少しく仲の良い程度の間柄の人には、気色悪がられるので決して言えないが、生まれて元より僕は、草や花、壮大な景色や優雅な建築物などを美しいとか綺麗とか感じず、目がクリックリとした小さな犬や猫などを見ても可愛いとか感じず、さらには、生まれたての赤ちゃんや、おべべを着て這い這いするような幼子を見ても、何ひとつ、可愛いと感じない、意味の分からん閉鎖的な感性を持ち合わせております。

例えばお花畑を訪れたとしても、目の前に広がるお花たちを見ている気分と、道路脇に望まずとも生えてしまった悲しき雑草を見ている気分とは、何ら変わらず、「まぁ、植物図鑑に載っている草花のうち、15ページのやつか、29ページのやつか」程度の違いしか感じられない。

犬や猫だってそうだ、赤子だってそうだ、あんなに手のかかる生き物、今は可憐かも知れないが、その可憐さもやがて数十年したら、老年になっていくんだ、皺だらけになるだろう、目ヤニでカピカピになるだろう、歯槽膿漏になって、たまらん口臭を吐き出すかも知れない、糞尿だって半自動的に漏らし始めるかも知れない。
そんな光景を、その目やその肌やその微笑の向こう側に感じ取ってしまうものだから、アホのひとつ覚えみたいに「かわいぃぃぃぃ」とかほざいて、抱っこやらナデナデやら、できないわけである。

あとよう分からんのが絵画とか書とか建造物とか大自然の景色とか。
こういう類のものを見ても、何が良いのかさっぱり分からん。
そういった作品の展示イベントに行った際なども、「ここに来ているお人たちは、こういった類のものを見て、何かを感じ取ったフリをして、何かを感じている素振りをして、私、感性が豊かなタイプですの、おほほほほ」と、高貴ぶっているだけのような気がして仕方がない。

じゃあお前は感性というものが欠落している人間なのかい、と問われても、逆にそういった類の人たちよりも、むしろ豊かなのではなかろうかとさえ思っている。

なぜならば、僕は平生、音楽を大変好んで聴いている。本を大変好んで読んでいる。お笑いやらユーモアを大変好んで視聴している。食うことを嬉々として楽しんでいる。人間を大変好んで観察している。
それらの好みかたは偏執的で、こういったジャンルの音楽が好きだの、こういったアーティストが好きだのといった陳腐な好み方ではなく、もう、音楽の全てが好きで、本の全てが好きで、そこに、すごく好きとか、ちょっと好きとか、これは嫌いとかっていう差異は存在せず、それそのものの全てを好んでいる。

それに比べて、先に書いたような、俄か何でもかんでも人が好きそうなものを好む類の人たちは、やれこの作品は違うとか、やれこの年代は違うとか、やれここのこだわりが薄くて好かんとか、これは嫌いだ、これは趣味と違うとか、好いたり嫌ったり忙しい様子が見てとれる。

「お前、ほんまにそれ、好きなんかい?」

と、哀れんだ目で逆に問いたくもなるわけだ。

人々が一様に好んでいるフリをしているものを、何も無理矢理好む必要もなく、人々が一様に好んでいる価値観が正しいという事実なんてものも、ないんだし。

周りの人々が一様に好んでいるものと、自分との間に大きな隔たりがあろうとも、周りの価値観に染まれずに、大きな隔たりを感じようとも、大した問題ではないと思うんだな。
大切なのは、自分の好きなものを、たとえ周りから白い目で見られようが、いつだってどこだって、大きな声でもって、「好きだ!」と貫けるかどうかなんだと思う。

ほうらほうら、わけのわからない話題でも、こうしてきちんとまともなお話に流れて行くじゃあないの。進んで行く筆のほうが、ゴール地点を知っているじゃあないの。
万歳、万歳、マイノリティ、万歳。

ただ自分が浅ましくて狡猾で嫌になる瞬間は、これだけの大それた問題提起をしておきながら、いざ、美術館に訪れた際や、歴史的建造物を前にした際、絶景の景色を目の当たりにした際などに、「ふふふん」と鼻息を鳴らして、「素晴らしいやね、ほんと素晴らしいやね」などと、こんな絵画に触れている俺って何て高貴な人間なんだ、この場にいない奴らめ、ざまあみやがれ、俺は今、高貴だ、高貴過ぎて敵うまいと、振る舞いが大きくなって、「見てごらん、この油絵の具の重ね塗りなんて、とても情熱がこもっているよねぇ」とか、まるで自分がジェントルマンにでもなったかのような涼しげなボイスで、絵を寸評しやがるもんだから、あまりの滑稽さに、ヘドが出そうになる。

「今回の作品は、ぜひ家に置いておきたいよね。作品集、買って帰ろうかな。あっ、でも、現物で見るのと、作品集で見るのは雲泥の差。立体感とか陰影とか、やっぱり作品集じゃ表現できないしなぁ。買っても仕方ないかなぁ。でも、やっぱ、家に置いておきたいから、買って帰ろう!」

などと、クソ腹の立つことを得意げに放ちながら、意気揚々と作品集を購入して帰る瞬間など、さらに自分の醜さが増長してきて吐きそうになる。

そうして買って帰った作品集を本棚にしまい、その後、二度と手に取ることもなく、見開くこともなく、ただただホコリまみれになってしまい、お部屋のレイアウトを変える刹那や、引っ越し準備の荷造りの刹那に、ホコリまみれの作品集と久方ぶりの対面を果たし、購入時の愚かな記憶を脳内に蘇らせ、苦い汁が心に充満した際などに、改めて自分の人間臭さに気づかされ、ほっと一息、安心したりもするのである。

デタラメだもの。

201150412