デタラメだもの

デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。エッセイです。

2013年01月

日々を長く充実して生きるためには。「デタラメだもの」

子どもの頃なんかではよく、「休みの日はアッという間に過ぎるなぁ」なんて言って、あのなんとも妙な、土日祝の駆け足具合に悩まされたわけで…

ところが近頃ふと気づく。
「そういや平日も早くね?」
って。

である。そうなのである。なんと、近頃、平日も休日も早いのである。
ということはこれは、人生がものすごく駆け足で進んでしまっているということになるのではなかろうか…

で、焦る。

でいったい、人はどのような時に、「アッという間に過ぎる」と感じるのであろうか、と悩むこと数分。
くだらねぇ毎日を過ごしていりゃ、そりゃアッという間に、何の充実感を帯びることなく過ぎてしまう。これは分かりやすい。

でも、たとえば、音楽をやってる人なんていうのは分かってくれるのではなかろうか、ひたすらライブまでの期間、延々と練習に練習を重ね、いざ本番。充実した時間。盛り上がる観客。輝く汗。こぼれる笑顔。見事な演奏。んで、ライブ後にひとこと、「アッという間に過ぎた」
やっぱり、アッという間に過ぎるんやん。

ほななにかい、充実してなくてもアッという間に過ぎて、充実しててもアッという間に過ぎる。ぼくらの命は、アッという間に終わってしまうのだろうか…。

いやいや、そんなことを言っちまうと、我々人間の命の素晴らしさ、美しさに失礼になってしまう。
そこで、こう思ってみることにした。

充実しない日々はただただ過ぎ去りゆくだけ。
充実した日々は過ぎた後に思い出し語り幾度も実る。

と。

なるほど、そうかもしらん。
ただ、じゃあ、何を持って充実とするのだろうか?その定義が曖昧なままでは、思い出そうにも思い出せず、語ろうにも語れんじゃないか。

そう思い、ぼくは、日がな一日、ボーッと無意識に過ごすのではなく、とてもとても意識的に過ごし、どこに意識を向けるのかというと、人間を見てやろうと。人間を意識に焼き付けてやろうと。そうして、人間の面白みってやつを、自分に焼き付けて、思い出し語り、くっきりとその日一日という焼印を心に押し付けてやろうと決意。

さぁ、こい!
俺の心に染み渡る、そんな七色な彩りを持った人間よ、こい!

仕事も終わり終電の中。ぼくはおとなしく、ゴトンゴトンと揺られる電車の中。

ふとドア付近に目をやると、小奇麗な身なりをした老人。全身、ブラウン系のフォーマルな服に身を包み、同系色のハットまで被っていらっしゃる。たいそう頭からつま先まで、意識の行き届いた老人だ。

そんな印象を頭にチラチラ浮かべていると、急にその老人、

「グゥオー」

みないな、獣みたいな、ケダモノみたいな声を、デカデカと一発。
なんだなんだこの老人、体調でも悪いのかと思い、目をやると、意外とそうでもなく、ピンと立っていらっしゃる。

すると何か?この方は、発狂でもしていらっしゃるのだろうかと、またもやそんなことを考えていると、再び、

「グゥオーゴゴゴ」

みたいな大声を老人。
なんだ、やはり奇人変人摩訶不思議系老人なのか、ともう一度目をやると、あ、あ、あかん、こやつ屈みよった、これはもしや、嘔吐のシグナルちゃうんけ?この感じ、間違いなく嘔吐のパターンのやつやんけ?

と、思うや否や、老人の口からは、大量の嘔吐物が、いわゆる、ゲロというやつが。電車の床に、ドロロロロ。
そのドア付近に座っていた女性たちは、まるで火事やらの災害から逃げ惑うように、畏怖の表情で、別の車両へと駆けていく。

老人は屈みながら、グゥオーゴゴグゴと奇妙な発声をしながら、床に嘔吐物を垂れ流し続けている。

まさに、地獄絵図。

何を隠そう、この私、カンもセンスも鈍いくせに、嗅覚だけが異常に発達しており、これはもしや犬並みなのでは?と、自分で疑いたくなるほどに鼻がよく、つまりは、こない身近でゲロを吐かれた日には、自分の嗅覚を激しく刺激し、そう、もらいゲロしてしまう羽目になり兼ねない。

そう判断したぼくは、逃げ惑う女性たちに紛れ、同じく別の車両へと逃げ惑った始末。

遠めに老人を見続けてみたが、延々と嘔吐を続けていらっしゃったのである。

なるほど、こうやって人間を目に焼き付けてやろうと決意した刹那、こんなに素晴らしい出来事に出会うなんて、自分はなんてツイてない人間なのだろう。

ただ、確かに、その日は、妙に長く感じたのは確かである。長く長い一日。ただただ疲れだけが残った一日。そうか、こうやって、日々を長く感じて生きていくのだな。嘔吐のひとつやふたつで、ガチャガチャ言ってちゃいかん。もっともっと、嘔吐よカモン。そないな姿勢で、我が人生も安泰というもんだ。

ただひと言、電車内で吐かねばならんほどに、飲みなさんな。
飲んだら乗るな。吐くなら闇で。そう、人目につかぬ場所で、ひっそりと頼みます。

電車は人を運ぶものです。嘔吐物を運ぶものでは、決してない、と信じたい。

20130127

新年明けましてから、何か変わったのだろうか?「デタラメだもの」

ぼくはなにかしら、大人たちの潔さを、年明けや大晦日に、感じてしまうわけです。

そりゃいったい何だい?と、まぁ、なってくるわけですけども、それは何というか、大晦日や元旦は、ものの見事に『ざわざわ』となされるわけさ。その、ある種のイベント感を出しつつ、気持ちやら、行動やらを、『ざわざわ』と。

そして毎年思うのが、新年明けてから、未だ一月中盤で、デフォルト状態(初期設定の状態)に戻るの、早くないかえ?ってこと。

その『ざわざわ』から『デフォルト状態』に戻る様が、妙に潔く、そこに大人のある種の潔さを感じてしまうわけです。

わたくしのような子どもじみた人間からいたしますと、あの年末の、「新年明けたら、オイラは○○してやるぜ!」といったような、鬼気迫る決意表明は、いったいどこいったんだい?と。
「来年からは、思い切って○○をやめる!」といった、男気溢れる宣言は、いったいどこいったんだい?と。

もうすでに、○○してへんがな…。
もはや、○○してしもとるがな…。

といった感じに、一月中盤で、既に、決意表明はリタイアでござんす。

というのが、世間一般の大人の方々であり、例に漏れず、ぼくもそのような情けなく、しょっぱく、なんの意外性も持ち合わせない、そんな一月を平々凡々に過ごすわけだ。

新年の目標をたてる際、あっ、目標は何かってぇと、『朝、早起きする』ってだけなんですけれども、その目標をたてる際に、年末のある日、ふと、こう思ったわけです。

目標をたてている今日この日、仮に12月29日としますわね、今日この日に実行できやしないことは、恐らく、1月1日からも、とうてい実行なんぞできやしない。

ふとそう思ったゆえに、ぼくは少々奇をてらい、じゃあ12月29日の今日、つまりは、明朝12月30日の朝を、早起きしてやろうじゃないかと。
そうして、大晦日の日も継続し、その流れで、新年を向かえ、この目標を堂々実行し継続してやろうと企んだわけです。

まさに、競艇のフライングスタートみたいな感じですねぇ。
スタート位置の時点で、もうスピードがついているような。

これはこれは、やはりわたくし、思いつくことが他の人々と一線を画しているなぁ、なんて自画自賛しつつ、これでこの新年の目標も、もらったも同然と余裕をぶっこいておりました。

結果はといえば、12月30日の朝は、いつも並みの起床。31日も同じような塩梅。元旦の日だけ、やや少し早く起きれたものの、2日、3日と、まったく平常の通りの起床。

そのまま、その目標を実行することなく、一月の中盤に身を置いているという、この意志の弱さ。

まぁそれだけ、人間というやつは、特段ガラリ自分を変えてみるだの、生き方を変えてみるだのといった、そんな躍起になる姿勢は、不似合いなのではなかろうかと、思ってみたりもするわけです。

なので、だから、とりあえずは、年明けや大晦日など、ざわざわと。で、一月の中盤には、平常に戻る、そういった潔さ。

不思議と、年々、その潔さの切れ味が、自身も世間も、色濃くなってきているように感じるのは、やはり歳のせいなのかしらん。不明。

あっ。そういえば、先日、我が家の前で、特段意味もなく、まるで不審者の如く、ウロチョロとして時間をつぶしいるとき、とあるカップルの女性側の声が、道の右側から聞こえて参った。

「姿勢を正して歩くとね、健康にもいいんだよ」

そんな風な言葉を彼氏さんに放ちながら、彼氏さんと手をつなぎ、ぼくの前を右から左へと通り過ぎていった。

ぼくは依然ウロチョロしながら、そのカップルの過ぎいく背中を眺めていた。確かに彼女さん、姿勢よく歩いていらっしゃる。不自然で、笑ってしまいそうなくらいに、姿勢を正して歩いていらっしゃる。

その不自然さを鼻で笑いたくなったのが味噌なのではなく、その会話の清楚さ、その汚れをしらない純白な台詞に、これは台本でも存在するのかしらんと疑ってしまうほど、飾り気なく、清らかなのだ。

今のご時勢、若いカップルでいて、手をつなぎながら歩いている際の会話に、姿勢を正して歩くと健康に良いという内容を話し、さらにはそれを不恰好にも実行しているなど。なんて美しく儚い光景なのか。
こんな素晴らしいものを、絶やしてなるものか。そんな気持ちを抱きつつ、半ば涙目に彼氏彼女を見送ったわけであるが…

それに比べて、わたくし、なぜにこうも汚れてしまっているのか。

もっぱら今は、ひとりジャンケンが、マイブームでして。
内容は簡単、自身の右手と左手で、ジャンケンを戦わせ、毎回に各々の手の出し技を変え、且つ指定した方の手に勝利させるというもの。

これが思っている以上に難しく、先日も仕事帰りの電車の中で、いざこれを本気でやってみた場合、何回くらいにゲームが続くのだろうと思い、右手に勝たせる様式でゲームを定め、さぁ息を吸い込み、勝負!せいや!と言わんばかりに、ゲームを始めて即座、二戦目でゲームが終了するという刹那さ。右手、二戦目にして、敗北。

小学生でも四~五回はゲームを続けられるのではなかろうか?
自身で考案したゲームに、自身で挑み、あっけなく負けてしまい、電車の中で、なんともこっ恥ずかしい気持ちになり、ニヘニヘと、本日も最終電車に揺られ、変わらぬ日々を過ごします。

デタラメだもの。

20130120
ギャラリー
  • まだ見ぬ人々の数は腰を抜かすほどに多い。そして一流と呼ばれる人の数は実に少ないものだ。『デタラメだもの』
  • 自分の一生を全うするためには、「修正」という言葉を軽々しく口にしてはならない。『デタラメだもの』
  • 連絡無精の言い訳を対人関係にすることと緑豆もやしが枯れたことには大いに因果関係がある。『デタラメだもの』
  • 先輩の仕事とは後輩を育てることではなく後輩に夢を見させてあげることだと教えてくれた河豚、否、おじさん。『デタラメだもの』
  • 正常稼働していた歯が治療され、あろうことか、その後の激痛に悩まされる日々。『デタラメだもの』
  • 男たるもの、酩酊したうえでの失態を他人に見せるべからず。ましてや介抱されるだなんて。『デタラメだもの』
  • 退屈しのぎにネクタイを巻いてみた。意味のないことにも価値あるものとそうでないものがある。『デタラメだもの』
  • ラブホテル街にこだまする「ありがとうね」。今宵も美味なる缶ビールを片手に思いを巡らせる。『デタラメだもの』
  • 新幹線で窓側の席から順に指定席が埋まって行く原理が分からない。『デタラメだもの』
最新記事