新春早々、お金の話を書こうと思いつき、筆を走らせる。その瞬間、ああ、今年も快活で明朗な一年は過ごせそうにないなと、飼いならした自分の性分に目を向けニンマリ。低空飛行。低空飛行。

で、一昨年末のふとした瞬間、バチンッとブレーカーが落ちるが如く気づいたことがあった。それは、お金持ちになる秘訣というか、お金持ちの特徴というやつだ。今年の一発目は、そんな話題からスタートしてみたいと思う。

一般の人なら誰しも、こんな感覚を持ったことがあるはずだ。いや、ないか。いや、あるはずだ。それは、「何億円も稼いでいる人たちって、そんなにも多くのお金を手にして、いったいどうするんだろう。使えるはずがないじゃん。そんなにも多くのお金」ということ。

例に漏れず、僕もそのうちのひとり。ひとりだった。ブレーカーが落ちるまでは。

で、気づいたこと。お金持ちになって行く過程には、階段のようなものが存在すること。で、その階段を登っていくごとに、どんどんお金持ちになっていく。ただし、ここからが重要。階段を登るごとに、お金の価値観が変わるということ。いや、お金の価値観を変えていかねばならないということ。

例えば、階段の一段目に立っているとき、日頃足を運ぶ飲み屋は1本数百円の焼き鳥屋でいい。で、会話は会社の愚痴でいい。会社の愚痴を吐いて吐いて、明日の活力にすればいい。ただ、一段目に居続ける限り、そのルーティーンは変わらない。

もし、階段をもう一段登ろうと思う。すると、時にはチェーン店ではなく、大将がこだわりを持って酔客に料理を振る舞うような店に行かなければならない。もちろん、酒の値段は高くなる。料理の値段だって変わる。ここで意識改革だ。

「ビールはビール。同じビールなのに、なんでわざわざ値段が高い店に足を運ぶんだ?」

と考えてしまうと、きゃつの人生はそこで止まる。それは無駄遣いをせよ、という意味ではない。その価格差には理由がある。店の雰囲気だったり、素材や味付けだって違う。そして、会話だって変わってくるはずだ。ただただ会社の愚痴を言うためだけに酒を流し込むわけにはいかない。そういう所作が、そういう店では似合わないから。

となると、現状の稼ぎではそういう店に足繁く通うことができない自分に気づく。さぁ、ここからが問いだ。じゃあ、どうすればそれができるのだろうか。考える、考える。で、さらに気づく。常日頃からそういう店に足を運んでいる人たちは、なぜそれができるのか。さぁ、問いだ問いだ。問え、問え。

自分に問うた末、見事、行動やら思考やらを変えることに成功し、結果、階段を一歩登ることに成功したとしよう。そのとき、周りにいる人たちを見渡してみればいい。きっと、こんなことに気づくだろう。これまでとは違った顔ぶれがたくさん居たり、皆さん服装にこだわりを持っていたり、明日につながる会話が生まれたりしていることに。

そう。その階段には、その階段にいるべきお金の価値観を持った人たちが集まっている。その階段ならではの居心地がある。そこに登るためには、お金の価値観を変えなければならないし、価値観が変わったからこそ、その階段の上に立てるわけだ。で、またしても意識改革。

「無理して見栄張って階段を登ったとしても、しんどくなるだけでしょ……」

ここだ。決して無理をするんじゃない。意識や価値観を変えることで行動が変わる。行動が変われば景色が変わる。それは、無理をしているわけじゃなく、周りが勝手に変わってくれる。

で、さらに階段を登っていくと、もやはチェーン店の居酒屋にいた頃には会うこともなかった人、見ることもなかった人が、すぐ近くにいることに気づく。目が飛び出そうなほどに高いスーツを着ていたり、驚くほど値段の高いランチを食していたり、顔色ひとつ変えずに大勢の後輩に酒を奢ったりと。そして、それを見た人たちの多くが、きっとこんな風に言う。

「金を持っているからって、いい気になりやがって」

この発想が、完全に間違えている。彼らの稼ぎが一般の人たちの十倍あるとしよう。すると、一般の人たちの一万円の価値は、彼らのなかで千円に値する。という話をすると、「俺は死んでもそうはならない! どれだけ稼いでも千円は千円で死ぬほど大切にする!」と。

うそだ。お金の価値観は相対的で、多くのお金を保有していると自分が自覚した瞬間、使っている額が少額に感じてしまうものだ。

例えば、旅行に出かける。旅行そのものにまとまったお金がかかっているもんだから、現地で購入するお土産が多少高くとも、旅行代のまとまったお金と無意識に比較し、これくらいならいいか、と錯覚し商品に手を伸ばす。

家や車を購入したことがある人なら経験があるはずだ。家や車そのものの価格があまりにも大きいため、室内に設置する家具や家電、車ならオプション品の価格を、これくらいならいいか、と錯覚し、それ単品なら絶対に躊躇する値段だったとしても、それに手を伸ばしてしまう。そういうこと。

あっ、ちなみにこれらは、そもそもお金持ちになりたいと思っていない人は、別に意識することじゃないことだし、お金がないのに無駄遣いしちゃう人は論外ですので。

で、話を戻す。だから、彼らのお金に対する価値観ってのは、そういうもんだということ。多くのお金を持って、どうすんだい。という前述の設問に対する答え。それは、多くのお金を持てるような生き方をしてきたということ。そして、多くのお金を持てるような生き方をするには、多くのお金が必要だということ。繰り返すと、お金の価値は相対的なので、多くのお金というのはあくまで一般の人からすると多くのお金であって、彼ら彼女らからすると、一般の人が使うお金の感覚とさほど変わらないということを忘れずに。

彼ら彼女らは結果的に、周りの人からすると、巨額の富を手にした人々に映る。で、ここが重要。仮に使い切れないほどのお金を手にした場合、そもそもお金で満たされることへの興味が薄まる。だって、買えないものだからこそ買いたいわけで、食べられないものだからこそ食べてみたいし。憧れや欲望って、そういうもんだし。だから、お金があれば満たされるのにという欲求やそれに対する葛藤が消失することで、それが欲望ですらなくなる。

で、どうなるか。一般の人たちが臨時収入として数万円を手にし、ちょっと背伸びして高級な飲食店に足を運んだり、高級とされる宿に宿泊したり、自分へのご褒美に高いバッグを買ったり、という喜びが、もはや、無い、ということだ。

ここまで語ると人は言う、「けっ! じゃあ、金持ちたちは不幸なんだね。俺らのほうが幸せじゃん!」と。

ここも違う。多くの人たちがお金で欲を満たそうとしている。にも関わらず、彼ら彼女らは、お金じゃないもので欲を満たそうとしている。つまりは、既に別のレールを走っているわけだ。その欲は万人共通のものではなく、彼ら彼女ら個々が保有する、超個人的な欲のはず。もしかすると、彼ら彼女らが、いつまで経っても手にできない、彼ら彼女らが持つ憧れの象徴なのかもしれない。それを追い求めることは、きっと、とても幸せなことなんだと思う。

簡単に説明してみる。常に五位を走るマラソン選手がいたとしよう。その選手は、他の選手同様、一位になることに憧れ努力する。四位になったときの喜び、三位になったときの歓喜、二位になり一位の存在を捉えたときの高揚感。そして、一位の選手を追い抜き、自分がトップに躍り出たときの達成感、満足感。ここまでは良しとしよう。じゃあ、一位になったその選手に、もはや喜びや高揚感、達成感、満足感はないのか? 違う。ここなんだな。

「けっ! じゃあ、金持ちたちは不幸なんだね。俺らのほうが幸せじゃん!」と言っちゃう人たちは、まだまだ二位以下であって、一位になったあとのことは到底、想像すらできないもの。ここがすごく重要なのです。

新年早々、すごく長々と書いてしまった。脳内のブレーカーが落ちた瞬間に気づいたこと。それらをツラツラとまとめてみた。で、これは実行あるのみ。動いたもん勝ち。そう思った僕は、秒速でお金への価値観を変えてみることにした。そして、変わった気がした。

次は、周りの景色を変えねば。普段食しているものを変えねば。焦りを感じた僕は、稼いだお金のすべてを握りしめ、行ってみたかったステーキ店に足を運び、店で最も高級なものをオーダーした。その夜は、行ってみたかったカニ料理の料亭へと足を運び、店で最も高級なものをオーダーした。そして、帰りに服を買い靴を買い自転車を買った。

あれ、お金がもう、ない……。

お札を握りしめていたはずの手のひらの中には、シャカリキな握力が残した爪痕。明日からどうやって生活しよう。そういえば、ルーティーンだった仕事が新年の一月から消失することが決定付けられていたことを思い出す。あれまぁ、収入が激減する。どうしよう。どうしよう。まぁ、ええっか。ステーキとカニを食した時点で、階段は三段くらい登っているはず。まぁ、ええっか。

と強がりながら、後輩とふたり、非チェーン店の暖簾をくぐる。腐っても鯛。俺は、世に二枚と無いのれんしかぐぐらんのだ。ぬひひ。と息巻きながら着座。「大将! 生ビールふたつ」と、さらに息巻く。

後輩が筆文字のお品書きを手にする。「先輩! 見てくださいよ」。後輩が手にするお品書きに視線を落とす。すると驚愕の事実が。その店、良心的でリーズナブルな価格設定をしていらっしゃる。なんと、チェーン店よりも生ビールの値段が安かったのだ。世に二枚と無いのれんはくぐった。しかし、お値段はなんとも良心的。助かった。後輩の前で恥をかかずに済んだ。だって俺、もうお金がないんだもの。

生ビールをクイッと飲んだ瞬間、僕は誰にも気づかれないように階段をそろりそろりと後ろ向きのまま降り、今、双六で言うところの振り出しに戻った状態で謹賀新年。今年も楽しくなりそうだ。

デタラメだもの。

20190101