デタラメだもの

デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。エッセイです。

2013年02月

社会に見る「笑い」から、偉いさんがみこしを担がれているサマを紐解いてみた。「デタラメだもの」

とある笑いの方程式を発見した。

社会には面白い人など、ほとんどといっていいほど、いない。「笑い」っていう意味でね。
社会に出て、いろんな人としゃべっている毎日だけれども、笑いっていう意味で、面白いと感じる人は、ほんまにほとんどいない。

なのに、会社や喫茶店や、あちらこちらで、笑いが起きている。面白い人がいない社会なのに、なぜにこんなにも、あちらこちらで、笑いが起きているのだ。

ということを考えまくっていたら、社会に見る「笑い」から、偉いさんがみこしを担がれているサマまでを、ズババババンと貫くように理解できた。なので、またしても戯言を少々。

社会では、『笑い → 笑う』といった風に、誰かが笑いを起こして、そしてオーディエンスが笑うといった図式は、ない。そう、ないんです。

じゃあ何かっていうと、こう。
『微笑ましいエピソード → 笑う』といった流れで、社会には、笑いがあちらこちらで起こっているわけなんです。これが、方程式です。

どういうことかと申しますと、社会での会社、笑いを呼ぶ会話の内容は、ほとんどがエピソードトークであり、それも、特に脚色もなく、ありのまま、見たまんまを話し伝えるのであり、オーディエンスも、そのまんまを受け取り、微笑ましさが伝わり、笑う。この流れですね。

さらに噛み砕きますと、つまりはこういうこと。

「今朝さぁ、通勤途中に駅前の公園を横切ってたら、鳩に糞をかけられてるサラリーマンがいてさぁ」

といった話が語られる。そうしてその、あまりにも微笑まし過ぎるエピソードを聞き、聞いている側も、その光景に微笑ましくなり、笑う。のである。

何が言いたいかというと、そこには、フリもなく、オチを盛ったり、タメもなければ何もない。笑いの要素が何もない。
芸人さんが話すトークのように、ネタの構成やテクニックなども、微塵もないし、その真似事でさえない。
なのになぜ笑いが起きるのだ?
と考えると、とどのつまり、そのエピソードを語っている人ではなく、鳩に糞をかけられたサラリーマンの手柄なのである。その、微笑ましい光景を生み出した、サラリーマンが金メダルを貰うべきなのである。

が、社会とはなんて判断基準の歪んだ空間なのだろう。あろうことか、このエピソードを語った人、その人が、面白い人だと称されるのである。これは、ほんとに、遺憾ともしがたい。

例えばこの場合。

「パソコンのキーボードの隙間にさぁ、消しゴムのカスが詰まっちゃってさぁ、なんかタイピングしたあと、キーがねぇ、ニューッて戻ってくるんだぁ」「うそー!ギャハハハ」

これもそう。エピソードを語ってる人は、何ひとつ面白くもなんともない。面白いのは、ニューッと戻る、キーボード君なのだ。
しかしこのようなケースでも、語り部が賞賛される。まったく気にくわない。

いったい、何なんだ。社会と呼ばれる世界は、身の上話を多弁するヤツが、面白いとされるのか?何なんだ、ほんとにまったく腹が立つ。
そういう話でケラケラ笑っているヤツほど、しっかりと組み立てて、いわゆるネタにしたような笑いを提供しても、ピンと来なかったり、イメージできなかったり、例えに使った単語を知らなかったりと、まったくと言っていいほど、笑いに対する予備知識を備えていないでいやがる。

それか、、、社会でこのぼく、浮きまくっていたり、スベリまくっていたりする原因は。

とまぁ、ここまで考えた段階で、いや、ちょっと待てよと思ったわけです。今や、テレビ番組でもバラエティが多くなり、どのチャンネルをつけても、お笑い芸人を見ない日なんて、ない。
世の中の皆々様方も、笑いに対して、多少なりとも敏感になっているはずである。それなのに、このくだらないエピソードトークごときで、なぜにあちらこちらで笑いが起きている現状。

なんかおかしい。

そこでひとつ、こう思ったわけであります。

社会とは、愛想に侵された世界なのではないだろうか?と。

右の人へも愛想。左の人へも愛想。上司にも、得意先にも、年上にも、年下にも。男性にも、女性にも、パソコンにもコピー機にも、愛想。
そうやって、愛想ばかりが蔓延って、いわゆるひとつの、社交辞令ばかりがコミュニケーションの中で闊歩してしまっているのではないだろうか。

きっと、そうだ。

だから、あんなにクソつまらない会話や、クソつまらない身の上話ごときで、あんなに笑いが起きるんだ。間違いない。普通の人間なら、あんな程度で、笑うはずがない。社会がつまらない人間で溢れかえっているとは言え、そうだとしても、やはりちょっとおかしすぎる。

だから、やっぱりだ、愛想だ。

そして、結論。

この、愛想というやつが、偉いさんやおっさん連中をみこしで担ぐ結果となり、のぼせ上がらせ、有頂天にさせ、わけのわからない事態を引き起こしてしまっているのだ。これは、罪悪だ。下衆の極みだ。

偉いさんたちが、虚無で不毛な権力を振りかざしたり、物事をジャイアンの如く強引に捻じ曲げたり、俺の好きにせい、俺の思うようにせい、などと、はしゃぎまくることに対して腹を立てている、我々シモジモの人間たちよ、彼らをみこしで担ぎ、高い位置から物を言えるように祭り上げたのは、他でもない、我々シモジモの人間なのである。

そうやって、愛想で勘違いをさせ、自分は何を言ってもウケる、何を言っても笑いを取れる、何をやっても和ませられると、変な自信をつけさせてしまい、その自信が続けば確信へとつながり、確信が確変を起こして、もうパチンコ玉は、ジャンジャンバリバリ出まくる次第で、嗚呼、もうどうにも止まらない。

ほんで、挙句に、「俺の言う通りにせい!」などと、暴言を吐き散らすのである。

なので、やっぱり、正しい評価は必要なわけで、旨いもんは旨い、不味いもんは不味い、ちゃんとそう評価することで、伸びるものは伸び、足らずのものは努力するわけである。

だから今日から、社会では、「お前、おもんなぁ…」以外の返しは、禁じ手としていただきたい。「ギャハハハ」や「あぁ!腹痛てぇ!」とか「めちゃおもろいやーん!」なんてリアクション、社会では考えられないのだから。

社会に出て十数年、笑いとして「面白い」と感じたことなんて、ほんの数回しかない。だから、「お前、おもんなぁ…」をしっかりと使うべきタイミングで使えるようになり、いち早く、偉いさんたちをみこしから降ろして差し上げ、我々シモジモの人間が、住みよい社会を作ろうではないか。

が、この記事に対する「お前、おもんなぁ…」だけは、ぜひとも勘弁していただきた。なぜなら、ここは、社会ではないのだから。

デタラメだもの。

20130223

まぁ、ともかく理不尽に振り回される。「デタラメだもの」

朝の通勤なんていうと、誰しもが鬼のような形相で、階段を上り下り、閉まりかけの電車のドアに駆け入り、人にぶつかろうが、足を踏もうがお構いなし。そういったドタバタが日々繰り広げられているわけで。

これはいたしかたないですねぇ、朝ですから。

なんといっても、行きたくもない会社に、やりたくもねぇ仕事、そんでもって、起床時のお布団は、なんとまぁ優しいことやら、ヌクヌクと我々を包んでくれるわけで、そりゃ起きたくもねぇっつうの。そりゃ、お布団の中に後ろ髪を引かれまくりなわけで、一分一秒でも、その温もりに包まれてたい。できれば、このまま現実なんか無くなってしまえ!って具合に、朝の動きも鈍くなる。

そうして気づけば、この電車逃してなるものか。逃せば遅刻。朝の朝礼に遅れてしまって、仕事が始まる前から、たちまちカミナリ。それはイヤだ。それは避けねば。そうなりゃ仕方ない、全力疾走だ、バカ野郎。

と、そんな繰り返しなわけですね。

まぁ、朝早く起きて、優雅に朝食などを召し上がり、ゆったりのんびりと会社に出勤できるような紳士淑女の方々は、何らかの実の能力者かと思われますので、ぼくのようなクズ野郎とは、住む世界が違うといった解釈をしておきましょう。

で、事の本題、何が理不尽かと申しますと、朝の通勤時ですわねぇ。改札ですわねぇ。ぼくはめったと当事者にならないわけですけども、よくよく目にする理不尽があってですねぇ、それは何かと申しますと、

駅の自動改札機の不具合に見舞われその他大勢の人々から凍てつくような冷たい目で睨みつけられ恨まれる悲しき不運な運命を背負った人

のことです、はい。

どういう事態かといいますと、ほら、あの、駅の自動改札機ってやつ、たまに、不具合を起こして、「正しき人」を通さんとする時って、ありますやんか?

なんというか、とある男性、まぁA氏としましょう。A氏が、平常通り、電車を降り、人の波にもまれながらもようやく自動改札機前。
んで、普段通りに定期を通す。すると、普段通りの所作にも関わらず、自動改札機が、ビコンビコン!と反応し、ゲートがバシン!と閉じられる。

まずここで、平常通りのこと、つまりは無意識レベルで動いていたA氏は、何が起こったのか事態が飲み込めず、ゲート内でしばし狼狽。

そしてさらに、自動改札機とは何のトラブルもなく通過すること、が平常になっているその他大勢の人々も、何ら疑わず、そのゲートを通過しようとする。

が、そこには、出口を阻まれたA氏の姿。

詰まる、詰まる、ゲート内が、詰まる。

これはまるで、ところてんを押し出す用具の出口が塞がれ、用具内がところてんで詰まりまくって、てんてこ舞いになってしまうが如く、ゲートが詰まりに詰まって、消化不良。

で、やっかいなのが、人間の恐ろしいところ。
ここで、大衆は皆、A氏を「どんくさい・おっちょこちょい・のろま・うすのろ・クズ・アホ・ボケ」といったレッテルと共に、睨むわけです…。

朝のラッシュ時、もちろん皆々様、一様にお時間に迫られて行動していらっしゃることは百も承知。ですが、A氏、なんら悪くないわけです。完全に自動改札機が悪いんですもの。
だって、その冷ややかな目線の最中、やや冷静さを取り戻し、自身の定期を、もう一度、入り口側の挿入口に差し込めば、何のことはない、平常通りゲートが開き、出られるんですもの。

となると、完全に、少しばかり前のトラブルは、自動改札機の仕業じゃねーの?なのに、なぜにA氏に怒りの矛先が…?

とまぁ、A氏からすると、恐ろしく理不尽な事態に見舞われるというわけですよ、朝も早よから。大勢の突き刺さるような視線を一身に受けて。

なので、人々よ、ここは一旦冷静になって、朝も早よからA氏を責めるのだけは、やめましょうよ、と。ぼくは言いたいわけです。全てを自動改札機のせいだと、受け止めましょうよ。A氏を責めても、朝の貴重な時間は返ってきませんよ。

そんな風な平和でのんびりした感情を朝から抱きながら、本日も、電車を一本乗り過ごし、出発時点から遅刻が確定してしまっているぼくが、今日も自動改札機をくぐりますよ。

あっ!そういやぼくも、東京出張後など、関西で使用の「Pitapa」と、関東で使用の「Pasmo」を同じ定期ケースに入れたまま、朝の自動改札機を混乱させ、挙句に、ビコンビコンとエラー音を鳴らし、ゲートを閉じられ、数名に白い目で見られる経験、あったなぁ。

「そない怒らんでも…」

と、小声でブツクサ言うた記憶がございます。
これは理不尽なのか不注意なのか。ともかく、自動改札機付近では、イライラせぬよう、清々しい気持ちで、ゲートを通過しようじゃありませんか。

自動改札機のほうも、ゲートだけに、人々に悶々させたくないはずですよ。と、まぁ、くだらない。

あと、何が理不尽かっていうと、某大手ハンバーガーチェーンのドライブスルー。

車の窓を開けて、マイクに向かって、さぁいざ、声が裏返らないように、「え?はい?」などと聞き返されないように大きな声でハッキリと、などと、気持ちを引き締めてさぁ注文ってタイミングで、

「季節限定の○○バーガーはいかがでしょうか?」

と、頼みたくもねぇ限定商品をレコメンドしてくるの、やめてもらえないでしょうか?
元来のチキン野郎のぼくみたいな小心者は、人のススメを断る勇気とか、そういった類の横暴なことができませんで。なので、なんて言っていいのやら、困りに困った挙句、

「あっ…、じゃあそれで…」

などと、押しに負けて注文してしまうこと、しばしば。

ぼくは、シンプルなバーガーが食べたくて、ここへ来たんですの。その、季節限定のイロモノに寄せられて参ったわけではないんですの。

と、元来食べたいものを、食べ損ねるような、そんな押しの弱い日々を過ごしてなお、悔いなし。

デタラメだもの。

20130211
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