デタラメだもの

デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。エッセイです。

2014年05月

季節の変わり目は、星空とたこ焼き屋と名刺。『デタラメだもの』

季節の変わり目だからだろうか、雨の前触れだろうか、それとも、もうすぐ梅雨がやってくるからだろうか、仕事帰りなど、街を歩いていると、ノスタルジックな気持ちにさせる風の匂い、潮風のような匂いが鼻腔にやってくるもんだから、ふと思考を巡らせて、そういえば、僕がこれまで生きてきた大阪という街の中でも、特に下町には、他の都道府県の人が驚くくらいの数の、たこ焼き屋があるなぁと考えてしまうのは、ごくごく当然のことだろう。

犬も歩けば棒にあたるらしいが、大阪の下町を歩けば蛸にあたる。
僕の住まう町には、無数のたこ焼き屋がある。

その光景を幼少の頃から、当たり前のことと思い、何の違和感も持っていなかったけれども、他の都道府県の人が町にやってきて、古き良き下町をアテンドなどしていると、

「あれれ?さっきもたこ焼き屋、ありませんでした?」
「ええ、ありましたよ」
「向こうに見えてるのも、たこ焼き屋じゃないんですか?」
「ええ、そうですよ」
「わぁ!またたこ焼き屋だ!」
「ええ、たこ焼き屋です」
「普段、こんなにもたこ焼き屋、見かけないですもん」
「僕の町では、ネオンや24時間営業の商店などの明かりで、見上げてもすっかり見えなくなってしまった夜空の星。ぽつりぽつりしか見えません。なので、仕事で落ち込んで帰った日などは、何を見上げて、何に語りかければいいのやら、すっかりわからなくなってしまいました。都会都会って、便利になるだけが全てじゃないですね、ほんと。見上げても、夜空に星を見つけることも、なかなか難しくなってしまったんですよ。でもね、でもね、夜空を見上げて見つかる星の数よりも、町のたこ焼き屋の数のほうが圧倒的に多いという事実。これだけは、胸を張って誇れるんですね。人って、その誇りだけを持って生きて行くことも可能なんじゃないだろうかって、最近よく思うんですよね。たこ焼きを食べた後の爪楊枝で、歯の隙間をシーシーしてる時なんかに」

といった会話が成立するくらいに、多い。

おばあちゃんがやっているたこ焼き屋、おじいちゃんがやっているたこ焼き屋、チェーン店のたこ焼き屋、町のいたるところ、商店街の両サイド、風情のある店が連なる。

そんなたこ焼き激戦区の中で、数年前、たこ焼き屋をオープンした若い兄ちゃんがいた。
店の造りも広く、どうやってこんな地代を払っていくんだ、やっぱり粉もんって、そんなにも儲かるのかと思ってしまうほどに、商店街の中では、なかなか立派な店だ。

そろそろその兄ちゃんの店も、商店街の中の馴染みのたこ焼き屋になり始めた頃、同じ商店街の中、200mほど離れた場所に、突如、若い兄ちゃんたちが、たこ焼き屋をオープンさせた。

まさに、群雄割拠。

こっちの店が頑張れば、あっちの店も頑張って、こっちの兄ちゃんが声を張り上げて威勢を見せれば、あっちの兄ちゃんたちも、声を張り上げて、威勢を見せる。
味はどんどん良くなるし、サービスもどんどん良くなる。
そこには、正しき競争社会の姿があるように思えて仕方がない。

そして何よりも胸を打つのが、延々と、たこ焼きの仕上がりに目を落とし、串でコロコロと回転させ、最高のたこ焼きを作らんとする、その雄姿。
その姿を見ていると、兄ちゃんや、兄ちゃんたちに、「一球入魂」とバックプリントされたTシャツでも作ってあげたくなる。

朝の早くから、たこ焼きを作り、閉店時間は、ちょうど日付が変わるころ。

終電の仕事帰り、商店街を抜けて帰っていると、兄ちゃんの店は少し前に閉めたのだろう。店の前で鉄板などをホースの水で洗ったりしている。

兄ちゃんたちの店には、飲食スペースに、中年の夫婦と思われる男女が談笑しているので、恐らく、まだ店が閉められないのだろう、兄ちゃんたちの中のひとりが、未だ黙々と、たこ焼きを回し続けている。

その視線が、あまりにも男前過ぎるもんだから、このノスタルジックな風の匂いも手伝って、思わず目尻から涙がこぼれそうになる。

うう。痛いよ。痛すぎる。
何が痛いって、部下たちとの仕事帰りの軽飲みの後、何の威厳を示すためか、路上に違法駐輪している自転車に向かって、盗塁でベースを盗む俊足の選手のように、華麗なスライディングを決めた際に、右足の膝頭を捻挫してしまったようで、数週間経った今もまだ、膝頭が痛い。痛いよ。痛すぎる。

兄ちゃんやお兄ちゃんたちの雄姿を横目に、人気のない商店街の中を、右足を引きずりながら帰る。
そして、アーケードが途切れ、夜の町が訪れる。

ああ…。今日は、訪問先のお客さんに、会社移転前の名刺、以前の住所やら変更前のメールアドレスが書かれた、昔の名刺を、間違って渡しまくってしまったみたいで。それも今日だけじゃないようだ。古い名刺をいつから配り、何枚、誰に渡してしまったのかもわからない。

「お前!もろた名刺に書いとるアドレスにメール送っても、返ってくるやんけ!なめとんのか!」

というクレームのお電話で、それが発覚した。

ふと空を見上げてみる。
願いをかける星さえ見当たらない。
おい、星空よ、そんな数で、俺の町のたこ焼き屋に勝てると思うなよ。

俺の住まう町では、無数の星ではなく、兄ちゃんやお兄ちゃんたちが、朝も昼も夜も、たこ焼きを転がし続けながら、その瞳を、キラキラと輝かせているんだ。

『デタラメだもの』

201140531

起承転結を意識して書けば、自分の不運な人生が蘇ってきた。『デタラメだもの』

緊張すると、お腹が痛くなるとか、そういう経験って、多かれ少なかれ、誰しもがあるのだろうかしらん。

もともとが閉所恐怖症であり、静寂の場所や、人ごみなど、とにかく自分にとって居心地の悪い空間が、何よりも大嫌いで苦手な性分ゆえに、学生時代、テストの時などは緊張も手伝い、百発百中で、極度の腹痛に襲われていた。

そんな性格にプラスして、手の施しようがないほどに内向的な性格だったあの頃。
腹痛に襲われていても、目立つことは罪悪であり、腹痛を自白することなど、学生生活の終わりを意味するものと思っていたほどに引っ込み思案だったため、堂々と挙手した挙句、

「先生、トイレに行ってきていいですかぁ~?」

などと能天気に発言することもできず、常に腹痛と真っ向勝負しながら、耐えに耐えまくりながら、日々をやり過ごしていた記憶がある。

テストが開始されると、一問目を過ぎたあたりから、早速腹痛に襲われるのが常であった。
それも、単なる腹痛ではなくて、世に言うところの、漏れそうな状態。
それが、一問目を過ぎた直後、すぐに襲ってくるのである。

挙手はできない。
腹痛を告白できない。
漏れそうになっているのを、いつまでも我慢できない。

そこで僕はいつも、冷や汗と苦悶の表情を、テストの監視担当の先生に向けて、さんざんにアピールしていた。

「先生、見てくださいよ、ほら!僕はこんなにも苦悶の表情をしてるんですよ…。先生たる者、この、いち生徒のとんでもない異変に気がついてくださいや…。こんな異変に気づかないなら、なぜにあんたは監視担当で、この教室にいとるんだ。ほら、見てください!苦悶です、冷や汗です、苦悶!苦悶!苦悶!」(心の叫び)

が、ボンクラの教師たちは、何のために教室にいるんだか、妙に眉間に皺などを寄せ、威圧するようなオーラだけをプンプンと漂わせるだけで、この僕の、死ぬか生きるか漏らすかの状況にすら気づかないでいやがる。

そんな状況が何度も何度も続き、僕はある作戦を考えついた。

基本的に、テストの最中は、席から立ち上がることが許されていない。
その制約を逆手にとって、僕は、鉛筆や消しゴムをわざと机の上から落っことし、それを教師に拾いに来させ、僕の席に近づいた瞬間に、もちろん「先生、トイレぇぇぇ」とは、小声ですら恥ずかし過ぎて言えないので、その瞬間に、思いっきり苦悶の表情を、間近でこれ見よがしに見せつけてやろうと考えた。

鉛筆を床に落とす。
それに気づいた先生が、こちらに近寄り、それを拾い上げる。
僕の机の上にそれを置こうとする。
僕はお礼も言わず、ただただ、冷や汗まみれの額と、充血した瞳を先生に向ける。
先生はそれに一瞥もくれずに、所定の位置に戻り行く。
僕の死闘は、続く。

と、何の解決にも至ることなく、いつもいつも、そんな塩梅だった。

それを思うと、僕がもし、腹痛という雁字搦めな状況の中ではなく、万全のコンディションでテストに挑むことができていたなら、もっともっと高い学歴を手にすることもできただろうし、もっともっとお給料の良いお仕事ができただろうし、今みたいに、ペコペコしたりヘコヘコしたり、とても人間とは思えぬような扱いを受けたりせずに生きられていたかも知れないのに。

いっそ、何もかもを腹痛のせいにして、どうにかこの責任を取ってもらいたくもなる。

そんな僕も、サンドバックのように社会から猛打のパンチを浴びせられまくった挙句、今では、少々のことでは動じない性分に成り果ててしまい、腹痛に襲われることも、めっきりなくなった。

めでたしめでたし。

と思っていたものの、最近、自分の妙な身体の異変に気づくようになった。

それは、何かしらの楽しみな事柄が直後に待っていると、強烈な尿意に襲われ、いてもたってもいられなくなり、下手をすると、その楽しみの真っ只中に、便所に行かねばならず、その楽しみを途中抜けするような事態に陥ってしまうというもの。

楽しみにしていた映画の、ライストシーンの直前。
楽しみにしていたライブの、好きなバンド出演の直前。
楽しみにしていたお食事の乾杯の直前。
とにかく、楽しみにしているものが、今から始まらんとするタイミングで、必ず。

ご存知の通り、映画館では、それほど自由に席の移動などはできず、ましてや、ラストシーンの直前などは、誰しもが固唾を飲んでスクリーンに釘付けになっているか、ハンケチで涙を拭いているかしている最中、僕は、尿意の我慢の限界を感じ、席を立ち、人の眼前を横切り、館内から出て行くわけである。

人に疎まれた挙句、ラストシーンも見れない。

ご存知の通り、ライブハウスのアリーナの中では、ステージが見やすいポジションを陣取れたら、そこは誰しもがキープしたい聖域。
直後に自分の目当てのバンドが登場するともなると、余計にその場所は死守したいところである。

なのにその瞬間、僕の膀胱は、尿によって、爆発寸前になっているのだ。

そうなったらもう、その場所を他人に明け渡して、放尿に行くか、お目当てのバンドの演奏中ずっと、尿意と戦いながら、集中力散漫なままで、ライブを楽しむしかなくなるわけ。

そう考えてみると、僕の人生は、便意か尿意によって、かなり多くのものを損したり失ったりしているじゃないか。
この憤りを、どこにぶつけたらいいんだ。
それらがなければ、僕は、とんでもない偉人になっていたかも知れないのに……。

それにしても、なんだ今日の駄文は。
起承転結の、起承の部分を便で通し、転で話が転ぶと思いきや、尿の話をし始めるなんて、なんという文章を書いてるんだ、ほんまに。

じゃあ、起承転結の、結はいったい何を書けばいいんだ。
結?ケツ?

結局、話は振り出しに戻るようで。

デタラメだもの。

201140524

人との交流では、後手にまわると、それはもうすでに恐喝を受けているようで。『デタラメだもの』

他人のペースに巻き込まれるというのは、何とも面倒臭いものである。
できれば、人様のペースなど全くもって気にすることなく、山篭りしている仙人のように、自分と向き合いながら、「ライバルは自分です」などと、ストイックな格闘家みたいな名言、格言でも吐きながら、ぜひとも生きてみたいものだ。

何が腹の立つっていうと、あの、仕事の最中によくある、「今、ちょっと、お時間よろしいですか?あっ、1分程度で構いませんので」的な、手の止められ方。
あれは、ある種の、恐喝だぜ。

何とも人の弱みにつけ込んだ恐喝まがいの行為に思えて、仕方がないわ。
「今、ちょっと、お時間よろしいですか?」と聞かれて、「あっ、悪い、今、ちょっと時間ねぇわ」とか「今、ちょっと、手ぇ離せねぇわ」などと断りでもしようもんなら、「お前、どんだけ売れっ子やと自分で思っとるんじゃ、このカス!そない忙しい仕事も、重要な仕事もロクにしてないクセに、偉そうに、何が時間ねぇわじゃ、このクソが!」と、心の中で思われてしまうことは、間違いない。

そんなおどろおどろしい想像が先走るもんだから、平和しか知らない、争いを知らない、鳩のような心持ちをした私は、「あっ、いいですよ!」と、洗顔フォームのCMに出てくる美男子のような笑顔でもって、快諾をしてしまうわけさ。

でも、あるでしょうが、人には、今ちょっとこれやっちゃいたいなぁって感じの雑務というか雑多な所用が。
そういう時は、やっちゃいたいでしょうが、自分のペースで。ましてや、集中力を伴うような作業の場合は、なおさら、今この瞬間こそは、神経を研ぎ澄まし、この一手に注ぎきってやる、俺様の集中力!などとやってのけているわけで、そこへ先のように、「今、ちょっと、お時間よろしいですか?」などほざかれた際には、「てめぇは、見てわからんのか、この妖気然とした、我輩の集中しているスタイルを!」と、つき返したくもなるが、やはり、洗顔フォームをやってしまう。

さらには、「1分程度で構いませんので」的に、僅かの時間で構わない旨まで添えられてしまっては、たまったもんじゃない。
断りでもすれば、「1分の時間さえも他人に割かないエゴイスト野郎」とか「どケチ」「お猪口のような器」などと、非難を轟々と浴びること、容易に想像がつく。

もし万が一、それを断った瞬間からの、俺様の1分間の様子を監視でもされていて、その1分間を、さして重要ではない所作に費やしていたことを察知でもされようもんならば、「そんなしょうもない1分をやり過ごすくらいやったら、こっちの用件、聞けたんちゃうんか、このボケ野郎!」と詰められるのは、必至。

ほら、「今、ちょっと、お時間よろしいですか?」は、立派な恐喝に値するわけさ。

それを考えると、昨今の、何やら、メッセージのやり取りをしたりする道具というものは、相手がそのメッセージを閲覧すると、手元の画面上に、既読とか何とか表示されるようで、送った相手にそれが読まれたか読まれてないかが、一目なのだそう。
これまた、恐喝の臭いがする。

となると、何?私のそういったものも、相手のメッセージを読んだ瞬間、既読とか何とか、向こう様に表示されたりしてるわけ?何それ、何その強制的な感じ、何その妙な機能。

そのような既読システムの導入によって、人々は、メッセージのやり取り、つまりは、電子的な交信手段に、疲弊し始めているのだそうな。

「ウチのメッセージ、読んでるのに、何で返事くれへんのよ!」
「俺の送った大切なメッセージ、いつまでも見ないって、どういうことだ?」
「やべぇ、見たくないメッセージだったのに、既読にしちまった…。返信返さなきゃ…」

疑心暗鬼。

そうやって、人々は、電子的な文書に踊らされて、疲弊しているのだそうで。
ただ、聞くところによると、ぎょうさんお友だちなどがいらっしゃる方などは、メッセージをやってるお友だちが一覧で表示されている画面などがあるそうで、その画面だったらば、最新のメッセージは普通に受信され、受信数が1だの2だのと表示されつつ、しかもメッセージの冒頭数行が読めるにも関わらず、まだそのお友だちとの会話画面を開いていないという理由から、既読表示が相手に表示されないという、魔法のような裏技があるらしい。

「そうすれば、既読にならずにどんな内容のメッセージか確認できるんで、返せそうな内容っぽかったら開いちゃって、ややこしそうだったら、時間ある時に開いて返せますからねぇ~!」

って、やめちまえ、そんな面倒臭い付き合い!
そこまでメッセージの開封やら既読やらで、策略を練ってまで付き合うようなつながりなら、捨ててしまえ!
そう叫んでしまいたくもなる。

人との交流というやつは、多少の恐喝が含まれているということだろう。
先手を取ったものがアドバンテージを握り、後手にまわってしまった人間は、洗顔フォームをやってのけるしかないわけだ。

さて、そうなってくると、私のような人間は、面倒臭いことから逃げ出したくなる性分なので、既読に脅かされるくらいなら、孤独を選んだほうが、なにぶん、肩の力も抜けて、健やかに生きて行けそうな気さえもする。

デタラメだもの。

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