デタラメだもの

デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。エッセイです。

2015年11月

人の成長は成長じゃなくって退化なんだってばよ。『デタラメだもの』

近ごろ、生き急いでいるのか、自動ドアに肩をぶつけることが多くなった。
その都度、「俺様の生きるスピードに、自動ドアの開くスピードが付いてこれてないぜ、ふふふん」と得意げになったりしているものの、よくよく考えてみると、自動ドアの開くスピードさえ待てずに焦っている自分の愚かな様を思い、情けなくなりながら、ぶつけた肩を揉みつつ、落ち葉をパリパリと踏みつけながら歩く。

そういえば、電車に乗る際など、改札機に交通系非接触型ICカードをかざすとき、ピッという認証音を待たずして、焦り気味に身体が改札をくぐろうと前進しているもんだから、改札機も迷ったあげく、ピッという認証音ではなく、切符を持たない人間が通過しようとしていると判断し、警告音であるピコンピコンを鳴らし、そうかと思えば、やはり交通系非接触型ICカードがかざされていることを感知し、慌ててピッという認証音を鳴らし、ゲートを開けてくれるという、改札機に迷惑をかける日々、一旦は警告音を浴びながら、改札機を通過する日々が続く。
やはり、生き急いでいるのだろうか、我輩、ふふふん。

それはそうと、先日の真夜中近く、事務所から帰宅しようと帰路をテクテク、缶ビール片手に歩きながら、ふと空を見上げて、チラホラと星が見えていたもんだから、しばらく星でも見上げていようと、おおよそ四十五分ほど、立ち止まって星空を見上げていたとき、ふと考えたわけだ、人の成長って、むしろ退化だってことを。

これまでの自分が持っていた概念では、人はどんどんと成長する、どんな苦難や試練にも耐えられるようになり、一年前の自分じゃ、とうてい耐えられないほどの恐怖やプレッシャーも、今の自分なら屁でもないわとタフになり、日に日に成長していく、嗚呼、人間ってなんて素晴らしいんだ、そない思っていたものの、どうやら違うぞこれは、成長ってやつは、なんかキナ臭いぞ、そんな風に考えたわけ。

なぜそんな思考に至ったのかというと、僕は元来、乗り物酔いが激しく、乗車後、ものの数分で乗り物酔いし、十数分後には、嘔吐感に襲われるというほど、三半規管がデリケートで、胃や腸も繊細な生き物だったにも関わらず、近ごろでは、めったと乗り物酔いをしなくなった。
缶ビールなどを飲みまくった挙句、地方のぐねんぐねんの路線などに乗った際には、さすがに乗り物酔いをするときもあるけれど、それ以外なら、ほぼ酔わなくなった。

仕事の面だってそうだ。
それまでなら、ビビッてしまうような案件や、悲壮感漂うほどにタイトなスケジュールの案件など、数年前なら、胃に穴を開け、ヒイヒイ言いながらやり過ごしていたものの、今では、何の感情の乱れもなく、右から左へと受け流せている。

おそらく人はこれを成長というのだろう。
あちらこちらと仕事で移動するもんだから、乗り物にも慣れ、酔わない身体が仕上がっただとか、数々のピンチやプレッシャーを潜り抜け、仕事も達者にこなせるようになっただとか、お前さん、立派に成長したねぇと、拍手の一つでも送ってくれそうなもんだが、いや、違うんだ、これは成長じゃないんだ、きっと、これは、退化なんだよ、人間としての。

こう思うわけ。
脳も退化、身体も退化、心も退化、それゆえ、若かりし頃に敏感に反応していた物や事に対して、反応できなくなっているんだってばよ。
だって、事の行き違いで激怒したお客さんが「お前! ええ加減にしとかんと、殺してまうど!」などと恫喝してきたとしても、脳内は涼しげ、ふふふん、なんでラッツアンドスターのメンバーの中で、桑野信義だけ、顔のメイクが薄かったんだろ、なんでだろ、なんて考えながら、その場を適当にやり過ごせるようになっている。

今まで、こういったことを成長と呼んでいた僕は、星空を見上げながら、こっ恥ずかしくなった。だって、それは、退化だったんだもん、結果的に。
だから、若い人たちにアドバイスするような機会があれば、「早く成長なさい」などとは言わず、「早く退化なさい」と言わねばならない。
もし若い人たちから、「どうして諸先輩方は、大舞台でも緊張せず、大きなプレゼンテーションでも物怖じせず、堂々と振舞えるのですか?」などと質問をされたとしても、「ええとねぇ、それはねぇ、退化しとるからだよ」と答えねばならない。

ということは、これから益々、退化していくわけだから、どんどんと大きな物や事を成し遂げられる人間になる可能性があるということだわなあ。退化、万歳。どないしよう、来年あたり、いきなり、総理大臣に任命でもされたら。「まだ、ちょっと退化が追いついていませんので、今回は辞退させていただきます」なんて断ってしまうことになるのだろうか。

ということは、あれか、数年前までは、「そないぎょうさんお酒飲んで、よう眠くなりませんなぁ」などと言われ、「そうですねん。飲んだら、気分が高揚して、眠くなるどころか、ギンギンになりますねん」などと答えていた自分の姿が懐かしいほどに、今ではすっかり、「あかん……。飲んだら眠くなる」と、残りの仕事も手につかず、ポテチンと眠ってしまっている。
そういえば、自称、例えツッコミを生業としているにも関わらず、例えが脳内に浮かんでいるものの、その名前が出てこずに、「それは、まさにアレやなぁ! 自分、それはアレやで! さすがに、アレがソレやで!」などと、ツッコミの際に、代名詞を使ってしまうという不甲斐なさ、それもまさに退化やな。

ほんなら何かい、食べたら食べた分、飲んだら飲んだ分、お腹周りの脂肪となって、燃焼されることもなく、ただただダラしないプロポーションに成り果ててしまっているのも退化で、かかとが磨り減って、地面と平行に立てないほどに靴がボロボロになっているのにも関わらず、お金がなくて新しい靴を買えないのも退化で、乾燥の季節になると、指の皺がパックリと割れて、痛い痛いイタイってなっているのも退化で、ごくまれに、会社帰り、電車に乗る際、逆方面行きの電車に乗ってしまっている天然っぷりも、退化ということになる。

そういえば、僕たちがこの目で見ている星の光は、はるか過去に放たれた光を、今僕たちが、この地球の上で見ているそうだが、ということは、今現在のあの星も、はるか宇宙の彼方で、退化してしまっているのかも知れないなあ。

そんな気持ちで引き続き、空を見上げていると、風に吹かれた落ち葉が、僕の顔の上にひらり舞い落ちてきた。
あろうことか、その落ち葉、眼鏡と頬の隙間にスッと侵入し、その尖った葉の先が、瞳に突き刺さった。
この野郎、なんてこった、あぐぐぐぐ、痛い痛いイタイ。
早よう退化せねば。これしきの痛みで、痛い痛いイタイとなっているようじゃ、まだまだ青二才や。退化すれば、こんな痛みも感じなくなるのに。

デタラメだもの。

201151129

こんな深夜の時間に一億円もの金が動くの?『デタラメだもの』

酸っぱいサラリーマンの体臭と、酒臭い溜息に埋もれながら、最終電車に揺られて、家に帰る。
人間、年齢や経験を重ねて、やれることが増えてくると同時に、やらなければいけないことも増えてきて、やらされることも増えてきて、やってみなければならないことも増えてきて、一日に詰め込まれたそれらの行事を半ば追われるようにして消化していると、一日なんて、あっという間に終わる。

その昔、友部正人が一本道という曲で歌った「しんせい一箱分の一日を 指でひねってゴミ箱の中」という歌詞が脳裏に浮かび、しんみりした気分で電車を降りる。駅前に辿り着き、ストリートミュージシャンが歌うヘタクソな斉藤和義の歌うたいのバラッドを背中に聴きながら、家路に着く。

家に入ると、鞄を放り投げ、と書くとトレンディドラマのようで物語性があるが、その実、鞄の中には、お仕事の大事で大切なデジタルデータが入っているため、乱暴に放り投げでもして、そのデータが消えてしまったり、その記録媒体が破損でもしてしまおうものなら、方々から怒鳴られたりどつかれたりするはめになるので、細心の注意を払いながら、そっと、フローリングの上に置く。

そして、テレビをつける。無音は嫌だ。だから、テレビをつける。

近ごろ、テレビ番組が鬱陶しい。テレビ番組の内容が鬱陶しいとか、バラエティ番組の企画が鬱陶しいとか、テレビに出ているタレントが鬱陶しいとか、そういうんじゃなくて、テレビの向こう側から人々の笑い声が聞こえてくるのが鬱陶しくて、バラエティ番組の類が見れなくなった。
無味乾燥な今日という一日を送ってきた後に、人々が嬉々として楽しんでいる声を聞かされると、そのコントラストがきつ過ぎて、参ってしまうようになったから。
かと思いきや、報道番組も見れなくなった。テレビの向こう側から、事実だの真実だの意味のあること、そういった言葉や音声が流れてくることが鬱陶しくなって、報道番組も見れなくなった。

だったら、何を見てるん? お前、テレビ見てる言うて、何を見てるん? となるわけだけれども、何を見ているのかと言うと、二十四時間放送されている、通販番組。

通販番組には癒されるよ。とことん癒されるよ。
もともと、夜更かしせんければならんかったり、朝早起きせんければならんかったりと、時間の定まらぬ仕事が多い中、仮眠を取ることも多く、早朝に向けて早々に寝ていなければ仕事が破綻したり、まだ夜かと見紛うような時間帯から早よう起きねば仕事が破綻してしまうこともあるため、深い眠りを避け、電気は煌々と点けたまま、寝心地の悪いフローリングの上で、且つ、テレビはつけっぱなしで、という生活を送ることがよくあるが、その際には、いつも通販番組を延々と垂れ流していた。

一つの商品に対して、さまざまな切り口から、それを褒め倒し、絶賛し、称賛し、時には冷静に商品のスペックを語り、再びまた仰々しく、商品を褒め千切る。
そんな音声がとても心地良く、川のせせらぎとか、鳥のさえずりとか、あっち系の癒しを与えてくれるのである。

これまでは、仮眠の際に垂れ流していただけだったけんども、近ごろでは、家に帰れば、すぐさま通販番組をつけ、それをボーッと見ながら、時に聞きながら、深い癒しを求めるようになった。

ぬふふ、果たして、この欲望に正直で、貪欲でハングリーな自分が、たったの癒しだけで満足していると思うなかれ、癒しだけを求めて、単調な時間を過ごしていると思うなかれ、その通販番組には、血湧き肉踊る興奮が待っているのである。

それは、ただ今のオーダー数として、リアルタイムで、注文状況の数字がカウントアップされていくというもの。
それの何がすごいかと言うと、その上昇スピードが、あまりにも速いんだ。みるみるオーダー数は上昇し、それを見て視聴者たちは連鎖反応を起こしてか、さらに注文が殺到し、ますますその上昇スピードは加速し、もはや青天井なわけだ。

ほんで、何が血湧き肉踊るのかと言うと、基本的には、どの商品も、数千個、多いときには、一万数千個程度売れることになるわけだけれども、単純に商品単価とオーダー数を掛け算してみると、時に、一億円近く売れている商品もあるわけで、おいおい、ほんまかい? こんな深夜に、何気ないアウターのコートとか、豚の角煮を作れる機械とか、何の変哲もない化粧品など、そんな類の商品が一億円近くの売上を上げるなんて事態があってええんか? そして、ほんまに一万個とかの在庫を用意してるんか? おいおい、深夜に一億円やぞ、アウターのコートで一億円稼ぐことなんかあるか? しかも一瞬にしてやぞ、もはやアメリカンドリームですやん、マドンナが夢を追い求めて、小銭だけを手にニューヨークの地に降り立って、その後、スターに登りつめる系の夢物語やん、ほらほら、そない言うてたら、どこにでもあるような普通のネックレスが、また一億円近く売り上げてるで、オーダー数も六千とか七千とかなってるで、こんな深夜に、そないぎょうさん、この通販番組見てる人おるんかいな、社会に疲弊した自分みたいな人間が、癒しを求めて見てる程度の視聴数ちゃうのん? みんなそんなこの時間に、自分の物欲を満たそう思うて、この通販番組見てるのん? というか、こんな夢のように紹介した物が売れるんなら、どいつもこいつも、この通販番組で商品を紹介したらええやん。ほんなら、みんな、億万長者なれるんやから。

広告屋として、もしかしたらこの手法は、購買意欲を掻き立てるマーケティング手法なのではと、その演出を冷静に分析したがる自分もいるものの、いやしかし、世の中、しょうもない目線で、何でもクールに判断すべきじゃない、こういう腰を抜かすような事態が目の前で起こるのが世の中かも知らん、この通販番組で商品を紹介したことによって、大金持ちになった社長さんだっているかも知れない、それほどに、この番組は、商品を売るための力を持っているのかも知れない。

ぎゃあ。興奮してきた。また一人、美容サプリメントをこの番組で紹介したことによって、億万長者になろうとしている社長さんがおるぞ、興奮してきた。オーダー数がどんどん上昇していく、僕の血圧も、どんどんと上昇していく、あかん、明日はめっぽう早く起きねばならんのに、到底眠れない、寝付けるわけがない、あかん、この商品の紹介がひと段落したら、この興奮を抑えるために、上半身裸で、冬目前のお外をジョギングでもしてきてやろうかしらん、ほうら、一億円達成したぞ、在庫は大丈夫か? この番組に出るにあたり、ケタ違いの在庫を用意してきたか? 在庫切れなんて損だぜ、パチンコでチューリップが開いているのに、玉がなくなっちゃったくらいに損だぜ。

癒しと興奮の波を不規則に味わいながら、気づけばグッタリと寝落ちしている。知らないうちに、寝落ちして果てている。そうして朝、いつものように目を覚ます。またしても、鬱陶しいことばかりが待ち受けている一日の始まりなわけだけれども、こうして清々しい気持ちで目を覚ませるのは、毎夜毎夜、億万長者になる夢物語を目の当たりにしながら、良質な睡眠を取っているからなのかも知れない。

デタラメだもの。

201151114

こんなにももの悲しいスピンオフストーリーが、オフィス街の片隅で日晒しになっていても良いものだろうか。『デタラメだもの』

事務所の近くには、三階がヨガのダンスレッスンのスタジオ、二階がアメリカンでスポーティーなお姉さま方がホールを務める飲み屋、一階が丼屋のチェーン店という、不思議な層を成したビルがある。
ちょうど、人が信号待ちで立ち止まる正面に位置しているビル。

これほどにターゲッティングが分かれたビルも珍しく、信号待ちをしている人々の視線は興味によって散り散りなわけだ。
女性に関しては、ヨガのダンスレッスンのスタジオには興味があるかも知れないが、普通、人って、信号待ちでビルの三階を眺めるってことはしないよね。
だから、隣にいる同僚社員などとおしゃべりしながら、楽しく信号待ちのひとときを過ごすことになる。

問題は、男性陣である。

三階のヨガのダンスレッスンのスタジオは、なかなか罪深いやつで、三階部分が総ガラス張りになっていて、きっとこれには、女性は見られれば見られるほど美しくなるからというような原理も働いているのだろうが、とにかく総ガラス張りで、これがなんと、冬場には、室内のヨガの熱気と、外気の冷たさとが相まみえて、結露っつうのか、曇るっつうのか、とにかく、室内の熱気を曇りガラス状に伝えてきやがるわけで、この様子がオフィス街に淫靡なテイストを放散するらしく、こういった類にご興味のある男性陣は、信号待ちの最中に、日常ではペコペコと下げ慣れた頭を思いっきり上にもたげ、三階を凝視するわけである。

そして二階はというと、アメリカンでスポーティーなお姉さま方が、タイトなスポーツウェアのようなものを着込みながら接客をするという、ハッピーでパーティーピーポーな飲み屋が、快活で且つ淫靡なエナジーをオフィス街に放散しているため、こういった類にご興味がある男性陣は、得意先や上司から怒られたり詰められたりして消失しきっている心を満たそうと、信号待ちの最中に、日常では項垂れ慣れた首をやや上にもたげ、二階を凝視するわけである。

そして、一階。こちらは言うまでもない。腹をすかせた男性陣たちが、丼屋のチェーン店前に掲出されているポスターの中で燦燦と輝くカツ丼やらにヨダレを垂らしながら視線を注いでいる。
きっと、日常の飛び込み営業に疲弊した気の弱い人たち、丼屋の店内には、とても強気で飛び込んで行けるのだろう。得意先や上司には、果てるほどに気を使っている日常ゆえに、丼屋のスタッフに対しては、多少、横柄な態度を取るのかも知れない。
そんな男性陣が、丼の中に注ぐタレの如く、真っ直ぐでピュアな気持ちを丼屋に対して注いでいるわけである。

そんな様子を見ていながら、はははんと思う。はははははんと思う。何をははははんと思っているかと言うと、人それぞれで欲望の種類が違えば、欲望の優先順位も違うという様子に、はははんなわけである。

二階よりも三階を見る男性っちゅうのは、比較的高額な料金が発生する、コンセプト重視の二階の飲み屋は、自分とは無縁だと感じ、三階の清らかな淫靡さを求め、少々小金を持ったような連中、夜な夜な繁華街で飲み歩けるような小金を持ったような連中は、三階のような純真で無垢な中に潜む淫靡さよりも、ストレートな欲望という風なものに惹かれる。
そして何より、男性によっては優先順位高いんじゃね? と思われる淫靡さ、邪淫さよりも、食うことに飢え、食欲第一で丼屋を睨みつける男性の、何たる勇ましいことか。何たる原始性、男性的シンボル、無骨、無頼、はははん、その姿はまるで勇者。

というように、その人のステータスまでもが透けてみえるようで、はははんなわけだ。

そして、もう一つ、このビルから感じるコメディさが、三階から一階までを眺め下ろした場合、三階で汗かいて、二階で酒飲んで、一階でメシ食うて帰ーえろ、とでも言わんばかりに、麻雀で言うところの、一気通貫している様が、何とも痛快で、ストレスだらけのオフィス街の中、何とも単純で明快で、笑ってしまうわけなんだ。

しかし実は、このビルを取り巻くストーリーには、スピンオフがあるので、ここではそれを語りたいがために、この文章を書いているにも関わらず、既にこの文字量を消費してしまっているという体たらく、おしゃべり。

で、何がスピンオフかと言うと、このビルの対面には、大きな老舗のビルディングがあり、そのビルディングの地上二階部分には、社会で働く人たちが休息できるような、公開空地がある。
真四角のブロックで設えられた椅子が数個、ゴミ箱が数個、灰皿が数個あるような、庭とも言えない公開空地。

ここには、仕事や社会に疲れきったような社会人たちが、それぞれの心の休め方を求めて集ってくる。
項垂れながらスマホに目を落としているような人もいれば、一人無言で菓子パンを貪っているような人もいる。
所在無げにタバコの煙を見つめている人もいれば、単純に項垂れたまま、考え事をしているような人もいる。
まぁもちろん、快活な笑い声があったり、単純な休憩で訪れている人はいるものの、そんな現代社会の陰鬱なパーツを凝縮したような空間がここにありながら、どよんと悲しみが鬱積したような風情に包まれたこの空間はビルの二階部分にあるわけで、なんと、そこからふと目を流すと、例のビルが、例のビルが対面に一望できるわけである。

その景色たるや、人間の心情を虚無にさせてしまうほどの破壊力があるんだな。
汚れ無き淫靡さという欲望や、アメリカンで闊達な欲望や、原始性のある勇ましい欲望などを直視した瞬間、こちら側の自分とのギャップ、欲望の一切合財を、社会という無機質なモンスターに刈り取られてしまい、ロボットと化してしまった自分の空虚な心に、劇物を捻じ込み注ぎ込まれるような感覚。
信号待ちの時には、あれを欲望として捉えられるのだろうが、この二階の公開空地、世の中のストレスを一手に浴びたような沈鬱な場所からあれを眺めると、君の人生にはこの先、何一つ喜びも悦びも慶びも歓びもないんだよ、欲しがるなよ、求めるなよ、望むなよと、欲望から突き放されるような気持ちになる。
特に、陽が落ちた後は、それぞれの店が放つネオンが、余計に欲望のコントラストを強め、公開空地とのギャップを嫌味なほどに演出してしまう。

こんなにももの悲しいスピンオフストーリーが、オフィス街の片隅で日晒しになっていても良いものだろうか。
そんなことを思いながら、深夜残業を終え、最寄のコンビニで、缶ビールとから揚げ棒を買い込み、さてパンクロックでも爆音で聴きながら、プラプラ帰ろうかしらんと、もぞもぞとイヤホンを探したり、上着に袖を通したりしながら、例の場所で信号待ちをしていると、もぞもぞと上着に袖を通す仕草が大袈裟だったためか、大手を挙げているように見えたらしく、一台のタクシーが僕の前で停車。
後部座席のドアーがシューと開いたので、恐縮しながら、「あっ、止めてませんので……」と伝えると、運転手のあからさまな舌打ちだけを残し、客を乗せるために喜んで開いた風情のドアーが、冷笑するようにバタムと閉じた。

切な過ぎて、信号待ち。
僕が見上げたのは、二階でも三階でもなく、頭上に輝く月だったとさ。

デタラメだもの。

201151107
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