デタラメだもの

デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。エッセイです。

2014年12月

何もかもが捏造された世界だとしても、力強い僕たちは楽しんで生きて行く。『デタラメだもの』

ごろんと寝転びながら、特段やることもないわと、ぼんやりテレビなんぞを眺めていると、ごくごく稀に、「この番組、意外に面白いやん」と、普段はテレビなんぞめったに見ないのだけれども、少しばかり心躍らせて見入ってしまうことがある。

その、たまたま見ていた番組が、たまたま面白かったときの優越感というか、日々テレビに齧りついて血眼になって見ているわけでもないのに、その偶然を引き寄せる自分の強運と言いましょうか、特段やることもないということは、不毛に時を消化してしまうところだったものを、有意義に、フフフンと鼻歌混じりにテレビを見ている自分の優雅さったら、並みのブルジョアジーなら、涙ながらに羨ましがるに違いない、フフフン。

ただ、このたまたま見ていた番組が面白かったときの優越感には、ある落とし穴がある。
生まれも育ちもいたって平々凡々な中産階級の臭いが染み付いた自分などが、ブルジョアジーたちに羨ましがられるわけもない現実が、一瞬にして襲ってくることになるのだ。

「この番組は、2012年4月に放送されたものです」
この類のテロップが、いきなり表示された瞬間だ。

その瞬間、それまでフフフンと、陽気に番組を楽しんでいた自分のピュアな心が、ハンマーで打ち砕かれる。
「そしたら何かい!ワシは、数年前の番組を、ごくごく最新の番組であるかのように楽しんでおったわけかい!じゃあ何かい!目の前に繰り広げられている、例えばグルメ番組やったら、その店、もう潰れてるかもしらんし、旅番組やったら、その宿、もう潰れてるかもしらんし、おしどり夫婦特集やったら、その夫婦、もう離婚してるかもしらんし、お笑い番組やったら、その漫才コンビ、もう解散してるかもしらんし、例えば女優やアイドルやったら、そのお顔は、もう整形されて変わっとるかもしらんし、もっと言うなら、目の前でキャッキャッしている芸能人、もう引退してるかもしらんし、死んでしまってるかもしらん、ということになるやん」
こんな大恥、あるいかな。

しかも、純粋な再放送ならまだしも、東京で放送された番組が、我々大阪という田舎に、タイムラグを持って運ばれてきたがために、初回放送にも関わらず、えらい年月が経ってしまっている場合など、複雑な心境過ぎて、画面を直視できなくなる。

そこでふと、こう思うわけだ。
目の前にある光景、景色、映像、いつ何時、自分たちは、捏造されたそれを見せつけられているかわからないということ。これまでバカ正直に当たり前のように信じていた光景、景色、映像も、実は捏造されたものだったかもしれないとうこと。

金閣寺とか、ないかもしらんぞ。あれ、プロジェクションマッピングで、映像が投影されているだけかもしらん。
ジョニーデップとか、おらんかもしらんぞ。あれ、巧妙に作られた次世代ロボットかもしらん。
美しい美しいと騒がれる女優さんとか、ひとりもおらんかもしらんぞ。あれ、精巧に加工されたCG映像を見せつけられてるのかもしらん。
税金とか、正しい用途で使われてないかもしらんぞ。あれ、使途不明のまま、どこかに消えてるのかもしらん。まぁ、それはほんまやろう、きっと。

近ごろ、若くして死んでしまった僕の好きなミュージシャンが、十二年ぶりに新曲を出すことになったそうな。
もちろん、十二年前に他界してしまっているので、本人が歌ってギター弾いてなど、できるわけがない。
どうやら、本人の過去の歌声を細かく千切って、それをボーカロイドと呼ばれる技術と融合させることによって、あたかも本人が歌っているかのような雰囲気でもって、楽曲を創り上げたそうだ。

いざ、それを聴いてみる。
これがまた、めちゃ良い。
「やったー!新曲やー!新曲なんか聴けるなんて思ってなかったから、嬉し過ぎるー!」
と素直に思っている自分がいる。
心底、それを聴いて、嬉しく思った。

しかしこれも同じだ。
この喜びは、他界してしまったアーティストに向いているのか、十二年の時を経て、存在しないミュージシャンの楽曲を新曲としてリリースできるほどの、最先端技術に向いているのか、どっちだ。

円形脱毛症ができるほどに悩んだ末、あるひとつの答えに辿り着いた。
それを聴いて、嬉しく思っているんだから、もうええやん、と。もう、その嬉しいという感情が全てやん、と。
楽しいとか嬉しいとかに、理屈を捏ねても仕方がないんだ、結局。

そうなんだ、僕たちは本来、とてもロマンチックな生き物で、ミッキーマウスの中には、人なんて入っていないと思って楽しめて、サンタクロースだって、実在するってドキドキできて、宝くじは、いつか当たるかもって信じれられて、奇跡は起こるものじゃなくて、起こすものだって信じている。

晴れの日も雨の日も満遍なくあるだろうに、たまたまイベントの際などに晴れの回数が少し多いだけで、俺は晴れ男だ!なんてドヤ顔もやってのけられるし、ボウリングのスコアが伸びなかったときには、手首をコキコキと捻りながら、今日は手の調子が悪いわ……などと、自分の実力ではなく、自分の手に責任を押してつけてプライドを保つこともできるし、街なかで異性と目が合うだけで、この人もしかしてだけど、自分に気があるのでは?なんて、身分不相応な勘違いもできる。

何もかもが、楽しいことばかりなんだ。

これで、プロジェクションマッピングで創られた金閣寺を見ても、次世代ロボットであるジョニーデップを見ても、これまで通り感動できるし、使途不明のまま問答無用に徴収される血税にも、納得できる。

わけがない、税金だけは納得しない。
選挙ポスターの笑顔も、選挙演説も、党のマニフェストも、何もかもが捏造じゃ、笑えないし、ひとつも楽しくない。
同じような顔ぶればかりで変わらない政治、変わらない選挙を繰り返して、そのうち国会中継を見ている最中にでも、画面下にテロップで、
「この番組は、2012年4月に放送されたものです」
などと、表示され出すんじゃ、あるまいな。

デタラメだもの。

201141228

初対面の印象なんてもんは、人間の何をも語ってはいない、もっと中身を見なければ。『デタラメだもの』

初対面のときの印象っていうものは、なかなか面白いもんだ。

ほら、今ではすっかり既知の仲になっている人たちの、初対面のときの印象を思い起こしてみるといい。きっと、全然初対面のそれと、今のそれとは違っていて、中には、初対面のときにあんな印象を、たとえばクールな奴だとか学のある奴だとかおしとやかな奴だとか、今の本人とはずいぶんとかけ離れた印象を、持ってしまったことが悔やまれるような奴もいるに違いない。

きっと人は、初対面と呼ばれる機会が訪れる瞬間、幾ばくかの緊張を持ってして、人と接するんやろうな。
その緊張によって、普段から他人に対してサービス精神旺盛に接している人と、そうでない人とで、初対面の印象と本人の実像との間に、二極化した乖離が生まれるんやろうと思う。
なんや難しい話をし過ぎて、偏頭痛になってきた。ちょっと、頭痛薬でも飲んで来なければ。

他人に対してサービス精神旺盛に接していない人、もしくは他人に対してサービス精神旺盛に接するのが苦手な人というものは、初対面のときの緊張などと相まって、本人の実像以上に、クールに見えたり、おとなしく見えたり、暗く見えたり、恐く見えたり、近づき難い印象を他人に与えてしまうんやろうな。

「初めて会ったとき、めっちゃおとなしいタイプの人やと思ってたもーん!」

こういう会話は、居酒屋では、「Hey! What's Up Bro?」ぐらいに乱用される会話である。

その逆で、普段から他人に対してサービス精神旺盛に接している人というものは、初対面のときの緊張が、さらにそのサービス精神に拍車をかけることで、本人の実像以上に、何も考えていない人、チャラい人、無責任な人といった印象を他人に与えてしまいがちだ。

「初対面のときのチャラさからは想像できひんなぁ」

弱ったり、真面目になったり、責任感を発揮したり、泣いたり、落ち込んだり、勇敢な姿を見せると、そういう評価を下されることになる。

ほうらほうら、こんな文章を読んでいると、身近にいる人、周りにいる人の初対面のときの印象を思い浮かべて、ちょっとニタニタしてみたくなるでしょう?相変わらず、影響力のある文章書くじゃあない、私。
あかん、偏頭痛、取れへんがな。薬、効けへんがな。

それじゃあ、お前はどんな印象を持たれる人間なんじゃいと、眉間に皺を寄せて睨みつけてくる紳士もいるでしょうから、僕の場合はどうかというと、「真面目」という印象ばかりをありがたくいただいておりましたので、その評価が胸糞悪くて、もう自らその印象を変えてやろうじゃないということになり、やれ髪の毛の色を滑稽な色に染めてみたり、やれ滑稽な洋服やら履物を身につけてみたり、やれ奇をてらった発言を繰り返してみたり、大声を出してみたり、人に迷惑をかけるような場所で立ちションベンをしたりして、その印象というやつを破壊してみた。

結果は、成功。
トリッキーな人間に成り果ててしまい、他人からいただく印象というものに統一性がなくなり、挙句の果てに、「お前さん、何を考えているのかようわらかん人間じゃけえ、怖いわ、近寄りがたいわ」などと、ノーベル賞以上に光栄な評価をいただくまでに至った。

しかし、世に出て社会に出て、いろんな人と対峙してみると、人間のことをしっかりと見ようとする人は、初対面のときでさえ、そんな上っ面の印象に振り回されずに、ちゃんとその人の、根っこの部分を見抜いてくれるということを知った。

得意先様の中で、たいそう出来上がった人物で、多大な影響をいただいた人物がひと方おりまして。
既に今では、花の都大東京でご活躍され、身分も相当に手の届かぬ存在になられているので、もう気軽に会ったりはできないけれども、駆け出しのころのハナ垂れ小僧のような僕を、しかも大企業にお勤めのその方が、遊びに連れ出してくれたり、飲みに連れて行ってくれたりと、とてもとてもよくしていただいたことがある。
身分や地位といったしょうもないことで、つまりは、生まれたところや皮膚や目の色で、人間のことを決めつけない、器の大きな男の人で、もちろんその人と僕との間にも、初対面と呼ばれる瞬間があった。

「君の顔面は、卑猥やなぁ!顔面秘密倶楽部やでぇ!きゃははははは」

といった評価をいただいた。
ちなみに、秘密倶楽部というのは、大阪界隈にある、M性感を好む男性たちが集う風俗店の呼び名である。
そのお方は、初対面の僕の顔面を見て、秘密倶楽部に例えたというわけである。
僕の中身をしっかりと見極め、初対面の印象を刷り込んでくれるような、大胆で愛に溢れた人は、後にも先にも出会ったことがない。
大半が、「君は真面目そうやねぇ」の繰り返しばかりの、面白みのない世の中で、そんな愛に溢れた接し方を、初対面のときから繰り広げてくれる人が、世で認められないわけがない。

その出来事があった以来、自分に影響を与えてくれる人というものは、初対面のときから、やはりファンキーな対面になるということが、得てして多い。

じゃあ、今の自分は、身近な人間にどんな風に映っているのだろうか?と問うてみたくなり、後輩に問うてみた。

「ウチの会社に出入りしてるような、会計士か税理士かなんや知らんけども、そういった類の真面目腐った連中と、この僕とは、やはり、人として、異なって見えてるもんやろうか?」と。

事務所に出入りしている、所謂、士業の人、真面目を絵に描いたような人物がいて、そういった類の真面目そうな連中というものは、いざ真面目に見えているものの、どうせ手鏡で女子高生のスカートの中身とか覗き見てそうやし、犯罪とか犯して捕まった後に、近隣の住人から、「あんな真面目そうな人がそんなことするやなんて…」などと、通り一辺倒なコメントを寄せられそうで、だいたい人間としての凄さ、凄まじさ、そういったものが兼ね備えられているかどうかもわからんのに、周りの人間から、「先生!先生!」などと呼ばれて、殊更に否定もせず、「はい」などと、眼鏡の位置を正しながら応答できる人間にロクな人間なんかおるわけがない。
僕だったら、どんなに偉くなったとしても、まぁならんけれど、なったとしても、周りから、先生などと呼ばれた日には、条件反射的に、「先生など、おこがましいです。クソ野郎とか、カス野郎って呼ばれたほうが、気が楽です」なんて言ってのけて、「じゃあ、クソ野郎。あっ、さん付けしたほうがいいでしょうかねぇ?クソ野郎、さん?」とか光栄にも呼んでいただき、「このあほう、どのツラ下げて、人のこと、クソ野郎さんなんて呼んどるんじゃい!冗談を間に受けるボケがどこにおるんじゃい!」とか、咆哮してしまいそうで、何ともアットホームやね。
それはそうと、士業は、侍業じゃ、とかヌカしてるボケがおるけれど、そういった類の連中たちは、真面目過ぎるか、胡散すぎるかのどちらかで、それを侍などと称してしまった日にゃ、ご先祖さまに怒鳴られるで、と思っている次第で、なんやろね、あの、士業ってやつは。

そうそう、話は逸れましたが、そうして問うたわけですわ。
「ああいうクソ真面目な先生とか呼ばれてる人間と、僕とは、やはり、異なって見えるもんかのう?」と。

すると、僕のデキの良い後輩は、「ぜんぜん違いますねぇ」と答えてくれるもんだから、さすが俺の後輩、グッジョブ、なんて思っていると。

「だって、先輩、アホッぽいっすもん。異なって見えるというか、先輩、学歴も何もないじゃないですか。そりゃ違いますよ。こんなクソ寒いのに、Yシャツで外ウロウロしてるのなんて、先輩ぐらいですよ。いい加減、近く歩いてるの、恥ずかしいんですよね。同類やと思われるんで」

おう。後輩よ。そこまで、皆まで、エンドロールまで語ってくれとは言うとらんぞ。
まぁ、それだけ人間の中身、否、僕という人間をしっかりと理解してくれているからこそ出てくるフレーズの数々、その暴言を聞きながら、俺、生き方間違ってなかったなぁと、しみじみ夜空を見上げてみると、強風に煽られた木々の葉が猛スピードで顔面に飛んできて、目と眼鏡の隙間に飛び込んできたと思った瞬間、葉の鋭利な部分が目尻に突き刺さり、浮世を憂いたからか、あまりの痛みに耐えかねてか、自然と涙が、ツーツララと流れ出た。

デタラメだもの。

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