デタラメだもの

デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。エッセイです。

2012年10月

サービス精神とは何ぞや - デタラメだもの

お昼ご飯は、某格安チェーン店のうどん屋と決めている。

それはなぜか、、、安いから。

我々みたいな薄給のサラリーマンが、お昼からワンコインだなんだと騙されて、500円もふんだくられて、それでのほほんとお腹をぽっこりぽってり出っ張らすわけにも行かんわけで、なので、お昼はいつも、

『かけうどん 200円』

まいどあり。

まぁ、かけうどんなので、ごくごく普通のうどんの鉢に、うどんひと玉、そして出汁を注ぎ、最後にネギをつまみ入れる。んで、終了。

ご自由にどうぞ、と脇に置かれた天かすは、無料でトッピングできるので、いつも大量にぶっかけ、油でコテコテになった出汁を眺めながら、かけうどんを食している、そんなランチタイム。

チェーン店ということもあり、オペレーションがシステム化されているわけだ。
やれ、うどんを湯がく係、盛り付ける係、揚げ物やおにぎりなどサブメニューを作る係、そしてレジをする係などなど。

この盛り付けをする係の人が、ネギもトッピングしてくれるわけやけども、このネギトッピングの人のサービス精神にムラがあり過ぎて、まぁ、そんなわけなんですわ。

ある人物がこのネギの盛り付けをしてくれる際は、

「おやおや、かけうどん注文だなんて、いい歳こいて、貧しい人なんだなぁ。気の毒だなぁ。ほんとは、かしわの天ぷらもサービスしてあげたいところだけど、それはさすがにできないから、ネギを多めにトッピングして差し上げよう。それ、もうひと盛り!」

といった慈悲の手つきで、ネギを盛ってくれるわけです。

それが、別の人物の場合は、

「おやおや、いい歳こいて、かけうどん注文なんて、情けねぇ人生の負け組野郎だぜ!いい気味だ!俺は仕事にゃムラを出さねぇタイプ。こいつが貧乏かどうかなんて関係なく、マニュアルで決められた通りのネギの量しかトッピングしねぇぜ!カス野郎!」

といった尖り切った眼差しを、こちらに差し向けてきやがるわけです。

ほらほら、こういった感じで、ネギの盛り付けだけでも、サービス精神を発揮できたり、サービス精神の無いつまんねぇ店員だなと思わせたり、まぁ、てんやわんやですわ。

ぼくが店員だったならば、かけうどんを注文される方には、芝生の如きネギをトッピングして差し上げ、余計なサービスにブン殴られたりしそうなもんである。

その話で思い出した昔話がひとつ。

以前勤めていた職場のほん近所には、吉野家がありまして、まぁ牛丼好きのぼくとしては、こりゃたまらんといった具合に、来る日も来る日も吉野家に通い詰め、結局、半年間連続昼メシ吉野家といった塩梅で、過ごしていたわけです。

そんな中、その吉野家に、ひとりのおっさん店員がデビュー。

おそらく勤め先をリストラされたような態で、人柄はめちゃくちゃ良く、少しばかり太ったおっさん店員でした。

なぜリストラされたようなと言って差し上げることができるかと言いますと、とにかく、おっさん、要領悪い!

何をやっても、20~30歳近く年齢が下の先輩店員に、怒られ怒鳴られ、ミスを責められ。おっさんはもう、ただただ、

「えらい、すんまへん!」

と謝るばかり。

店員に怒られるだけならまだしも、もちろんミスが多いことから、客から怒られることも多く、「なにしとんじゃ!ボケ!」的に、客から怒鳴られていることもしばしば。おっさんはもう、ただただ、

「えらい、すんまへん!」

である。

ぼくはそんなおっさんが一生懸命、挫けずに接客を頑張っている姿勢が好きで、あえておっさんの持ち場の島(カウンター)に座ったり、軽く世間話したり、たとえおっさんのミスでオーダーと違う商品が来たときなども、「わぉ!ちょうどこっちのメニューが食べたい気分になりましたわ!おっさん、ありがとう!」といった具合に、それも愛想愛想と、楽しく吉野家を楽しんでおりました。

日々吉野家に通う中で、おっさん、メキメキ接客が上達していきまして、しばらく後には、どの店員よりも、スピーディーに且つ的確に動き、他の店員を仕切るほどの能力を発揮し出したわけです。

「Aカン、都合牛丼14丁!」

といったように、14人の客の注文を同時に聞き(そない同時に大勢頼むかいな!)、しかも、汁ダク、ネギ抜きといったような、注文バリエーションも聞き漏らすことなく伝え、それらを間違えることなく、オーダーしたお客様へ通す。

人間、ここまで立派になるもんやなぁ。

ぼくは、おっさんの成長がまるで自分のことである如く、日々、パッキパキに動くおっさんを見ながら感動していたものでした。

そしてある日、ぼくの中でのサービス精神という概念を大きく覆してくれる、嬉しい出来事が起こったわけです。

その日は、吉野家特製丼プレゼントキャンペーン期間中。

ぼくは変わらず、その日も吉野家へ。

毎日来ていると、それほどキャンペーンなど意識することはない。普通に食べて、普通に腹を満たして、普通に帰る、と。

その日も普通に食し、普通に帰ろうと、お金を払ってカウンターを離れようとしたところ、妙に他人行儀なおっさんが、カウンターから出て、ぼくの方へ近づいてきた。

「ちょっと、すんまへん」

ん?なんだ、なんでそんな余所余所しいん?

おっさんは妙にそわそわして余所余所しく、ぼくのところへ近づいてきた後も、目も合わさずもぞもぞとしている。

そして、おもむろにぼくの右手を掴んで、

「これ、もろといてぇ」

と小声で囁き、紙袋をぼくに持たせた。
チラッと袋の中身を見たぼくは、即座に気づいた!

吉野家特製丼や!

そうである、おっさんは、来る日も来る日も店に通い詰める(キャバクラみたいな表現やな)ぼくを、そしておっさんの下積み時代、他の店員や客がおっさんを責める中、冗談と愛嬌でミスをミスとせず接していたぼくを、そんなぼくを、最大級のおもてなしという名のサービス精神で包んでくれるべく、吉野家特製丼を、くれたわけだ!

おぉぉぉぉぉぉ、なんだこのサービス精神は!!!

おっさんは紙袋を手渡すや否や、すぐに照れて目も合わせず、自分の島(カウンター)に入っていき、何事もなかったかのように、次の客の注文を聞き始めたのでした。

ぼくは、その帰り道、泣きましたよ。
おっさん、ありがとう!おっさん、大きくなったなぁ!と。

こんなサービス精神溢れる話がある中で、前述のネギ係よ、かけうどんしか日々注文できないぼくに、もう少し、慈愛をくれんか、慈悲をくれんか、情けをかけてくれんか、恵みをくれんか、あんた鬼か?

黒い丼の中に、何の具もなく、純白のうどんのみ置かれた丼の中に、あんたよくあれだけ、ほんの一つまみのネギだけ置いて、はいお待ちなんて、ヌケヌケと抜かせるなぁ。

と心の中で思いつつも、サービス精神は強制するものでもなく、その人に委ねられ、その人に任せられ、ポスピタリティっちゅうんかいな?なんか、そういう横文字とかも入ってきて、よく分からんので、ぼくは少しばかりしょぼんとした様子を装い、天かすをてんこ盛りにトッピングしてやり、バカ野郎、俺は、ネギにゃ頼らねぇ、天かすまみれにして、茶色いうどんを楽しんでやる。俺様に緑色なんざ、似合わねぇよ、ぬはははははは。

と、油がギトギトと浮く、かけうどんを、今日も美味しく召し上がるのでした。

デタラメだもの。

20121017

社会で飛び交う薄っぺらい会話に「デタラメだもの」

社会人になって十数年がたつが、今だにあの、社会に飛び交う薄っぺらい会話というものに、どうも慣れない。

あの薄っぺらさが、とてもとても鼻につくわけです。

例えば若手社員が、上司や上層部に対して話す、お世辞にも満たない、太鼓持ちほど質の良くない、下品な媚び諂い。

例えば会社で催される飲み会などで繰り広げられる、その場限りの、妙に座りの悪い会話の数々。

そういった場に出くわしたりすると、もう寒気がして、これは夢か現実か?といった具合に、目の前のできごとを、疑ってみたくなる。

思い返せば、ぼく自身も、社会に出たての頃や、新しい職場環境になった時、あとほんの僅かではあるが、社会というフィールドでのし上がってやろうかしらん、そない思った時など、そう、思い返せばそんな頃、やってましたわ、媚び諂い、やってましたわ、その場限りの虚無な会話。

でもいつからだろうか、単純にそういう自分が、痴態を晒してるなぁなんて感じ出したこと。ほんま、シンプルに痴態めいて映ったわけです、自分のことが。

長渕剛も歌ってましたわなぁ。

偉い人に頭を下げたら いい奴だと口々にほめられた
心とうらはらの顔を鏡にうつしたら 恥ずかしい自分に気がついた

って。

ん?となると、社会に出ておられる皆々様方、ああいう痴態は、自らちゃんと痴態だと意識して、やはり社会に身を人質として取られている身分ゆえ、恥を忍んで実行しておられるのだろうか?

疑問である。はなはだ、疑問である。

そしてそして、さらに難解なのが、まぁ一方的にそういった下品な言葉を用いたり姑息な手段を取るのは、百歩、譲りたくもないが、譲ったとして、その言葉の数々を受け止める側も、なんだか、まんざらじゃないような、そんなニヘニヘした表情で、受け取るもんだから、これまた、難解。

いわゆる、捏造された言葉で、気持ちよくされたところで、ぼくだったらば、ぼくだったらばですねぇ、こいつアホちゃうか?そない歯の浮くような言葉、五月雨式に言いやがって、なんの信用も置けんぞ、こいつは。

と、まぁ、鼻持ちならず、まず疑ってかかりますわ。

それが社会では、なんだか、そういった下衆い言葉でキャッチボールが成立するときやがる。意味わからん。

さらにさらに、そういった奇妙な奴が、社内で地位を優位に確立したりだとか、出世したりだとか、得意先も拡大したりだとか、意味わからん。

社会とは、アホの集まりなのか?

まぁ、私自身、既に社会の標準レールからは、とうにはみ出してしまっており、すでにそのレールと私自身のひた走るレールとは連結されておらず、グイグイイと果て無き砂漠へと向かうレールをまっしぐらなわけですが、自分よりもずいぶん若い社員などが、そういった明け透けに下品極まりない言動・行動などを繰り返しているのを見ると、その器用さにゲロを吐きそうになり、こいつ、終わっとるな、そない感じてしまうわけです。

それと同時に、そういった、下衆の極み的な言葉を受けて、ニヘニヘヘとしておられる年配の方々、権力者の方々、ステークホルダーの方々、決裁権をお持ちの方々、そういった方々にも、心底の侮蔑の眼を差し向けてしまうわけであります。

社会とは、あぶら取り紙一枚程度の薄っぺらい人間関係で、バランスが保たれておるのかしらん?

そんなこんなで今日も、ウンコのような顔面の色を晒した決裁者と呼ばれるような方々に、やぁおはようございます、今日もナイスなウンコ色の顔面でございますね、とも言えず、かといって、いつも快活なイメージですね、何かスポーツでもやられてるのですか?キレイに日焼けされておられる、なんてウンコのようなセリフを吐けるわけでもなく、ただひたすらに、影響を及ぼし及ぼされるような方々とは、目が合わぬよう、伏目伏目で、今日も斜陽。

ともかく、社会で飛び交う薄っぺらい会話からは、いち抜けた、を続ける日々なわけであります。

20121012
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