デタラメだもの

デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。エッセイです。

2014年04月

自分の愛しいニオイは後世に残して然るべきだと考えるのは間違いなのだろうか。『デタラメだもの』

ここのところ、暑さを感じる日もチラホラあって、身体がジュンと汗ばむこともしばしば。
快適やわ、過ごしやすいわ、キャッキャッなどとはしゃいでいると、当然じんわりと身体に汗をかく。
当然のことながら、生きているんだもの、人間だもの、ニオイも出る。

ニオイ?
と、この季節の変わり目に、改めてニオイについて考えてみる。

そういえば若かりし頃、何もかもが敏感になる多感な青春時代、クセ毛ひとつで自殺一歩手前まで悩んでみたり、おでこの形や、なで肩いかり肩、人より短い足やら、人よりデカイ顔面やら、どれを取っても死活問題の悩みへと誘われてしまう、そんな誰しもが経験するあの年頃。

思えば、体臭が気になって気になって、ワキのニオイが気になって気になって。
当時所属していた、少年野球チームのある日の試合中のレフトの守備。相手バッターが打ち上げたフライを捕球するために両腕を天高く上げる動作によって、自分のワキのニオイが地球に散布されやしないかと、ほとんどの打球を、少女が憧れの先輩にバレンタインチョコを渡す時のような可憐な仕草でもって、捕球していたこともあった。

自分はこの体臭と共に、今後の人生を歩んで行くことが、果たしてできるのだろうかと、ズッポリと塞ぎまくっていた。
そして思い立ったのが、手術して、この悩みを一掃してやらん、ということ。

名医の執刀により、見事に死活問題であったワキのニオイは除去され、平静な顔をして、学校生活を営むことができたものの、その後の人生の知識、知見により、ワキのニオイというのは、太古の昔、いわゆる男性のフェロモンの象徴であったらしく、ワキのニオイが強い男性ほど、たくさんの女性が寄ってきたのだ、と伝えられているではないか。

その事実を知ったが後の祭り、自分のワキのニオイを武器に、数多の女性を寄せ付けるということは、名医の執刀による素晴らしいオペによって、叶わぬ夢と散ってはしまったものの、死活問題、いわゆる、死を選択するに匹敵する青春の悩みが解消されたことで、その後、平々凡々な人生を歩むことになる。

今だに微かに微妙に微量のニオイがあるけれど、酸いも甘いも経験し、人生の辛酸を嘗めまくった果て、この年にもなると、そのニオイの残り香が逆に、妙に愛おしくなって、絶対にそれを手放すまいと、想いを馳せ始めている昨今、汗ばむ季節になると、その残り香が鼻腔を突いて、いい感じやんか、とルンルン過ごしている。

が、そこで、歴史を揺るがすほどのショッキングな仮説に行き着いてしまうわけさ。

それは何かというと、フェロモンの名残りであるこの芳しい香りは、フェロモンを持っているからこそ、そのニオイを発するわけで、となると、自身のフェロモンが、年齢的な問題や、肉体的な衰えによって、枯渇してしまえば、そのニオイは皆無となってしまい、男性としての魅力がただでさえ元来より備わっていないにも関わらず、全くもって喪失されてしまうことになるのでは?

それだけならまだしも、年齢と共に台頭してくると言われる、加齢臭というやつに、取って代えられるのではと、再びこの年齢になって、死活問題に直面してしまったのである。

僕の愛おしいニオイの行く末や如何に?

その死活問題に怯え切ってしまった僕は、とは言え、どうにかその現状を良好に改善して行かねば、どうにか僕の愛おしいニオイを死守せねばと考え、ただ自分の身体は老いていくもの、それには抗えないものと踏み、こうなれば科学の力に頼るしかないと閃いた。

そうだ、学者さんに、相談しよう。

思い立ったが吉日、即行動、あるルートから、ある学者さんに相談を持ちかけてみた。

「すみません。僕のワキの愛おしいニオイを、なんとかして後世に残していくことはできませんかねぇ?たとえば、香水みたいなスプレーにしてもらうとか…」
「はい?何をおっしゃってるんですか?」
「いや、だから、僕の愛おしいニオイをね…」
「申し訳ございませんが、ご対応いたしかねます」

上手く意図が伝わらなかったのだろうか、いきなり電話を切られてしまった。
なにやら、聞くところによると、論文の発表を控えているデリケートな時期で多忙なんだとか。
仕方ない、学者さんのラインは諦めよう。

そう消沈していると、さらなる難題にぶち当たってしまった。
それは、ニオイというものは、鼻腔へと吸い込んで行くことで、一時的ではあるにせよ、ニオイが消えてしまうという事実。

いざ、自分でニオイを吸い込んでみると、まさか、どんどんとニオイが薄くなって行くではないか。
思い切り吸い込んだ後には、ニオイの形跡さえ残っておらず、まるで無臭を特徴とした特殊な人間であるかのように、僕のワキからは、何のニオイも発していない。

となると、何か?ただでさえ、加齢臭の台頭で、ニオイはかき消されて行くのに、それに追い討ちをかけるかのように、自分の鼻から吸い上げる呼吸によって、さらにニオイは失われていく、と。
さらに思えば、当初より、青春時代に、わざわざ手術などして痛い目を味わわなくとも、常時、鼻腔から強烈な吸引でもって、ニオイを吸い続けていれば、コンプレックスと呼ばれる強大な存在にならずに済んだんじゃないか。

ああ、もう、何が正しくて、何が間違っているのかさえもわからなくなってきた。

それらの事実に、完全に打ちのめされてしまった僕は、ニオイを後世に残して行く作戦より先んじて、如何にして自分の身近に漂う空気を吸い込まずして生きるか、つまりは、自分のニオイを自分で吸い込むという愚弄な行為を禁ずる方法を、ひたすらに模索し続けている、そんな汗ばむ今日この頃なのである。

デタラメだもの。

201140427

同じ話を何度もしてしまうという醜態にはメカニズムがあった。『デタラメだもの』

社会に棲息していると、おっさんと過ごす時間というものが、圧倒的に多い。
それほどに、社会というやつは、大部分がおっさんで形成されているといっても過言ではない。

で、おっさんに付き物と言えば何かというと、一般的には、加齢臭がするとか、下らんギャグを言いやがるとか、そういった特徴があるが、そのうちのひとつに、同じ話を何回もする、というやつがある。

これがなかなか、いただけない。

これは一種のパワーハラスメントだと思えて仕方がないのである。
というのも、同じ話を何度もされて、その都度、同じようなリアクションを取らねばならなかったり、オチ付きの話であった場合などは、既にオチがわかっているものの、さも初めてその話を聞きましたよといった風情を漂わせながら、仰々しく笑ってみせ、それが二度目や三度目だということを悟らせないように芝居を打たねばならない。
その心労たるや、当のおっさんたちには、とうてい理解できないものだろう。

「昨日、会社の帰りやなぁ、いつも通り帰ろう思とったんや」
「はぁ」
「ほんでなぁ、改札くぐろう思ってなぁ」
「はぁ」
「サイフからICカード出したわけやぁ」
「はい」
「ほんで改札通ったらなぁ、ビコンビコン言いやがるわけや!びっくりしてしもてなぁ!」
「はぁ」
「ほんで手に持ってるカードよう見てみたらなぁ、何やったと思う?」
「さぁ?(健康保険証やったんやろ、昨日聞いたし…)」
「何や思う?」
「何ですか!?(だから、健康保険証でしょ…)」
「いやいや、聞いて驚くで!何や思う?」
「さっぱりわかりませんわ…!(健康保険証…)」
「それがなぁ、笑うで!健康保険証かざしとったんや!ぎゃはははははは」
「ぎゃはははははは(という芝居)」
「笑ろてまうやろ!」
「ほんまですわ!ぎゃははははは(という芝居)」

といった具合に、一文の得にもならない演技をしなければならないのである。

そうやっておっさんを責めてきたにも関わらず、時間の流れとは酷なもので、気づけば自分も、しっかりとおっさんになってきているわけで、そうなると、これまでこちらが責めてきたおっさんという存在に、自分も相成ってしまっているわけで。

で、さらに気づけば、恐ろしいことに、自分もその責められる側、つまりは、「その話、前にも聞きましたよ…」と、呆れた様子で、若者たちから言ってのけられる存在にまで成り下がってしまっているのである。

これはいかん、このままじゃいかん、歪んだ世界を変えるという一大テーマをやってのける前に、この成り下がった自分を変えねばならんということになり、いったいなぜに、おっさんは同じ話を何度もしてしまうのかということを、科学的且つ論理的且つ理論的に分析してみたわけ。
すると、こういう結論に達した。

社会に出て長ければ長いほど、出会う人間やら知り合いになる人間がどんどんと増えて人脈が肥大化するにも関わらず、自分が生きている内に生産されるエピソードの数が追いつかない。

ということ。

平たく言うと、日々しゃべる相手の数と、保有するネタの数が比例していないため、同じネタを何度もしゃべらざるを得ない状況になり、そうなってくると、誰にどのネタをしゃべったのかということを、脳内で把握できなくなり、結果的に、相手に対して同じ話を何度もしてしまうということになる。
ネタの枯渇が主たる原因なわけやね。

当の自分も、それほど華やかで破天荒な暮らしをしているわけではないので、当然、ネタは枯渇している。
その結果、「その話のオチ、前に聞きましたよ…落ちたカラアゲ、食った話でしょ?」と、冷たい目で一蹴されてしまうわけだ。

そこで僕は防衛策として、何かしらの話をする前に必ず、「これ、前にも話したかも知れんけどね…」と、接頭辞を付けることで、話し始めた後すぐに相手が、既知の話だと気づくと、「あぁ、前に話してはったやつですね」とか「あぁ、聞きました聞きました」と応答してくれるので、そうなるとこちらも、なるほどこいつにはこの話をしてしまってたのか、じゃあ、二度目に話す風のテンションでもって、さらにネタ振りも短縮させて、さも、いやぁ、ほんまこの話、何回でもしたくなるわぁーといった、当然この話のお披露目が二度目だということは知ってますけど何か?という威張り腐った態度で挑むことができる。

しかしやっかいなというか、心優しい一部の人たちは、「この話、もしかしたら前にも話したかも知れんのですがねぇ…」と接頭してやっても、その心優しい性格ゆえに、話の途中での、既知だという独白を控え、さもその話に対してヴァージンであるかのようなウブさで持って拝聴してくださるので、こちらが全力で話終わって、オチをお披露目したことでドヤ顔を作って笑い待ちしていると、「前にもおっしゃってましたよね!」とか、ニコリとやりやがる。

その刹那、自分のドヤ顔の沸点に達した温度と、そやつの、最後の最後に童心的な表情で既知を独白する冷めた温度とのギャップに、爪楊枝で開けた程度の穴の中に、顔面をねじ込んで、しばし小一時間、身を潜めて、外界から自分を遮断してやりたくなる。

そこで僕は考えた。
人と話しをせねばならなくなった場合、直前に何かしら、新鮮なエピソードを自分で作ってやれば、世の中の誰としゃべるときも、同じ話をしてしまうというリスクを皆無にできる。

誰かと会う前に、わざと財布を落としてみたり、わざとスマートフォンを壊してみたり、わざとタクシーの下車時におつりを断ってみたり、わざと右足を捻挫させてみたり、わざと盗んだバイクで走り出してみたり、そういうことをして直前にエピソードを作り、得意げに話を披露することで、今では同じ話をしてしまうという醜い姿を晒すことはなくなった。

ただ、エピソードを作ることそのものが負担になり面倒になり、そこまで身体を張って人と接するくらいなら、居心地のいい部屋の中で篭っているほうがナンボもマシだということになり、醜い姿を晒すどころか、姿そのものを人に晒す機会もめっきり減り、ますます日陰者としての人生を謳歌するのであった。

デタラメだもの。

201140419

生きていればこそ、予想だにしなかった弱点が急に露になることだってあるものだ。『デタラメだもの』

なんやかんや仕事が立て込んでくると、やれ何日にデザインを上げないととか、何日に例の返事を返して、何日の何時までに見積書を送って、などといったように、とにかく期日に追われる。

自分の仕事の期日がてんこ盛りになるだけならまだしも、依頼している誰かの作業やら返事やらを、何日の何時までにもらわねばといったような、他人様のお仕事の期日までをも管理していると、さらに頭がぐっちゃぐちゃになってくる。

ただでさえ、頭の性能が優れていない僕のような人間にとっては、そういった状況がミルフィーユのように重なってくると、生きた心地がしないよ、全く。胃に穴が開きそうだよ、全く。

と、愚痴を垂れていても始まらないので、どのお仕事も懇切丁寧に、「社内の人社外の人、皆々様のお仕事のご協力をさせていただいて大変光栄でございます。私みたいな人間を、どうぞ皆々様、馬車馬のようにお使いくださいませ。既にボロ雑巾のようになっておりますので、多少汚れたお手でも結構でございます、何なりと汚れた部位などを、ギシギシとぶっきら棒に拭くなり擦るなり、お好きに使ってくださいませ」といった精神を胸に、従事する。

そうやって頑張ってはみるものの、人間にはやはり、弱点というものがあるようで、それが僕にとっては、他人様とのアポイントメントの時間を覚えられない、もしくは、勘違いしてしまうという、そういった弱点というよりも、明らかに欠点と呼ぶべきものがあることに、この激務の最中、ようやく気づいた次第で。

「へへへ、部下よ。今日の俺様のアポイントメントは、4時からなんだぜ」
などと、昼食後に地下の喫茶店で、アイスコーヒーを召し上がっていると、急に当のお客様からの電話が。

「今日の2時のアポイントメントの件ですが、まだお見えになられていないようで…」
時計を見ると、2時5分だった。
「え?今日のアポイントメントは、4時からちゃいましたっけ…?」
「いえ、2時ですよ、14時からとお伝えしましたよね?」
「え?14時?」
(14時って、4が付くから4時やと思ってた)という心の中のつぶやき。
「今から伺いましょうか…?」
「いえ、もう関係者各位集合しておりますので、本日は結構でございます…」

なるほど、14時ってのは、4が付くから4時じゃなくて、2時っていう意味だったのか。
それを勘違いではなく、真剣に間違えていたのである。
14時集合が決定した打ち合わせの現場にて、ハッキリと14時という言葉を耳にしたのも覚えている。
ちゃんとその指示を聞いたにも関わらず、その場で手帳に、14時は4が付くから4時ということで、すなわち16時ね!と、しっかり16時アポイントメントと書き込んでしまっていたのである。
聞き間違いではない。欠点が巻き起こした立派な事件である。
アポイントメントに、穴を開けてしまった。

その欠点が露呈してからというもの、アポイントメントの時間を覚えたり書き込んだりすることに恐怖を覚え、何度も聞き返してしまうようなチキン野郎になり、不審がられること度々。

だって、アポイントメントの時間が確定した瞬間から、え?何時ですよね?すみません、念のためですが、何時ですよね?などと、連呼するような奴、誰だって気色悪がるに決まってるもんね。

で、同じ担当者様と別日にアポイントメントが入っており、次は、某日の16時半集合である。
16時半というのは、変換すると4時半だから、4が付くから14時半で、すなわち2時半だ!と考えるのはこれまでの情報弱者な俺であり、パワーアップした俺様は、16時半というのを変換して4時半というところで変換作業を終え、はじき出された答えである4時半という文字を手帳に書き込めるほどの男に成長した。

「もしもし」
念のため、担当者様に本日のアポイントメントの時間確認を入れる、俺。
「はい?どういたしましたか?」
「今日のアポイントメントは、16時半集合で間違いないですよね?」
予定を事前に確認するタイプの、できるビジネスマン風なトーンで話す、俺。
「……」
無言の担当者様。しばらくして、
「明日の16時半……のことですよね?」
何!?俺、日にちを間違えていたのか?
あまりに焦り、カバンから手帳を取り出すや、カレンダーを見てみると、紛れもなく、アポイントメントの日程は、明日だった。
「あぁ、あぁ、そうですよ、もちろん明日ですよ!明日のお時間を念のためご確認させていただこうと思って!」
変声期の青年ほどに声を裏返らせながら、その場を凌いだ。

時間に気を取られてしまうと、日にちまで理解できなくなるという、オプション付きの弱点だということまで判明した。

アポイントメントの当日は、会ったことも見たこともないようなお偉いさんがひとりお越しいただいており、多少は緊張したものの、幾多のトラブルを経て、その日その場に見事に居合わせることができた俺様の安堵感を拭えるものは誰ひとりおらず、常に余裕の表情でヘラヘラと応対できたわけで。

で、軽く一杯ほど、という流れになり、ほんの一杯だけビールを呼ばれつつ、末端の担当者様とお仕事の会話やら、そのお方、異動なされるとのことで、労いの言葉を述べさせていただいたりと、ヘラヘラとした態度にも拍車がかかり、何より、前回のようにアポイントメントに穴を開けなかったことに対する自分自身への賞賛が脳内を埋め尽くしていたためか、そんな自分の業績に酔いしれていたためか、散々ヘラヘラした挙句に、お暇する際に、会ったことも見たこともないようなお偉いさんにひと言の挨拶もせずに、その場を辞するという、救いようのない無礼な失態をしてしまったことに、辞してから数分後に気づいた。

ただ、その日の俺は一味も二味も違っていた。

今の俺には、お偉いさんだろうがお天道様だろうが関係ない。
なんせ俺は、今日、アポイントメントに穴を開けることなく、ちゃんと来れたのだから。

夕日の眩しさが、まるで僕だけを照らすスポットライトのような気がして、役者を気取りながら、少し目を細めてみた。

デタラメだもの。

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