デタラメだもの

デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。エッセイです。

2014年09月

おい、恩は仇で返ってくるぞ。歯の浮くような言葉にご用心。『デタラメだもの』

もし僕が、あなたに対して、何かしら、少し考えれば誰にでもできることや、いざやってみれば誰にだってできるようなことをやって差し上げたとしよう。そんな折、あなたは果たして、その御礼として、「●●さん、天才ですね!」とか「やっぱり●●さんは違いますね!」とか「●●さんに任せておけば、万事OKですね!」とか、言うのだろうか。
言わないよね、言わないよね、そんなこと、言わないよね。

俗にこれを歯の浮くような言葉というらしいが、世の中には、こういった類の言葉が氾濫していて、どこかの誰かさんが、そんな歯の浮くような言葉を言われているのを聞くことは数多あれど、いざ、自分がこれの被害者になってしまった瞬間には、あまりの辱めに、ヘドが出そうになって、いてもたってもいられなくなってしまい、ビルのガラスを突き破って、ワイヤーアクションのひとつでもカマして、美麗に華麗に流麗に優雅に地面に着地した後、世界の最果てまで全力疾走して、失踪してやりたくもなる。

どういう神経から、こういう言葉を、他人に言ってのけようとしはるのか、その精神がようわからん。
成人し、物事の分別がつくようになってからというもの、こういう言葉というのは、人を嘲笑する、人を侮蔑する、暗にコケ下ろすようなときに使用するという風に認識してきたつもりだが、それが賞賛、賛美、感謝の際に用いられることが多いということを知り、驚愕。

よくよく考えてみると、達成した行為と、賞賛する言葉の重みがつり合っていないがために、この違和感は生じるのだと思う。

仮に、ビジネスシーンでよく用いられる表計算ソフトExcel、これはマス目がゾロゾロと並んでいて、そこの中に、文字だの数字だのを打ち込み、人間の脳味噌では、計算にとてつもない時間がかかってしまうような処理でも、ものの数秒で解答してくれ、さまざまなグラフを作成したり、統計データを作成したりと、とても優秀なソフトなわけだけれども、そのソフトの使用中に誰かが困っているとしよう。
そして、その人が僕のような高卒の無学の人間に助けを求めてきたとしよう。

「すみません……」
「はい、無学の僕ですが、何でしょうか?」
「ここの数式とここの数式を掛け合わせて、人類が未だ発見していない新たな数式を発明した後に、不老不死の薬を調合できる数値データを算出してもらえませんでしょうか?」
「お安い御用でやんす」
ピピピのピッ。
「はい、できましたよ」
「●●さん、天才ですね!さすがです!感激します!感謝します!賞賛します!賛美します!今後生涯、●●さんには美辞麗句のみをお届けいたします!足を向けては寝ません!土曜と日曜の夕方には、●●さんの住む方角を向いて祈りを捧げます!恵方巻きも今後、●●さんの住む方角を向いてしか、かぶりつきません!」
「てへぺろ」

となるのなら、理解も理解、納得できる。
しかし、この社会、現実は違う。

「すみません……」
「はい、高卒の僕ですが、何でしょうか?」
「なんか、A列のセル(マス目)が表示されないんですけど?見てもらってもいいですか?」
「は、はぁ……」
ピッ。(およそ0.5秒)
「あの……。表示されましたけど……」
「すごい!すごーーーい!すんごーーーーーい!天才!天才!やっぱり何でもかんでも●●さんに任せておけば、万事OKですね!やっぱり天才は違いますね!」
「てへぺろ」

なんか違うやろう。歯が浮きすぎるやろう。歯が浮きすぎて、浮いた隙間に歯垢がたまって、糸状の歯垢取りで、歯垢を除去するのに苦労するわのう。

これはいったい、バカにされているのだろうか。ちょっと考えれば、誰でもできることだろう。やるのが面倒で、考えるのが面倒で、これしきの人生の壁を乗り越えるのが面倒で、それでたまたま目についた、いかにも無学そうな人間をとっ捕まえて、こんなもの、自分が考え乗り越える壁ではない、あいつにやらせておけば、手も汚さずに、汗も流さずに済む、やらせておけやらせておけ。

そういった歯垢、いや、思考の果てに、依頼を投げかけているのだろうか?
そして、こういった無学の連中は、適当に賞賛の言葉をぶつけておけば、ウヒウヒと調子に乗りやがって、喜び、慶び、悦び、歓び、満足しやがる上に、またいつでも、賞賛の言葉欲しさに、クソ面倒くせぇ依頼でも、ホイホイと喜んで請け負いやがるだろう、楽勝よ楽勝よ、無学の奴、楽勝よ、などと思っているに決まっている。

そんな思惑が見え隠れ、というか、一切隠れずに、丸見えなもんだから、たいがいにせい、と思ってしまう。
そして何より、そういった、歯の浮くような言葉をこちらが頂戴しているシーンを、誰か他人、第三者に見られている場合など、顔からマグマが吹き出てしまいそうなほど、恥ずかしくなる。

「あいつ、上っ面の言葉で賞賛されてやがるぜ」
「喜んでんじゃね?あいつ、喜んでんじゃね?」
「真に受けて、有頂天になってやがんじゃね?」
「俺、スゲェとか思ってんじゃねぇの?」
「バカにされてるのにも気づかずに、あいつ、ヘラヘラしてやがるぜ!」

といった心の中での嘲笑が、無数に聞こえてきて、即座、ビルのガラスを突き破って、前述通り、地球の最果てへの片道キップを手に、失踪したくなる。消えたい、消えたい、この場から消えたい。

ということで、歯の浮くような言葉での賞賛というものは、こちらはせっかく何かをしてあげたのにも関わらず、恩を仇で返すといいましょうか、何かをサービスして後、提供側がお金を取られるというような、社会のルールに反する違法行為なのではないだろうかと感じるわけで、そんな虚言をプレゼントしてくれるぐらいなら、確実に物と交換のできる、いわゆる通貨というやつ、通貨、そう、小銭でもいいんで、銭ゲバと呼ばれようが守銭奴と呼ばれようがいっこうに構わんので、ありがたく通貨を頂ければ、こちらとしても、本日、財布の中に、21円しか入っていないがために、お昼を抜くか、部下にお金を借りて、界隈最安の食物を購入して腹を満たすという愚鈍な行為をやってのけなくて済みそうだと、胸のひとつも撫で下ろせるというものだが、世の中というもの、天才という称号は容易く貰えるのだが、10円やら50円というコインは、何が何でも僕の手の中、財布の中には入らないという厳しい仕組みになっている模様で、そうなると、コインはもらえない上に、歯の浮くような言葉をぶつけられるという何の得にもならない目に遭うくらいだったら、いっそ、誰からも声のかからない場所に住み、誰とも交流せず、誰とも交信せず、ただひとりで暮らしながら、積年の歯垢を糸状の歯垢取りで、細やかに除去するという作業を延々繰り返しているほうが、なんぼも幸せというものに近づくのじゃあないだろうかと思考し、試行錯誤したものの、やはりそうもいかずに、本日のお昼ご飯は、酢の味が粋に効いた駄菓子ひとつをコンビニの飲食スペースで食すという、ファンシーでバラエティに富んだ日々を送っていくわけである。

デタラメだもの。

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ひとたび、オーラを身につけてしまえば、世知辛いこの世を楽に闊歩できるようになるらしいが。『デタラメだもの』

オーラって、いったい何だ?オーラって、いったい何なんだ?

偉大な人たちを表現する際によく使われる「あの人のオーラ、ハンパない…」とか、「オーラが凄すぎて近寄れない…」とか。
あのオーラっていったい、どないやったら身につくんだ?俺にもオーラが欲しい欲しい、万人に近寄りがたいと思わせるほどのオーラが欲しいと望み続けて、早、三十何某年も経過してしまった。

先日、お仕事でお打ち合わせなどしている際に、某超大物と打ち合わせを続ける若手ディレクターさんと、オーラの話で小盛り上がり。

「その方のオーラ、あまりにも凄すぎて、会議中でも、参加者みんな震えてますから…」
「その方が威圧すると、参加者全員の思考が停止してしまって、中には会議中、言葉になっていない、嗚咽のような言葉しか発せなくなる人間もいましたよ…」

それはいったいどんなオーラなん?教えてよ、教えてよ。
ということで、その方のオーラについて話合った結果、ワンピースのルフィが帯びる、覇王色の覇気と同じようなものだ。という結論に至る。
なるほど、キッと睨むだけで、人がヤラれるわけね、広範囲にいる人たちまで、ヤラれるわけね、その方も、海賊王を目指してはるわけね。

じゃあ、そのオーラってやつは、どないやって身につけるんかしらん。俺も欲しい、俺も欲しい。

ふと思いつくのは、ヤンキーのオーラ。
若かりし頃、ケンカの強い奴や、悪いことばっかりやってのける不良たちは、小学生だろうが中学生だろうが、一定の覇気を帯びていたと思う。
その覇気があるからこそ、周りも近寄り難かったろうし、他校の連中をも畏怖させる威力があったんだと思う。

なら何かい?ケンカが強い奴だけがそのオーラという奴を身につけられるんかい?そらそうやわな、ルフィもめちゃくちゃケンカ強いもんなぁ。それで納得ということで、ええんかしら?

いや、違う。社会に出てオーラを帯びてる人たちの大半は、そないケンカ自体は強くないはず。ひょろひょろのおじいちゃんでも、オーラのえげつない人は大勢いる。
となると、単にケンカが強くても、そういった人たちの覇気には勝てないことになる。
危ない危ない、ケンカが強くなったらオーラを身につけられると早合点して、拙速に答えを出してしまうところだった。先ほど申し込んだ、エクササイズボクシングジムの入会願書、取り消さねば。

でしたらば、どうやればオーラが?俺も欲しい、俺も欲しいんや。

あっ、そういや、人のオーラっていうのは、その人の生き様が表れるなんて、キザなことを言ってのけていた輩がおったことを思い出す。
生き様?イキザマ?

これ、ようわからん。
オーラが身につくような、生き様なんて、あるの?それって、どんな生き様なん?

自ら茨の道を進んで行くような生き様?
もしそうなら、カップラーメンに湯を入れてから一分半で食べてみたり、チゲ鍋を素手で食べてみたり、カレーうどんを食べるときには、必ず白いシャツを身に着けてみるとか、そういうこと?そういうことで、みんなオーラが身についてるの?なんや、簡単やん、簡単やん。

そう思って、この夏、ざる饂飩食べるときも、素麺食べるときも、汁に浸けずに、そのまま麺をダイレクトに食べるというワイルドなことを試し続けてみたけれども、夏も終わりかけ、森山直太朗が歌い出すこの季節、一向にオーラが身についた気配がない。

オーラがないと、損をすることが多いと思う。
人とモメごとになった際にも、相手は萎縮することなく、グイグイと横柄な態度でこちらに強引な交渉を迫ってきたり、電車の座席で、隣の奴に、思いっきり両足をグイッと広げられて、肩身の狭い思いをせんければならんかったり、映画館では、両サイドのドリンクホルダーを占拠されてしまったり、焼肉を食しているときなどに、焦げ付いた網の交換を店員さんにお願いした後、その店員さんから舌打ちされたり、見積もりを値切られたり、仕入れ値を上乗せされたり、幼少期の頃のエピソードなら、家に友達が遊びに来る度に、部屋の中から、ファミコンソフトがなくなっていったりと、あれもこれも全て、オーラを身に纏っていないことが、全ての原因なのだ。

取りあえず、僕が考える最もワイルドなこと、片道分のお金だけを持って、海外へ飛び立ち、骨を埋める覚悟で、現地で夢を追いかけるという荒行、これをやらんければ、オーラは身につかないんじゃないだろうか。
そう思い、銀行の残高に目をやると、片道分のお金どころか、大阪府外へと脱出する資金もない。

オーラを身につける前に、小銭をもう少し、身につけておかねばならない。

三十何某にもなって、地元の中学生の悪ガキから絡まれるという不測の事態を味わえば、誰だってオーラについて、考えたくもなるし、オーラと向き合いたくもなるし、せめて、身につけた小銭だけは、そいつらに奪われまいと、両手をばたつかせたくもなる。

デタラメだもの。

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