そういえば先日、会社へ入社して半年ほどの新人(といっても中途採用なので、ええおっさんではあったけど)が、会社に愛想を尽かして、無断で逃亡したなぁ。

無断欠勤からの連絡遮断、そして退職といった、社会における、王道パターンの辞め方をしていった彼。
ううう、君の気持ちは痛いほど分かる。分かり過ぎて痛いよ。

でも、ほんとは、真っ先に僕がそれをやりたいんだよ。今すぐにでも、それをやってやりたいんだよ。

退職届けで紙飛行機を作って、それを遠巻きからピューと投げやり、空中フワフワと漂わせ、ストンッ、それを受理すべき人の机の上に着陸させる。そうやって、我が身は、新たな空へと、テイクオフ。

ただ、そうもできない現実に、歯軋りギシギシやりながら、今日もパソコンのキーボードのボタンをすり減らす。
そうだね、それは浪漫非行じゃなくて、現実逃避だね、単に。

まぁ、ある人間に憎いくらい腹を立てて会社を辞めるんなら、そいつのデスクの上に、うんこしてやるくらいの辞め方のほうが、きっといいと思うよ。僕だったら、そうするなぁ。
死ぬ覚悟があるくらいなら、人間何だってできるように、辞める覚悟があるくらいなら、同じく、何だってできるって思うけどね。

ただ単に逃げただけなら、一生バカにされっぱなしだけど、うんこしてやってから去っていけば、なんか伝説っぽくなるじゃない?英雄っぽくなるじゃない?革命家っぽくない?

しかし、何が悲しいって、会社ってやつは、社員の個人的な悩みなんて、まぁ一切知る由もないですわなぁ。勝手に悩んどれってなもんで。

皆さん一様に、自分のことしか考えておらず、他人のことになんて興味ないよね。
出世出世言うてて、他の人間のことになんて皆目興味のないようなロボットのような奴ならまだ分かるけど、そうじゃない、ごくごく一般的な勤め人的な人でさえ、一様に、他人に興味がないとくる。

そうやって、興味がない人間同士が集まりかたまり、会社というひとつの集合体を作れば、そりゃ、会話も音も、笑いも何もかもなくなりますわなぁ。
そうなれば、個々人の仕事っぷりやら、仕事での躓き、そんなものについても、会社ってやつは、一切興味持たんですわなぁ。

「お前らみたいな一従業員のことなんか、構もてられるかい」

と一蹴されて終わり。そんな風に無関心。

だから、社員がどんなに会社で疑問や不安や悩みを抱えていても、それに気づく者なし、それに手を差し伸べる者なし、そうして放置放置。
社員はどんどんと孤独になっていき、明るかった性格までもが陰鬱になり、何もかもに怯え、そうして物言えず、無言のまま、姿を消す。会社って、ほんとに手を差し伸べるために動き出すのも遅けりゃ、何にも興味ないんだね。

と、思いきや、解せぬことが、ひとつ。

それは、

『辞めた社員の名札を撤収する早さ』

である。

本日の出先を記入するホワイトボードに貼り付けてある名札的なモノ。

しばらくの長い時間をかけて、疲弊させ、衰弱させ、放置し、無関心の果てに、退職にまで追いやっておいて、いざ退職が決定すると、即、名札は回収される。

優しさや思いやりを投げかけることを忘れ続けた果てに退職にまで追いやるくらいなら、退職した人間の名札なんて、回収し忘れ続けて、ずっとずっとそこに貼られているくらいのほうが、よっぽどいい。

なんでそんなとこだけ、気がつくんだ。
なんでそんなとこだけ、気が利くんだ。

会社ってのは、誠に恐ろしい生き物である。
長い時間かけて、カッターナイフのような、死に至るほどではない凶器で、痛めつけられ舐られ傷つけられ、そうしてその、ねっとり湿った攻撃の果てに、死に至ったあとは、死体撤収班が、恐るべきスピードで駆けつけ、死体を片付けてしまう。

そうして、まるで、何事もなかったかのような、日々が再び始まる。

そんなことを考えながら、駅までの道のりをフラフラやっていると、俯いてるサラリーマンもいれば、ひとりで笑ってる奴、大勢で笑ってる奴、項垂れてる奴、いろんな奴らがいるなぁと、各々、どんな人生を歩んでるのかしらんと思ってみて、いざ、じゃあ自分はいったいどんな風体に見えるのだろうと、自分の足元から観察してみると、お昼の食事の際に、股間を中心に左足の先のほうに至るまで、その全てを濡らしてしまった、冷やし中華の汁こぼし事件の名残からか、うっすうらと染みが浮かび、そういやよく匂うと、やや酸味までもが香られて、嗚呼、人生こんなもんかと、本日幾たび見上げたか分からない、空を再び見上げ、小さく息を吐いた。

デタラメだもの。

20130629