デタラメだもの

デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。エッセイです。

2017年07月

男たるもの、酩酊したうえでの失態を他人に見せるべからず。ましてや介抱されるだなんて。『デタラメだもの』

仕事からの帰宅途中、最寄り駅の改札を出たすぐのベンチの上に、おっさんが横たわっていた。おそらく酒を飲み過ぎたんだろう。膝丈ほどの高さのベンチの上に、のんべんだらりと横たわっている。隣には奥さんと思われる女性。隣に立ち、おっさんの出っ張った腹を、「ほら、行くよ……」と言わんばかりトントンと軽く叩きながら、「ほら、みんな見てるよ……」と言いたげにトントンと軽く叩いている。

そういや道端や駅構内で女性に介抱されながら、オエオエやっている男の姿を見かけることがある。世間的には誠に情けなく映っている。男とあろうものが、酒に潰れて女性に介抱されるだなんて。という具合の視線を痛いほど浴びている。まぁ、当の本人は強烈な吐き気のなか、そんなことを意識する余裕もないだろうけれど。

勝手なイメージなのだけれどもねぇ。それほどまでに酔い潰れるということは、その女性とお酒を飲んでいるとき、ずいぶんと調子に乗っていたんじゃなかろうかと思うわけだ。自分が下戸だとわかっておきながら、女性を前にして、「日本酒、おかわりしよかな?」などと酒豪ぶって、ピッチ早く「おかわり」を連呼していたんじゃないだろうかと、勝手に想像してしまうわけ。

で、酔ったら酔っただけ舌も調子に乗り、やけに饒舌になり、我、笑いの覇者なりと周りをイジッてみたり、自分のことを自慢したり、政治を批判したり、上司の不出来を詰ってみたり、どこかのプロ野球チームの4番バッターの成績を非難してみたり。有能な評論家よろしく、大量の唾を飛ばして大声張り上げていたに違いない。

その結末が、これである。介抱である。なんとも情けない。酒に弱いことが情けないのではなく、誠に勝手なイメージで申し訳ないが、結末までの調子の乗り方と結末のギャップが酷すぎて情けないのだ。

もし仮にだ、同席していた女性がお酒を口にしない人だった場合、男の盛者必衰を冷静に見せつけられることになる。下戸に酒が入ることで調子に乗っていくさまを眺め、下戸に酒が入ったことで介抱が必要なほど崩れ去るさまも眺めることになる。いったい、どんな気分なんだ。さだまさしの関白宣言と関白失脚を同じ日に見せつけられるようなもんじゃあないのかい。

まぁ、駅の改札すぐのベンチで横たわっていたおっちゃんは、調子に乗ったんじゃあなく、日々のストレスが蓄積した結果なのかもしれない。そうだとしたら、放免だ。ただ、若くして調子に乗って、飲めない酒を煽った挙句、オエオエやって女性に介抱されている連中には同情できない。どんな面して、翌日、職場に現れるんだ。

じゃあお前の場合はいったいどうなんだい? と聞かれたならばこう答える。僕は酔いつぶれているさまを他人には一切見せないようにしている。どれほど気分が悪く、オエオエやりたくなったとしても、その宴が終わり、「おつかれっした!」と散り散りに解散し、姿が見えなくなるまでは、そういった素振りを一切出さないようにしている。

もちろん、アルコールを大量摂取しているため、酩酊した結果、電信柱に顔面をぶつけ、眉間から大量出血したり、二階に構えられた店で飲んでいるときなどは、帰りの階段で足を踏み外し落ちそうになったことなど、情けない失態を披露したことはあるものの、それは単に鈍くさいだけだもんね。酔ってなくても電信柱に顔面をぶつけることはあるし、酔ってなくても階段から落ちる人はおるしね。てへぺろ。

ただ僕の場合、「おつかれっした!」の後がタチが悪い。もともと気を使いすぎる性分のため、「おつかれっした!」の後、責任感から解き放たれた解放感が、爽快感とともに襲ってくるため、臨場感溢れる醜態を、孤独感のもと繰り広げるわけである。

まず、公共の場において自分だけが音楽を楽しめるように設計されているイヤホーン的なものを耳に装着する。音量をとにかく上げる。そうして、その音量に負けないほどの大声で、歌を歌いはじめる。俗にいう「原曲のキー」で歌うので、腹から声が出ることになる。ただ、イヤホーンのなかの世界に酔っているから、俗世間にどう聞こえているのか、どう見られているのかなんて関係ない。

そうやって歌いながら、テクテクと帰る。途中、コンビニに酔っては、追い焚きならぬ、追いビールをする。イヤホーンを付けたままレジの店員さんとの応対をするのは、人としてどうかと思うので、一旦イヤホーンをしまう。そして店を出た後、すぐにイヤホーンを装着し、再び音楽を鳴らし、大声で歌う。

さらにタチの悪いのが、歌に感情を込めすぎて、自分で自分に感動してしまい、大泣きすること。大声で歌を歌いながら、ワンワンと泣きながら、イヤホーンをしながら、缶ビール片手に歩いている。そんな中年。もはや救済の余地がない。
眼鏡をかけているため、スムーズに涙が拭けないので、涙を拭うときは缶ビールを地面に置き、立ち止まったまま拭う。あまりにも感極まっているときなどは、拭っても拭っても涙が溢れてきやがるから、その行為を一歩ずつ行うため、一向に家へと着かないこともある。

冷静に自分の様子を振り返ってみると、駅の改札すぐのベンチで奥さんに付き添われ、出っ張ったお腹をポンポンされたり、飲めない酒を煽ったがために、女性に介抱されながらオエオエやったりしている男のほうが、よっぽどマシなような気がしてきた。母性溢れる女性ならば、男性を介抱してやることくらい、お茶の子さいさい。むしろ、ウエルカムなのかもしれないな。それに比べて、僕の醜態は母性などくすぐるはずもない。忌避されること間違いなしだ。

お酒は強いか弱いかハッキリしているほうが良い。強い人ならどれだけ飲んでも故障しないだろうし、弱い人なら、すんなりと介抱だってしてもらえる。強くもなく弱くもない、僕のような人間がいちばん収まり悪い。酔ったからとて、他人に迷惑をかけるようなことは一切したことがないが、社会にはずいぶんと迷惑をかけているな。

もし、次に酩酊し歌いだしそうになった暁には、素直に改札すぐのベンチで、のんべんだらりと横になろうと思う。付き添いはいないため、お腹をポンポンされることはないだろうけど、駅が閉まる時間になれば、駅員さんに肩をポンポンされ、起こしてもらえるに違いない。それも一種の介抱と呼んでしまっても過言じゃあない。

酒に酔ったうえでの醜態は知られていないかもしれないが、自分に酔ったうえでの醜態は、多くの通行人に目的されているのかもしれない。

デタラメだもの

20170730

退屈しのぎにネクタイを巻いてみた。意味のないことにも価値あるものとそうでないものがある。『デタラメだもの』

あかん、何か変わったこと、違ったことをやらねば、毎日が同じ様子ばかりで息が詰まってしまう。退屈だ、退屈だ、ということで、ネクタイを巻いてみた。この世はクールビズ。今や東京都知事へと出世なされた時の環境大臣、小池百合子氏が提唱したクールビズ。たしかに、真夏のクソ暑い時期にネクタイ巻いて、上着を羽織って、何のメリットがあるのか意味分からんところを、見事にその悪しき慣習を打ち破ってくれたクールビズ。律儀に業者然とした振る舞いを貫き通している人たちを除けば、みなさん、涼し気な夏のビズを満喫しているのだろう。

そこで考えた。みんなと同じことをやってのけているから、毎日が退屈になってしまうのだと。やはりはみ出さねば退屈だ。あかん、あかん。もっともっとワイワイと世を盛り上げねばならん。そこでだ、このクソ暑い時期に、わざわざネクタイを巻いてみようと思った。車窓に映るノーネクタイの自分を見て、何かが足りないと感じたわけ。それが何かと熟考してみたところ、答えはネクタイだったのだ。

で、超意味のないこと。熱中症への危険が叫ばれる今の時期に、ネクタイを巻いてみるという無駄なことを継続している。さすがに同類の人間は、街ナカでほとんど目にしない。極度のアホと思われていること間違いなしであるが、それはそれで快感なのさ。ふふふん。

この世の中、意味のないことが多すぎる。たとえば、会社の定時システム。多忙な奴も暇な奴も、定時の間は会社におらねばならん。暇な奴は特段何もせず、インターネットでネットサーフィンなど楽しみながら、定められた定時という就業時間をやり過ごす。
就業時間の一時間前から多忙を極める予定を持った社員だって、始業時間から会社におらねばならず、多忙を極める時間までは、手持ち無沙汰で過ごす。そして、多忙を極めた一時間を経た後、即座に残業タイムへと突入する。
まぁ、世の中の中小企業なんざ、残業代など払う気もないので、会社にとっちゃ、社員たちが何時から多忙を極めようが知ったこっちゃないだろうが、どうにも人生という有限の時間を浪費させるシステムに感じて堪らない。

もっと意味のないこと。それは、無能なクセに日本の麗しき年功序列システムの恩恵を受け、管理職や上層部へと昇り詰めただけのおっさんが言う「今の世の中、実力社会だからね」というセリフ。お前が言う実力社会というものが、本当にこの日本を席巻しているのなら、まずお前みたいなもんから順番に、不要のレッテルを貼られ切られていくだろうよ。それなのに、お前みたいなもんが、のほほんと上層部面して会社に鎮座できている時点で、まだまだ実力社会でもなんでもなく、とどのつまり、お前のその発言も何ら的を得てないということを、お前みたいなもんが身を持って証明してるんじゃあないの。

考えればこの日本、能力が高いから管理職に就く、なんてシビアなシステムは採用されていない。外資系のように、能力者が抜擢されて、管理職や経営陣の仲間入りするようなビジネス慣習は、日本の中小企業にはほとんどと言っていいくらいに、ない。だから、中小企業の上の方の人間は、「昔からおる人間」になる。会社側も「昔からおる人間」には、それ相応のポジションを用意してあげなければならず、必然的に「昔からおる人間」が、社内で地位や権力を手にしていくシステムになる。

それに加え、「昔からおる人間」というのは、今のスピード社会にまったくついて行けてない。要するに、今の時代には不要なオワコンだ。慈悲と慈愛を込めた褒め言葉で称するならば、もはや彼らはレガシーだ。
それに加えて「昔からおる人間」は、景気の良かった頃の給与体系も手伝って、一律、高給取りなわけ。にも関わらず、レガシーは今の時代についていけてないので、お金を稼ぐことはできない。何ら生産できない遺産が、会社にとって最も維持コストがかかる。我々下っ端は、レガシーを守るためだけに、身を粉にして働く。そのうえでだ、営業成績が足りないだの、仕事の効率が悪いだのとブーブー言われる。どうやら、レガシーの守り方がなっていないようだ。腹筋がちぎれるほど、おかしなことをおっしゃる。

今の世の中、もっと実力社会の様相を色濃くせねば、とてもじゃないけれど生存できない。そして、実力なき者は不要の運命は、当然のようにレガシーにも当てはまる。日本社会は、会社に鎮座するレガシーにも平等に、実力社会を適用すべきだ。それが社会全体の流れなんだから。たとえ、創業時から会社にいる社員だろうが、それを理由に保護されるほど、今の日本社会は裕福じゃあない。
どうせ、レガシーたちはその高い給与ゆえ、豊富で潤沢な貯蓄を持っていらっしゃることだろう。そのうえ、未だに高い給与を得続けられては、いつまでたっても若手にチャンスは来ないってなもんだ。
レガシーたちに本当に愛社スピリッツがあるならば、自分たちの報酬をカットし、若手たちに分配し、経済を効率的に回すほうに脳みそをシフトチェンジするべきだ。そうしなければ、経済は停滞し、逆三角形の日本の様相は変わる兆しを見せないだろう。端的にいうならば、「あんたらはもうお金持ってはるんやし、高給は放棄し、恵まれないキッズに分配せよ」である。
「俺たちも生きていかねばならないから」とこめかみに怒りマークを浮き立たせられるかもしれないな。でも、それは老いも若きも同じこと。日本がこんな状況になることを読めなかったあなた方の落ち度であり、日本を継続するためには必要な選択なのだから仕方がない。中小企業が生き残るためには、レガシーを壊してでも、新しい建物を建築する勇気を持ち、それを実行する必要があるはずだ。

やっと言いたいことの30%程度は言えたかもしれないが、ネクタイの野郎がどうにも暑くてたまらん。ここはサウナか? なんで俺の部屋には冷房がないんだ。悪の声が囁く。「ネクタイなんか、外しちゃいなよ!」と。すると隣にいる天使がこう囁いた。「ネクタイなんか、外しちゃいなよ!」。僕はどうやら、ひとりぼっちでこのバカな拘りを継続せねばならんようだ。

デタラメだもの。

20170717
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