それにしても、技術の進歩やら便利さやらには、ふた通りの対峙の仕方があって然るべきだと思うわけで。
「ついて行けない」のと「ついて行かない」のと。
圧倒的に違和感があることのひとつが、何やらよく分からんのですけども、電話の実物を手に持たず、顔面付近に近づけずに、電話するというもの。
あれは、ワイヤレスとかそんな技術で成り立っているのかしらん。まったく街中などでも、電話を顔面付近に近づけずに、まるでひとり言のように電話をしている人の多いこと多いこと。
車中なら分かりますで。運転中は電話しちゃダメなんやもんね。だから、ワイヤレスなりスピーカーなりで話をするっての、密閉空間やし、プライベートゾーンやから、そんな光景も理解できるというもの。
それが街中などで見かけると、めちゃ違和感。
パッと見、人目を気にせず、ひとり言を大声で話、ニヤニヤしたり笑ったりと、とても一般普通の所為とは思えない。
自己で感情の表現をコントロールできないような人間にさえ見えてしまう。
だって、信号待ちなんかで、黙って突っ立っていると、その刹那、いきなり隣の男性やら女性やらが、「マジでー!それ吃驚仰天じゃね?」などと、大きな声で話し始めるわけで、こっちは虚を衝かれ、ビクッとなる。
変な人が現れた…って。
んで、よくよく見てみたり聞いてみたりすると、それが電話をしているのだということに気づく。なーんだ、電話かいな、と思うのは思うけれども、その第一印象の奇妙さったら、やりきれない。
恐らく、便利さや時間短縮の名の下に、「それが現代のあるべき姿なんだよ」と理解納得させられそうなもんだが、そういう見た目の違和感を犠牲にしてまで、便利さを追求するというのが、なんとも解せない。
じゃあ何かい。
「今日は外が異常に暑いよね。こんなに暑いなら、その暑さを緩和するために、裸足で歩こうかい。見た目なんか気にしてらんないよね、暑さ緩和のためだもんね。裸足で外を歩こうよ」
なんて言って、人々が裸足でアスファルトの上を歩き出したりなんかしても、通気性の名の下、暑さ対策の名の下、理解納得せねばならんのだろうか。
というくらいに、ワイヤレスで電話をしてはる方の見た目は、奇妙で奇抜で違和感がある。それも、電話において、便利さや効率を考えるくらいの方なので、皆さん、それをやられる方は、衣服、つまりは、スーツなんかもビシッとして、いかにも、仕事できますよ風の方々ばかりなもんだから、その奇妙さに、ふり幅というスパイスまで効いて、尚のこと怪奇に見える。
そう、怪奇。
なので、私みたいな流行音痴、退化人間、昭和の名残りのような人間から言わせてもらうと、街中でワイヤレスで電話している様は、瞼横に、目ヤニではなく、鼻クソをつけながら、平静に過ごしていることよりも、よっぽど妙ですよ、と。
それはそうと、もうひとつ解せないのが、近頃では、打ち合わせや会議などをしている時に、ノートパソコンやらiPadやらをパチパチやられる、あれ。
あんなこと、いつから認可されるようになったの、マナー上。
さまざまビジネス本などで、そういう風情のことを指南されているだろうことは、よく分かる。
リアルタイムでクラウドに情報をあげろだの、共有ツールでシェアしようだの、いいね!いいね!しようだの、と。
で、これがいったい何なんだい?というと、この所為、特に若手の社員に多いように思うのだが、打ち合わせの刹那、一生懸命こっちがしゃべってる横で、目も合わせずに、キーボードをパチパチパチリ。
ふむふむ。といった態で、「俺、聞いてますよぉー、俺ちゃんと、アンタの言うこと聞けてますよぉー、ほんでリアルタイムで議事録作っちゃってますよぉー、俺、同時に出来ますから、安心してくださいよぉー、ちゃんと聞けてますから」感を出しながら、ノートパソコンのモニターに目を落とし続ける輩。
お前は、聖徳太子気取りかっ!
となる。
ほんで、さらにそういう刹那、腹の立つのが、こっちが一生懸命伝えますわなぁ、ほんで輩、ふむふむ頷きながら、ノートパソコンをパチパチやってますわなぁ、目も合わせず。
ほんで口を開くや否や、何を言い出すのかと思えば、
「あっ!ヤベ!入力するとこ間違えちった!すんません、今の、もう一回言ってもらっていいっすか?」
って、わしゃ再生ボタン押したら都合よく何回も同じことリピートできる機械ちゃうぞ、と。
知ってるんだ、知ってるんだ、そうやってみんな、便利さを享受しているようでいて、どんどんとその姿を怪奇なものへと変えていってしまってること、そして、それに気づいてもいないこと。
そうやってそれらを拒み拒みしているうちに、大衆がそれに迎合し、やがてそれが常識となり、
「あれ?お前、まだアレやってないの?」
なんて、やや見下したような眼差しで、哀れむように、檻に閉じ込められた動物を見つめるように、優しく冷たく、言い放ってくる輩が現れることは、容易に想像ができる。
「あぁ、あれね。もうやったよ。もうやってたよ。やり過ぎて、やりまくって、もう一周したわ。完全に飽きたわ。そういうスタイル、完全に飽きたわ。」
とか、ホザいてみようかとも思うけれど、負け惜しみ調のフレーズに取られたら、これ、やっかいなので、やはり他者とのコミュニケーションを引き続き、完全に遮断することで、そういった類の会話の機会をも消滅させてやろうかと。
デタラメだもの
「ついて行けない」のと「ついて行かない」のと。
圧倒的に違和感があることのひとつが、何やらよく分からんのですけども、電話の実物を手に持たず、顔面付近に近づけずに、電話するというもの。
あれは、ワイヤレスとかそんな技術で成り立っているのかしらん。まったく街中などでも、電話を顔面付近に近づけずに、まるでひとり言のように電話をしている人の多いこと多いこと。
車中なら分かりますで。運転中は電話しちゃダメなんやもんね。だから、ワイヤレスなりスピーカーなりで話をするっての、密閉空間やし、プライベートゾーンやから、そんな光景も理解できるというもの。
それが街中などで見かけると、めちゃ違和感。
パッと見、人目を気にせず、ひとり言を大声で話、ニヤニヤしたり笑ったりと、とても一般普通の所為とは思えない。
自己で感情の表現をコントロールできないような人間にさえ見えてしまう。
だって、信号待ちなんかで、黙って突っ立っていると、その刹那、いきなり隣の男性やら女性やらが、「マジでー!それ吃驚仰天じゃね?」などと、大きな声で話し始めるわけで、こっちは虚を衝かれ、ビクッとなる。
変な人が現れた…って。
んで、よくよく見てみたり聞いてみたりすると、それが電話をしているのだということに気づく。なーんだ、電話かいな、と思うのは思うけれども、その第一印象の奇妙さったら、やりきれない。
恐らく、便利さや時間短縮の名の下に、「それが現代のあるべき姿なんだよ」と理解納得させられそうなもんだが、そういう見た目の違和感を犠牲にしてまで、便利さを追求するというのが、なんとも解せない。
じゃあ何かい。
「今日は外が異常に暑いよね。こんなに暑いなら、その暑さを緩和するために、裸足で歩こうかい。見た目なんか気にしてらんないよね、暑さ緩和のためだもんね。裸足で外を歩こうよ」
なんて言って、人々が裸足でアスファルトの上を歩き出したりなんかしても、通気性の名の下、暑さ対策の名の下、理解納得せねばならんのだろうか。
というくらいに、ワイヤレスで電話をしてはる方の見た目は、奇妙で奇抜で違和感がある。それも、電話において、便利さや効率を考えるくらいの方なので、皆さん、それをやられる方は、衣服、つまりは、スーツなんかもビシッとして、いかにも、仕事できますよ風の方々ばかりなもんだから、その奇妙さに、ふり幅というスパイスまで効いて、尚のこと怪奇に見える。
そう、怪奇。
なので、私みたいな流行音痴、退化人間、昭和の名残りのような人間から言わせてもらうと、街中でワイヤレスで電話している様は、瞼横に、目ヤニではなく、鼻クソをつけながら、平静に過ごしていることよりも、よっぽど妙ですよ、と。
それはそうと、もうひとつ解せないのが、近頃では、打ち合わせや会議などをしている時に、ノートパソコンやらiPadやらをパチパチやられる、あれ。
あんなこと、いつから認可されるようになったの、マナー上。
さまざまビジネス本などで、そういう風情のことを指南されているだろうことは、よく分かる。
リアルタイムでクラウドに情報をあげろだの、共有ツールでシェアしようだの、いいね!いいね!しようだの、と。
で、これがいったい何なんだい?というと、この所為、特に若手の社員に多いように思うのだが、打ち合わせの刹那、一生懸命こっちがしゃべってる横で、目も合わせずに、キーボードをパチパチパチリ。
ふむふむ。といった態で、「俺、聞いてますよぉー、俺ちゃんと、アンタの言うこと聞けてますよぉー、ほんでリアルタイムで議事録作っちゃってますよぉー、俺、同時に出来ますから、安心してくださいよぉー、ちゃんと聞けてますから」感を出しながら、ノートパソコンのモニターに目を落とし続ける輩。
お前は、聖徳太子気取りかっ!
となる。
ほんで、さらにそういう刹那、腹の立つのが、こっちが一生懸命伝えますわなぁ、ほんで輩、ふむふむ頷きながら、ノートパソコンをパチパチやってますわなぁ、目も合わせず。
ほんで口を開くや否や、何を言い出すのかと思えば、
「あっ!ヤベ!入力するとこ間違えちった!すんません、今の、もう一回言ってもらっていいっすか?」
って、わしゃ再生ボタン押したら都合よく何回も同じことリピートできる機械ちゃうぞ、と。
知ってるんだ、知ってるんだ、そうやってみんな、便利さを享受しているようでいて、どんどんとその姿を怪奇なものへと変えていってしまってること、そして、それに気づいてもいないこと。
そうやってそれらを拒み拒みしているうちに、大衆がそれに迎合し、やがてそれが常識となり、
「あれ?お前、まだアレやってないの?」
なんて、やや見下したような眼差しで、哀れむように、檻に閉じ込められた動物を見つめるように、優しく冷たく、言い放ってくる輩が現れることは、容易に想像ができる。
「あぁ、あれね。もうやったよ。もうやってたよ。やり過ぎて、やりまくって、もう一周したわ。完全に飽きたわ。そういうスタイル、完全に飽きたわ。」
とか、ホザいてみようかとも思うけれど、負け惜しみ調のフレーズに取られたら、これ、やっかいなので、やはり他者とのコミュニケーションを引き続き、完全に遮断することで、そういった類の会話の機会をも消滅させてやろうかと。
デタラメだもの