デタラメだもの

デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。エッセイです。

2013年08月

おっさんは果たして進歩して行けるのだろうか?『デタラメだもの』

おっさんには、進歩の停滞を自ら肯定してしまえる、そんなような殺し文句が数多存在するのである。

「もうあかんわ!この歳なったら、機械の使い方とかよう分かれへんからなあ!こういうのは、若いモンの特権やで!頼むわ!ちょと、やってんかあー?」

おっさんは、分からないことがあると、もう学ぼうと努力もせずに、それだけならまだしも、若い世代の人間に対して、まるで箔をつけるような見え透いたお世辞を述べ述べしながら、めんどくさいことを押し付けてみたり。

この歳なったらって、おっさんと同じくらいの歳でも、普通にスマートフォンなどを使って、アプリなどを落としてみたり、メールを書いたり送ったり読んだりしてる人、たくさん知っているんやけどもなあ。

これをひも解いてみるに、おそらく世のおっさんたちは、興味関心というものが薄れてきているのじゃあるまいかと、見てとれる。

ここを押したら、これが飛び出して、こっちを捻ったら、ピュッて噴射して、あっちをこねくり回したら、グワッと大胆に変わってとか、そういう童心な興味関心や感動や興奮みたいなものが、なくなってしまって、新しいゴルフクラブのことや、お値段の張る飲食店のことなどで、頭がいっぱいなのだろう。

となると、使い方の分からない機械なんか、チマチマ触ってること、めんどくさくて仕方ないだろうなあ。
そりゃ、そういうのが好き(そうに見える)若い世代の人間に、丸投げするほうが、おっさん界における処世術としては、正しいのだろうなあ。

しかし、素直に頷けないところは、そうやって、進歩の停滞を、オブラートに包んで自ら肯定しているくせに、そのくせにして、過去への後退は強制してきやがるもんで、なんとも閉口してしまう。

「ワシらの若い頃はなあ、もっとモーレツやったんやぞ!お前らみたいなモンも、もっとモーレツならんと!そないチャラチャラ髪の毛とかに気い使こてんと、坊主にせい!坊主に!ほなら、仕事もスカーッと、ようできよるわ!ワシらの頃は、みな坊主やったぞ!ええか、坊主にせいよ、坊主に!」

目の前に広がる景色には歩み出せないけれども、後ろに連なる回顧の景色にだけは、若者をも道連れにしたいみたいだ。

そんな風な強制を受けた刹那、からかい半分に、

「部長も、パソコンの操作とか覚えてみてくださいよー!そしたら仕事の効率も上がりますよ!(僕の余計な仕事も減りますし)」

などと勧めてみても、

「いやいや、そこはワシの分野ちゃうやろ!ワシがそれやってしもたら、若いモンの仕事、なくなってしまうがな」

なくなるか…!逆に増えとるねん!

「ワシらの世代の強みは、そういうチマチマしたところちゃうから、逆に非効率なってまうやろ?」

ほなら、僕も、任されたどうでもいい用事など、そこは僕の強みじゃないからという理由で断ることも可能なのだろうか?断ってみたろうかしらん。

「まあ、ワシらの世代、根性あるよって、やろう思たら、すぐできるねんで!」

じゃあ、やってくれよ。
せめて、自分のことは自分でやってください。
一度覚えたらできるはずなんで、一度覚えてみてください。

そんな風に自らの進歩を止めてしまっておられる大先輩方が、あちらこちらにいらっしゃる。
しかし、そこは大先輩、僕らには到底できないことも、やってのけられるから、大したもんである。

それは、屁。

屁に対する大胆さは、僕らのような未熟者では、足元にも及ばない凄まじさを見せつけてくれる。
さすが、大先輩。

まあよく見かける光景としては、公衆便所などで、おっさんたちと並んで用を足していると、ふいに、ブーッ!という音が隣などで発せられるときがある。

まあトイレですし、男性しかいないですし、そんな羞恥心を抱く場でもないのかも知れないけれども、それにしても、室内には数人の他人がいる中で、プスッくらいならまだしも、ブーッ!であるから、やはりその大胆さ、尊敬してしまう。

歩道などを歩いてるときなどにも、すれ違いざまに、ブーッ!とやらかしてくれる大先輩もいらっしゃる。
夜道などの場合、怪奇現象かしらんと思ってしまうほど、びっくりするが、そこは大先輩。公の場だろうが、しんと静まり返った夜道だろうが、お構いなしの大胆さ。

しかし僕が、最も大先輩の大胆さに感服してしまったのは、本屋での、ブーッ!である。

あの静かな場所の代表格とされる本屋で、しかも、おっさんの立ち読むコーナーには、多くの人、男女、いわゆる、やや混んでる状況である。

にも関わらず、ブーッ!

その光景を目の当たりにしていると、やはりおっさんには、パソコンやスマートフォンなどのチマチマした作業なんかは、もう不必要なんだな、と思ってしまう節もある。

静寂の本屋で、場もはばからずに屁をこいてのけられる大先輩たちに、パソコン覚えてくださいよなんて、若輩者が言うべきではないよね。

改めて、おっさんに敬意を表したいと思いますわ。
坊主にはしませんけど。

『デタラメだもの』

20130824

小さな不運が連発するツイてない日々は、どこまで行けば精算され、おつりという名の好機が来るのだろうか?『デタラメだもの』

大きな不運などに見舞われないように、日々、ちょっとした不運をつまみ食いしながら生きているほうが、平々凡々で穏便な、波風の立たない生き方ができるのではと思ってはみるものの、それら不運、いわゆる、『ツイてない』ことが連発、頻発するような時期って、ありはしないだろうか?

『モテ期』といったような単語があるが、こういった期間のこと、『運の尽期(き)』と呼ぼうじゃないか。

とまあ、それはさておき。

そのツキのない日の始まりは、自分の部屋のLEDシーリングライトが灯かなくなったことに始まる。

LED電球といえば、約40000時間の寿命を持つことで知られる。つまりは、1日5.5時間使ったとしても、約20年間使える計算になる。

それが何と、購入後、一年三ヶ月で、その寿命を終えやがったのである。

初期投資は高くつくが、通常の電球よりも、電球の買い替えなどのランニングコストを考慮すると、LEDのほうがはるかにおトクですというような誘い文句にまんまと騙され、何のことはない、一般的な電球を使用したシーリングライトよりも、早よ潰れてるわけである。

今ではただただ初期投資に蹴躓いた、大バカ者である。

しかも、この一年三ヶ月というのがミソで、メーカーの一年保証が天晴れなほど見事に、切れてしまっているのだ。
メーカーに故障の旨を伝えると、

「一度、回収させていただき、その後に、修理のお見積りをご提示いたします。ただ、修理の金額が、購入額を上回ってしまうケースもございますので…」

って何かい?ほんだら、ワシは、メーカーさんにシーリングライトを奪われ真っ暗闇で下らん文章などを、パチパチと打ち続けることになり、その果てに提示された見積もり金額が、驚くような価格であった場合、修理を断念し、再び我が家へライトが戻ってくるのを待ちつつ、たとえ戻ったとしても、そいつは使えない代物なので、同時平行で、再びLEDか、もしくは一般的なライトを購入すべく、電気屋へと向かわねばならないことになる。

こんなアホらしいこと、あるかいな。

あまりにアホらしくなり、今、部屋には、大昔から使っている、ごくごく旧式の一般的な電球を用いたシーリングライトを臨時措置で使用している。

しかもこいつは、思わず電球の曲線部をヨシヨシしたくなるくらいに、煌々と僕を照らしてくれているもんだから、余計にLEDの野郎!と、憎しみが湧いてくるのである。

このLEDシーリングライト故障事件を皮切りに、その後、昼食に入ったうどん屋の、無料でトッピングできる天カスに、どう見てもゴキブリに見える物体が混入していたり。

出勤時、家を出るときは、穏やかな曇り空だったはずなのに、わずか十数分間乗る通勤電車から降りた後、地上に出てみると、久しく見なかったぞこんな雨、というほどの豪雨に見舞われたり。

しかもその豪雨で会社に着いた刹那、即座にお客様のところへ出なければならず、ヨレヨレの折りたたみ傘一本をデスクから取り出し、引き続き、豪雨の中に勇猛果敢、出ていかなければならなかったり。

で、案の定と思いながらも、お客様のビルから出てみると、虹が出とるんじゃないかと思われるほどに、美しく晴れ渡っていやがって。

それだけじゃない。
事務所でコピーを取れば、急ぎの時に限って、紙詰まりを起こしやがるし、さらに急ぎの時に限って、用紙切れになりやがり、給紙トレイに紙がないだけならまだしも、用紙の在庫そのものが事務所になくなってしまっており、発注しなければならない事態に巻き込まれたり。

なんなんだ、この不運の連続は。

家から徒歩数歩で買えていたゆえ重宝していたタバコの自動販売機が、ある日、何の前触れもなく撤去されていたり、JR鶴橋駅と近鉄鶴橋駅の乗り換えが上手く行かずに、混雑の中、改札機を延々とピコンピコン言わせてしまったり、嗚呼、もうダメだ。

まあ、しかしそこは、小さな不運を消化する日々ゆえに、反転すれば好機が訪れるというもの。そこは、信じてやまない。
辛い登りを終えれば、お気楽ご気楽な下りが待っている。
やまない雨はない。

それら小さな不運が、一挙に押し寄せたある日の夜。

「これは次の日、とてつもなく善いことが起こるんじゃなかろうか?買ってもいない宝クジが当選するとか、見知らぬどこかの大金持ちさんが、間違えて僕の貧相な銀行口座に、大量の預金をしてくれるとか、昼食のうどんにそばが一本入っているとか。そんなことが起こりそうな気がして仕方ないぞ!眠れないぞ、興奮して!」

と、やたらめったら気合いを入れて眠ったあくる日。

胸をドキドキと高ぶらせ、家を出る。
ラッキーが舞い降りてきそうで、妙にソワソワして、やたらキョロキョロしながら、通勤の電車に乗る。
今日は、お客様訪問のため、直行。
そう、直行。
直行。
直行?

「し、しまった…。直行の予定組んでるのに、スーツの上着、事務所に置きっぱなしだ…」

そんな淫らな格好では、到底、お客様のところへ訪問できないので、渋々事務所に一瞬立ちより、スーツの上着だけを拾い、お客様のもとへと向かう。

普段より少しばかり早く家を出たはずが、事務所を中継したために、アポイントの時間に遅刻しそうになり、全力疾走で向かう。

高校球児ばりに垂れ流れる汗を拭いながら、なんとか間に合い、商談。

のはずが、資料を一部忘れてきてしまっており、どうしてもその日に必要な書類のため、笑顔で、

「とんぼ返りして、すぐに取ってきまーす!」

と言い残し、お客様ビルと我が事務所を二往復。
灼熱の炎天下の中、合計一時間二十分も歩いたことになる。

この不運のあとには、絶対に好機が訪れると信じてやまない僕は、ここまでツキがない事態に見舞われまくっていながらも、次の一手を期待しまくり、引き続き今もなお、ほくそ笑んでいるのである。

もうそろそろ、注文したうどんの中に、そばの一本でも入っていてもいい頃だぞ。

デタラメだもの。

20130815

ツイてない日というものは、何ひとつ上手くいかないほうが、かえって心地がいいもんだ。『デタラメだもの』

こんなにも運に見放された日というものが、果たしてあるだろうか?というやつが、先日起こりましてですねえ。

とある休日に急遽、直接関係があるわけではない仕事の用をなぜか命ぜられ、はるばる大阪から東京のお客様のところへと向かうはめに。

打ち合わせが昼過ぎからということもあり、少しばかりは余裕を持って大阪を出られるのはいいものの、本来なら休みの日、だらりだらだらと過ごす予定が急遽覆されてしまい、何ともやりきれない思いを胸に、新大阪。

新幹線に乗り込むと、前日からの腹痛が攻めて参りまして、指定の席に着座する前に、新幹線の便座に座るという慌しくも不恰好に、大阪を出発した。

無事、腹痛も治まり指定の席に座っていると、ああ、そういや自分は元来の閉所恐怖症から、窓際の席というものには、一切座れないという性質を持っておりまして。

その実、窓際なんて席に座って、旅をくつろげる人の気がしれないくらいで、あんなもの、端に追いやられて、自分の自由に自分のペースにトイレやタバコに立つわけにもいかず、急に動き出したい衝動にかられたときにでも、隣席の人間に、すんまへんすんまへん!なんて手を顔前に立てて、ペコペコしなければならず、その追いやられた感がなんとも居心地悪く落ち着かず、息もロクにできない始末で、だから、窓際は勘弁というところなのである。

二つ並びの通路側の席に腰を落ち着け、ペットボトルのお茶なんかをクイッとやっていると、通路を挟んだ、三つ並びの席の窓側の席で、何やらドンパチが始まり、穏やかじゃない。

何かと目をやると、指定席でよくある風景、自分の席に既に誰かが着座していて、そこワシの席やで、いや私もここの席ですけどなどの悶着で、おっさんと中年の細身のおばちゃんがモメ出している。

手持ちの切符を見せ合い、あっけなく、おばちゃんが本来座るべきではない席に座っていたことが判明し、おっさんに席を譲り、席を移動。
が、おばちゃん、あまりの恥ずかしさからか、ひどく挙動不審になり、動作がバッタバタして、既に座っている乗客にガンガンぶつかりながら移動。しかも、こともあろうに、バカでかいキャリーバッグを持ってやがるもんで、その重々しいキャリーバッグを既に座っている乗客の膝などに、ガンガンぶつけながら移動する始末。

迷惑極まりないおばちゃんの様子に、ふと一抹の不安がよぎる。

「向こうの窓側の席に間違って座っていたということは、僕の隣の窓際に移動してくるんとちゃうんけ?」

そう思いそわそわしていると、おばちゃん、恥ずかしげな顔と、所構わずぶつけまくるキャリーバッグを武器に、こちらへ近づいてくる。勘弁してくれ。膝をパタンと折り曲げても、そのキャリーバッグ、当たるぞ、膝に。

心の中でそない唱えていること虚しく、思いっきり膝にバッグをガツンとやられ、しかも恥ずかしさのあまりに、謝るという必要最低限の礼儀さえも忘れたおばちゃんが、僕の隣、窓際の席に着座。

「はぁ、朝から胸クソ悪い…」

と思いながらも、静かにしていると、そのおばちゃん、鼻がひん曲がるほどに強烈な香水をふってやがり、犬並みに鼻が利くと評される自分にとっては、地獄の沙汰。

ウチの半径数メートル以内の人間は、ウチの臭いから解放しまへんで!と言わんばかりに纏わりついてくる香水の臭い。数分間耐えてもみたが、我慢できずに喫煙ブースへと移動し、タバコをふかす。

タバコもタバコでそのニオイは臭いもんであるが、あの香水に比べれば、ずいぶんマシといったもんである。
これは席に戻って東京までジッとしているのも辛いぞと悶々しながらも、喫煙ブースにずっと居座るのも何なので、席に戻ることに。

自分の席に座ろうとしたその瞬間、そのおばちゃんが、キャリーバッグを床に寝かせ、その上に、サンダルを脱ぎ露にした素足を乗せて、えらく寛いでいるのが目に飛び込んできた。

その素足が、とてもとても汚らしく、おばちゃん、そりゃ人様に見せる用のもんじゃないぜ、と叫びたくなるくらいの様式美に、閉口。
相変わらず消えない香水の鼻をつんざく臭いと、iPhoneを操作しながら、ブツブツとひとり言を続けるおばちゃんの悪癖との三重苦に耐え、自分の中での新幹線乗車経験史上、最も長い時間を喫煙ブース内で過ごしながら、東京に到着。

苦労しながら休日に東京のお客様のところへやってくるも、打ち合わせ目的の階へと移動するエレベーター内で驚愕の事実が。

本日の打ち合わせの目的が、僕が全くもって不要のもんである、来た意味がない、何の関係もない内容で打ち合わせが行われるとのカミングアウトを受け、東京着、お客様の会社着、エレベーター内で既に自分は、本日東京に来なくてよかった、来るべきではなかった、来ても不要の人間であったことが判明され、これまでに感じたことのない虚無感とともに、まるで外国語の如く、意味も内容も分からない打ち合わせに同席し、約一時間後、ビルから放っぽり出された。

「こりゃ酒でも呑んで帰らにゃワリが合わん」

と鼻息荒げ、呑み屋を探すも、まだ時間は午後の二時半、どこにもそんなに陽気な呑み屋は見当たらず、しぶしぶ東京駅の中の、呑める店に入店。

しかし、東京の価格、高い。

普段、大阪では、小銭だけで飲み食いできるような店にしか入らない性分ゆえに、その価格帯に怖気づくも、今日はとりあえず、腹の内の怒りと虚無感だけでも、ここ東京に置き去りにせねばとの意志から、のれんをくぐり、大将に「瓶ビール!」とオーダーし、昼ごはんとともに堪能する。

ややほろ酔いのまま、帰りの新幹線の指定席を確保し、無事に新幹線に乗車。
東京の滞在時間、約三時間。
しかし、こんな日は、そそくさと大阪に帰って、今日の続きを大阪で楽しもうやないかと、もちろん通路側の席に座りウトウトしていると、通路を挟んで隣の座席、一列の席をクルリと進行方向逆に回転し、ファミリー仕様にした四人連れの家族が、えらいやかましいではないか。

夏休みの休日ということもあり、そんな日に、クソ暑いスーツなんか着込んで、新幹線を利用しているこっちのほうが、きっと邪魔者だろうから、その家族のやかましいのは我慢しなきゃね!と軽く気持ちを落ち着かせ、引き続きウトウトしていると、家族の子どものひとり、『だいちゃん』と称される少年が、いきなり、

「キモチワルイ…」

と乗り物酔いを訴え出した。

そこまではいい。そこまではいいんだ。僕も乗り物に強くないタイプだから、乗車後に気分が悪くなることは、『だいちゃん』のせいじゃないからね、可愛そうにと、慈愛に満ちた気持ちが心の中。

そうこうしていると『だいちゃん』、ビックリするくらいにデカイ音で、ゲップをゲプッとやりまして、こりゃいよいよ、吐いてしまうんやないかと更に心配をしてしまう。

が、その、いわゆる『だいちゃん』という少年、実はとてつもなくフテこい野郎でして、母親が、

「だいちゃん?大丈夫?」

などと問いかけると、妙にふざけた声色で、

「ダイジョウブ」

と。さらに、

「だいちゃん?どんな感じ?」

と問いかけられると、さらにふざけた声色で、

「ドンナカンジ」

と、何の流行か知らんが、母親のセリフをオウムのように繰り返すというオフザケをやってのけるのである。

「しんどくない?」
「シンドクナイ」
「吐きそう?」
「ハキソウ」

などと延々やっているうちに、『だいちゃん』が巨大な音のゲップとともに、ついに嘔吐し出した。

そこまで吐きそうなんやったら、さっきまでのフテこい態度、なんやってん…。フザけてる間にトイレ行けたんちゃうんかい?と、少しばかりイライラしながら、横目で家族を見ていると、母親が、

「だいちゃん、ここで全部吐いてしまいなさい」

とフテこい『だいちゃん』に指示を出している。
何度も何度も大きな音でゲップを続け、ビニール袋に嘔吐を続けるだいちゃん。

「だいちゃん、全部出た?」
「ゼンブデタ」
「気分よくなった?」
「キブンヨクナッタ」

まだやるんかい!このクソ坊主!
そんな風にフテこくフザけながらも嘔吐は続く。

自分も男だから分かるが、この、小学生から中学生にかけての男子という奴は、なんともフテこくて、可愛げのカケラもなく、見ていてもその所作、所為、腹の立つことばかりで、思い返すと、自分の当時の振る舞いも、殴ってやろうかというくらいに憎たらしい生き方をしていたと回顧できるが、この『だいちゃん』も例に漏れず、たまらん、フテこい。

しかもこの『だいちゃん』、乗り物に弱いにも関わらず、進行方向と逆側に座らされてるもんだから、この両親も極悪な人間である。こうなってくると、誰が正義で誰が悪かさえも分からない。

車内には、『だいちゃん』の嘔吐物が放つ、酸味のきいた悪臭が充満しているためか、やたらと売り子さんが呼び止められ、その他の乗客の皆さん、お茶やら水を買い求める人が目立つ。

おい、母親よ、『だいちゃん』をそっとしといてやりたい気持ちも分からんでもないが、せめてトイレで吐かせてあげてくれよ。新幹線は、君たち家族の私物じゃないんやから。

そんな憤りを感じながら、帰りの新幹線、大阪到着までの間、大半の時間を喫煙ブース内で過ごしたのであった。

デタラメだもの。

20130811
ギャラリー
  • まだ見ぬ人々の数は腰を抜かすほどに多い。そして一流と呼ばれる人の数は実に少ないものだ。『デタラメだもの』
  • 自分の一生を全うするためには、「修正」という言葉を軽々しく口にしてはならない。『デタラメだもの』
  • 連絡無精の言い訳を対人関係にすることと緑豆もやしが枯れたことには大いに因果関係がある。『デタラメだもの』
  • 先輩の仕事とは後輩を育てることではなく後輩に夢を見させてあげることだと教えてくれた河豚、否、おじさん。『デタラメだもの』
  • 正常稼働していた歯が治療され、あろうことか、その後の激痛に悩まされる日々。『デタラメだもの』
  • 男たるもの、酩酊したうえでの失態を他人に見せるべからず。ましてや介抱されるだなんて。『デタラメだもの』
  • 退屈しのぎにネクタイを巻いてみた。意味のないことにも価値あるものとそうでないものがある。『デタラメだもの』
  • ラブホテル街にこだまする「ありがとうね」。今宵も美味なる缶ビールを片手に思いを巡らせる。『デタラメだもの』
  • 新幹線で窓側の席から順に指定席が埋まって行く原理が分からない。『デタラメだもの』
最新記事