デタラメだもの

デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。エッセイです。

2014年02月

脇役顔と呼ばれることへの抵抗とそれが与える自分の生き様への影響とは。『デタラメだもの』

先日、取引先さまとアポイントというものを取らせていただき、打ち合わせと呼ばれるものをしましょうということになり、社内の打ち合わせブースなるものにお越しいただいた。

ご丁寧な挨拶を済ませて着座後、いきなり取引先さまから、

「そういえば以前から誰かに似ていらっしゃるなぁと思っていたんですけど、それが誰だか分からずいたところ、ようやく答えに辿りつきましたよ!俳優の矢柴俊博に似ていらっしゃいますよね?」

と嬉々とした表情でおっしゃっていただいた。

はて?そんな俳優さん知らんぞと思い、恥ずかしながら、その俳優さんを存知上げないのですが、どのような俳優さんでいらっしゃいますでしょうか?などと、素っ頓狂な返事を返してしまったところ取引先さま、ご丁寧に、打ち合わせに持参のiPadなるものをトトトンと叩き、画像検索をしたかと思うと、画面に矢柴俊博さんの画像を表示してくださいまして、二人して画面に目を落とす。

なるほど、これがなかなか似ているといえば、似ている。

「この方、なかなかの名脇役の俳優さんで、いい演技されるんですよ!」
「ほほう、名脇役さんっぽい感じですねぇ…」
「そうなんですよ!意外といろんな作品で、脇を固めてるんですよ!」
「ほほう、脇をねぇ…」
「そうなんです、脇が脇で脇なんですよ!」

とまでは言わなかったものの、とにかく名脇役の方に似ているのだそうだ。ありがたい。

その他にも、先日では、Googleさんの自社出稿のバナー広告に登場している男性が、僕に似ているとかで拝見してみると、いかにも真面目そうな男性の方で、仮にその方が俳優さんだったとしたら、間違いなく名脇役だろうと思わせる風情で。

あとは、居酒屋チェーンの鳥貴族で実施されている、2800円で飲み放題食べ放題のプラン、28とりパーティーの告知ポスターに映っている、エキストラさんの、左列の奥から二番目の男性にも似ているらしく、その方ももちろん、エキストラさんなので、しっかりと自分の役目、脇を固めていらっしゃる。

そんな風に、誰々に似ているなどと、ありがたいお言葉をいただいている中で、相当の低学歴の自分でも薄々と気づき始めている。

自分は、脇役的な人間なのだと。

そういえばこれまでの自分の半生を思い起こしてみると、進学の際や勤め先が変わる際など、新たな出会いがあるときに必ずといっていいほどに言われていたセリフが、

「俺の地元に、君にそっくりな○○君って奴がいてさぁ」
「なんか前のバイト先に、君にそっくりな○○って奴がいたわ」
「以前勤めていた職場に、君にそっくりな○○って人がいてねぇ」

など、誰しもの人生のどこかの時点には、必ず僕にそっくりな誰かさんがいた模様である。
それほどに、僕の顔面は、そこかしこ、どこにでもいるということになる。

曲がりなりにも個性的な生き方を望んで、それなりに個性的な生き方をしてきたつもりであり、個性的なことをわざとやらかしてみたり、個性的な風体をしてみたり、平準的なことをあえて避けてきた、良く言えば破天荒な生き方をしてきたつもりであるがゆえに、できれば、無名でもいいから、主役をはれるような方に例えられるとか、もしくは、誰にも似ていないという心地よいレッテルを貼られてしまうほうが、なんぼも潔くも思えて仕方がない。

なのに、どうしても、脇役から脱却できないらしいし、させてもらえそうもない。

しかし、脇役という響きがイヤなわけではないのである。燻し銀な感じがして、むしろ好きなわけである。
たとえば樹木希林さんなどは、あえて主役は務めないと言ってのけるほどの名脇役であり、そういったポリシーは脇役という、ある種、主役よりも演技力を求められるポジションだからこそ輝く、職人気質的な魅力もふんだんにある。

だから、脇役どうこうよりも、どこにでもいそうな顔という部分に、解せない何かがあるのである。

ただ、ここまで「ありふれた顔」という評判をいただくからには、きっちりと他者さまの評価を真摯に受け止めて、もう自分というものは、個性的でも何でもなく、いわゆる平均的であり、突出したものも尖るものもない人間であり、才能もなければ能力もなく、独特な何かも持ち合わせていない人間だということを、皆さまのご意見を参考に、しっかりと自覚し、身の丈に合った生き方をせねばとふさぎ込む始末。

今では自分で自分の顔面のことを、「故郷顔」と呼んでみて、皆さんの人生のどこか懐かしい場面で、必ず登場する系の顔だと評してみたり、「日本人男性の全員の顔を足してその母数で割ってみると仕上がる顔」と呼んでみて、あくまで日本人の平均だと自負してみたり、もう開き直って、自分平準化計画を進行中と相成っているわけである。

そうでもしないと、この自分の描く生き様と、世間からの自分のイメージのあまりにも乖離した現状を、真摯に受け止められそうもないので。

数多いらっしゃる個性的な皆さまには、到底想像もつかないであろう、あの、「どこにでもいそうな顔ですよね」という腹に据えた本音を、磨き上げられた社交辞令により、「裏を返せば多くの人に好かれそうな顔ってことですよね」「裏を返せば安心できる顔ってことですよね」「裏を返せば落ち着く顔ですよね」などと、裏を返されまくる人間の気持ちを。

焼き加減の甘い焼肉のように、本日もクルクルと裏を返されまくる日々なのである。

デタラメだもの。

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世の中に巣食う危なっかしいおっさんの被害に遭わないためには。『デタラメだもの』

ひと昔前、反町隆史はこう言っていた。
言いたいことも言えないこんな世の中は、ポイズンであると。
しかしである、世の中は泣き寝入りを強制されることがあまりにも多すぎるとは思わないだろうか?

常日頃、電車などの公共機関を利用していると、危なっかしい奴が多いよなぁと痛感してしまう。

仮にこれまでの危なっかしい奴の定義を、例えば、髪の毛を黒以外の色に染め、金髪であったり赤髪であったり、緑髪であったり、紫色の場合は大阪のおばちゃんというイメージがあるが、ピンク髪であったりするような奴や、顔中にピアスが突き刺さっていたり、肌の大部分にタトゥーが描かれていたり、両手にメリケンサックをはめている奴だったり、チェーンソーを担いでいる奴であったり、目に映る全ての器物を破損していくような奴だったりと、パッと見て、「あっ、こいつは非常に危ない奴やんけ、近寄ったら痛い目見るで」という、先方から放たれる潔いメッセージを受け取ることができた。

それが昨今では、一見すると普通のサラリーマンと思われるようなおっさんなどから、非常に危なっかしい妖気を感じるものだから、いただけない。

ひとりごとをブツブツと言いながら歩いているサラリーマンや、ニヤニヤと良からぬ企みを脳内に浮かべながら歩いているサラリーマン、見るからにソワソワとした挙動で、電車内の女性の姿などを凝視しているサラリーマン。

先日など、仕事帰りの終電に乗って座席に座っていると、バタバタと駆け込んできた五十代半ばと思われるサラリーマンのおっさん、僕の前の吊革につかまるや否や、自分のカバンを網棚に放り投げ、やたらとでかい声で「うぇーーー」などと奇声を上げよる。
そして、マスクはしているにせよ、バカでかい声で、咳を連発しながら、おもむろにポッケからスマートフォンを取り出し、イジり出す始末。

個人的な定義ではあるが、真人間に見えて、公共の場などで、奇声のような声をはばからずに出す中年は、基本的には、ヤバイ奴であるというシグナルが、自分の脳内にはじき出される。このおっさんも、典型的ではあった。

そして、慌ててポッケから取り出したスマートフォンで、何をしたかと思うと、いきなりこちらにレンズを向けて写真を撮りだしたわけである。しかも、フラッシュまでたいて。

もちろん、僕のような中の下くらいのルックスをしたような男には興味もクソもないやろうから、お隣に腰掛ける美女であったりを狙ったのかも知れないが、あまりに大胆すぎて、呆気に取られてしまった。

こいつは一体、何者なんだ、と。

盗撮するなら、フラッシュくらいは消すやろうし、小型カメラなどでやるのが一般的なイメージだ。
iPhoneの背面のappleマークを、まるで水戸黄門の印籠なみに見せ付けながら盗撮するようなバカは、世界広しと言えども、いるはずがない。

じゃあ、こいつが、仮にカメラのアプリを間違って起動してしまい、写真を撮ってしまったんだとしよう。
素直にこう思うわけである。

「すぐに、謝れよ…子供やないねんから」

と。

で、冒頭の話に戻ると、なぜ今の世がポイズンなのかというと、こういうことをやってのける人間が、おっちょこちょいなおっさんなのか、頭のイカれた狂気なおっさんなのかが判別できないということから、妙な因縁を吹っかけてしまうと、ネチネチと倍にして返す気概で報復に出られそうな気がして仕方がない。

今日では、インターネットなどを使えば、日陰からいくらでも他人を貶めるような行為をすることができる。
だから、人は皆、標的になるかならないかの違いだけで生きているような気もする。

何かトラブル風なことがあったときにでも、それに対して突っ込んで行くのではなく、逃げる、もしくは、泣き寝入りするほうが、総合的な被害から行くと、少なく済む場合が多いのではないかと思ってしまう。

そうなると、言いたいことが言えなくて、ポイズンなわけである。

そんなことを心配して生きているがゆえに、日頃から日の当たる場所を歩くことさえ阻まれてしまい、日陰ばかりを歩くようになってしまった。
そうこうしていると、太陽の光をあまりにも浴びないものだから、肌が薄く白くなってしまい、まるでペガサスの毛並を思わせるような色になってしまった。

髪を染めたりピアスをしたりしている人たちともすれ違わず、狂気に満ちたサラリーマンたちともすれ違わず生きねばと心に誓い、自分の身を守るために、半ばシェルター代わりに車の中で生活し続けたらん!と意気込んでみたのはいいものの、なぜか飛び石がフロントガラス左下あたりに、パチン!と当たりやがって、それがみるみるうちに長尺なヒビと化し、フロントガラス交換という憂き目に遭ってしまった。
涙も枯れ果ててしまうほどの、高額な請求が来ることは、火を見るよりも明らかだ。

ともかく、やりたいことをやりまくれる世の中は、メディスン、とでも言って、自分を慰めてやりたい。

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