お金のかからない遊びが好きで、そうなってくると、ひとりで自転車に乗ってウロウロして、あちらへ行ったりこちらへ行ったり。
風を切りながら、鼻歌を口ずさみながら、快走して、フフフン、自由を感じながら、世界を征服したような優越感に浸りながら、快適に遊ぶ。

そんな僕の貴重な遊びが今、存続の危機に晒されている。
というのも、生まれて最早、三十何某年というもの、そのうちに数年間は、あちらこちらと移住しておったものの、やはり大半は、地元で暮らしていることになる。

そして、物心ついたころから、この優雅な遊びを続けているため、東西南北、大通りから裏道まで、隅々まで走自転車で破したことになり、存続の危機とは何かというと、全てが知っている道になってしまったため、知らない道を走るワクワク感やらドキドキ感が薄れてしまい、遊びとは呼べない代物に成り果ててしまったということ。

なんたる危機。

どちらの方角に走り出しても、知ってる景色、走ったことのある景色、どこの裏道に潜入しても、知ってる景色、知ってる匂い、知ったノラ猫の顔、新鮮な風はどこへやら、これはただの移動になってしまっている、なんの感動もない、オー、シット。

「そんなグダグダ言うてんと、もっと頭使いなはれ、そのええ趣味をもっと楽しむ方法おまっせ」と、アドバイスをしたがる人もいるでしょう。
「もっと遠出しはったらよろしいやん」
と、そりゃ明快な答えですなぁ。

それがそうもいきませんねん。
あんまり遠くへ行き過ぎると、今度、帰ってくるのに莫大な時間を費やし過ぎて、遊びの域を超えてしまう、お尻も痛なる、腰も痛なる、弱音も出る、涙も出る、それが遊びと言えますかいな?おまはん。
それは遊びと違いまっしゃろ。

で、遠出するとなると、それ相応のロードバイクかなんか知らんけれど、調子こいたような自転車を購入せねばならんようになり、ヘルメット被ったり、グローブみたいなんはめたりと、ゼニが飛ぶゼニが飛ぶ、挙句に、マイ自転車を盗まれでもしたら、もう死ぬしかなくなりますでしょ。
元来、お金をかけない遊びの自転車が、金食い虫の趣味になってしまうのも、違う。

「あんた、ほんま理屈こきやなぁ。もっと頭使って、自転車の趣味を楽しみなはれや」と、さらにアドバイスをしたがる人もいるでしょう。
「折りたたみ自転車かついで、途中まで電車で行きはって、降りた駅から自転車で走り出したらよろしいやん」
おお、アイデアマンやなぁ、おたく。

しかしおまはん、そもそも折りたたみ自転車買えるくらいのゼニがあったら、こちとら、昼飯を300円に抑えたりしまへんねや。

もう、こうなったら、自分の中でのアイデアを駆使して、お金のかからない遊びである自転車を復刻したる。
アイデア、アイデア、アイデア。
閃いた。
あることを思いつき、さっそく自転車に跨って、飛び出す。
手近な場所を走りつつ、新しい息吹を感じながら、ワクワク感、ドキドキ感を体感する方法、それはつまり、目を閉じて走ることで、知らない世界を快走するに等しい体験ができるのでは!

早速目を閉じて、ペダルをこぐ。
前が見えないため、左右の感覚がわからない。
家を出てすぐの米屋の角で、車にひかれそうになり、車内からの暴言を二言、三言浴びながら、目を開けると、なんのことはない、すっかり見飽きた景色、想像通りの米屋の角。

暴言の言葉の汚さに、すっかり意気消沈し、やはり、ゼニを持たない人間は、知った景色を何万回も楽しむしかないのか……と、肩を落としながら、走り始めはしたものの、ただでは転ばぬこの性格、ともかく何かしら楽しみを見つけねばと、思いついたのが、町の中にあるスナックの看板に書かれてある、その店の名前に最も多く使われている、よし子とか、あけみとか、順子とか、女性の下の名前の数の統計を取ってやらんと。これ、以外に楽しいぞ。

さぁ、三十何某年、物心ついたころから走っている全ての道を、この楽しみのために、もう一度、網羅せねば。
なんだか、町の景色が、真新しく見えてきたぞ。
やった、新しい世界の始まりだ。

と、スナックの看板をキョロキョロと眺めながら自転車をこいでいると、猛スピードの車にひかれそうになり、車内から二言、三言、暴言を浴びせられる始末。
ワシも金にものを言わせて、車で走りながら、スナックを巡ったろうかしらん。

デタラメだもの。

201140831