先日、取引先さまとアポイントというものを取らせていただき、打ち合わせと呼ばれるものをしましょうということになり、社内の打ち合わせブースなるものにお越しいただいた。

ご丁寧な挨拶を済ませて着座後、いきなり取引先さまから、

「そういえば以前から誰かに似ていらっしゃるなぁと思っていたんですけど、それが誰だか分からずいたところ、ようやく答えに辿りつきましたよ!俳優の矢柴俊博に似ていらっしゃいますよね?」

と嬉々とした表情でおっしゃっていただいた。

はて?そんな俳優さん知らんぞと思い、恥ずかしながら、その俳優さんを存知上げないのですが、どのような俳優さんでいらっしゃいますでしょうか?などと、素っ頓狂な返事を返してしまったところ取引先さま、ご丁寧に、打ち合わせに持参のiPadなるものをトトトンと叩き、画像検索をしたかと思うと、画面に矢柴俊博さんの画像を表示してくださいまして、二人して画面に目を落とす。

なるほど、これがなかなか似ているといえば、似ている。

「この方、なかなかの名脇役の俳優さんで、いい演技されるんですよ!」
「ほほう、名脇役さんっぽい感じですねぇ…」
「そうなんですよ!意外といろんな作品で、脇を固めてるんですよ!」
「ほほう、脇をねぇ…」
「そうなんです、脇が脇で脇なんですよ!」

とまでは言わなかったものの、とにかく名脇役の方に似ているのだそうだ。ありがたい。

その他にも、先日では、Googleさんの自社出稿のバナー広告に登場している男性が、僕に似ているとかで拝見してみると、いかにも真面目そうな男性の方で、仮にその方が俳優さんだったとしたら、間違いなく名脇役だろうと思わせる風情で。

あとは、居酒屋チェーンの鳥貴族で実施されている、2800円で飲み放題食べ放題のプラン、28とりパーティーの告知ポスターに映っている、エキストラさんの、左列の奥から二番目の男性にも似ているらしく、その方ももちろん、エキストラさんなので、しっかりと自分の役目、脇を固めていらっしゃる。

そんな風に、誰々に似ているなどと、ありがたいお言葉をいただいている中で、相当の低学歴の自分でも薄々と気づき始めている。

自分は、脇役的な人間なのだと。

そういえばこれまでの自分の半生を思い起こしてみると、進学の際や勤め先が変わる際など、新たな出会いがあるときに必ずといっていいほどに言われていたセリフが、

「俺の地元に、君にそっくりな○○君って奴がいてさぁ」
「なんか前のバイト先に、君にそっくりな○○って奴がいたわ」
「以前勤めていた職場に、君にそっくりな○○って人がいてねぇ」

など、誰しもの人生のどこかの時点には、必ず僕にそっくりな誰かさんがいた模様である。
それほどに、僕の顔面は、そこかしこ、どこにでもいるということになる。

曲がりなりにも個性的な生き方を望んで、それなりに個性的な生き方をしてきたつもりであり、個性的なことをわざとやらかしてみたり、個性的な風体をしてみたり、平準的なことをあえて避けてきた、良く言えば破天荒な生き方をしてきたつもりであるがゆえに、できれば、無名でもいいから、主役をはれるような方に例えられるとか、もしくは、誰にも似ていないという心地よいレッテルを貼られてしまうほうが、なんぼも潔くも思えて仕方がない。

なのに、どうしても、脇役から脱却できないらしいし、させてもらえそうもない。

しかし、脇役という響きがイヤなわけではないのである。燻し銀な感じがして、むしろ好きなわけである。
たとえば樹木希林さんなどは、あえて主役は務めないと言ってのけるほどの名脇役であり、そういったポリシーは脇役という、ある種、主役よりも演技力を求められるポジションだからこそ輝く、職人気質的な魅力もふんだんにある。

だから、脇役どうこうよりも、どこにでもいそうな顔という部分に、解せない何かがあるのである。

ただ、ここまで「ありふれた顔」という評判をいただくからには、きっちりと他者さまの評価を真摯に受け止めて、もう自分というものは、個性的でも何でもなく、いわゆる平均的であり、突出したものも尖るものもない人間であり、才能もなければ能力もなく、独特な何かも持ち合わせていない人間だということを、皆さまのご意見を参考に、しっかりと自覚し、身の丈に合った生き方をせねばとふさぎ込む始末。

今では自分で自分の顔面のことを、「故郷顔」と呼んでみて、皆さんの人生のどこか懐かしい場面で、必ず登場する系の顔だと評してみたり、「日本人男性の全員の顔を足してその母数で割ってみると仕上がる顔」と呼んでみて、あくまで日本人の平均だと自負してみたり、もう開き直って、自分平準化計画を進行中と相成っているわけである。

そうでもしないと、この自分の描く生き様と、世間からの自分のイメージのあまりにも乖離した現状を、真摯に受け止められそうもないので。

数多いらっしゃる個性的な皆さまには、到底想像もつかないであろう、あの、「どこにでもいそうな顔ですよね」という腹に据えた本音を、磨き上げられた社交辞令により、「裏を返せば多くの人に好かれそうな顔ってことですよね」「裏を返せば安心できる顔ってことですよね」「裏を返せば落ち着く顔ですよね」などと、裏を返されまくる人間の気持ちを。

焼き加減の甘い焼肉のように、本日もクルクルと裏を返されまくる日々なのである。

デタラメだもの。

201140216