デタラメだもの

デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。エッセイです。

2014年11月

運やら縁やらが凄まじく関わってくる、チケット購入のわびさび。『デタラメだもの』

それにしても、ああいうなんと言うのだろうか、抽選めいたものとやらには、一切当たる気がせんもんやね。

やれ懸賞やから応募してみようと意気込んで、送ってみたところで当たった試しがないし、昨今のように、インターネットが主流になる前、抽選の応募方法の主流がまだ、葉書だったころなども、一球入魂と意気込んで、葉書の中、所狭しと、あれこれ丁寧に感想など書いたりして送ってみたものの、これまた当たった試しがない。

ラジオ番組などでもそうだ。
こちとら、一応リスナーと呼ばれる身分なもんで、聴きたい曲をリクエストしてみたりもするが、一向に流れる気配はないし、これまた丁寧に、番組の感想やら、アーティストへのコメントを打ち込んで送ってみるものの、希望の楽曲が流れる気配が一切ない。

なぜそんな思いを胸中に巡らせているかというと、あの忌まわしき、チケット購入という所為が、どうにも運やら縁やらに支配されているようで、まったく解せぬという思いが、ジュンジュワワと湧き上がってきたからである。

チケット購入の所為、すなわち、チケットを取るという行為であるが、この行為、簡単そうに見えて、簡単そうに聞こえて、その実、至難の技だということは、いざチケットを取ろうと試みたことがある人ならわかるはず。
なにがそこまで至難の技かというと、お察しの通り、「チケット取る時、ネットも電話もつながらんし、売り切れるの早過ぎる」ということだ、要は。

あれ、いったい、誰が取れてるん? スパコーンとインターネットに接続されて、スイススイと入力画面をやり過ごし、無事に購入ボタンに辿り着けている猛者など、ほんまにおるん? チケット屋さんに電話をかけて、話し中という樹海を潜り抜けて、販売担当者なり機械応答なりにつながり、チケットの購入を完了させ、ほくそ笑みながら電話を切っているような猛者など、ほんまにおるん? おるとしたら、どこにおるん?

そして、なんだあの、1分でソールドアウトとか。
ソールドアウトとかかっこ良く英文字で呼んどるけれども、つまりは、売り切れよね。1分で購入できた奴ら以外は、全員、売り切れのため、ライブに足を運べません。足を運ぶ権利もありません。ライブを見る資格もありません。運やら縁やらの一切合財がありません。生きてる資格もありません。
と、こっちに対して、そう言いたいのだろう。やかましいわ。

今でこそ、インターネットやスマートフォンが普及したり、コンビニエンスストア内にも、チケットの購入ができる機械が設置されていたりと、恵まれた環境になっているが、ひと昔前までは、チケット発売のタイミングで、チケット屋さんに電話をするか、チケット屋さんの受付カウンターに直接買いに向かわねばならん時代があった。

そういえば、20年前くらいだろうか、誰かは忘れてしまったけれど、あるアーティストのライブに行きたいと思い、チケットの取得を企んだときがあったことを思い出す。

「電話やとつながらん可能性もあるし、それでチケットを取り損ねるとか最低やし……」
と、ブツブツ抜かしながら、それならばと、当時近所にあった、百貨店の中に入っているチケット屋の受付カウンターに、直接チケットを買いに行くことに決めた。

確か、それは人気アーティストのチケットだったはずで、だから、開店の少し前に到着し、もし行列などできていようもんなら、並んででも購入したるねんと意気込み、いざ、開店前の百貨店の玄関前に到着した。

すると、想像とは違い、玄関前にはなんの行列もできておらず、「よっしゃ、これでチケット取れたも同然!」と高揚しながらも、ふと回りをよく見渡してみると、なんと、玄関前の足元付近に、寝袋が2つ横たわっているのが目に飛び込んできた。

「ね、寝袋!?」

それは違和感でしかなかった。
だってさぁ、超行列ができるような、最新の電子機器の発売日とかなら、最前列に寝袋がいくつもあるという光景が似合うが、誰一人として、開店前の百貨店の玄関前に並んでもいないのに、ポツンポツンと、たった2つだけ寝袋があるというんだもの。何かの間違いだと思うよね。

「この人たちは、僕と同じアーティストのチケットを取ろうとしているのかしらん?」

そう思いながらも、2つの寝袋の最後尾に、立って並んでいるのも、あまりに恥ずかしく、周りの目も気になったため、そしてなにより、誰も並ばないようなこの状況なら、チケットも余裕で取れるだろうと、その場を後にし、近所をウロチョロと散歩することにした。

ふと時計に目をやる。
「あっ!百貨店の開店時間が過ぎてる……」
調子に乗ってウロついていたため、目的の時刻が数分超過しているのに気づかなかった僕は、少しだけ小走りで、百貨店へと戻って行った。

百貨店の中に入り、いざ、チケット屋さんの受付カウンターを目指す。
辿り着いてみるとそこには、先ほど寝袋に入っていた二人の男性の姿があった。

「いや、なんでですのん?」
二人の男性のうち一人が、カウンターの中のスタッフに声を荒げている。
「そう言われましても……」
「いや、僕ら寝袋まで用意して並んでましたんやで!」
「は、はぁ……」
すっかり困り果てた様子のスタッフ。
「ほんまにダメなんですか……」
どれだけ訴えかけても変わらぬ事態を受け止め始め、消沈する二人の男性。

いったい何があったというのだろうか。
そこに、衝撃の言葉が飛び込んできた。

「ほんまに売ってないんですか?」と男性。
「大変申し訳ございません。当チケット屋では、布袋寅泰のチケットは販売しておりません。おそらく、販売しているのは、競合チケット屋かと思われますので……」

改めてその言葉を受け止めると、寝袋を担いだ二人の男性は、しな垂れるように肩を落とし、チケット屋の受付カウンターの前から姿を消した。

布袋寅泰のチケットなどは、寝袋で待機せずとも、余裕で取れたはずだ。そして、寝袋で待機をするという決死の覚悟を決め込んでいるわりに、そのチケット屋で布袋寅泰のチケットが販売されるかどうかの下調べをしていなかったという愚かさ。そして、寝袋で待機することで生じるアドバンテージをすっかり失ってしまったその時刻から、競合のチケット屋に足を運び、改めてチケットを買い求めるという情けない結末。さらに思う。きっと、この時刻からでも、余裕でチケットは購入できるだろうことを。

とまぁ、チケットというのは、いつの時代も、運やら縁やらが凄まじく関わってくるもので、だから、アーティストへの思いやら、インディーズのころから熱愛しているアーティストだからといった事情など、問答無用に排除され、運無き者はチケットを取れず、運無き者はライブも見れず、ただただ、一年後などに控える、ライブDVDの発売を心待ちにするほかないのである。

「あのアーティストのチケットは、ファンクラブに入ってても、入手困難らしいよ……」
などと囁かれてしまっては、運やら縁やらがない人間からしてみれば、死刑宣告にしか聞こえないよ。

あの寝袋の男性たちは、今頃、どうしているのだろうか。

デタラメだもの。

201141130

顎鬚も権力も同じように、ツルッツルに剃り落として、ありのままのスペックで生きようじゃないか。『デタラメだもの』

人としての器もないくせに、仕事もロクにできずに、それなのに、会社に長いこと勤めているやら、会社の立ち上げ時期からそこに居るやらという理由で、なまじっか権力を持って、それをふんぬふんぬと振りまわしている輩の滑稽なことといったら、全く食えない。

ハリボテのような身分でいて、それでいてよくもまぁ、呑気に威張っていられるものだと、摩訶不思議。
下克上など申されたら、刹那に身分を失脚させられるような状況で、のほほん、よく生きていられるもんだと感心するよ、全く。
こんな世の中じゃ、アルコールの接収量も減るわけないわな。

そんなことを考えながら、酒をチビリチビリやっていると、ふと、自分はなんて写真映りの悪い人間なんだと、楊枝をつまみ、歯と歯の隙間をシーシーお掃除しながら、脳内に自分の写真映りを思い浮かべてみる。

なんとも素人臭い。

あれ、何でみんなあんなにも、写真を撮られる際に、表情やら佇まいやら、妙味な具合に演出できるのかしらん。
どこでそんな勉強したん? どこでそんな練習やら特訓やらしたん?

ここ一番、ビシッと決めた表情で撮られるのも良し、お茶目にチャーミングな表情を浮かべ、ニコリして撮られるのも良し、おふざけ満開で、滑稽なポージングを決めながら撮られるも良し。なんとまぁ、みんな役者なんだなぁ。

あれには何かしらのコツでもあるのかしらん? 首の角度であったり、眉間の皺の寄せ具合であったり、手の角度やら、股の開き具合やら、歯の見せ具合やら、口角の吊り上げ具合やら、コツがあるんやろうか。
まぁ自分が写真に撮られると、どれもこれもが失敗作で、二度と目も当てたくないほどの酷い仕上がりばかり。写真なんて、嫌いじゃ。

まっこと下らんことを考えながら楊枝を操っていると、うっかり歯茎をブッ刺してしまい、口内に血の味が滲む。
おうい、おとっつぁん、馬肉ひとつおくれやす。

そもそも、人間本来のスペックが、他人と比べて劣っているからこそ、写真の映りも悪くなるというものではなかろうか? と、自分のスペックを疑ってみる。
これはもしや、そうかも知れん。
だって、たかだか表情を操作してみたところで、そない写真の映りなんぞ、変わるものだろうか。股の開きを大胆にしたからといって、そない写真の映りが豪快になんぞ、ならんだろうに。
やっぱりスペックだ、自分のスペックが劣っているからこそ、写真映りも劣るというものだ。

これはいっちょ試してみる価値がある、自分のスペックというものを試してみる価値があると意気込んで、おとっつぁんにお会計を申し出ると、千円足らずの飲み食い代で、毎度安価に満たしてもらってありがとうございますと、深々と頭を垂れ、店を後にした。

翌日からちょいと試みに打って出た。

人間というものは、他人に対して少しでも自分のことを良く見せようと、無駄な努力を繰り返す習性を持っているもので、だからこそ、朝も起きるや否や、頭髪にジェル状のものやらペースト状のものやらスプレー状のものをブッかけたりして、セットなるものをやってみたり、ペタペタと白粉を塗って、紅などひいて、顔面を煌びやかに見せてみたりと、その努力を絶やすことはない。

そうやって、本来の自分のスペックを少しでも良く見せようと捏造し、他人から小マシな人間と思われたくて仕方のない僕たち小市民。
そんな捏造をいったん止めてみて、自分の本来のスペックを曝け出したまま生きてみれば、どのような塩梅になるのかを試してみようと、まずは、頭髪のセットなるものを止めてみた。
頭髪のセットのみならず、朝起きて、頭髪の寝癖をシャワーで濡らし、リセットし、颯爽としたヘアスタイルに仕立てることをも止めてみた。

さて、その仕上がりといえば、阿呆の極み。鏡に映る自分が、洟垂れ小僧のように見えて仕方がない。
そんな状態のまま、スペックの捏造を止めている旨を、密やかに身近な人間に問うてみた。すると、「いつも通りじゃね?」といった返答が返ってきたもんだから、仰天して背骨が折れそうになってしまった。

それはどういう意味なん? 普段、スペックを捏造して、一生懸命自分を煌びやかに見せようとしていた状態と、この洟垂れ小僧のような状態が、何ら変わらんということなん? じゃあ何かい、いつもいつも、自分はこないな状態で他人から見られていたということになるん?

そんなアホな……。朝も若干早よう起きて、ワックスなるものをベタベタと頭髪に塗りたくっていた日々は、いったい何だったというのか? マメ粒大を手のひらに取り、薄っすら薄っすらと伸ばしながら、頭髪に練りこみ、ネジネジと指先で毛先を遊ばせようとしていた日々は、いったい何だったというのか?

頭髪じゃインパクトが弱かったのかと思い、これまで大事に大事に伸ばしてきた顎鬚を思い切って剃ってみた。これがあるからこそ、ダンディでハードボイルドな演出が顔面に施されていた、その貴重な顎鬚を、ツルッツルになるまで剃ってみたわけで。

こないな覚悟で本日、顔面を決め込んできた我輩の猛烈な意志を、しかと受け取ってくれるかいな、お前たち。
そんな期待を胸に、ヘラヘラと出社し、これまたヘラヘラと業務を始め、お昼にはランチなどを召し上がり、陽もすっかり暮れ、「すっかり陽が落ちる時間も早くなったのう」などと、ビルのエントランス前でタバコをプカプカやりながら、業務を終了させ、いざ退社時間という頃になり、おかしなことに気づく。

そう、誰ひとりとして、トレードマークの顎鬚がなくなっていることに気づかず、とどのつまりは、そんな話題に触れようとする人間がひとりもいないのである。

おかしいやないかい……。俺は今、スペックの捏造も何も施していない、剥き出しのままの姿でもって、君たちの前にいるんやよ、おかしい姿でしょうに? 今なら写真映りが悪くったって、気にしない状態なんだよ、僕は。だって、スペックの捏造をしていないからこそ、写真の映りも悪くて当然、スペックの捏造時に写真の映りが悪いからこそ、僕は楊枝で歯茎をブッ刺してしまうくらいに頭を悩ませていたんだよ、今なら、写真映りなんて気にしないんだよ僕は、だって、ありのままの姿でいるんだもん。

どうやら人間というものは、悲しい生き物のようである。
日々、せっせせっせとやっている、自分を煌びやかに見せようとする努力なんざ、誰の目にも映っていないわけである。そんなもん、やるだけ時間の無駄で、金の無駄で、そりゃそうよな、よく考えてみれば、てめぇの顔面が煌びやかだろうが煌びやかじゃなかろうが、他人にとってはどうでもいいことで、なんら関係のないことなのだから。

そんなことを、立ち飲み屋の帰り道にぼんやりと考えていると、自分のスペックを捏造するという行為は、何も顔面に限ったことではなく、身につけた権力やら地位やらにおいても同じで、そんなものを捏造したところで、誰ひとりの心にも響いていないだけでなく、それはそれはひとり上手な、悲しい芝居のようであること。
ほら、ツルッツルになった顎鬚の如く、ハリボテの権力やら地位も、剃り落としてしまってはどうだろうか、社会に蔓延る紛い物の皆さん。

上手いこと時世の憂いへと話を結びつけられた自分の能力に自惚れていたものの、結局、写真映りを良くする手段には何ら近づいていないことに焦りを覚え、取りあえずのその場凌ぎ、次回、写真に撮られるような機会が訪れるならば、その時には、芸能人の物まねの如く、笑顔を作る瞬間に、唇と唇の間から、うっすら歯でも覗かせてやろうと企みながら、疲れきった最終電車に飛び乗った。

デタラメだもの。

201141125

過剰サービスが惨事を招くこともあるってことを、もっと重く受け止めるべきだ。『デタラメだもの』

過剰サービスというやつは、何とも苦手だ。
サービスというものは、適度に気がきくという程度で充分なはずである。にも関わらず、世の中、過剰サービスが横行していて解せない。

最近、特に思う過剰サービスが、居酒屋での灰皿交換。
あの、灰皿交換のタイミングの悪さったら、天下一品である。

僕にとってのお酒を飲むという行為は、大いに語らうということと同義であり、それ故に僕は、何軒もお店をハシゴしたりだとか、ホステスさんがいるようなお店に行くだとか、そういうことはせず、場末の居酒屋などに、どっしりと腰を据え、やれ夢だとか、やれパンクロックだとか、やれ笑いとは何ぞやとか、とにもかくにも、語って笑って、泣いたり叫んだり、得てして、年甲斐もなく、そういうことをやるのが好きだ。
語るにせよ、笑わせるにせよ、ある種、熱を帯びてくると、何かしらが自分に憑依し、饒舌になったり、愉快になったりしているわけで、それはある種、酔狂ながら舞台に立ち、わっしょいわっしょいと演じているわけだ。

そこへ来て、その酔狂の芝居に水を差すのが、灰皿交換なんだわ。

「おうおう、仕事っちゅうもんはなぁ、お客さんの期待に応えてなんぼやぞ!」
「なるほど」
「ただなぁ、お客さんの期待に応えるよりももっと大切なことがあるんやぁぁぁ!」
「え!?いったい、それは何ですか、先輩!」
「それはなぁ…じ」
ここで突如現れる店員。
「灰皿交換しまーす」
店員の灰皿交換の所作を、ただただ見つめる男ども。
「……。」
「……。」
「……。」
「あ、ありがとうございました」
灰皿交換サービスに対して、礼を述べる男ども。
「で、先輩。さっきの話、どこまで話してはりましたっけ?ってか、何の話してはりましたっけ?」
灰皿交換に水を差され、話の状況はおろか、何の話をしていたのかさえ脳内から吹き飛んでいる後輩。
「そやなぁ。さっきの話はなぁ。仕事っていうもんは……。っていうか、もうええわ!」
熱演を中断させられ、先ほどと同じような熱さ、同じようなテンション、同じような熱量で話もできず、だったら、その熱量を必要とする語らいなんざ、こんなにも冷え切った熱量でやっても意味ないわ!と投げやりになり、キレ倒す俺。

誰を責めるべきか。灰皿交換サービスじゃろ。あの、空気も読めずに割り込んでくる、灰皿交換サービスじゃろうがい。灰皿は火を消すためのものであって、心の炎まで消し去って行くっちゅうのは、どういうこっちゃい。

何も熱い話をしてる時だけやない。あいつらは、笑いのネタを話してる時にも、いけしゃあしゃあと割り込んできよる。
計算されつくしたネタを饒舌に喋りながら、まずはフリや、ネタっちゅうもんはフリが命や、フリのリアルさが、そのネタの後半で活きてきよるんや。話のつまらん奴っちゅうのは、このネタフリが下手クソで、早よう早よう話の核心を突きたがるよって、話が尻つぼみになりよるんじゃ。俺のフリは天下一品やど、見とけ見とけ、よう聞いとけ、そのフリからどないな話の展開になるか、お前ら楽しみでしゃーないやろ、もうちょっと待っとれよ。

などと、我、笑いの覇者なり、といったようなバカげた様子で、恥ずかしげもなく話を進めている最中、ようやく話も終盤、さぁ、ボルテージが上がって参りました、ラージヒルで言うたら、既に滑降を開始、グングンとスピードが乗る乗る、さぁ、やって来ましたで皆さん、ついについに、お待ちかねのオ……!
「灰皿交換しまーす」
でたっ!またしても、このタイミングで来るか。どういう神経しとるんや。あとオチを残すのみやったんやぞ、ワシのネタは。このオチまでに、どれだけ焦らして焦らして、丁寧にネタフリを話しとったと思うとるんや。こっちのそんな苦労も露知らず、よう能天気に灰皿交換なんかしに来やがったのう。

そして、同じパターンになる。
「先輩、それで、その話って、最終的に、オチどないなんですか?」
「え?オチ?」
灰皿交換で中断された話の、オチだけを話させられるパターン。
「オチはなぁ……。結局、携帯と間違えて、テレビのリモコンで電話かけよう思うとったんじゃーー!」
場は白ける。
「ははは……。そうやったんですね……。面白いやないっすか……。ははは……」

そりゃそうなるわな。灰皿交換サービスまでの熱量は、すっかり冷めてしもとるもんなぁ。それで笑えるほど、笑いは甘くないわな。
吉本新喜劇で、島木譲二が、「しまった、しまった……」言うたタイミングで、「灰皿交換しまーす」などと割り込んで来ようもんなら、さすがに、ネタの中断後に、「島倉千代子」などと叫んでみたところで、客席はクスリともしないだろう。

ようよう考えてみると、居酒屋や飲み屋というものは、熱く語りたい、アホになって笑いたい、惚れた異性を落としたいなど、それなりに本気の連中が、大いなる熱量を持ち合わせて集っている場といっても過言ではない。
となると、いずれの客席にも、様々なストーリーがあり、ひとりひとり、その場に賭ける思いや勝負、戦いがあるはずである。
それを思うと、本来、その場に提供する灰皿交換サービスは、ある種の命懸け、戦場で鉄砲玉が飛び交う間を縫うが如く、死に物狂いでサービスを提供する必要があるんじゃないだろうか。

例えば、熱い話がひと段落した様子を見せたタイミング、オチがイマイチで語り手がスベッたタイミング、異性への下心が見透かされ冷え切ってしまったタイミング、そういったタイミングを、プロの視線、プロの視点から察知し、「灰皿交換しまーす!ついでに、冷え切った空気も交換しまーす!」くらいの粋なサービス精神で持って、割り込んでくるべきじゃないのか。

それほどのサービス精神がないのなら、あの例の灰皿交換サービスというやつは、過剰なサービス、不毛なサービスと思えて仕方がない。そもそも、交換して欲しいときは、声をかけるから。

そうやって過剰サービスを思い浮かべてみると、世の中にあるわあるわ。
服屋にて、のんびりと服を見ている時に、横から話しかけてくる店員の、「この服ねぇ、今人気で、買って行く人多いんですよー!」といったアドバイス。
こちとら、誰も買ってないような特異な服を探しとるんじゃい。誰でも買って帰るような、分かりやすい服なんぞ、要らんねん。そのアドバイス聞いて、買うのやめるわ。
他にも店員、「これ、いいっすよねー!僕も気にいって、一着持ってるんですよ!」といった情報。
お前が持ってるんなら、お前とカブるの嫌やから、買うのやめるわ。
美容院でもそう。髪の毛を染めたりパーマネントを当てたりする際、待ち時間をぼんやりと空想でもしながら過ごそうとウキウキしているところに、「良かったら読んでくださいねー!」などと、ファッション雑誌を4~5冊も用意されるサービス。
わしゃ視力悪過ぎて、裸眼じゃ、本など読めんし、MEN'S NON-NOなど手渡されても、この田舎モン丸出しのワシの服装を見てみれば、どう考えてもお門違いだと分かるだろうに。嫌味かい。

ほんまに世の中には過剰サービスが多すぎて困るわ、などとブツブツと文句を言いながら、得意先様との商談中、ちょっとした冗談で、いつもいつもお世話になっていますので、今回は無料で2~3点くらいならデザインいたしますよー!なんてケラケラとほざいていたら、お客様ご満悦のご様子で、その冗談を真剣に受け止めていただき、まさかまさか、グラフィックを2~3点ほど無料でデザインをせねばならんようになってしまった。

どうやら、ビジネスの世界では、サービスは、過剰であればあるほど、望まれるらしい。

『デタラメだもの』

201141116

合理的に考えると、出したものをいちいち片付けるという行為は、ナンセンスに思えてこないだろうか。『デタラメだもの』

出したものをいちいち片付けるというのが、なかなか解せなくて、反抗的になって、幼少の頃などは、部屋など、身の回りがグチャグチャになっていたものだ。

そういえば、小学生の頃から感じていた、そういう違和感。
明日も使う教科書を、なぜに今日、家に持ち帰らねばならぬのだ。すぐまた使うであろう鉛筆や消しゴムを、なぜにいちいち筆箱になおさねばならぬのだ。すぐにまた読むであろう読みかけの本を、なぜに本棚にいちいち仕舞わねばならぬのだ。解せない解せない、非効率過ぎて、解せない。

そう感じていた僕は、徹底的に、収納を指導してくる大人たちと抗い、権力やら腕力やらで押さえつけられ、それでも抵抗をやめなかった僕は、通知表と呼ばれる、人間を評価する下らない紙面の備考欄とやらに、アレやらコレやら文句をツラツラと書かれて、お前たち大人は、なんじゃい、聖人かい?完璧な人間なんかい?だとしたら、ロボットかいお前らは?ひとつもミスを犯さないような天空人のような存在なのかい?崇拝すれば気が済むのか?と毒づき、やたらめったら、路上に唾などを吐き散らしていたけれど、成人して果てしなく歳を取った今でも、変わらず、収納というものは解せない。

「出したものは片付けなさい!」
「うるさいわい!すぐにまた使うんじゃい!出したものをいちいち収納しては、またいちいち取り出して使って、ちょいと使い終わったと思った刹那、またしても収納するような無駄な時間を浪費するほど、人間の人生は短くないんじゃい!」

となるわけである。

この考えに異論のある人は、おそらく僕よりも、余命が二倍くらい長い人なんじゃないだろうか。
僕も、余命が今の二倍近くあるとするならば、出したものを収納することも粋なこととして取り組むかも知れない。
しかし余命が二倍ない今の現状、僕には収納している余裕はない。

そんな風な僕には特異な性質があり、これが、前述を主張するに胸を張れる所以なのである。
それはつまり、使わないものに関しては、徹底的に収納するという性分を持ち合わせているというところ。
なので、僕の身の回りは、散らかっているどころか、閑散と見えるほどに整頓されている。
要するに、超合理的なのである。
すぐ使うもの、よく使うものに関しては、徹底的に片付けず、これは使わないだろうと踏んでいるものに関しては、徹底的に片付ける。

この性分の自分で面白いと思うところに「これはよく使うよなぁ」と決め込んだものが多いシーズンには、想像に易いが、身の回りが異常なくらいに散らかることになる。合理に囲まれることになるのである。
その状態を見て人は、「ほんまにお前、それらの全部を使う予定あるんかい!」となるのであるが、当の本人にしてみれば、「使うから出しとるんじゃい!」となるために、他人との間に、意見の相違が生まれ衝突、となってしまうわけである。

そしてまた自分の中で特異だと感じる性分のひとつに、つい先ほどまで、「これ、近々使う予定あるよねー!」と感じ、身の回りに出しっぱなしになっていたものたちが、一瞬にして、「ん?やっぱりこれもあれもそれもどれもこれも使わんのちゃうやろか?」と極端に感じ、収納するどころか、全てを捨ててしまうことがある。

往々にしてこういう予感は正しかったりするもので、パソコンのアプリケーションやファイルやフォルダなどを例にとってみると、頭に浮かぶのが、少しく以前、職業柄、パソコンをさまざまカスタマイズしたり、いろんなソフトウェアをインストールしたりなど、パソコンの内部をゴテゴテにして使用していた頃があった。

これほどまでに使い込んだパソコンは、買い換えることも難しく、生涯このパソコンを使わねば、容易くは内部の移動などもできず、困ったもんだと頭を抱えていたある日、予期せぬ事故で、パソコンが故障し、一切の復旧も認めぬ悲惨な状況に陥った。

死んだ……。

そう思った。これで俺は仕事ができぬ、趣味もできぬ、今まで培ってきたものの全てが消えうせてしまった、もうオワタ。
一時はそんな絶望に苛まれたものの、ふと、自分の特異な性分が顔を持ち上げ、

「待てよ?ほんまにアレもコレもソレもドレも、俺に必要なもんやったのか?ほんまは使わんもんやったんとちゃうんけ?ほんまは要らんもんやったんとちゃうんけ?」

そう思い、何のソフトもインストールすることなく、前のパソコンから、何ら移設することもなく、ほぼ購入したままの状態でパソコンを使い始めてみた。
するとどうだろう。
そのまま、一切パソコンをイジることなく、今日までそれを使い続けている。特に何も困らない。不便もないわ、問題もないわ、むしろ動作が軽くて快適で、ルンルンしながら、真っ昼間っからシャンソンなんか聴いたりして、紅茶を飲んだり、鼻歌歌ったり、以前の生活よりも優雅に生きることができているではないか。

そんな経験に味を占めた僕は、これら本棚にクソ詰まっている書籍たちの大半も不要なのではないだろうか?
そう思い、読まなくなったビジネス本など、実用的な書籍の全てを処分することに決めた。
ビジネスなんか、我に関係なし、我に関係のあるものは、ファンタジーのみ、ファンタジー系の書籍さえ家にあれば、我はどこまでも生きていける。そう思い、大量のビジネス本を紐で縛り、集合的な意味合いのあるゴミ捨て場に持ち込んだ。

部屋に戻り、スリムになった本棚を眺めながら、はははぁ、身が軽くなった、俺の中からビジネスという四文字が消え去り、浮世離れの生活を歩めるぞ、ぎゃはははと楊枝片手に高笑いしていると、ふとあることに気づいた。

「あれらの書籍、古本屋と呼ばれるサービスに持ち込めば、それ相応の対価を貰えるのではないだろうか?結構、高価な書籍もあり、別荘のひとつでも購入できるかもしらん!」

天才的な閃きに、猛烈な勢いで部屋を飛び出し、集合的な意味合いのあるゴミ捨て場に駆けつけた。
その間、ものの五分程度。
世間とは、猛スピードで流れているもので、閃き、駆けつけたその五分の間に、ゴテゴテと闇鍋の如く散らかっていたゴミ捨て場から、先ほど我が捨てた高価な書籍類のみを丁寧に運び出し、持ち去っていた猛者がいたのである。
なんとまぁ、損をした。自分の持ち物を、計らずも他人に分け与えてしまい、それだけならまだしも、そいつはきっと今頃、僕が分け与えたその財産で、別荘のひとつでも買っていることだろう。

その事実に、トボトボと肩を落としながら家に帰り、気分転換に読みかけのマンガでも読もうと本棚に目をやると、先ほど捨てた実用書群の中に混ざって、読みかけのマンガまで捨ててしまっていることに気づき、憤怒憤怒激怒激怒の末、煮えきらぬ気分のまま古本屋に足を運び、読みかけのマンガを購入。

必死の思いで自宅に戻り、マンガをペラペラとめくると、ひとつ前の巻を購入していることに気づき、「一巻の終わりだ……」と呟いたかどうかは、当時、部屋で買っていた金魚のみが知る事実である。

デタラメだもの。

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