デタラメだもの

デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。エッセイです。

パソコンのデータが消えてしまうと、お金も大量に消えてしまうし、物の価値まで見失ってしまうよ。『デタラメだもの』

まさか、こんな日が来るなんて。信じられない。大切にしてきたのに。無理させずに、負荷もかけずに、穏やかに過ごして来たつもりなのに。まさか、こんな日が来てしまうなんて。信じられない。自宅のパソコンが壊れた。電源さえつかなくなった。厳密にいうと、電源ボタンを押せば、ファンは動き出す。起動しようと頑張るものの、二秒ほどすると力尽きて諦めてしまう。もう、ただただその動作を繰り返すばかり。何度やっても、繰り返すばかり。そんな事態が、ある日、いきなりやってきた。

やばい、データ消えてしもたがな。

これまでにもパソコンが故障したことはある。経年劣化により、オペレーションシステムなるパソコンの中心的存在のソフトウェアが故障したものの、さまざまな手法を駆使して、データを救出し、まるでバトンリレーの如く、一切のデータを失わずに、今日まで生きてこれた。初代のパソコンの調子が悪くなった後に、データを救出し、二代目へ。二代目のパソコンの調子が悪くなった後には、再びデータを救出し、三代目へとJ Soulしてきたわけである。

ところが今回は違う。だって、電源が入らないんだモン。

電源が入らないということは、なんの手法も試みることができない。つまりは、パソコンがただの箱と化してしまっているということ。これまで生きてきた中で身につけてきた技やら術やらの一切を、もはや受け付けてはくれない。ということはつまり、データが救出できないということ。あかんがな。

これまでにもデータを失いそうになったことは、ある。そんな経験から、たくさんのことを学んだ。重要なデータは、パソコンの内部に保存しないってこと。そうすることで、パソコンが故障したときはもちろんのこと、パソコンを買い替えたときにも、データの移行がめちゃめちゃ楽なんだぜ。だから、重要なデータは、完全に外付けハードディスクに保存してあるから、今回のトラブルとは無縁だ。

しかし盲点だった。重要なデータとはつまり、仕事に支障をきたすデータたち。それなしでは、継続的な仕事ができなくなってしまうデータや、自分にとってのレガシー的なデータ。そいつらは、外付けハードディスクの中だ。ところが、やや重要なデータたち。つまりは、仕事に支障はきたさないものの、生活にやや支障が出るものや、ないと死ぬわけではないが、ないと困るもの、なくなってしまうのは寂しすぎるものたちなど、重要のランク付けからワンランク下げられてしまったデータたちは、ゴッソリとパソコンの中にある。そいつらは、ただの箱の中に永遠に閉じ込められたままになってしまう。あかんあかん、それはあかん。生活が不便になるだけでなく、過去のノスタルジックな思い出たちの一切合切を捨ててしまうことになる。

そうだ、業者さんに、相談しよう。

思い立ったらすぐ電話。直近で対応いただける時間で、家に来てもらうことに。結局、次の日の朝から、自宅に来てもらうことに。さぁ、早う、パソコンの電源、直してくださいな。それが無理なら、データを復旧してくださいな。僕のかわいいパソコンを治療してやってくださいな。

「これ、もう、無理っすね」

え? 無理とかあるん? 業者さんってパソコン界でいうところのお医者さんちゃうん? そんな簡単に諦めたりするもんなん?

「修理とか出されるんでしたら、部品類はすべて海外製なので、戻ってくるのに一ヶ月以上はかかりますね。費用的にも二十万くらいかかるんちゃいますかね?」

はぁ? その間の仕事、どうするん? っていうか、購入した金額の倍以上の修理費かけて、一ヶ月以上、パソコンなしで暮らして、どうやっておマンマ食えばいいの?

「それか、データの復旧しましょか?」

パソコンを修理するのは諦めるしかない。背に腹は代えられん。というか、もはや、データ復旧の一択やん。それでお願いします。新しいパソコンは、なんとか工面しよう。それなら、話は早い。早うデータ復旧してくださいな。

業者さんは、おもむろに自分のノートパソコンを取り出し、今、ただの箱と化した僕のパソコンの内部から取り出されたハードディスクとつなぎ込む。ジョイント。すると、彼のパソコンの画面内に、これまで僕が手塩をかけてきた、見慣れたフォルダやファイルたちがズラズララララと表示された。おぉ、なんだこの、もう二度と出会えないと諦めていた友人、知人に再び会えたときのような感動は。涙が出そうじゃないか。

なにやら、その業者さんの料金システム的には、ある一定の容量の復旧は基本料金で、その後、十ギガ復旧ごとに追加で料金が発生するというもの。
先にも述べたが、あくまで、やや重要となるファイルたち。仕事がめっぽうできるタイプの僕くらいになると、仕事に支障をきたすデータ、命を脅かす類のデータは、すべて外付けハードディスクの中。やや重要となるファイルなんて、そんなにもないだろう。もしかしたら、基本料金内で収まる程度かも知れない。

気楽な気持ちで、「このデータも復旧お願いします。あ、あと、このデータも。それと、このフォルダもお願いします。それと、こっちのフォルダもっすね。あ、そうや、このフォルダもお願いします」と、業者さんのノートパソコンの画面を指差しながら、復旧希望のファイルやらフォルダを指定していく。

こんなもんかな。救えないデータもあるのはあるけれど、そこは諦めよう。費用が高くなってしまっては困る。だから、必要最低限にしておこう。
「以上です!」と業者さんに伝える。彼は電卓を取り出し、パチパチチと打ち出す。「新しい保存用の外付けハードディスクもご用意させていただきまして、復旧費用、合計八万五千円っすね。へへ」

聞き間違いだと思った。データだよ。無形物だよ。しかも、重要なデータじゃないんだよ。やや重要なデータたちだよ。なんでそんなに高いん?
まだ見積もり段階ということもあり、思わず、

「知人や友人で、パソコンのハードウェアに詳しい人間だったら、頼めばデータ復旧って、してもらえるもんなんですかね?」と尋ねてみた。
「まぁ、システムいじれる人だったらやれるかも知れないっすけど。どうされます? その人に頼まれます?」

実はそんな知人も友人もいない。それどころか、普通の友人さえいない。完全に僕の回答待ちになった。二択だ。目の前の業者さんにお願いするか、てめぇでなんとかするか。その回答を、彼は待っている。

「データ復旧だけを専門にやってらっしゃる業者さんっていますよね? そんな業者さんに頼めば、もうちょっと費用って安くなるもんなんですかねぇ……?」あがいてみた。
「同じくらいじゃないですかねぇ。だいたい、どこも同じ方法でデータレスキューしますんで。どうされます? 他の業者さん、探します?」

またしても僕の回答待ちになった。二択だ。目の前の業者さんにお願いするか、まだ見ぬ業者さんにお願いするか。その回答を、彼は待っている。

「復旧、お願いします……」

僕は諦めた。僕は負けた。目の前の彼に依頼する以外、方法はない。あれやこれやと動き回っているような時間もない。
結果的に、作業は六時間ほどかかった。無事に、僕が指定したデータたちは復旧された。超高額な費用をかけて守られた貴重な、やや重要なデータたちだ。なにが悔しいって、業者さんのパソコンの画面には、僕の失われたデータたちのすべてが表示されていたこと。僕が指定したデータだけを選択し、プイッと外付けハードディスクにドラッグアンドドロップ。彼はパソコンを救う立場だよね。パソコン界の医者だよね。画面内に出ていたんだよ、僕の失った、全ファイルが。でも、僕に指定されたかったデータは、救出されない。みんなはこう思うだろう。お前が指定しなかったから、救えなかったんだろうが、ボケが、と。でもね、指定すればするほど、お金がどんどん積み上がって行くんだもん。ファイルが選択されればされるほど、お金が積み上がって行くんだもん。諦めるしかないよね。

僕が彼の立場だったらね。会社に出す見積書とかには、お客様が指定されたデータ容量だけを書き込み、その実、すべてのデータを復旧してあげるね。だって、真実は分かんないじゃん。作業は一緒なんやもん。ドラッグアンドドロップだけやもん。そのほうがお客様、いや、患者様は喜ぶに決まってるもの。それが営利団体の通念違反だっていうなら、僕のことをブラックジャックと呼べばいい。そうまでしてでも、お客様のデータは、すべて救ってあげたい。だって、作業は、ドラッグアンドドロップだけやから。

まぁ、無事、僕のやや重要なデータたちは復旧されました。パソコンがなくては仕事ができないため、業者さんが帰られたあと、すぐにパソコンを購入した。便利な世の中だわな。スマートフォンで購入したよ。ただね、聞いておくれよ。何が悲しいってねぇ、新しく購入したパソコンが、五万円強だったのさ。やや重要なデータの復旧に、八万五千円を投じた後に、五万円強でパソコンを購入。物の価値ってものを見失っちゃいそうだな。

って戯言を、今、こうやって書いているのは、もちろん、五万円強のパソコンなのである。

デタラメだもの

20161203

立ち飲み屋でおっちゃん二人寄れば喧嘩になる。しかし、結果的にパンクロックを学べる機会でもある。『デタラメだもの』

先日、天六商店街で取材があり、予定よりも早く終わったため、フラリと天満の立ち飲み屋に寄り一杯。まだ、夕方に差し掛からんとする時間だったため、先客は若いおっちゃんと、おっちゃんの二人。まだ事務所に帰って仕事もあるため、息抜きに気軽なお酒でも楽しもうと、たこぶつと瓶ビールをオーダー。しんみりと、ひとり飲む。

おっちゃんが二人寄れば、議論が始まる。立ち飲み屋ともくれば、尚、当然こと。若いおっちゃんと、おっちゃんは、例に漏れず、議論をおっぱじめた。話しのネタは、どうやらセクハラに対する倫理観のようだ。

おっちゃんのほうは典型的な定年退職後でいらっしゃる風体。もうひとりの若いおっちゃんは、スラリとした身なりにキャップを被り、オレンジのフリースを着るなど、まだまだ現役を匂わせる風体。場末の岩城滉一といったところか。
おっちゃんのほうがイキリ立つ。最近の女は、やれすぐにセクハラだのと叫びやがると。けしからんと。それに対し反論する若いおっちゃん。

「おっちゃん、そりゃ27年前の価値観と、今とじゃ、大いに違いがありまっせ……」

おっちゃんはどうやら、27年前の倫理感を持って、セクハラ問題を斬らんとしているご様子。なんでも、嫌がる女性職員(定年退職後でいらっしゃる風体のため、現役時代の話をしているのか、元同僚たちとの最近の飲み会の話をしているのかは定かではない)に対し、飲み屋で歌を唄うのを強要したところ、拒否。その態度が気に食わんと、激昂。女は男の言うことを聞くのが社会の常。それを、やれセクハラだなんだと、身の程を知れとの発言。それに対し、若いおっちゃんは呆れた様子。昔と今じゃ時代が違う。今では、発言の受け手が不快に感じた時点で、セクハラ、パワハラ、アルハラの文化。そんな大昔の倫理観を持ち出されても、話になりまへんで、と反論。

おっちゃんは、若いおっちゃんの正論に腹を立てたのか、「自分、学校どこや?」と、詰問。話は逸れるが、不良たちが「自分、学校どこや?」と詰問するときは、「どこどこ中学のモンなのか?」を確かめるためであり、相手の中学が荒んでいればいるほど、身構えねばならないし、どれほど荒んだ学校に身を置いているかで、そいつの身分を測らんとする。しかし、おっちゃんたちの会話で、「自分、学校どこや?」と詰問された場合は、出身大学を答えるのが常。すると、若いおっちゃんが冷静に答えた。

「僕ねぇ、関大(関西大学)出てますねんやわぁ」

それを聞くや否や、おっちゃんが一瞬、怯んだ。若いおっちゃんが、「先輩は大学どこですのん?」と詰問するも、おっちゃんは、「それは言えまへん!」と、口をヘの字に曲げる始末。この時点で、本日の立ち飲み屋での身分の上下が明確になった。

関大が発する意見だと怯んだためか、おっちゃんは先ほどのセクハラ議論に対し、「そないでっか……。もう時代がちゃいまんのやなぁ」と、しおらしく認める始末。なんという学歴社会。立ち飲み屋にも、確かにヒエラルキーはあった。

しばらく穏便に会話をしていた二人。すると、話の流れが給料のネタに。僕はオーディエンスとしてまだまだ席を立ちたくなくて、もう一本だけ瓶ビールを注文。アテも切れてしまったので、たことキュウリの酢の物をオーダー。どれだけたこ好きやねんと自分で苦笑しながら、おっちゃんたちの会話に耳を澄ませる。

おっちゃんはどうやら、現役時代、公務員だった模様。若かりし頃、先輩に連れて行ってもらった北新地の話を始めた。先輩がその日奢ってくれた飲み代が、自分の一ヶ月の給料以上だったとのこと。会計の金額を見て、世の中狂っていると憤慨したそうだ。若いおっちゃんはそれを聞くや否や、「その先輩は、接待費で落としてはりますて」と諭す。おっちゃんはその意味が掴めていないらしく、「あの先輩、どれだけ給料貰っとったんじゃい……」と、数十年の時を経て肩を落とす。「だから、接待費で落としてはりますて」と何度も諭すも、おっちゃん、酔がまわっているためか、耳を貸さない。

そこから給料の話が続く。公務員だったおっちゃん、残業や休日出勤の制度に不満があったのか、定時以外の勤務には、もっと手厚い時間外報酬があるべきだと主張。若いおっちゃんが、「そない不満不満言いますけど、どれくらい貰ろてましたん?」と質問。するとおっちゃん、「時給2,500円足らずしか出まへんねん!」と回答。それを聞くや否や、若いおっちゃん、「そない貰ろてんの? 考えられへんわ……。税金でっせ!」と、眉間に皺を寄せ、少し声を荒らげる。「もっと貰わなあきまへん!」と、おっちゃん。「民間企業のこと考えてみなはれや、そんな時間外報酬なんて、どこも出まへんで!」と、若いおっちゃん。

すると、おっちゃん、公務員の待遇がもっと優れているんだと主張し始めた。退職する職員には、餞別代として、現金を支給するとのこと。それも数万円。何に係る費用かを明記しない領収書を発行した上で、餞別代を支給すると暴露し始めた。若いおっちゃんは、どうやら自分の弟が公務員らしく、そんな制度はないと反論。おっちゃんは、「僕の頃はあったんですわ。餞別代がね!」と豪語する。すると、若いおっちゃんは、「何が餞別代じゃ!我々から絞り取った税金を、何に使ことんねん! 信じられへんわ!」と、ブチ切れ。「それが公務員なんです!」と、意味の分からん反論をするおっちゃん。「ほんま、信じられへん!」と呆れ返る若いおっちゃん。「ほんま、信じられまへんなぁ……」と、おっちゃんも同調。お前はどの立場で若いおっちゃんに同調してるねんと、キュウリの酢を感じながら、心の中でツッコむ。

かなり険悪なムードになり、しばし二人、無言で酒を飲む。ちょっとの間、それが続いた後、若いおっちゃんが、「いやぁ、しかし餞別代って、とんでもない制度でんなぁ……」と、おっちゃんに話しかけた。するとおっちゃん、何を思ったのか、「僕ねぇ、餞別代なんて、ひと言も言うてないよ」と、坊っちゃんのように恍ける。

「さっき、言いましたやん……」
「僕、そんなこと言うてないよ」
「ハッキリと、餞別代、言いましたっ!」
「僕、言うてない」

おっちゃん、暴露してはマズいことを口外してしまったことに気づき、その事実を揉み消そうとしているのか、それとも、酔っ払い過ぎて、単に覚えていないだけか、とにかく、餞別代という言葉を口にしていないと主張する。

「退職する人間に、餞別代出すって言いましたやん!」
「僕、そんなこと、いつ言うた? 僕は言うてない!」
「おっちゃんなぁ、いくら酒場やからて、そんな適当な話したらあきまへんで。そんなん酒場でも許されへんで!」
「酒場も何も、僕は餞別代で領収書切るなんて言うてません!」
「ほらっ! 領収書とか言うてしもてるやん。俺、今そんなこと言うてへんのに、おっちゃん自分で、領収書って言うてしもたやん!」

おっちゃん、相手からの王手飛車取りを感じたのか、「ごめん! おあいそっ!」と叫び、ポケットから千円札を数枚抜き取り、支払うや否や、小走りで店を出ていった。

店の雰囲気は重く、にはとてつもない険悪なムードが漂っていた。若造の僕は居心地の悪さを少し感じていた。店内には、最前の喧嘩の最中に来店した、新客のおっちゃんが二名増員。
まだ半分以上残っている瓶ビールを眺めながら、グイッと飲んで帰ろうか、雰囲気も悪いことやし。でも、なんか損した気になるよなぁ。いやいや、でも、この雰囲気、気を使うしなぁ。

と悩んでいたところ、隣の新客のおっちゃんのひとりが口を開いた。

「ここって、メニュー変わるの、月一回やったっけ? 週一回やったっけ?」

と酔っぱらいながら、大将に発する。それとは別で、もうひとりの新客のおっちゃんも口を開く。

「今日なぁ、腰痛ぁてな。なんか、パイプ椅子ひとつだけなかったっけ? あったら貸してくれへん?」

最前の喧嘩を受け、居心地の悪さを感じていたのは、僕ひとりだった。やはり、昼間っから飲み屋に来るおっちゃんたちは、少々のことじゃ動じない。マイウェイを駆けている。すぐ隣で喧嘩があろうがなかろうが、メニュー変更のタイミングを気にし、腰の痛みからパイプ椅子を探している。人は人だ。自分は自分だ。周りがどうなろうが、自分は自分だ。まさに、パンクロックだ。よっしゃ、僕もおっちゃんたちのアティチュードを見習って、腰を据えて残りの瓶ビールを楽しんでやろう。フフフンと鼻歌混じりに、瓶ビールを謳歌してやろう。

予定より早く終わった取材。しかし、腰を据えて飲んでしまったために、当初の予定をはるかに超してしまった。事務所に戻る時間が遅くなる。本番公開せねばならない案件が遅れそうになる。予定より仕事が詰まる。帰宅が遅くなる。中途半端に酔ったもんだから、身体が怠くなる。眠くなる。眠くなる。だけれども、後悔はない。おっちゃんたちの真髄を見たから。またひとつ、成長できたから。時間外報酬なんて一円も出ないけれど、まだまだ頑張れる。キッズたちよ、教科書に乗っていない学習カリキュラムは、天満の立ち飲み屋に行けば出会えるぞと、わけのわからんことを考えながら、酔の名残りから、二文字打ちゃ一文字はタイピングミスしてしまう、覚束ない指先を眺めた。

20161105

ナメクジとプロ意識と明かりをテーマにしたらこんな小咄になるだろう。『デタラメだもの』

夏の終わり、秋のはじまりの頃には、夏が最後にもがいているような雨がしばし降ることがある。そんな雨もやみ、「まるで今日、夏日やね」と言われる数日を経た直後、肌寒さが訪れ、秋を感じはじめる。

夏のもがき雨がやんだある日、仕事終わりに部下と缶ビールを飲んでいた。オフィス街の植え込みのレンガに缶ビールを据え置き、談笑しながら雨上がりのビールを満喫する。酔も手伝って、ふにゃふにゃしながら、缶ビールを口に押し当て、流し込もうとすると、なぜか飲み口まで、ふにゃふにゃしてやがる。まだそんなにも飲んでいないのに、こんなに感覚がおかしくなることあるかねぇ。と、何度も何度も、飲み口を押し当てる。直近で下唇を火傷でもしたかしらん? そんなアホなことはあるまい。そんな不便を感じた記憶はないし。
そう思い、飲み口から缶ビールをスーッと離してみると、飲み口の円形に沿うようにして、ナメクジがへばりついてやがった。ギャプッ! ナメクジに対して下唇をやや強めに押し当てていたのかと、発狂寸前。もう一度、ジロリと缶ビールを眺めてみると、なんと、缶ビールを握りしめている自身の薬指と缶ビールの隙間にもナメクジ。薬指でナメクジを押さえつけながら、下唇でナメクジを押しやりながら、ビールを飲もうとしていたのである。ギャプッ! 発狂寸前。体内の水分が欠乏してしまうほどに全力で一心不乱に唾を吐き続けた。自分の感覚の中に残る、ナメクジ感のすべてを吐き出したくて、唾を吐き続けた。

忌まわしきものとして、植え込みのレンガの上にポツネンと据え置かれた缶ビールの上を、二匹のナメクジがうにゃうにゃと這い回る。横を走りすぎる車のヘッドライトが照らした僕の缶ビール。缶ビールと同時に、スラリと長く伸びたナメクジの二本の触角まで照らし出されて、それを見た僕はさらに発狂。その具体性、要らん。感覚だけでも参っているのに、その具体性、ひとつも要らん。車のヘッドライトは、道路だけを照らしておいてくれ、ナメクジの具体的な部分を照らし出さんでよろしい。しばし発狂した後、落ち込んで帰る。自分の中の処女を汚された気がした。もう、処女である証は二度と自分に戻ってこないという事実が、これほどまでに辛苦の思いを味わわせるのか。

と、冒頭、季節の小粋な文章を挿し込んでみたのですが、いかがでしたでしょうか?
それにしてもこの季節、無駄に歩いて帰りたくなるよね。仕事していようが飲んでいようが、終電までに帰るというよりも、いっそ、終電なくなったし歩いて帰ろ、となる季節ですよね。そんなこんなで、日付が変わったくらいの時間からでも、平気で一時間やら二時間やらかけて歩いて帰っています。

そうやって長い時間歩いて帰っていると、たいていの人は、プロ意識について考えるよね。僕も例に漏れず、ぷらりぷらりと歩きながら、プロ意識について考える。サラリーマンがこれほどまでにプロ意識を欠いている、プロである意識を持ち合わせずに仕事をしているのはなんでだろうか、と考える。そうか、固定給貰ってるからか、と答えを導き出す。その間、およそ十秒。答えは出た。さて、残りの道中は何について考えようかと思案。いやいや、プロ意識について、もうちょい深掘りしなはれと自分でツッコミ。しゃーない、考えよか。

プロであるとうことは、対価を貰って仕事をしているということ。基本的に失敗が許されないということ。たとえ失敗したとしても、プロ意識を持ってリカバリに努める必要があるということ。リカバリの際は、プロとしての付加価値を添えなければならないということ。そして、需要がなければ、不要の烙印を押されてしまうこと。敗北してしまえば、不要のレッテルを貼られること。それらすべてを総括するならば、対価を支払ってくれる人が求めることに対し、常に、期待以上で返せること。

サラリーマンは、そんな小難しいこと考えなくとも、固定給は貰えるし、クビになることはないし、不要の烙印を押されることもない。増してや、そんなことを意識して仕事したとて、給料が上がることもないし、ボーナスなんて貰える時代じゃあない。そりゃあ、プロ意識も欠けるわな。しょうもない。

近ごろ、年齢のせいもあってか、歩いて帰っていると、足も痛くなるし、腰も痛くなる。タクシーに乗るのも勿体なく、歩くにしても身体が悲鳴を挙げてしまい、自ら選んだ選択にも関わらず、道中、辛くなって泣きそうになることがある。まったく情けない。
泣き顔になりながら、こんな風に思ったわけです。金に焦点を当ててしまうから、サラリーマンはプロ意識を持たずにやり過ごせる。だったら、時間に焦点を当ててみようじゃないかと。金は固定的に貰えるかも知らんけれど、間違いなく、残された寿命というものは、相対的に目減りしているんだぞ、と。相対的ってえ由縁は、寿命の長さは人それぞれで違うから。時間を犠牲にして働いている。時間を犠牲にして仕事をしている。それをなあなあな気持ちでやり過ごすなんて、なんてバチ当たりな。病床に伏した未来の自分がタイムマシンに乗って現代にやってきて、お前と対峙したとしたなら、点滴の管を引きちぎりながら、豪腕パンチ一発。頬をぶん殴られるに決まってる。

未来の自分にぶん殴られないように、プロ意識をしっかりと持って、日々の仕事と向き合いたいと、改めて思った。あかん、夜も更けてきて、小腹が減った、とも思った。

道中の牛丼屋にでも寄って、小腹の減りを満たすか。新たな目標ができたことに喜々として、遥か前方に見える牛丼屋の看板を目指す。ようやく辿り着き、入店しようとした刹那、ふと、「お金、持ってたかなぁ?」と心配になり、やや分厚い財布をカバンから取り出す。やや分厚かったために、お札の数枚でも入っているだろうと過信していたが、その実、ぜんぶ不要なレシートの束だった。まったくもって不要なレシートの束が、無駄に財布を分厚くさせていやがった。あかんあかん。お札を諦め、小銭入れのジッパーを開く。中を除く。牛丼屋の店内の明かりに照らされた僕の小銭入れの中には、十五円しか入っていなかった。しゃあない。牛丼は諦めよう。小腹の減りと仲良くしながら、残り半分の道のりを帰るか。

明かりというものは、ナメクジの触角も照らし出してくれるし、無銭の財布の中身も、しっかりと照らし出してくれる。そして時に、自分の未来も照らし出してくれるもんだから、なかなか粋な奴である。グゥゥゥゥゥ(空かした腹が泣いた)。

デタラメだもの。

20161010

今宵、モンスターボールで華麗にゲットされる。『デタラメだもの』

ここ数週間、大きなお仕事をいただけたことにより、やってもやっても仕事が終わらず、タクシーで帰宅する日々。ドロンドロンにくたびれた、と表現してしまうほどにヘロヘロしながら、すがる思いで右の手を挙手、止まっていただいたタクシーに、すがる思いで乗り込む。

元来、タクシーに乗車した際は、人との貴重なトークの場だと、しゃべりたそうにしている運転手さんの雰囲気を察知するや否や、会話をおっぱじめ、できるだけたくさんの笑いを生もうとしゃかりきになってきたものの、さすがに疲労も極み、ふと、黙っていても家まで運んでくれる、この時間も休息として活用せねば、体がくたばってしまうということに気づき、しゃべらなくなったばかりか、いっそ眠ってしまおうと、瞳を閉じるほどに堕落した今日この頃。

が、ある日、その沈黙を破るようにして、運転手さんのひと言が、車内にこだました。「お客さん、ポケモンGOってやりはりますか?」と。

乗車した会社付近から家までの、ちょうど半分くらいの道のりを来たあたり。こっちとしては、降車までこのまま沈黙が続くであろうと思って当然のタイミングで、ビクッ、怯えるほどに驚いてしまった。しかし、しゃべりたそうにしている様子を察知した僕は、そのフレーズを機に、会話を始めた。

「そうですねぇ、ボチボチやってますよ」と返事。するとタクシーの運転手さん、「いやねぇ、僕らタクシー運転手って、ある意味、ポケモンGOをやってるようなもんなんですよ。街なかで手を挙げているポケモンを探す旅っちゅうか。言ってみれば、タクシーGOですよねぇ、なははは」
タクシー運転手さんの平均年齢からすると、少し若め。真面目そうな人柄のタクシー運転手さんは、そう語り始めた。むむむ、なかなかハードルの高い会話。これをどう料理するのか、腕が試されている。タクシーGOというボケに対して、そのネタを広げて行くのか、それともそのフレーズに早々と限界を見出し、ポケモンGOに関する一般的な時事ネタに逃げるのか、かなり悩んだ末、一旦はそのネタに付き合ってみる、そして、天井が見えそうなら、時事ネタに逃げてみる、という選択肢を選んだ。

しっかりと戦略を立てた結果、話はかなり盛り上がり、愉快に笑ってくれる運転手さんだったことも手伝って、車内はとても和やかなムードのまま、降車位置に辿り着いた。
疲れきって沈黙していた僕に対し、渾身のネタを放り込んでくれた運転手さんへの感謝の意味も込めて、降車の際、「じゃあ、気をつけて次のポケモン探してくださいね! レアポケモンをゲットできること期待してますよ!」と言い残し、タクシーを降りた。ドアが閉まるまで、車内には運転手さんの愛想のいい笑い声が響いていた。

和やかなポケモン話に花を咲かせた翌日、またしてもタクシー帰宅。同じようにくたびれ、昨晩と同じ場所で右の手を挙手。何日こんな日が続くんだと、肩を落としながら、停車したタクシーに乗り込む。本日も、休息させてもらおう。しばし瞳を閉じて、仮眠させてもらおう。走行するタクシーの軽い振動に身を任せながら、ウトウトしていたところ、昨日とほぼ同じ場所で、急に運転手さんが口を開いた。

「お客さん、ポケモンGOってやりはりますか?」
え? 昨日と同じフレーズ!? でも、昨日とは違う運転手さん。どういうこと!? 道中、昨日とほぼ同じ場所で全く同じフレーズが、沈黙の車内にこだました。
面食らってしまったものの、しゃべりたそうな雰囲気をしている運転手さんに無礼がないよう、「ボチボチやってますねぇ」と返事。するとタクシーの運転手さん、「昨日ねぇ、南森町のスナックの界隈で、常連のお客さんを待って停車してたんですわ」と話し始めた。

「対向車が通れないくらい細い道に車を止めて、お客さんが来るのを待ってたんですね。そしたらね、道の向こうから二十代中盤くらいの女性が歩いてきましてねぇ。ポケモンGOやりながら、こっちに車が止まってるのを見もせず、気づきもせず、真っ直ぐ歩いて来はったんですわ。私ねぇ、危ないと思ったもんだから、軽くクラクション鳴らしたんですわ。夜道で車の存在に気づいてないのかなって思ったからねぇ。そしたらね、私の車の横を通り過ぎるときにね、その女性ね、クラクション鳴らさんでも分かってるんじゃボケッ! って暴言吐きよったんですよ。私ねぇ、腹立ってねぇ! 今でもまだ腹の虫が治まらないんですわぁ……」

九州弁で静かに怒りを露わにする運転手さん。プロの運転手として、その暴言はやはり悔しいものだろう。歩行者とモメてしまっては、呼び出してくれているお客さんにも迷惑をかけてしまう。その思いから、腹に力を込めて、怒りを飲み込んだそうだ。言葉の端々から、あまりにも根深い怒りが伝わってきたので、その怒りをほぐしてあげる意味も込めて、「でも、それって、ポケモンGOやってたとは限りませんよねぇ…(笑)」と合いの手を入れてあげ、「よく考えたら、ほんとですねぇ。ポケモンGOのせいにしたらダメですねぇ(照)」と、和む場面も作ってあげた。

近ごろの若者は礼儀が全くなっていない。若い乗客でも、降車時にお札を放り投げるような輩もいる。中には丁寧にお礼を言ってくれる若者もいるが、ガラの悪い連中もたくさんいると、かなり愚痴っておられました。九州訛りが余計に、大阪に出てきた男の侘び寂びを物語っているようで、単純な愚痴話にも関わらず、一人の男の人生を垣間見ているようで、とても興味深く聞き入ってしまった。

タクシーの降車時、「この話ねぇ、誰にもするまいと決めていたんですけど、しゃべってしまいましたわ。でも、ちょっとスッキリしました。怒りもちょっと収まってきました。ありがとうございます」と、丁寧に礼まで言ってくだすった。すごくいいことをした気分になった。タクシーで帰宅せねばならん時間まで働く日々は、笑顔で許容するにはまだ器の大きさが足りていないかも知れないが、こんなサプライズがあるなら、まだまだなんとか頑張れそうだと、小さく拳を握りしめる自分もいた。

しかし、ふと、こんな風に思った。タクシー組合なるものがあって、タクシーだより的な回覧板なるものがあるなら、こんな風に書かれていたんじゃなかろうかって。
話したいネタがあって、お客さんに耳を貸してもらいやすくするための今月の定番フレーズは、「お客さん、ポケモンGOってやりはりますか?」ですよ、と。

デタラメだもの。

20160912

調子に乗って話を盛りすぎると、ジェンガのブロックが崩壊するよ。『デタラメだもの』

大阪人だからだろうか、話を大きく盛ってしまうクセがある。特に、人と会話していて調子が良く、ウケにウケてる状況なんかになると、もっと笑いをくれ、もっと笑いをくれと貪欲になり、話をどんどんと盛って行く。脳内の別の自分が、「おいおい、そんなに話を大きくして大丈夫かね?」と、さりげなく心配してはくれるものの、「大丈夫、大丈夫、笑いは一期一会、この瞬間を逃すと二度と来ない。逆を言えば、この瞬間だけで終わるもの。話なんて、盛ったほうがおもろいやん」と、その心配を焼き払い、さらに大げさな話を続ける。

他人のエピソードなどを語っている場合には、あくまで見聞き知ったことを語っているだけなので、どれだけそれが現実離れしていようが、話の手離れが良い。最も厄介なのが、自分のエピソードを、大いに盛りに盛って語ってしまったとき。

その昔、音楽をやってる連中たちと某家に集い、鍋をつついたりお酒などを呑んだりしている最中、初対面の若手と語り合うことになった。彼は即座にこちらを慕ってくれ、兄貴、的な視線を送ってくれる。何を言うても響く。何を言うても感銘を受けてくれる。こちらの音楽に対する姿勢なんぞにも、大いに尊敬の念を示してくれるじゃあないの。
もとより、音楽に関しては雑食のワイ。偏ったジャンルに固執せず、どんな音楽でも柔軟に溺愛できる姿勢が彼に感銘を与えたらしく、ヨイショと持ち上げられ、持ち上げられ、気分よくなったワイは、「まぁ、こんな雑多に音楽を貪った結果、CDも集めに集め、今じゃ、家のラックに3,000枚くらいはあるよね」などと話を盛ってしまった。

こういうケースでひと言、言っておきたいんだが、こちらが明らかにネタと分かる数値だの距離だのを使用した際は、即座にそれを、ネタだと受け止めて欲しいのです。そういうの、関東の人には一切通用しないのは、なんとなくの経験上、理解しているし、こちらも傷つくのが嫌なので、めったと使わないが、そこはせめて関西人、ちゃんとネタはネタとして受け止めて欲しいのです。

ところが、彼、「さすがっすね! 兄貴! 今度、兄貴の家に遊びに行かせてくださいよ!」と来やがった。CDが3,000枚あるということを真に受け、そして、兄貴の凄さの証明が、家に3,000枚のCDがあることだという、僕を尊敬するひとつのファクターとして、CD3,000枚をコミットしやがった。

ということは、もし、彼が家に来たとして、3,000枚のCDが無かったとする。そうした瞬間に、兄貴への尊敬やら畏怖の念やら憧れの眼差しは消失してしまうということになるわな。ブロックゲームのジェンガで言えば、根底で上部の重みをズシリと支えている一枚のブロックを、問答無用に引き抜かれることになるというわけだ。
そんなアホな。家に3,000枚もCD、あるかいな。せいぜい、あっても200枚やわ。話を盛り上げよう思うて、15倍、盛っとるねん。家来るとか言うなよ。そんな殺生な話、あるかいな。

もちろん、彼を家には呼べない。彼は家に来たがる。「家、行きたいっす!」の話が持ち上がる度に、適当なことを言って誤魔化す。バルサン焚いてるから無理だとか、親戚一家が泊まりに来てるだとか言うて。
そのうち、それも面倒になり、彼とは会わんようになるわよね、自然の流れとして。疎遠になるわよね。彼、元気にしてるのかしらん。生息さえも知り得ない関係になるわよね。誰のせい? 話を盛った人のせい? そない殺生な。

そういえば、幼少の頃、話を盛ったことで殺されかけた経験もある。

当時、ミニ四駆なるレーシングカーの模型が流行し、キッズたちはこぞってそれを手にし、熱狂していた。
ミニ四駆というのは、いろいろな車種のラインアップがあり、マシンを構成するパーツがケースに入って販売されている。買いたてのキットは、標準のパーツしかセットされていないので、いわば、生まれたての状態。それを組み立てて、コースにマシンを持参し、走らせ、スピードを競いながら遊ぶ。

ところがこのミニ四駆、モーターやらタイヤやらホイールやらベアリングやらシャーシやらを強化できるアイテムが単独で売られており、それらを購入し、本体を改造していくことで、どんどんとスピードが速くなっていく。改造すればするほど、自分のマシンが強化されていく。そのため、キッズたちは、より最強のパーツを手に入れことを憧れとしていた。

ある日、マンガ雑誌かテレビ番組かで、正確な名前は忘れたが、ミニ四駆史上、最強のモーターが発売されるとの発表があった。実際にそのモーターを搭載したマシンが走っているところをテレビで目にしたが、思わず失禁してしまいそうなほど、速かった。あのモーターが欲しい。キッズたちの全員が、そう思ったものだ。
ただ、住んでいるのは、大阪でも都会とは呼べない街。近所の模型屋に、そんな流行のモーターなどが入荷するわけもなく。憧れが憧れのまま流れる日々が続いた。

話は変わって、小学生の頃は、校区なるものが定められていて、ここの道路から向こうは行ってはダメだよ、ヨソの学校の校区だからね、君たちキッズは、ここの道路からここの道路までの区間しか移動しちゃダメ、校区外に出るときは、マザーかファーザーと一緒にね。なんていうルールがありましたよね。

とある晴れた午後、親の用事に付き合うべく、親とともに校区を出て、大型スーパーへと向かった。我が小学校区の境界となる道路沿いには当時、イッコーホビーなる、模型屋さんがあった。位置関係でいうと、こちらの校区の境界があって、道路を挟み、イッコーホビーが向かいに見えている状態。親と大型スーパーに向かう際、そのイッコーホビーの店内にチラッと目をやると、ミニ四駆のセットが数台、売っているのが目に見えた。「へぇ。イッコーホビーって、ミニ四駆も売ってんじゃん!」という軽やかな印象を持った。

後日、友だち同士でミニ四駆の話で盛り上がっている最中、話はやはり改造のネタへと。あの軽量シャーシがヤバイとか、真鍮のギアにはグリスを塗りすぎるとダメだとか。そして話の中心は、例のモーターに。
友だちの中でも、不良とされている男の子が、やけに例のモーターの話をしたがるもんだから、僕は調べに調べたそのモーターの知識を披露。大いに盛り上がる。不良から賞賛される。心地良い。よっしゃ、話をもっと盛ってやろう!

そう考えたのが、悪夢の始まり。なんと僕は、不良からの賞賛欲しさに、「校区外にあるイッコーホビーに、例のモーターあるらしいよ」なんてことを口走ってしまったのである。不良は大喜び。喜び過ぎて、はしゃぐ、叫ぶ、そばにある物を破壊するの祭り状態。そして、僕への賞賛は、その瞬間、最高潮に達した。「ヤベッ……」とは思ったものの、イッコーホビーがあるのは校区外。僕たちキッズは、あちらへは行けないシステムだ。真相なんて確かめられるわけがない。まだ幼い僕の脳みそは、単純にそう考え、安堵していた。

ところが相手は不良。時にルールやマナーはもちろん、人として守らねばならない境界をも踏み抜いて行く人種。校区なんて知ったこっちゃあない。翌日、彼はなんのためらいもなく境界線を越え、イッコーホビーを訪ねたそうだ。そして、例のモーターの所在を確かめたそうだ。無かったそうだ。そりゃ、無いよ。チラッと目にした店内に、ミニ四駆が数台だけ売られているのしか、見てないんだもん。例のモーターなんて、あるわけないじゃん。

彼の怒りが沸点に達したのは、容易に察しがつく。翌日、僕の目の前に現れたのは、数日前、喜々として僕を賞賛してくれていた彼ではなく、猛り狂ったガタイのいい、荒くれ者のただの不良だった。お察しの通り、シバかれた。首を締められた瞬間、恐くてすぐに泣いた。失禁しそうになった。ちょっと、失禁した。

こんな経験をしているにも関わらず、いまだに話を盛ることはやめられない。目先に待つ、より大きな笑いが欲しい。先にも書いたが、話を盛ることは、ジェンガのブロックを高く積む如くの行為。その話を支えているブロックが外れたときの崩壊のリスクも描いておかねばならない。そうならないための防御策は、最低限、モーターが本当に売っているかどうかだけは、事前に確かめておくことだ。

デタラメだもの。

20160716

珍しく乗ってみようと思った流行に、乗り損ねると大怪我をするよ。『デタラメだもの』

流行に敏感な人というのは、ほんと、感心してしまう。だって、今何が流行っているのか、次は何が流行るのかという情報源に対し、アンテナを張り、常に敏感に意識しているということだもんね。性格的に、そんなマメなことは、ようできないため、いつだって流行には取り残された自分がいる。

まあ、どこか斜に構えた生き方をしている自分みたいな人間にとっては、「流行なんか取り入れるなんて、生き様に反してるわ」と強がってしまえば済むわけで、これまでもずっとそうやって生きてきたもんで、だから、殊更、流行を意識して生きようなんざ思っちゃいないが、時に、流行モノを欲してしまう瞬間というものがあるから、困り者。

そう、今、それが、電子タバコ。

近頃、巷で大ブームを巻き起こしているアレ。火を使うことなく、たばこを加熱して味わうというアレ。今まさに、自分の中で、遅ればせながらの大ブームが到来しているのである。

例の電子タバコを人々が持ち始めた頃は、「こんなまがいもんに手を出してまで吸うくらいやったら、タバコなんて、やめてしもたらええねん……」と悪態をついていた。だって、「僕、意識高い系の男子ですねん」というようなオーラが胡散臭く、よくもまあ、堂々と街なかでこんなもん吸えるなあと、多少、見下した感でその景色を眺めていた。
ほら、あれ、携帯電話本体を耳にも付けず口元にも寄せず、イヤホンとマイクを使っておしゃべりしている連中がいるじゃあないの。あれと一緒。あれも、周りからすると、アホの極みやと思われてるよね。白昼堂々、ひとり言を愉快痛快大声でしゃべり倒しているおかしな奴だと、一瞬思うよね。そう思われてるのを知ってか知らずか、堂々と例のアレを活用している連中というのは、もはや、世捨て人やで。最先端や思うてるんやろか? 意識高い系や思うてるんやろか? 頭のおかしい人間やと周りが思っていること、知ってはるんやろか?

まあ、早い話が、あれと一緒で、電子タバコもイキった連中が持つイキりアイテムだと感じていたわけさ。それがどうしたことか、職場の後輩の中でも、最も意識が低い系のメンズが、例のアレ、電子タバコを買っちゃったじゃあないの。
しかも、「先輩も一緒に買います? 最近、人気で、在庫ほとんどないらしいですよ?」なんて、声までご丁寧にかけてくれちゃって。

「そんなもん、要らんわい!」

と一喝。俺様を誰様やと思うとるんじゃい。あえて流行の逆に歩を進めるような無頼者やぞ。そんなもん、ワシに薦めてくれるな若造よ。

そうやって意地を張っていたのもつかの間。後輩に何度か試し吸いさせてもらっているうちに、「これ、ええやん……」。灰が出ないから、散らかすこともない、「これ、ええやん……」。煙のニオイもない、「これ、ええやん……」。普通のタバコと比べて、タールがほとんど含まれていない、「これ、ええやん……」。

そして、「これ、欲しひ……」、となったわけである。

が、しかし、その後、家電やサブカルに強い影響力を持つ某トークバラエティ番組で、例のアレの特集が組まれたり、インターネット大手検索エンジンのニューストピックスにデカデカと記事が掲出されたりで、世間の注目が一気に集まり、瞬く間に巷から、例のアレが姿を消した。

なんじゃい! こっちが欲しいと思ってやった途端、手のひら返すんかい! せっかく買ってあげよ思うてんのに、そっちから逃げて行くんかい!

そう吠えてみたものの、一度火がついた衝動(電子タバコは火がつかないタイプの煙草ですが)は抑え切れず、寄るタバコ屋、寄るコンビニ、どこへ行こうが、「例のアレ、置いてる?」と、キザに確認してまわり、「ないっすね!」「余裕で、ないっすね!」「あるわけないっすね!」と、どこの店でも軽くあしらわれ、そうなると人間、ますますそれを欲する熱情が増し増して、ぐぬぬ、アホウと思い、先の後輩に、「お前、それ、どないやって買ったんじゃい!」と、鼻から焦りの煙をモウモウと吹き出しながら詰問。すると後輩、「僕が買ったころは、まだタバコ屋に、普通に入荷してましたもん。だから先輩に声かけたんじゃないっすか、あの時! 僕が買った日も、まだ三台くらい在庫あったのに!」と、流行に対してのスロースターターを追い詰める態度を取られる始末。

こんなんでメゲてられるかい。そう思った僕は、懇意にしているタバコ屋のご主人に、「例のアレ、次、いつ入荷しますのん?」と尋ねてみた。
すると、「今、ブームやからねぇ。次の入荷は分からんわ。まぁでも、一過性のもんやから、そろそろ落ち着くんやない? 半年くらいのスパンで見たら、涼しい顔して手にできるよ」と。

「半年……」

もう、流行とかどうでもいいんですわ。灰が出ないとか、タールが少ないとか、もうそんなんどうでもいいんですわ。欲したものが手に入らない、どこに行っても手に入らない、そのジレンマを解消したいだけなんですわ。
夢は叶う、とか、偉人さん、よう言いはりますよね。でも、僕の夢は叶わないんですわ。少なくとも、今、僕の手では、叶えることができないわけです。そんな気分で、いつものタバコを吸っていると、灰はボロボロ落ちるわ、ヤニのニオイは強烈やわで、なんか、とっても惨めな気分に。

流行って、それに乗るのがダサイと感じていた頃もあった。それなのに今、流行に乗ろうとして一歩を踏み出したくせに、流行に混ぜてもらえなかった自分がいる。素直に流行に身を任せている人のほうが、なんぼか美しい。なんぼかスマートだ。

こんなことを言うのは失礼かも知れないが、甲子園を目指して、夜な夜な家の前で素振りの練習をする高校生がいる。さぞ、甲子園に行きたいのだろう。もしかしたら、甲子園に行くのは夢の途中で、その後、プロになって活躍し、メジャーに行って大記録を打ち立てたいと、毎日毎日、スイングを続けているのかも知れない。その憧れたるや、相当のものだろう。
しかしだね、僕が電子タバコを手にしたいという憧れも、決して君に負けてやしない。僕だって、君がバットを振る回数くらい、タバコ屋やコンビニを巡っている。僕のバットにボールが当たることはない。いつだって空振りだ。そのストレスで、普段吸っている、マールボロメンソールライトの摂取量は、平常時の三倍近くなってきた。高校生よ、いつか僕がホームランを打つその一球、ピッチャーの球種はロー、つまりは、低めの球だろう。だって、電子タバコに、灰、はないんだもん。くだらん。僕が手にする栄光に、タールは少ないが、エールはきっと多い。くだらん。

さあ、次はどこを攻めようか。きっと、戦国時代の武将たちも、こんな風にして、次の戦に胸を躍らせていたに違いない。もはや、侍だ。早う、刀が欲しい。火を使わず、加熱するタイプの刀が欲しい。ぐぬぬ。

次のタバコ屋には、例のアレ、なんだか置いてそうだぞ。第六感がそう叫んでいる!
心の中で、「ヨシッ!」と気合を入れながら、通りの向こう、タバコ屋に攻め入るべく、横断歩道へと一歩を踏み出した。

デタラメだもの。

20160703

僕はこれを、胸を張って、獄中ダイエットと呼ぼう。『デタラメだもの』

くはははは、ついに痩せることができた。ついに痩せることができた。

年齢を重ねると人間、わずかばかりの小金を持つようになり、そうなると、うまいもん喰いたいと、生意気にお店などを選びはじめ、舌鼓を打ちはじめたりする。
その結果が、だらしないボディライン。ハングリーとはほど遠い仕上がり。貪欲さの欠片もないプロポーション。意識はすれど、痩せるはずもなく、醜くなる一方。
長渕剛のSTAY DREAMの歌詞を、自分に置き換えて、心に染み込ませながら聴き入っている最中も、「くよくよするなよ あきらめないで Just Like a Boy その痩せこけた頬のままで」というサビの部分で、痩せこけているどころか、無駄な贅肉に覆われた自分の頬を思い、流れていた感涙も逆流するような苦々しさを噛み締めはじめて、もうどれくらいが経つだろう。

それがだ、くはははは、ついに痩せることができた。ついに痩せることができた。

ロクに仕事もようできない自分のような人間が、なまじっか大きな規模の案件に手を出すと、痛い目に遭うわな。お客さまはプロジェクト成功の夢を見ていらっしゃるので、その夢を覚ますような醜態を演じてしまうと、そりゃ寝起きも悪くなられるゆえ、要するに、「何をしとるんじゃおのれ! 中途半端なことしとったらいてまうぞ! 不眠不休絶食絶飲で、ワシにもう一度、夢見せたらんかい!」と、胸ぐらを掴まれつつ、そのまま持ち上げられつつ、足先が宙に浮きつつ、そんな状態の折り、舌を巻きながら申されたわけで、「ひいいい、すみません。不眠不休絶食絶飲でやらせていただきやすぅぅ」と、脊髄反射で返答。

気づけば、九十時間、不眠不休で仕事をしていた。事務所から帰宅も許されず。その間、お食事に関しては、早朝、人の目がない時間帯に、牛丼チェーンで二度だけ食べた。髭は放置。風呂も入れない。歯も磨けない。まるで、ひと昔前の大都会東京の繁華街。栄華が終焉を迎えた朝方に、路上に散財した黒いゴミ袋。それをついばむカラスたち。カラスの嘴にこじ開けられ、路上に散ったゴミ。そのゴミを車が踏みつける。地面にめり込むゴミ。ちょうど、その地面に埋め込まれたゴミのような風体に成り果てていた。
最終的には、PHPと呼ばれるWebプログラミングをしている最中、意識が飛んだ。キーボードに両の手を置いた状態で、首をもたげて死んだ、否、寝落ちした。そんな不自由な態勢にも関わらず、三時間近く寝落ちしていた。眠っているにも関わらず、エチケットを気にしてか、お口エチケット用のタブレットを口に放り込んでいたらしい。

まあ、そんなことはどうでもいい。無能な人間からすれば、こんな事態は、二ヶ月に一回あってもおかしくはない。そんなもんだ。人様が帰る時間帯に帰れることなんてない。人様が休んでいる間に休息できることなんてない。人様が大型連休を満喫している間に、ようやくタバコの一本でも吸えるってなもんだ。

言いたいのは、そんなことじゃない。よう働いた自慢や徹夜アピール、休日出勤アピールなんかしている時点で半人前。そんなことはどうでもいい。
地獄のような数日を過ごした結果、痩せた。痩せたんだ。ふと目をやると、お腹まわりの贅肉が姿を消している。ズボンがブカブカになっている。顎のラインがシャープになっている。身体が軽くなっている。ちょっとジャンプするだけで、メリーポピンズのように、フワフワと浮かんで行ってしまいそうだ。体重計に乗ってみる。なんと、三キロも痩せているじゃあないの。くはははは、笑いが止まらん。

これは便乗すべきだ、この機会を活かすべきだ、一斉に畳み掛けよう。そう考えた僕は、その日以降、毎日毎日、チェーン店のかけ蕎麦だけを食べ続けた。二百十円だ。しかも、汁は飲まない。麺だけを喰らう。とてもひもじい。食べた直後から、もうお腹が減っている。満腹感などない。でも、だらしないボディラインは嫌だ。「くよくよするなよ あきらめないで Just Like a Boy その痩せこけた頬のままで」の部分で、感涙が逆流するのだけはごめんだ。しかも、お昼代を削ることで、財布からお金が飛ぶこともない。なんという完璧なプランなんだ。

そんな日々をひたすらに続けた結果、一ヶ月弱で五キロも痩せた。すべてのズボンは廃棄処分せねばならない。これまで履いていたズボンとウエストの間には大きな空間ができる。カンガルーの子どもくらいだったら、きっと入れてあげられることだろう。身体が軽すぎる。全盛期のマイケルジョーダンの踏み込み位置よりも、少し手前からジャンプして、軽やかなスラムダンクをぶち込めるくらいに軽い。

何のことはない。ダイエットに成功したという話だ。地獄のような数日間を経て、ダイエットに成功したという話だ。思い返せば悲壮な数日だった。僕はこれを、胸を張って、獄中ダイエットと呼ぼう。あんな数日は、二度と経験したくない。
でも、ダイエットには成功した。鏡で自分の顔を眺めてみると、以前よりもスラッとして、まるで昭和のアイドルのような微笑みをたたえている。

そんな調子で、ふふふんと鼻歌を歌いながら日々を過ごしていると、どうやらお客さま、まだまだ仕上がりに不満足だったようで、依然、憤慨している模様。再びあの怒声。「約束してたもんとちゃうやろが! このボンクラ! さっさとやり直さんかい! 数日間猶予を与えたるから、さっさとやり直せボケ!」と、胸ぐらを掴まれつつ、そのまま持ち上げられつつ、足先が宙に浮きつつ。しかし気づいたかい、お客さんよ。今、あんたが胸ぐらを掴みつつ、そのまま持ち上げつつ、足先を宙に浮かせている男、以前よりも軽くなっているだろう。気づいたかい? この麗しき変化に気づかないようじゃ、まだまだ俺のほうがうわてだぜ。その証拠にほら、胸ぐらを掴んでいるその手を離してごらん。地に降り立つ俺の身体の滞空時間は、誰よりも長いぜ。まるで綿毛だぜ。フワフワと地に足をつけるぜ。気づいたかい?

胸ぐらを掴まれながら、得意気にそんなことを考えた僕は、「くはははは、俺様はダイエットに成功したのじゃー!」と叫んだ。というところまで妄想を終えると、四十回近く小刻みに首を振りながら謝罪し、「ひいいい、すみません。不眠不休絶食絶飲でやらせていただきやすぅぅ」と、涙目になりながら仕事を進めた。こんな苦い涙は、ぜひとも、瞳へと逆流して欲しいもんだ。

デタラメだもの。

20160326

「かんぱ~い!」とか、赤面せず言える? 無理無理、無理だわ。『デタラメだもの』

「かんぱ~い!」
とかいう光景は、あちこちでよく見かけるもの。大人になれば、定例行事やら祝い事やらも多くなり、半ば強制的にそれらに参加せざるを得なくなるため、殊更にそういう光景を目にしがち。

しかし、なんなんだろうね、ああいう儀式っていうものは。
元来、人と同じことをやることが嫌いな性分もあって、またさらに、人と同じことを同時にやることが嫌いな性分でもあるため、「かんぱ~い!」とか、一本締めやら三本締めやらは、もってのほか。自分の中で忌避したくなる儀式なわけである。

とは言え、大勢で何かをやることそのものが嫌いかと言われれば、そうでもない。ライブハウスでもみくちゃになってパンクロックを嗜むことも大好きだし、祭りで地車やら神輿やら、そういうものも大好きなわけで、何でもかんでもを拒んでいるわけではない。

じゃあ、「かんぱ~い!」とか、一本締めに関しては、何が忌避すべきポイントなのだろうかと考えてみる。すると、ものの数秒で答えが出た。きっと、やりたくないことだからだ。もっと言うと、やりたくないことを、やりたくない人たちと一緒にいながら、やらされるからだ。簡単だった。もう、原稿、終わらせるべきだろうか。文量足りてないぞ。こんな貧相なネタでは、撮れ高的にアウトだぞ。よっしゃ分かった、もうちょっと書こう。

ライブやら祭りやらには、別に強制感がない。自分の好きなときに叫ぶもよし、好きなときに地車を引くもよし、飛ぶもよし、泣くもよし、吐くもよし、帰るもよし。とにかく自由なわけだ。
それに比べて、「かんぱ~い!」のシーンでは、まず、一緒にいたくもない連中といる時点で、解せん。そして、そいつらと和気あいあい、同じ程度の高さにグラスなどを持ち上げ、聞きたくもない演説調のセリフを聞かされる。ここで、演説を指名されたおっさんなどが、「おいおい! えらい急やないか。なーんも言葉考えとらんぞ! 六甲おろしやったら、すぐにでも歌えるけどなあ! ギャハハハハ」などと、モジモジし始め、会場が愛想笑いに包まれる瞬間などは、思わず、握りしめたグラスを握力で木っ端微塵にしたくなる。

そうして、いざ、「かんぱ~い!」となるわけであるが、もとより、一緒にいたくも何ともない人間たち。その行事が目出度い会だとしても、隣に存在する人間とCheers!する仲ではないゆえ、そいつらとグラスをコツンとやる義務も義理もない。
そういう刹那、興味本位でいつも、瞬時に会場中の人間たちを観察してしまう。もとより、一緒にいたくもない連中と、Cheers!するわけだから、グラスをコツンコツンやる挙動に込められた気持ちも浅く、何席隣までの人間と、コツンコツンをやればいいのか微妙で狼狽している人間もいれば、コツンとやるのか、コツンとやったジェスチャーをエアーで済ませるだけでいいのかの礼儀に迷って狼狽している人間もいれば、コツンを要求されているにも関わらず、気づかずにクイッと飲み始めちゃった刹那、コツンを要求されていることに気づいちゃって、慌ててグラスを口元から外し、数センチ飲んじゃったグラスを要求元の人間にコツン、なんて滑稽な景色もあるわけで。

そんな滑稽な景色の一つになりたくない僕は、グラスもおへそのあたりで構え、同じように人間観察をしている人間にロックオンされた場合、「こいつ、まさかグラスを持ち上げてないんじゃ!? なんて強者!」と思わせるべく、限りなくテーブル付近にグラスを構えている。イメージで言えば、和田アキ子が「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌うとき、絶好調にビブラートを伸ばす際、自身の身体とマイクとを限りなく離しますわね。あれくらいの位置のイメージですわ。
ちなみに余談ですが、ダイナミックマイクと呼ばれる、ライブなどで使用されるマイクは、マイクの集音部にできるだけ口を近づけないと音を拾わない特性を持っているため、あれほどまでにマイクを離してしまっては、本来、音が拾えない。なので、絶好調にビブラートを伸ばす際、あれほどまでにマイクを離されてしまってはアウト。きっと、ミキサーブースでは、マイクのボリュームを手作業でグウィィィィンと上げてやり、微かにしか集音できていない声を、ミキサー側の調整で、最大限に大きくするなどの作業を、和田アキ子のマイクの挙動に合わせて、やってのけているだろうことが予想される。いかん、脱線した。

なんの話してたっけ? シフォンケーキって、あんまり甘くないから食べやすいよねって話やったっけ? 違う違う、乾杯の話や。

乾杯のときに、グラスをおヘソあたりで構え、「かんぱ~い!」の掛け声はもちろん発さず、周りの人たちからのコツンコツン要求には、いち早く、エアーのみで対応し、すぐさまグラスを口につけ、一気に飲み干す。その後に巻き起こる拍手などの儀式には、一切参加せず、といった反抗期の中学二年生のような態度、素振りを、未だに続けている。

そういえば、某企業様のビッグイベントに裏方で参加させてもらった際にも、毎朝、イベントに参加する全社員が一同に介し、最もエナジーを持っている営業マンが壇上に上がり、「やるぞー!」「行くぞー!」などと、目も当てられないほどのステレオタイプなヤル気を見せていたわけで、それに呼応するが如く、他の社員たちも、「おー!」なんて、拳を突き上げたりなんかして、なんじゃこのうそ臭いノリは……と、裏方ゆえ、末席で見ていた僕であるが、興ざめも興ざめ、もしかしたら片側の口角が上がってしまっていたかも知れない。

祝い事が嫌なわけじゃないし、ビッグイベントをみんなで盛り上げることが嫌と言っているわけじゃない。やり方があるだろうよ、と。紋切型ではなく、強制ではなく、一人ひとりが自発的に動ける空間を、作ってみようじゃあないの。やりたくない人は、やらなくていいじゃないの。言いたくない人は、言わなくていいじゃないの。コツンコツンしたくない人は、エアーでもいいじゃないの。大切なのは、形式じゃなく、気持ちでしょうが。

形式ばった強制的な会が嫌い過ぎて、いついつでも、締めの挨拶の声の響きが乾かぬうちに、会場を後にするということをモットーにしている。
しかしそれにはリスクがある。店側に預けている例えば傘とか上着とかの類を、返してもらわぬまま、会場を後にしてしまうことが頻発するわけだ。

エレベーターや階段を降りている最中に、それに気づく。しまった、折り畳み傘を忘れてきた。あれ、ちょっとエエやつやったのに、クソッ。でも、もう後には退けん。そう思い、折り畳み傘への未練を振り払う。そして、屋外に出る。予想を遥かに超える豪雨。店から駅までちょと遠い。折り畳み傘は、あの忌々しき会場の中。

そんな夜、男は、無意味にびしょ濡れになって帰るわけです。

デタラメだもの。

20160214

ああ、こんな出来事があった日は、いったい、何記念日になるのだろうか?『デタラメだもの』

世間では、人気急上昇のバンドのヴォーカリスト兼ギタリストと、ハーフで好感度バツグンのバラエティタレント兼歌い手の禁断の愛が報じられて幾日が経ち、個人的には、どうせテレビの向こう側の人たちやし、そもそもミュージシャンで成り上がるということもそう、タレントで成り上がるということもそう、それを達成できた人たちっていうのは、ある種のジャパニーズドリームの体現者でもあるわけだし、特にバンドマンなんていうのも、「モテたい」が端を発しているケースも多く、それがこうやって見事に叶えられた好事例を目の当たりにすると、陽の目を見ないバンドマンたちにも、再び大きな夢を与えられるってもんじゃないのかねえ。

スポンサーとの絡みなどになると、一気にビジネスのニオイがしてくるため、ただの男女の問題などと言って散らすだけじゃ済まないというのもよく分かるけれど、当事者のことを重んじるならば、水面下でコソッと、イメージキャラクターを差し替えるなり、表沙汰にしない対応をするほうが、企業に取っても遺恨なく済むし、そう考えると、こういうビッグバン風な芸能界のトラブルには、もっともっと大きな黒い影が潜んでいると思われて仕方がない。
そう、それを口にするだけで、存在が消されかねないような、大きな影。
芸事で飯を喰らう人たちは、何らかのきっかけで、その大きな黒い影の逆鱗に触れることをしてしまい、それによって、半自動的に、ビッグバンが起され、人気稼業としての生命が絶たれてしまう、と。

そんなことを邪推しながら、世論に目をやっていると、ふと、一つの句が目に留まった。
優等生と呼ばれて長き年月をかっとばしたき一球が来る
(俵万智)

好感度バツグンに芸能界で生きてきた当該バラエティタレント兼歌い手の、今回の騒動の件での心境にピッタリなんじゃなかろうかと、インターネットの中の誰かさんが、コメント。

それを見た瞬間、足の動きが止まった。朝の通勤時間だったにも関わらず、足の動きが止まってしまったもんだから、その日の朝は遅刻した。ちなみに、足の動きが止まってしまわない日も、たいてい遅刻している。
見込み残業などと腐った制度に言いくるめられ、帰社時間には定時なんつう概念もないくせに、なぜに朝だけ縛るのだ。朝を縛る権利があるなら、夜も就業規則に則って縛る義務があるだろう。まぁええわ。

何が言いたいかというと、俵万智。
小学生の頃の教科書によく出ていた人。今だにどんな人かはよく知らないものの、よくこんな話って聞きません? 「教科書の問題で出た作家の本だから読んでみた」とか、「教科書で紹介されてたから読んでみたら好きになった」とかいうお話。
僕は全くの逆で、勉学の中で取り扱われてしまったものは、所詮、勉学の味方だ、出来損ないの敵だ、ということで、軒並み避けてしまうという性分を持っている。
ちなみに、朝の目覚ましにミュージシャンの楽曲を使ってみようと、好きなアーティストの楽曲を鳴らす習慣をつけてしまうと、その楽曲は、確実に嫌いになるよね。平生時に聴いても、朝起きる際の、忌まわしき気持ちが蘇り、反吐が出そうになるよね。

そんなことから、俵万智と、代表作のサラダ記念日は、恐らく教科書に載っていたのだろう、それ故に、意識して避けてきた記憶がある中で、先の句。
衝撃的だった。人間の中身を、ここまで正確に謳えるのか。謳えて且つ言い当てられるのか。しかも、こんなにも短い言葉の中で。なんだろう、この人は、いったい。
とかく優等生ぶって生きてしまいがちな自分にとって、身をつまされる思いを抱くとともに、そういえば過去、そんな一球が飛んできた瞬間もあったなぁと、それをかっとばしてやらんと、半ばヤケクソな情熱で、豪快なスイングをかましてやったこともあったなぁと、やけにノルタルジックな気持ちになりながら、そんな気持ちを代弁してくれる句に脱帽した。

そんな句に胸をぶち抜かれて数日、ほぼぼんやりと宙を見つめながら生きてしまっていた最中、習慣となっている帰り道の缶ビールが、その日は、やけに心中穏やかじゃない、のっぴきならない事情があったのか、いつもより本数多く、歩数多く帰っていると、ふと、「俵万智って、他に名言ないのかしらん?」と、アイフォーンをチクチクとイジり出す。すると、またしても衝撃的な事件が。
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
(俵万智)

死ぬかと思った。大袈裟な表現を使わずに表現するならば、身体中の毛穴という毛穴が、鳥肌となって、凸化した気配を確かに感じた。
世の中には、まだこんなにも素晴らしいものがあるんじゃあないの。しかも、「名前は知ってるよ」的な知識に留めておいてしまっていた世界のなかにも、こんなにも素晴らしいものがあるんじゃあないの。
なんか、生きてると嫌なこともたくさんあるけれど、こんなにも素晴らしい体験もできるんだと、感謝の気持ちで溺れ死にそうになった。

そんな淡くメロウな気分に浸りながら、帰路の終着から逆算すると、ラスト一本になるであろう缶ビールをコンビニで買ってやろうと、意気揚々と入店。
サラダ記念日で完全に高揚している僕は、豪快に缶ビールをグワシ、掴むと、レジに突き出した。
レジの中には、イッセー尾形を思わせる中年男性。
平生、夜な夜な、コンビニのレジで働いている中年男性を見かけると、すかさず名札を確認する習慣がある。店長、もしくは、オーナーと書かれている場合、夜の時給の高い時間は、自らが店舗に出て、人件費を節約しているのだな、もしくは、働き者の店長なんだな、と感心するし、店長やらオーナーと書かれていない中年男性の場合には、どういった事情があって、こんな夜な夜なにコンビニで働いていらっしゃるのだろうと勘ぐってしまう。のっぴきならない事情から、生活が貧窮しているのかしらん? 独身なのかしらん? 昼間の仕事をリストラされたのかしらん? などと、下世話な想像を浮かべてしまう。

そんななか、イッセー尾形の名札には、店長ともオーナーとも、記載がない。所謂、後者ということになる。
いつもと変わらないレジのつもりだったのが、イッセー尾形のひと言で、様相が一変する。

「缶ビール派ですかぁ? グヘヘ」

イッセー尾形は、キャラクターもイッセー尾形風で、どこか芝居がかっており、イッセー尾形がよく演じていた、少しく他人を小バカにしたようなキャラクター。いきなり声をかけられたもんだから、こちとら狼狽。

そもそも、缶ビール派以外の派閥って何だ? 人を貧乏人とでも言いたいのか? こちらにどういったコメントを期待しているのだ?
レジで足止めをし、そないゆっくり相手している時間もない、端的に答えてさっさと退去しようと思い、「節約、ですねぇ」と答えたところ、なんとイッセー尾形は、「せーーーーつやく、ですよぇ?」と、僕のコメントと丸っぽ被せるようにして、且つ、「せーーーーー」のところをフェードインで且つグラインドさせるような風情で、被せてきやがった。
またしても、なんか小バカにされているみたいな気になって、早よう帰らせてくれといった風情のジェスチャーをしていると、イッセー尾形はさらに、「帰り道に飲みながら帰られる派っすか?」と、さらに軽い調子で、再び新たな派閥に属しているかどうかの尋問を続けてきた。

毒を食らわば皿まで、こうなったら、ちゃんと返事してやろうじゃあないの、そうやってちゃんと答えて、それで立派に帰らせてもらおうじゃあないの、そう腹を括った僕は、「そうですね。仕事帰りに飲みながら帰る派です!」と、好青年よろしく、答えてやった。
イッセー尾形は、「わかるなぁ~」など、一人で得心しているもんだから、レジを済ませた僕には帰る権利もあるんだし、イッセー尾形の対面から、歩を進め、帰らんとしたところ、イッセー尾形が、その特有の他人を小バカにしたような笑みを浮かべながら、「と・も・だ・ちぃ~」と、両の人差し指を僕に差し向けながら、チャラ男のようなジェスチャーで、且つ、大声で妙なことを口走ってきた。
きっと、イッセー尾形は、自分とビール関連の派閥が酷似している人物が現れてテンションが上がってしまったのだろう。
しかしだ、しかしだ、レジを待っている他の客にとって、店員の中年男性から、しかも、レジ中から、両の人差し指を差し向けられながら、「と・も・だ・ちぃ~」などというふざけた言葉を浴びている人間のことは、どう映るのだろう。被害者と見られるのだろうか、それとも、同類と見られるのだろうか。

脳内が、「と・も・だ・ちぃ~」の音節で埋め尽くされて、残りの帰路は、複雑な心境でいっぱいになった。
先ほどまでの、清く澄んだ感謝の気持ちはどこへやら、イッセー尾形の顔しか浮かばなくなった。

ああ、こんな出来事があった日は、いったい、何記念日になるのだろうか?

デタラメだもの。

20160117

電車の中でこんな瞬間に立ち会えるなんて、光栄以外の何物でもない。『デタラメだもの』

お客さまとお仕事などをご一緒していると、あちらこちらと外出していく機会も多く、小市民な私たちは、お車などと呼ばれるハイカラなものに乗って移動できるわけもなく、公共交通機関の電車に乗って移動するわけ。

しっかしこの電車というものには、なんともまあ、玉石混交、雑多な人々が入り乱れていると感じて仕方がない。
世の中の怪しいことこの上ない素性の縮図と言いましょうか、世の中の実は奇妙奇天烈な実態を暴露していると言いましょうか、おかしい人間が多いこと多いこと。

東京に出かけていくため、朝早くに電車を利用した際、六人掛けのシートに、のんべんだらりん、まるで自分ちのベッドの如く、シートを私物化してグーグー眠っている兄ちゃんがおって、これはいかんと危惧したのが、その兄ちゃんの対面の椅子に、これまた恐らく早朝から、勉学のために遠方の優良な学校へ通うのであろう、立派な角帽を被った小学生が座っており、思わず、「アカンアカン、こういう非模範的な成人は目にしたらアカン、ほら、目を背けて、学習帳を注視しようね、熟視しようね……」と、身を乗り出したくもなった。

映画の舞台ともなり、どちらかと言うと、高級感の漂う阪急電車に、生まれて初めて乗車した際にも、作業着を着た大柄のおっちゃんが、シートのど真ん中にドシン、一人大股開いて鎮座。
グーガーグーガーとイビキをかいている様子が見てとれたので、なんか嫌な感じやなと嫌悪感を抱いた瞬間、おっちゃんの股間に違和感を覚え、ふと目をやってみると、小便を漏らしている。垂れ流している。薄緑の作業着ズボンの股間部分は、小便で変色。しかも、垂れ流した小便が、車両の床を流れ流れ、次の車両まで流れ行かんとばかりに、大河を作っている。
「なんじゃ、この電車」
そう思ってしまったのも、仕方があるまい。

スマートフォンを片手に、何やら急にニヤけ顔を浮かべるサラリーマンや、急に両隣の乗車客にアメちゃんを配り出す、大阪ならではのおばちゃん、目の前で高齢のおばあちゃんが杖を持って立っているのにも関わらず、子供三人を平気でシートに座らせ続けている、モラルのない若い母親、Bluetoothの接続が上手く行っていないことに気づかず、周りに大音量の音楽を垂れ流し始める男など、電車内の人間模様を見ていると、日替わり定食の如く、趣が移り変わって行くから、驚きだ。

そんな折り、仕事で新大阪駅界隈に用事があり、御堂筋線に乗っていたある日のこと。
相変わらず、悪臭多めのおっさん連中の中で、鼻息を止めつつ、中津駅を過ぎたあたりから地下鉄の車両が地上に這い出るため、窓外の景色に目をやり時間を過ごしていたところ、ふと目に留まったのが、読書に耽る小学生と思しき女学生。

近ごろの子供も大人も、やれ活字離れだの、やれゲーム機をピコピコやってみたり、スマートフォンを指でシュンシュンやってみたりと、本というものに視線を落としている人が少なくなっている昨今、読書に耽っている様子がとても微笑ましく、大きな文字フォントで印刷された子供向けの本を読んでいるその姿に、今後の日本もまだまだ安泰ぜよ、と、使ってみた試しさえない土佐弁を使ってみたくもなった。

その実、自分が小学生の頃、好きだった映画インディー・ジョーンズの文庫本を見つけ、それを手に取り、夢中になって読み漁ったのが、読書好きになるキッカケの一つだったため、子供たちが本を読むということはとても素晴らしいことぜよ、と、再び土佐弁を使いたくもなるわけである。

そんなことをぼんやり考えながら窓外の流れる景色を眺めていると、何気なく小学生が読む本のページに目が吸い寄せられた。
それはなぜかと言いますと、最後のページに差し掛かっていたからなのです。つまりは、ページタイトルが「おわりに」と、ひときわ大きな文字フォントで印字されているのが目に留まったからなのです、本の最後のページですよ、ショートショートだったら、オチが書かれている最後のページ、群像劇なら、無関係に思われていた全ての登場人物たちが、実は全て関係者同士だったということが判明するページ、推理小説なら、犯人と思われていた物語をひっくり返さんとする真犯人逮捕の瞬間、一冊の本を読み進めてきて、最も固唾を飲むページ、それが、最後のページである場合が多く、今、小学生は、その最後のページ、「おわりに」の章を読んでいるわけで、一冊の本単位で言えば、今まさに、歴史的瞬間に立ち会っているという感覚に襲われたわけです。

僕は感情移入し過ぎたり、キャラクターの心理を深読みしたりして読書するほうなので、一冊の本を読むのに、人よりも時間がかかってしまう上に、読了する際には、かなりの疲労感に襲われることになる。
そのため、一冊の本の最後のページを読み終わった瞬間には、まずは大きく深呼吸を一つ、それから小さな声で、「なるほどね」とか「やられたわ」とか「すごっ」とか、端的な感想をポツリ呟き、そして、大満足の表情を浮かべながら、改めて大きく息を吸い込み、その作品の世界と僕のいる世界も実は繋がっているよね、なんて空想しながら、空の見える場所に居ようが居まいが、上を見上げながら大きな空を思い浮かべる。

仮に周りに人がいたとしたら、そういう僕の様子を見て、さぞ奇怪にも思うだろうけれど、本を一冊読み終わるという偉業を成し遂げた瞬間くらい、誰にどう思われようが、自分なりの達成感に酔いしれたいので、気にもしない。

とまぁ、僕のことなどどうだっていいんだよ。今、目の前で、「おわりに」の章が終わろうとしているじゃあないの。他人が本を読了した瞬間、どのような快楽に襲われたり、どのような達成感の表現方法でもって、恍惚と舞い出すのかは知らないが、ともかく、「おわりに」が終わろうとしている。

そう思った刹那、「おわりに」のページがついにめくられ、片方のページは白紙、もう片方のページに、出版社や印刷会社などが記載された真に最後のページが現れ、そしてついに、本がパタムと閉じられた。
さらに本が閉じられたその刹那、本の表紙がチラリと見え、小学生が読んでいた本が、スヌーピーだったことが分かった。

ああ、なんだかいいよなぁ。隣で鼻くそをほじくりながら、車内吊り広告のうそ臭い見出しを追いかけ続けている、薄毛のサラリーマンなんかより、よっぽどいいよな。
小学生が本を読んでいるんだぜ。しかも、今、一冊、読了したんだぜ。残念ながら、その小学生が、本を読了した瞬間に、僕と同じような奇怪な行動や表情を見せなかったことを考えると、どうやらそういった変態的な行動は、僕一人か、もしくは、ごく少数の人間しか取り得ない行動ということで、理解しておこう。皆が皆、そんな風にするもんだという先入観は、今後、捨てながら生きようと思う。

そんなことより、とてもいい光景を見させてもらった。とてもいい瞬間に立ち会わせてもらった。

別にどんな本を読もうがいい。卑しくも物を書く身分として、活字から脳内に自分勝手で理想的な映像を描画できる本という存在を、一人でも多くの若者たちに味わって欲しいと思うし、それが別に電子書籍だっていい、誰かが作ったイラストやグラフィック、音楽なんかの一切を排除して、自らが役者たちに演出を施し、バックグラウンドミュージックをイメージしながら、情景や風景のディテールを再現していく、読書という夢のある行為の虜になって欲しいと思う。

思慮をグングンと深めながら、半ば満たされた気持ちでお客さまを訪問し、プレゼンテーションをする時間になったものの、脳内が「本っていいよね」という思考で染められてしまっていたため、会話のほぼ全てを同行していた者に任せ、自分は一人、ぽつねん、薄ら笑みを浮かべながら、一冊の本を読了したわけでもないのに、恍惚な表情を浮かべていたのであった。

文学界の明日は明るいのかも知れないが、この仕事っぷりじゃあ、僕の明日は決して明るくないかも知れない。

デタラメだもの。

20160111
著者

常盤英孝(ときわひでたか)

《3分後にはもう、別世界。》 3分程度で読めるショートショートと呼ばれるショートストーリー書き。 あとは、エッセイやコンテンツライティングなどの物書き全般と、Webデザイン、チラシデザイン、広告、Webマーケティング、おしゃべりなどをやっています。

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