがちょくちょくあるもんで、なんともアホなことをしたもんだと、酔いが去った後に思うわけで。

ただ、他人様に迷惑をかけない種類の酔っ払いなので、容赦はしてもらいたいが、自分様には、多大な迷惑をかけやがるもんで、尚のこと食えない。

つい先日も、お仕事で、部下を連れて東京なんぞに行かせてもらいまして、お客さんと、まぁ出張ついでに飲みましょうやということになり、渋谷界隈の小奇麗なお店で、一杯やることに。

人とのコミュニケーションを最も苦手とする僕みたいな人間が、出張ともなり、お客さんのところに出向くとなれば、それはそれは、いろいろな方々とお仕事の話を繰り広げねばならないわけで、そうなってくると、秒単位にストレスが溜まってしまい、全ての打ち合わせが終わった頃には、毛髪の三分の一近くが抜け落ちているんじゃないかと疑ってしまうほどに、疲弊してしまう。

そんな疲れも多少あったのか、飲みましょうやの時間も楽しく終わり、お客さんを見送った後、急に我輩の部下の、愛らしくも生意気な態度に腹を立てて、懇切丁寧に説教をしてやろうと考え付いてしまったのが、運の尽き。

懇切丁寧な説教の前に、大胆不敵な威嚇をしてしまったもんだから、これは大いに手順を間違えてしまったことになる。

愛すべき生意気な部下は、その大胆不敵な威嚇に対して、予想外にも、モンスターのような態度で襲いかかろうとしてきたわけで、これはいかん、こういうモンスターに対しては、昔、中学校の頃、ケンカが強くなった気分になるために真面目に机に向かって勉強した格闘技やら護身術やらの知識を最大限にフル活用して、教科書通りの手順で、目の前のモンスターを押さえつけねば。

そう思い、お作法に則って、部下を押さえ込みにかかった。

と、その瞬間、渋谷の裏通りにどうやら、カマイタチばりに高速移動できる通り魔が、二人の間を駆け抜けたようで、ふと部下の顔を見てみると、左目に、「これは今すぐ手術や!」というほどではないけれど、「なぁに、こんなもん、放っといたら治るよ、自然に」などと悠長には到底言っていられないほどの、気軽に放置するとマズそうな傷が。

やっぱり渋谷怖いよ、東京怖いよ、高速移動する通り魔がいるなんて。

愛すべき生意気な部下は、通り魔のせいではなく、二人がもみ合っているときに、どちらかの身体の部位が、左目を強打したと言って聞かないが、僕には、あれは通り魔のせいとしか、思いようがない。

あまりにも部下が哀れ過ぎて、どうにか僕も、その哀れに近づき、君の哀れさも大したことないよ、ほら僕だってこんなにも哀れなんだもの、と手を差し伸べようとして、例の如く、草むらに二度ほど背面ダイブをかました結果、草むらの中に、眼鏡を落として、失くした。

僕の視力は例えるならば、眼鏡があっても命がなけりゃ生きては行けないよ、これは当然のことだけれども、命があっても眼鏡がなけりゃ生きては行けないんだ!と豪語したくなるほどの近視。

その近視な人間が、土地勘もなく、宿泊する宿もまだ押さえていない状態の渋谷の裏通りで、眼鏡をなくし、今宵、ゆったりと安眠できるという希望もなくし、部下の信頼もなくし、手探りの状態で、歩き歩き歩き、なんとかカプセルホテルを見つけだし、精神的にも体力的にも疲れ果てた僕は、魚市場の競りで、凍りながら、買い付けの人々を滑り交うマグロのように、その小狭いカプセルの中に滑り込んだ。

翌早朝、現場に戻り、草むらの中で眼鏡を探していると、不審者の通報が入ったのか、職務質問的なことを受ける始末で、大阪に戻ってすぐに眼鏡を作ってみるが、眼鏡をなくした人間は、最適な眼鏡を選べる能力と可能性も同時に失ってしまっているので、安い眼鏡屋の中で、偶然手に取った、店内でも高級の部類とされる価格帯の眼鏡を買ってしまい、財布の中身までなくしてしまう始末。

僕がお酒を飲んで、変身願望の末になりたかった自分というのは、何もかもをなくしてしまう、哀れなおっさんだったようだ。

201440330