デタラメだもの

デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。エッセイです。

2015年08月

だから乗り物にはめっぽう弱いんだってば、力が全く発揮できないんだってば。『デタラメだもの』

よくよく考えてみると、大阪と東京だなんて離れた場所にビジネスの拠点があるということ自体、なんだかおかしな話だなあと感じつつも、仕方ないじゃない、東京にいらっしゃるお客様に呼んでいただけるのですもの、ビジネスの中心地は東京なんですもの、お飯を食べ続けて行くためには、ビジネスの中心地に行く必要があるんだもん。

例の如く、新幹線に乗って、ビュンビュン移動する。
どうやら新幹線みたいな乗り物で高速移動をしていると、人間の体内では、細胞が死んぢまってるみたいやね。
元来、人間の身体というものは、やれ猿から進化しているやら、アダムとイブが禁断の果実をどうやらこうやら、ともかく、新幹線のような俗な物がこの世にない時代に創られているのは間違いなく、粗野で粗暴で原始的な世の中にこそ、本来の人間の身体というものは適正ということになる。新幹線のような俗な物に最適化していけるほど、人間の身体がマルチではないため、新幹線で高速移動をしていると、細胞が死んぢまうみたい。

とある権力者が僕にそう教えてくれたので、僕は方々で、この雑学を披露しているのだけれども、これが嘘だったとしたら、とある権力者をどついてやろうと思ってはいるものの、権力者には僕の拳は全くといっていいほど及ばないはずなので、こちらの説、正誤を確かめず、やはり方々で披露し続けて行く所存である。

そんな余談はさておき、新幹線の高速移動によって細胞が死滅していくということは、どういう状態になるかというと、誤解を怖れず単純に言い切ってしまうと、現地に着いてから疲れる、のである。
もう、この疲れたるや、尋常じゃない。なんでこんなことせなあかんのん、ぐらい尋常じゃない。

ビジネスの中心地であり本拠地である東京に出向くとなれば、前日には、その準備やら出張中に進行できない仕事を前倒しでするやら、余念余念での備えなら、なんやかんやと没入していると、だいたい毎回、ほぼ寝ずの出発となる。
寝ずの出発の上に、高速移動で細胞を殺されてしまっては、そりゃ到着したときに、「あぁ……しんど」となるわけだ。

で、何が言いたいのかというと、「あぁ……しんど」な状態でいざ東京となっているわけで、そうなってくると、東京での打ち合わせ時にも疲労は隠せないし、徹夜によって時差ボケのような現象も起きているわけで、結果的に、本来の自分、元来の自分、ポテンシャルというやつ? それが全くといっていいほどに発揮できないことになり、ビジネスの中心地、本拠地にゴロゴロといらっしゃるビジネスの猛者たちと対峙するときに、やたらめったら能力のない奴、ひ弱な奴、主張のない奴、論理破綻した奴、などの扱いを受けることになる。

こんな愚痴を披露してしまうや否や、ビジネスの中心地、本拠地の猛者たちは、きっとこう言うだろう。
「だったら、前の日から東京入りして、休息してからビジネスに挑んじゃえば?」と。

悲しいかな、ビジネスの中心地、本拠地ではない都道府県の且つ中小企業で働く者たちは、前の日、所謂、前乗りして宿泊できるだけの経費なんぞ、使えないのである。

「一泊するのに、ナンボかかる思うとるんじゃい! その出張で、一泊分の宿泊代をペイできるくらい稼いで来れるんかい! 稼ぎの見込みも立っとらんくせに、何を偉そうに経費使おう思とるんじゃ餓鬼! 日帰りでピャー行ってこんかい! あほんだら」

などと罵倒されて仕舞い。

こんな事情もあって、やはりビジネスの中心地、本拠地に着く頃には、ヘトヘトの状態になっているので、やっぱり本来、元来の自分のパワーというものは、微塵も発揮できないわけである。

これは何もビジネスの世界に限ったことではない。
僕という生き物は、乗り物にめっぽう弱い。すぐに嘔吐してしまう。自分が運転する車を除けば、大半の乗り物で酔ってしまう。
電車はもちろん、バスだって、タクシーだって、なんだって酔う。これについては、自信を持って言う、なんだって酔う。
どれくらい酔うかというと、若かりし頃、お金がないくせに、調子に乗って、大阪から夜行バスで東京に行ってやらんと企み、酔いの不安を若気の至りで蹴散らして、夜行バスに乗り込んでやった時のエピソードがそれである。

天王寺という街からバスに乗り、出発後すぐ、上本町という街で別の乗客を拾う。
さぁ、今から八時間近くのバスの旅ですぜい! と息巻いている乗客たちを尻目に、僕は既に、上本町の段階で酔って吐きかけていた。天王寺から出発して、まだ十五分くらい経ったころである。
これから八時間近くの移動になる人間が、出発後十五分で酔ってしまっているんだ、後の七時間四十五分は、地獄以外の何物でもない。

ともかく、それほどに乗り物に弱い。
なぜに今、殊更に乗り物にめっぽう弱いことを訴えたかと言うと、ビジネスの中心地、本拠地に乗り込んで本領発揮ができないことを思い返しながら、自分が昔、少年野球に所属していた日の苦い思い出が顔をもたげたからである。

少年野球と言えば、ホームグラウンドに敵軍を呼び寄せて試合ができる日ばかりではなく、相手方のチームに呼ばれ、アウェイのグラウンドに出向いて試合をする日もあれば、大会に参加する時などは、問答無用にその大会が実施されるグラウンドに出向く必要がある。
それらの移動は、車だ。
そして、僕は、乗り物にめっぽう弱い。

乗り物に弱い僕は、試合に出向く時にはまず、朝一番で憂鬱が襲ってくることになる。
それは、強豪の敵軍と試合をして完膚なきまでに打ち負かされることを怖れてとか、自分がスランプに陥ってしまっていて、好成績を残す自信がないとか、そういった類の憂鬱ではなく、単純に、移動中の車で酔ってしまうからである。

思い返せば、移動中の車、高速道路を走っている時に、酔いを我慢できずに、おもむろに窓を開け放ち、高速走行中の窓から嘔吐したこともあったし、敵軍のグラウンドに着くや否や、グラウンドの隅に走り寄って、土の上に嘔吐したこともあった。

チームメイトたちは、意気揚々、車を降りてすぐ、アップを始めたり、闘争心を剥き出しにしたり、バットをブンブンとスイングしながら身体を慣らしたり、今日の作戦を立て合ったり、とにかく試合に勝つことだけに集中しているわけだけれども、自分はというと、車での移動で、ほぼ全ての体力を奪われ、目は回っているし、気を抜けば、まだまだ引き続きの嘔吐感が襲ってきそうで、とてもじゃないが、野球どころじゃない。
水やら清涼飲料水やらを口に含みながら、なんとか嘔吐後の臭いやら味やらを消そうと必死に努めながら、霞む視界の中でグラウンドの景色を眺めたものだ。

そんなやむを得ない事情があったからか、三年ほど少年野球を経験したが、出場した全試合を通じて、バットにボールを当てることができたのが、三度ほどだったと記憶している。
ピッチャーゴロが二度と、センターフライが一度、それ以外の打席は、全て三振だったはずだ。
言い訳をさせて欲しい。
バッターボックスに立っても、乗り物酔いをしまくった自分の目には、ピッチャーのボールが二~三個に揺らいで見える始末で、ボールの位置に合わせてバットを振ったとしても、三半規管の感覚がグラングランになっているため、思った位置にバットを振ることなんざ、到底できない。
だって、立っているのがやっとだもの。

ウチの少年野球チームは、弱小チームということもあり、試合中にあまりにも三振打者が続けば、監督が審判にお願いをし、三振したとしても、一塁ベースまでは全力疾走させてもらうという、青春であり且つ、鬼のような辱めを味わうという風習があった。
当の僕はといえば、三振も去ることながら、その直後に、一塁ベースに向かって走ることも苦痛であり、走りながらも嘔吐感に苛まれながら、ひたすら遠くに見える一塁ベースを目指しながら、脳内で考えることはといえば、帰りの車中で、再び車酔いに耐えねばならないという恐怖。

そんな状態で、野球なんかできるわけがない。
その後、僕は、野球をやったり、バスケットボールをやったり、スポーツ以外では、音楽をやったりあれこれとやってはきたものの、よくよく考えてみると、何をするにも、電車やバスの移動は付き物で、それをやっちまうと、僕は僕本来の力を発揮できないことを承知しているため、乗り物酔いというボトルネックが原因で、どれもこれも志半ばのまま、放棄してきた。

だからこそ今、新幹線などという俗な乗り物に乗って、ビジネスの中心地、本拠地である東京に出向き、着いた頃には、酔いに耐え、身体が疲れている中で、さらにビジネスの猛者たちに会って格闘するということは、あの日の少年野球の苦悶の日々を思い起こさせ、ビジネスのチャンスは東京に転がっているなどと言われ続け、事あるごとに、東京に出向け東京に出向けと言われているものの、未だに仕事の一つも取って帰阪できない理由は、そんなところにあるのだと、この場を借りて力強く訴えたい。

付け加えて行っておく。
僕が本来の力、元来のポテンシャルを発揮できる限界の移動距離は、各駅停車で四~五駅程度の場所だ。
それ以上の移動を伴った瞬間、僕の力は半減していく。
もちろん、東京などという遠方な地では、僕の力は、ほぼ皆無に等しい。
そういうことを鑑み、移動の指令は、各駅停車で四~五駅程度に留めていただくよう、会社に申請しようかと思っているが、もしそれが許可されない場合は、もう打つ手なく、黙って一塁ベースまで全力疾走するほか、ないと自覚している。

デタラメだもの。

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妙な記憶力を持ってしまったがために、これほどまでに悩むはめに。『デタラメだもの』

妙に記憶力が良いというのも、困りものである。
かく言う自分は、妙に記憶力が良く、ほとほと困らされる場面が多い。

早速話が脱線して恐縮ではあるが、記憶力も去ることながら、鼻も妙に利く。この、鼻が妙に利くというのも、ほとほと困りものである。
どう考えても、一般人の数倍近くの嗅覚があることは間違いなく、それで何が困るかと言うと、世の中が悪臭に包まれていることである。
公衆便所はもちろんのこと、街の至る所や電車の中。この電車の中なんていうものは、最悪だ。特に夏場。嗅覚が異常に発達している人間からすると地獄以外の何物でもない。
朝の起き抜けの不機嫌な中、満員に近い電車に乗ると、目の前におっさん。それほど身長の高くない自分の鼻は、ちょうどおっさんのうなじ付近に位置することが多く、ただでさえ悪臭が漂っている車内の中、高性能な鼻のまん前におっさんのうなじを近づけられた日には、卒倒しそうになる。
ということもあり、普段、僕はめったと鼻で息をしない。どこに行っても鼻で息をしない。口呼吸のみである。トイレもそう。風呂場もそう。給湯室もそう。どんな場所でも、鼻で息をしない。不意を突いて、鼻腔内部に、悪臭が侵入してくることを極度に恐れるがために、鼻で息をすることをしなくなった。それにより、ニオイ問題は解決されつつあるものの、鼻が極度に利くというのは、本当に困りものなわけだ。

話を元に戻そう。
記憶力についても、妙に発達してしまうと、自分自身を困らせる能力の一つに化してしまう。
じゃあ、いったいどんな記憶力に長けているのかというと、人の顔を覚えすぎてしまうことだ。

軽く接点があった程度の人だろうが、一度街中ですれ違って、何らかの印象に残った程度の人だろうが、ひと度、顔を認識してしまうと、どんなことがあろうが、記憶から消えてくれない。

それのどこが困りものなんだ? きっとそう思うだろう。記憶力が良いってことは、便利なことなんちゃうんかい? そう思う人も多いだろう。それがそうでもないんだなあ。覚え過ぎているってのも、都合が悪い。
なぜか?
それは、こっちが相手の顔を覚えているにも関わらず、相手はこっちの顔を覚えていないというケースに出くわすことが多いからだ。
実際に、相手に対して、「僕のこと覚えてはります?」と確認し、「はて? どなたさんでしょう?」などと、無礼なことを言ってのけられた経験があるわけではない。
だけども、もう生まれてこのかた、長い年月を経て、それなりの経験を積んだ自分なら分かる。絶対に、相手は、こちらのことなど記憶に残してくれてやしない。

僻み根性からなんだろうか? いや違う。自分の妙な記憶力の凄まじさと、他人のそれとを比較した場合、圧倒的に差があるのは歴然で、そうすると、こちらが記憶している相手と言えど、相手はこちらを記憶などしてくれていない。

例えば、街中で、知った顔を目撃することが多い。知った顔と言っても、前述通り、過去に軽い知人であった程度の人から、一度だけ会ったことのある人、こちらが身勝手に認識し印象に残してしまっているだけの人もいるが、それらを総じて知った顔と言って語弊がないとするならば、街中ではよく、知った顔に出くわす。
そうなった場合、もちろんこちらは、知った顔と言ってしまっているくらいなので、記憶に残っているが、向こうは絶対にこちらのことなど、記憶にないはずだ。
となると、「久しぶり!」とか「ご無沙汰してます!」などと、フランクに声をかけるのも歪で、向こうからすると「誰やこいつ?」ってな相手が、突如としてフランクに声をかけてくるもんだから、慌てふためいて仕方がないだろう。
そして、相手に対して、「このフランクな兄ちゃんはこちらのことを覚えてくれているのに、こっちはこの兄ちゃんのことを覚えていない。自分はなんて不覚な奴なんだ。武士の世界ならば、切腹して詫びねばならない失態。どない償って良いものだろうか。すんません、すんません。こんな無礼な自分を許してくださいませ……」と、こちらのことを忘れてしまっている失態について、心の中で、深く陳謝させてしまうことになる。

それを知ってて、「久しぶり!」などと、テヘヘ顔して言ってのけられるわけがない。その軽率な行動が、相手の心を踏みにじってしまうことになるのだ。「久しぶり!」なんてセリフは、口が裂けても言えない。

仮に相手が、「あぁ……。ご無沙汰してますぅー」なんて、超大人な対応で、こちらのフランクな態度に合わせてくれたとしても、相手の口元に、少しでも居心地の悪さが滲み出たりしようもんなら、ああ、やっぱり覚えてはらなかったんだな、悪いことをしたなあ、一生懸命に覚えている風の演技でその場を過ごそうとしてくれてはる、本当に申し訳ないことをしたと、こちらも罰が悪く、足早に立ち去らねばと反省し、猛ダッシュの末、近隣の川にでも飛び込んでしまうしか、身の振り方がなくなってしまうじゃあないの。

だから嫌なんだ、記憶力。
よく、「俺、他人の顔とか、名前とか、覚えられないタイプなんスよぉ」とか、風俗のキャッチの兄ちゃんのようなテンションで言ってのける輩がいるが、そんなことが言えるということが、どれほど恵まれたことかを、しっかりと噛み締めて欲しいもんだ。

妙な記憶力の良さを疎ましく思っている自分が取れる処世術として、知った顔が街中で出現などした場合、道路だったら、逆側の道路へとスピーディーに移動する。電車内だったら、次の停車駅で一瞬だけホームに降り立ち、隣の車両に移動する。どうしてもニアミスしそうな一本道の場合には、人生に何の兆しも見えず、お先真っ暗で未来も見えない極度の憂鬱を抱いた人間の如く、足元を見つめながら歩いている風情を醸し出し、俯き加減ですれ違う。そんな処世術を駆使しながら、知った顔と接触しないようにして生きている。

どうしてそんな処世術を駆使しなければならなくなったかというと、知った顔の人々が、こちらに対して、「久しぶり!」だとか「ご無沙汰です!」とか、声をかけてくれたためしが、一度たりともなかったことに起因する。
一度でもそんな幸福な瞬間を経験していたとしたならば、こんな自分も胸を張って、「久しぶり!」とか言ってのけられる人間になれていたのかもしれないが、悲しいかな、そんな恵まれた瞬間は、一度も訪れなかった。
それほどに、自分という人間は、印象が薄いのだろうか。破天荒に生きているつもりなのに、もしかしたら、誰の目にも映っていないのかもしれない。もしかしたら、透明人間的な要素を兼ね備えているのかもしれない。

そういえば、小学生の遠足のとき、複数の生徒で構成されたチーム制で移動などしている最中、点呼の際に、構成された複数の生徒全員が揃っていないと、チームの不和があるということで、そのチームに対してペナルティが課せられるというルールが採用されていたにも関わらず、ひょんな理由でモタモタと点呼に集合できなかった僕という存在がいたのに、いたのにだ、どのチームに対してもペナルティが課せられた形跡もなく、無事、点呼の際に、複数の生徒で構成されたメンバー全員が集ったという証が残されていたことがある。
僕が点呼に参加できていなかったにも関わらずだ、ペナルティがないとはどういうことだ。それほどに印象にないということか? これほどまでに印象がないと、誰にペナルティを課すことなく、点呼に参加しなくてもいいということなのか?

冒頭の問題定義の主旨が変わってきたことに気づいた人もいるだろう。
妙な記憶力はほとほと困りものだと訴えたい自分がいるのか、自分の印象がとてつもなく薄いという悲しみを訴えたい自分がいるのか、どちらの訴えが自分のソウルから発せられているのか、それさえをも見失いかけている自分がいる。

ただしこれだけは言える、言ってあげることができる。もし、自意識が過剰過ぎて、人前でしゃべることが苦手だと言った人や、人前で何かを披露するときに、極度に緊張し、上手くやってのけられない人、相手に自分がどう映っているのかが不安で、対人関係を上手くこなせない人。そんな人に言ってあげたい。
他人の記憶になんて、そう簡単に残るもんじゃない。他人の記憶に残れるなんて、そんなおこがましい驕りは、今すぐ捨て去ったほうがいい。
心配しなくていい。安心してもらってもいい。君のことなんて、誰も覚えちゃいない。君が他人の前で、いかなる失態をしようとも、他人は君のことなんて、覚えちゃいない。覚えていてくれるほど、他人なんて優しくもない。
だから、他人にどう思われるか分からないから……という理由で臆病になっている君、僕と一緒に、点呼に不参加でいてやろうじゃないか。
きっと、どのチームもペナルティを喰らうことなく、のほほんと、手作りのメダルか何かを首からぶら下げてもらって、のほほんとピースサインで集合写真なんかを撮っちゃってるよ。
安心したまえ、君のことなど、誰も覚えていない。
もちろん、僕のことなんて、もっと、誰も覚えてくれていない。

悲しみから生まれたこの名言は、ぜひとも、記憶の中に留めておいていただきたいものだ。

デタラメだもの。

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