夏の終わり、秋のはじまりの頃には、夏が最後にもがいているような雨がしばし降ることがある。そんな雨もやみ、「まるで今日、夏日やね」と言われる数日を経た直後、肌寒さが訪れ、秋を感じはじめる。

夏のもがき雨がやんだある日、仕事終わりに部下と缶ビールを飲んでいた。オフィス街の植え込みのレンガに缶ビールを据え置き、談笑しながら雨上がりのビールを満喫する。酔も手伝って、ふにゃふにゃしながら、缶ビールを口に押し当て、流し込もうとすると、なぜか飲み口まで、ふにゃふにゃしてやがる。まだそんなにも飲んでいないのに、こんなに感覚がおかしくなることあるかねぇ。と、何度も何度も、飲み口を押し当てる。直近で下唇を火傷でもしたかしらん? そんなアホなことはあるまい。そんな不便を感じた記憶はないし。
そう思い、飲み口から缶ビールをスーッと離してみると、飲み口の円形に沿うようにして、ナメクジがへばりついてやがった。ギャプッ! ナメクジに対して下唇をやや強めに押し当てていたのかと、発狂寸前。もう一度、ジロリと缶ビールを眺めてみると、なんと、缶ビールを握りしめている自身の薬指と缶ビールの隙間にもナメクジ。薬指でナメクジを押さえつけながら、下唇でナメクジを押しやりながら、ビールを飲もうとしていたのである。ギャプッ! 発狂寸前。体内の水分が欠乏してしまうほどに全力で一心不乱に唾を吐き続けた。自分の感覚の中に残る、ナメクジ感のすべてを吐き出したくて、唾を吐き続けた。

忌まわしきものとして、植え込みのレンガの上にポツネンと据え置かれた缶ビールの上を、二匹のナメクジがうにゃうにゃと這い回る。横を走りすぎる車のヘッドライトが照らした僕の缶ビール。缶ビールと同時に、スラリと長く伸びたナメクジの二本の触角まで照らし出されて、それを見た僕はさらに発狂。その具体性、要らん。感覚だけでも参っているのに、その具体性、ひとつも要らん。車のヘッドライトは、道路だけを照らしておいてくれ、ナメクジの具体的な部分を照らし出さんでよろしい。しばし発狂した後、落ち込んで帰る。自分の中の処女を汚された気がした。もう、処女である証は二度と自分に戻ってこないという事実が、これほどまでに辛苦の思いを味わわせるのか。

と、冒頭、季節の小粋な文章を挿し込んでみたのですが、いかがでしたでしょうか?
それにしてもこの季節、無駄に歩いて帰りたくなるよね。仕事していようが飲んでいようが、終電までに帰るというよりも、いっそ、終電なくなったし歩いて帰ろ、となる季節ですよね。そんなこんなで、日付が変わったくらいの時間からでも、平気で一時間やら二時間やらかけて歩いて帰っています。

そうやって長い時間歩いて帰っていると、たいていの人は、プロ意識について考えるよね。僕も例に漏れず、ぷらりぷらりと歩きながら、プロ意識について考える。サラリーマンがこれほどまでにプロ意識を欠いている、プロである意識を持ち合わせずに仕事をしているのはなんでだろうか、と考える。そうか、固定給貰ってるからか、と答えを導き出す。その間、およそ十秒。答えは出た。さて、残りの道中は何について考えようかと思案。いやいや、プロ意識について、もうちょい深掘りしなはれと自分でツッコミ。しゃーない、考えよか。

プロであるとうことは、対価を貰って仕事をしているということ。基本的に失敗が許されないということ。たとえ失敗したとしても、プロ意識を持ってリカバリに努める必要があるということ。リカバリの際は、プロとしての付加価値を添えなければならないということ。そして、需要がなければ、不要の烙印を押されてしまうこと。敗北してしまえば、不要のレッテルを貼られること。それらすべてを総括するならば、対価を支払ってくれる人が求めることに対し、常に、期待以上で返せること。

サラリーマンは、そんな小難しいこと考えなくとも、固定給は貰えるし、クビになることはないし、不要の烙印を押されることもない。増してや、そんなことを意識して仕事したとて、給料が上がることもないし、ボーナスなんて貰える時代じゃあない。そりゃあ、プロ意識も欠けるわな。しょうもない。

近ごろ、年齢のせいもあってか、歩いて帰っていると、足も痛くなるし、腰も痛くなる。タクシーに乗るのも勿体なく、歩くにしても身体が悲鳴を挙げてしまい、自ら選んだ選択にも関わらず、道中、辛くなって泣きそうになることがある。まったく情けない。
泣き顔になりながら、こんな風に思ったわけです。金に焦点を当ててしまうから、サラリーマンはプロ意識を持たずにやり過ごせる。だったら、時間に焦点を当ててみようじゃないかと。金は固定的に貰えるかも知らんけれど、間違いなく、残された寿命というものは、相対的に目減りしているんだぞ、と。相対的ってえ由縁は、寿命の長さは人それぞれで違うから。時間を犠牲にして働いている。時間を犠牲にして仕事をしている。それをなあなあな気持ちでやり過ごすなんて、なんてバチ当たりな。病床に伏した未来の自分がタイムマシンに乗って現代にやってきて、お前と対峙したとしたなら、点滴の管を引きちぎりながら、豪腕パンチ一発。頬をぶん殴られるに決まってる。

未来の自分にぶん殴られないように、プロ意識をしっかりと持って、日々の仕事と向き合いたいと、改めて思った。あかん、夜も更けてきて、小腹が減った、とも思った。

道中の牛丼屋にでも寄って、小腹の減りを満たすか。新たな目標ができたことに喜々として、遥か前方に見える牛丼屋の看板を目指す。ようやく辿り着き、入店しようとした刹那、ふと、「お金、持ってたかなぁ?」と心配になり、やや分厚い財布をカバンから取り出す。やや分厚かったために、お札の数枚でも入っているだろうと過信していたが、その実、ぜんぶ不要なレシートの束だった。まったくもって不要なレシートの束が、無駄に財布を分厚くさせていやがった。あかんあかん。お札を諦め、小銭入れのジッパーを開く。中を除く。牛丼屋の店内の明かりに照らされた僕の小銭入れの中には、十五円しか入っていなかった。しゃあない。牛丼は諦めよう。小腹の減りと仲良くしながら、残り半分の道のりを帰るか。

明かりというものは、ナメクジの触角も照らし出してくれるし、無銭の財布の中身も、しっかりと照らし出してくれる。そして時に、自分の未来も照らし出してくれるもんだから、なかなか粋な奴である。グゥゥゥゥゥ(空かした腹が泣いた)。

デタラメだもの。

20161010