デタラメだもの

デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。エッセイです。

2013年05月

自分ができていないことでも平気でお申し付けくださる、素晴らしき上司たちに敬意を表して。『デタラメだもの』

バーのマスターに、
「わたくし、お酒がまったくといっていいほど、飲めないタチでして…」
などと言われてしまったら、それはやはり、面食らってしまう。

禁煙を推奨するドクターに、
「さりとて、タバコはやめられませんねぇ、意志が弱くて…」
などと言われてしまったとしたらば、晴天の霹靂。

視力矯正のためのレイシック手術の執刀医が、もしもメガネをかけていたならば、
「この方に、己の視力回復の希望を託していいものだろうか…?」
と不安すぎて、とてもじゃないけれど、怖くて角膜を自由になんてさせやしないのではないだろうか。

にも関わらず、社会では、こんなことは日常茶飯事。

「あなた何ひとつとしてできてないじゃない?」と冷めた目でツッコミたくなるような、あまり能力のない上司の方々が、平気で、「お前、○○しろ!」だの、「お前、○○するな!」だの、抜かしてきやがる。いや、お申し付けくださる。

こういうのは、人間として、どのような神経細胞が、果ては、どのようなシナプスを介して神経回路が脳に命令を出して、かような大胆で且つスペクタクルな行為に及ばれるのでしょうか。

しかし悲しいかな、ここ、縦社会。
実力主義などと叫ばれて久しけれど、縦社会。

社内ではバタバタと日常業務が繰り広げられ、汗を流し、時間と戦い、悪戦苦闘している社員たちを尻目に、日中堂々と居眠りをぶっこいている上司に、

「お前、ボーッとして仕事してんじゃねぇ!」

と叱責されたならば、問答無用に、

「はい、すみません…」

と、濁りなく、疑いなく、謝らねばならないのが、社会のルール。

こっそりと、居眠りをこく上司の姿をスマートフォンなどで写真に収め、それを社内の一斉送信メールに添付して配信したり、果ては、ツイッターやフェイスブックなどで公開したり、さらには、意見が闊達に飛び交うインターネット掲示板に、誹謗中傷とともに公開するといった行為は、裏社会のルールでは認可されていたとしても、公の、いわゆるお給料を貰って生存する、表社会のルールでは、ご法度とされている。

しかしながら、上司たちはそのような、自分自身の愚行や醜態、痴態、悪臭に、ご自身、気づいていらっしゃるのだろうか?

つまりは、タバコをくわえながら、禁煙を説法していらっしゃる姿に、ご自身、気づいていらっしゃるのだろうか?

気づいているとしたらば、とんでもなく無神経な野郎だし、気づいていないとしたらば、とんでもなく無神経な野郎ということになる。

結果、上司=とんでもなく無神経な野郎、ということで、答えが出た。

とは言え、上司も平社員も皆、人の子。
世の中に、完璧に生きられている人間なんて、そないいるわけないのも、百も承知。
なので、大なり小なり、人は欠陥を抱えて生きているもんだから、あなた方のことを、聖人だなんて思っちゃいませんぜ。
間違ったことも言うでしょう。彼奴らができていないことを申し付けてくることも織り込み済みですわ。

だから、そこは、ひとつ穏便に、こういうのはどうでしょう?

「俺もできてないわ。俺も全くできてないわ。俺も人として全く完璧じゃないわ。むしろお前らよりも劣ってるくらいだわ。口臭とか加齢臭とかで、尋常じゃないくらい迷惑かけてるわ。無能なくせに、お前らよりも給料もらってるわ。もらっちゃってるわ。人としてあかんわ。人として、あかんタイプのやつやわ。こんな立場にいること申し訳ないわ。土下座して謝りたいわ。ほんとうに、申し訳ない。だから、資料はもうちょっと早く提出してくれ…」

せめて、これくらい、接頭に付してくれれば、澄みきった青空のような瞳で、

「はい!すみません!大至急提出しますっ!(キラリッ)」

と、なるのは、乳飲み子だろう幼児だろうが容易に想像ができる。

ふと思ったんじゃないでしょうか?
そんなことしちまうと、上司としての威厳が保てないって…。

え?上司って、ぼくたちよりも能力があって、管理能力もあって、何かあったら尻拭いをしてくれるくらい、悩みがあったら解決してくれるくらい、そんな偉大で且つ特殊な能力を持った方々のみがなれる、高尚な立場なんですよね?

じゃあ、それしきの制約があったとしても、引き続き、上司としての威厳を見せ続けることくらい、容易ですね。安心しました。

なになに?上司が居眠りしてることくらい、周りに気づかれないように、カバーして揉み消せと?それも下の人間の仕事だろと?それも仕事のひとつだろうがと?当然のことだろうがと?

はい、かしこまりました。
では、心置きなく仕事として従事させていただきますので、そちらの業務報告、しかと議事録にしたためておきます。

デタラメだもの。

20130526

社会に蔓延る巧妙なニセモノの優しさにご用心。『デタラメだもの』

「困ったら何でもしますんで、何でも言うてくださいね」

「あなたのやり易いようにしますんで、やり易いやり方言うてくださいね」

「役に立てることあったら、すぐに駆けつけますから」

「いつでも助けたるから、何かあったら言うてこいよ」

嫌だなぁー嫌だなぁー、何か変だなぁー、怖いなぁ怖いなぁ、何か出そうだなぁ…と、稲川淳二よろしく怯えてみても、出るんです、社会には、こういう巧妙な手口で、優しさを売りつける奴が。

でも、人々は優しさに飢えてるもんだから、こういう狡猾なセリフに、コロッと魅せられて、「あの人、いい人だわぁ~」なんて、男も女も、心の中の瞳をハートマークにするもんだから、閉口。

翻訳します。

「何も言ってこない限りは、何もしませんので」

「やり易いやり方言うてこなかったら、こっちの都合良いようにやります」

「役に立てないうちは、一切駆けつけません」

「何も言うてこなかったら、助けることなどないからな」

になります。

なので、こういう詐欺師顔負けのセリフを、サラリと言ってのけられるような奴は、僕の中では一切の信用、信頼を置かない、置けない、末恐ろしい人間だと感じてしまうわけです。

本当の優しさがどんなものかは分かりませんが、しかも、人間なんて、誰も彼も、多かれ少なかれ、自分のことしか考えてない部分もあるやろうから、そんな人間が差し出す優しさなんて、どれもこれも偽善の類になるやも知れませんが、といって、悪より偽善のほうが、僕は美しいものと感じるし、完全な善になれないからといって、善っぽいことを放棄して、無になるよりは、たとえそれが偽善であっても、よほど無よりは美しいんじゃないだろうかと、そんな風に思ってみたりもするわけで。

普通、相手のことを思うなら、思いやるなら、相手のことを見つめて、いろいろ見つけて、それから何かを差し出すでしょ。

彼女「わたしのどこが好き?」

彼氏「全体的に」

なんてありえないでしょ?

彼女「わたしのどこが好き?」

彼氏「そうだなぁ。やっぱり君のその、大山のぶ代そっくりな魅力的な声かな」

とかの方が、やっぱり私のこと見てくれてるんだ感が出てますし…。

彼女「こんど何プレゼントしてくれるのかしら?」

彼氏「なんでもいいよ、欲しいものだったら何でもやるよ」

っていうよりも、

彼女「こんど何プレゼントしてくれるのかしら?」

彼氏「そうだなぁ。世良公則&ツイストの『銃爪』のレコードなんかどう?」

彼女「やったぁー!」

ってなるでしょ…。

そう思うと、優しさっていうのは、飲食店の注文の如く、オーダーされるまでは何も出さないといったスタンスじゃなくて、『この人は今これが食べたいだろうなぁ』って考えて、考えてあげて、それを差し出す行為なんじゃないだろうか。

となると、優しさを踏まえて、もう一度翻訳。

「今これ困ってないですか?よければこれやりますよ」

「こんな風にやったらやり易くなります?それだったらこんなこともできますよ」

「こういう部分でお役に立てそうなんですけど、必要だったりします?」

「大丈夫か?これ手助けしてやろうか?」

うん、、、何か押し売りのセールスみたいで、これはこれで、ちょっと鬱陶しい。

何が言いたいかと申しますと、真摯に相手のことを考えて、来るべき時に、ちゃんと手を差し伸べられること、それこそが優しさやと思うわけで。

この『考えて』と『来るべき時』と『手を差し伸べる』が重要。

相手のことを考えないなんてことは、そもそも優しさでもなんでもないだろうし、来るべき時を外す奴は、きっと、空気を読めない奴になってしまうだろうし、ちゃんと手を差し伸べずに、求められるまで待つ優しさなんて、身勝手にもほどがある、と。

だって、日本人は謙遜する生き物だろうし、手土産お土産にだって、「これつまらないものですけど…」って、立派に謙る。

本当に困っている時にだって、「困ってるなら助けましょうか?」って言われても、「あ、あぁ、いえいえ、結構です」とか断ってみたり、電車の座席だって、「お席、どうぞ」なんて譲られたとしても、「あ、あぁ、もうすぐ降りますから、結構ですよ」なんて断りつつも、そこから12駅くらい乗ってたりとか、そんな立派なことができてしまう日本人。

こんな標語は、どうでしょう?

『優しさは、あなたの手から始まります。』

もしくは、

『優しさのきっかけは、あなたから。』

とか、なんとか。

そう考えると、皆さん、優しさのオーダー待ちをされるような方々ばっかりなので、僕は非常に小心者で、ズケズケと優しさなんて注文できるわけもなく、それを分かっているから、他人の優しさに触れようとか、そういった類の意識もなく、どんな困難も自分の力でブチ壊してやろうなんて鼻息荒げながら、今日も人々の群れから外れ、一人ふらふら無宿に暮らす。

冒頭のような巧妙な手口で、ニセモノの優しさを振りまいてくる輩には、国家レベルの非常事態のような警戒でもって、その方々から遠ざかってしまうわけです。

ニセモノの優しさは、掛け捨て保険さながらですので、ご加入の際は、慎重にご検討くださいませ。

デタラメだもの

20130518

知ってもらいたい人も、知って欲しいこともないから故にFacebookは、ようできません。『デタラメだもの』

世の中は、空前のFacebookブームとでも言いましょうか、ソーシャルネットワークブームと言いましょうか、インターネットの世界では、やれ友だちがどうとか、やれ「いいね!」が付いたとか、そういった話題で持ちきりだそうで。

私の周りでも、老いも若きも、女も男も、FacebookだとかLINEだとか、今日も誰かとコミュニケーション。皆さま、楽しそうで。

そういう当の私、こういった類のコミュニケーションツールというものが、滅法苦手でして。ツールの出始めに、ちょいちょいちょいと、まるでうどんに振り掛ける七味の所作の如く回数だけ試み、やはり肌に合わんと、ピタと止めてしまうのであります。

何が合わんと申しますと、

「てめぇ、現実の世界でも友だちおらんくせに、増してや、おったとしてもロクに友だち然として振る舞えねぇくせに、何をインターネットで姑息にピコピコとネットワークだぁ?欺瞞にもほどがあるぜ!この青二才がぁ!」

というような、冷徹だけれども、自分のことを的確に分析してくれる、もうひとりの自分という奴が、自分に迫ってくるわけで、当の自分、そういう圧には非常に弱く、とてもじゃないが、引き続き引き続きと、継続などできず、ピタと止めてしまう。

なぜにこういった類のコミュニケーションツールが自分に甚だ合っていないかを分析した刹那、いとも容易く答えが出たわけで。
その答えとやらは、きっと、こう。

『そんなに友だち、いらん。』

現実の世界でも、友だちとか、そんなにおっても仕方ねぇわな、と思ってるような人間が、オンラインでは、「友だち100人できるかな♪」とは行かんわけで。

当然の如く、日陰で生きて行きたいような人間が、人様から、名前やメールアドレスなどから検索され、見つけられ、草陰から無理やりと日向に連れやられ、友だち申請などというものを送りつけられた挙句、数十年来の友だち然として、快諾などの運び、立派に友だちがひとり増えました、めでたしめでたし。とはならんわけで、その心労、負荷たるや、非情なものがあるわけです。

あと、もうひとつ、燦然と輝く、極上の答えがあったわけです。それは、

『そない自分の行動を知ってもらいたい人がおらん、のと、そない人に知ってもらいたいほどの行動を自分はしていない。』

ということ。

よくよく考えると、自分って奴は、今日どこどこ行きました!今日なになに食べました!今日なになに見ました!というような日々の出来事を知ってもらいたい人、そんな人は、世の中にはおらんなぁ、と。

だって、もしだぜ、Facebookが世の中になかったら、

「今日のランチにマグロの漬け丼食べたんだぜ!」

などと、友人知人諸関係者に報告せんでしょ、普通?

それを普通とするならば、そういったことを他人に知らしめようとする行動が、私には異常に思えたわけで。

そうしてその、ランチにマグロの漬け丼を食べた報告を見て、半ば強制的に、「オイラお前のランチの報告しかと受け止めたぜ!」とアピールするが如く、『いいね!』ボタンを押す。

いいね!って、なんなんだろう、いったい?
新しく日本にできた、義務か何かでしょうか?
勤労、納税、教育、いいね!でしたっけ、日本の四大義務って?

そうして思うのが、私の日々の諸行動に、人様に知っていただくような、大それた行動、大それた思想、そんなものは一切ないはずで、なので、誰かに知ってもらおうなんてことが、全くないことに気づいたわけです。

「本日夕刻過ぎ、日本橋の立ち飲み屋で、どて焼き串を2本賞味させていただきました。今は、そのどて焼きに振り掛けた七味が、どうやら歯に挟まってしまったようで、楊枝でそれを愉快に取っています。」

みたいな、どうでもいいこと聞かされたって仕方ないもんね。

人様に公開し見てもらい読んでもらい知ってもらいたいほどの行動なんていったらほら、

「今、40人編成によるスカイダイビングショーに参加中!上空4267メートルにいます。これからその40人で、LOVEの文字を作って披露します!」

ぐらいのレベルじゃないと、とうてい人様に知ってもらいたい行動には及ばんよね、と、自分で思う。

そうやって考えると、こんなにもソーシャルなコミュニケーションが蔓延する世の中でも、わたしはそういうことやってないんです、俺はそういうの興味ないんで、と頑なに手をつけない人たち、そういった人たちの豪腕な雄姿には、惚れ惚れするところがある。

まるで小姑の如く、

「そうそう、おまはん方は、そういう俗なもの、やりなはんな。もっと、草原を裸足で駆け回ったり、釣った魚をその場でさばいて食べたり、そういうのが似合うんだよ、悪の道に染まるんじゃないよ。」

などと言ってさし上げたくもなる。

なので、涼しい表情をして、

「ああぁ、Faceboookねぇ、やってたけど、飽きたわ。なんだかもう、飽きちゃったわ。今は、独自の配合で、香辛料からカレー作るのにハマッてるから、Facebookとかやってる時間ねぇわ。」

とか、浮世離れした発言をするような、子憎たらしい輩のほうが、なんぼも麗しく思えたり。

そもそも、なになに、Facebook?、フェイスブック?
当方、コミュニケーション能力が著しく低く、現実の世界では、よう、フェイス、つまりは、人の顔を見てしゃべれないような、不適合な人間が、フェイスブック?ははぁ、ブックなら見れますよ、本でしょ、本、読めますよ、得意分野ですよ。

そんな風情で、世の流行廃りを、斜めから眺めていると、「おはよう!」のひと言すら、オンラインで発言してしまうと、何やらバチが当たってしまうような気がして、本日も、貝の如く口を閉ざしてしまうわけで。

そう、貝だけに、身も蓋もない生き方を、やはり続けてしまう。
よほどに熱くならないと、貝は開かないようで。

デタラメだもの

20130504
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