デタラメだもの

デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。エッセイです。

世の中変わった人多く、まだまだ日本も捨てたもんじゃない「デタラメだもの」

日々生活していると、そりゃ街も歩き電車にも乗りますわな。ほんで、商店街を歩いたり、大通りを歩いたり、しますわな。

そんな折、大阪弁でいうところの「ほんま、けったいな人やなぁ」いう人を目にする機会多く、その都度ぼくは、その人たちから勇気をもらい感動をもらい、これで明日も頑張れるというエールまでもらったりもするわけです。

事実は小説よりも奇なり

とはよく言ったもので、ほんとに現実の世界には、とうてい創作などでは足元にも及ばない、想像すらつかない人たちが多く、とても素晴らしい。

先日などは、会社帰り、鶴橋の駅で電車が向かい側の電車の連絡待ちで停車し、ドアが開きっぱなしになっているとき、その女性はいたのである。

その女性、停車中の電車の開いたドアの目の前、ホームに立ち、カバンをゴソゴソしている。ぼくはその様子を、停車中の電車の中から眺めている。

その女性、服装は地味、髪型も地味、生き方も地味(こりゃ失礼…)な雰囲気にも関わらず、KITSONのロゴがデカデカとプリントされた、ピンク色のスパンコールまみれのミニトートを持っていらっしゃる。

その宝の持ち腐れ感(こりゃ失礼…)というか、暗闇の中にポツリ唯一輝く灯台のような(こりゃ失礼…)というか、ブタに真珠(これまた失礼…)というか、地味な奴のド派手なKITSON(そのままやないかい!)が、めちゃくちゃ浮いておりまして、あの女性、あのトートバックを持たずすれば、夕暮れの中にしても判別できぬが、あのトートバッグを携えれば、月明かりもない真っ暗闇にしても、そのバッグの存在感で判別できるだろう(ごめんなさい…)。

そのバッグに顔まで突っ込み、この方、バッグの中に潜り込みたいのかしらんと思わせるほど、強烈に顔を突っ込み、自身のバッグを漁っている。

異常なほど、バッグに潜ることに執着する女性。何度も何度も、顔、いや頭まで突っ込み、バッグを漁り続ける。

地味な女性、ド派手なKITSON、開きっぱなしのドア、モロに見える女性の姿、電車内の全員が注目、それでも気にせずバッグに潜る女性。

何をしてるんだ?不可解すぎる。想像を超えている。でも、素晴らしい。

ぼくはこの女性を見て、恐らくはこのバッグ、どこでもドア的なシステムになっていて、きっとこの女性は何かの極秘組織の諜報部員か何かで、急遽の任務にそのバッグ、つまりは、どこでもドアの中に潜り込み、現場へと駆けつける必要があったのではと推測。

が、このシステムの不具合により、うまくバッグに潜り込めずに、四苦八苦。鶴橋のホームで嘲るように笑われようが何しようが、任務最優先。地味な姿は、人々の中で目立たぬよう、仮の姿。

が、なぜ、そのどこでもドアのデザインを極彩色のピンク、しかもスパンコールだらけのトートバッグにしたのか、それは不明。

うまく現場へたどり着けたことを、願う。

また別の日、ランチで行きつけの格安うどん屋にて。

めちゃくちゃ紳士、ジェントルマンな雰囲気の年配の男性。うどんを食し終え、どんぶりにはダシだけの状態。

紳士は、セルフで汲んできた水を飲もうとしている。
ごくごく普通の光景。

が、その紳士、ちょうどダシだけのどんぶりの真上あたりに顔を据え、水をグビグビ飲んでいるのだけども、その水のほとんどが、紳士の口から漏れ、あご髭をつたい、どんぶりの中にジョボジョボ。

すごい勢いで水を飲むも、ほとんどがそんな感じで、紳士の口から漏れ、あご髭をつたい、どんぶりの中にジョボジョボ。
ダシだけのどんぶりの中に、ジョボジョボ。
豪快にこぼし飲むものだから、すごい音をたてて、ジョボジョボ。

何をしてるんだ?まことに、不可解。

そこでぼくはこう推測する。

この紳士、全国津々浦々、伝説のうどんダシを求め、ようやく辿り着いたのが、この格安チェーンのうどん屋。

そのダシに、最後の塩分を足すべく、自身のあご髭及び口周りの汗なり何なりの塩分を、セルフの水で溶融させ、注ぎいれ、完全なるオリジナルの伝説のうどんダシを作ろうとしたに違いない。

そのために、人目もはばからず、あんなに意味不明な行動に出たんだ、きっとそうだ、全国津々浦々、周り廻って辿りついたその場で、恥だの何だの、言ってられない。

だから、紳士、水をジョボジョボやってたんだな。きっと、そうだな。

とまぁ、こんな感じで、皆さん、意味不明で、滑稽で、恥さらしで、アホな行動、想像もつかない行動をしてはるわけで、そういうのを見ると、その羞恥心のカケラもない、エネルギッシュな人間力に、勇気がわいてくるのであります。

自分が日々の中で、何かしら、情けねぇことしたとしても、そんなちっぽけなもんは、人の記憶にすら残らないような、カスッちぃ微々たることでして、やっぱりそういった先人たちの偉業には、足元にも及ばないわけです。

皆さん、まともなことして、まともなりにしくじって、それでいて、とてもまともとは言えないようなお偉いさんなりに怒鳴られて責められて、ちゃんちゃらおかしい世の中ですよ。

もっともっと、レールを踏み外しましょう。
他人から、もっともっと笑われましょう。
そして、人の記憶に残りましょう。

あなたの記憶は、ウワサとして、各所の居酒屋や職場の喫煙所なりで、ひとり歩きし、瞬く間に、あなた、有名人。
これでメジャーデビューも、夢じゃないですね!

デタラメだもの。

20121124

サービス精神とは何ぞや - デタラメだもの

お昼ご飯は、某格安チェーン店のうどん屋と決めている。

それはなぜか、、、安いから。

我々みたいな薄給のサラリーマンが、お昼からワンコインだなんだと騙されて、500円もふんだくられて、それでのほほんとお腹をぽっこりぽってり出っ張らすわけにも行かんわけで、なので、お昼はいつも、

『かけうどん 200円』

まいどあり。

まぁ、かけうどんなので、ごくごく普通のうどんの鉢に、うどんひと玉、そして出汁を注ぎ、最後にネギをつまみ入れる。んで、終了。

ご自由にどうぞ、と脇に置かれた天かすは、無料でトッピングできるので、いつも大量にぶっかけ、油でコテコテになった出汁を眺めながら、かけうどんを食している、そんなランチタイム。

チェーン店ということもあり、オペレーションがシステム化されているわけだ。
やれ、うどんを湯がく係、盛り付ける係、揚げ物やおにぎりなどサブメニューを作る係、そしてレジをする係などなど。

この盛り付けをする係の人が、ネギもトッピングしてくれるわけやけども、このネギトッピングの人のサービス精神にムラがあり過ぎて、まぁ、そんなわけなんですわ。

ある人物がこのネギの盛り付けをしてくれる際は、

「おやおや、かけうどん注文だなんて、いい歳こいて、貧しい人なんだなぁ。気の毒だなぁ。ほんとは、かしわの天ぷらもサービスしてあげたいところだけど、それはさすがにできないから、ネギを多めにトッピングして差し上げよう。それ、もうひと盛り!」

といった慈悲の手つきで、ネギを盛ってくれるわけです。

それが、別の人物の場合は、

「おやおや、いい歳こいて、かけうどん注文なんて、情けねぇ人生の負け組野郎だぜ!いい気味だ!俺は仕事にゃムラを出さねぇタイプ。こいつが貧乏かどうかなんて関係なく、マニュアルで決められた通りのネギの量しかトッピングしねぇぜ!カス野郎!」

といった尖り切った眼差しを、こちらに差し向けてきやがるわけです。

ほらほら、こういった感じで、ネギの盛り付けだけでも、サービス精神を発揮できたり、サービス精神の無いつまんねぇ店員だなと思わせたり、まぁ、てんやわんやですわ。

ぼくが店員だったならば、かけうどんを注文される方には、芝生の如きネギをトッピングして差し上げ、余計なサービスにブン殴られたりしそうなもんである。

その話で思い出した昔話がひとつ。

以前勤めていた職場のほん近所には、吉野家がありまして、まぁ牛丼好きのぼくとしては、こりゃたまらんといった具合に、来る日も来る日も吉野家に通い詰め、結局、半年間連続昼メシ吉野家といった塩梅で、過ごしていたわけです。

そんな中、その吉野家に、ひとりのおっさん店員がデビュー。

おそらく勤め先をリストラされたような態で、人柄はめちゃくちゃ良く、少しばかり太ったおっさん店員でした。

なぜリストラされたようなと言って差し上げることができるかと言いますと、とにかく、おっさん、要領悪い!

何をやっても、20~30歳近く年齢が下の先輩店員に、怒られ怒鳴られ、ミスを責められ。おっさんはもう、ただただ、

「えらい、すんまへん!」

と謝るばかり。

店員に怒られるだけならまだしも、もちろんミスが多いことから、客から怒られることも多く、「なにしとんじゃ!ボケ!」的に、客から怒鳴られていることもしばしば。おっさんはもう、ただただ、

「えらい、すんまへん!」

である。

ぼくはそんなおっさんが一生懸命、挫けずに接客を頑張っている姿勢が好きで、あえておっさんの持ち場の島(カウンター)に座ったり、軽く世間話したり、たとえおっさんのミスでオーダーと違う商品が来たときなども、「わぉ!ちょうどこっちのメニューが食べたい気分になりましたわ!おっさん、ありがとう!」といった具合に、それも愛想愛想と、楽しく吉野家を楽しんでおりました。

日々吉野家に通う中で、おっさん、メキメキ接客が上達していきまして、しばらく後には、どの店員よりも、スピーディーに且つ的確に動き、他の店員を仕切るほどの能力を発揮し出したわけです。

「Aカン、都合牛丼14丁!」

といったように、14人の客の注文を同時に聞き(そない同時に大勢頼むかいな!)、しかも、汁ダク、ネギ抜きといったような、注文バリエーションも聞き漏らすことなく伝え、それらを間違えることなく、オーダーしたお客様へ通す。

人間、ここまで立派になるもんやなぁ。

ぼくは、おっさんの成長がまるで自分のことである如く、日々、パッキパキに動くおっさんを見ながら感動していたものでした。

そしてある日、ぼくの中でのサービス精神という概念を大きく覆してくれる、嬉しい出来事が起こったわけです。

その日は、吉野家特製丼プレゼントキャンペーン期間中。

ぼくは変わらず、その日も吉野家へ。

毎日来ていると、それほどキャンペーンなど意識することはない。普通に食べて、普通に腹を満たして、普通に帰る、と。

その日も普通に食し、普通に帰ろうと、お金を払ってカウンターを離れようとしたところ、妙に他人行儀なおっさんが、カウンターから出て、ぼくの方へ近づいてきた。

「ちょっと、すんまへん」

ん?なんだ、なんでそんな余所余所しいん?

おっさんは妙にそわそわして余所余所しく、ぼくのところへ近づいてきた後も、目も合わさずもぞもぞとしている。

そして、おもむろにぼくの右手を掴んで、

「これ、もろといてぇ」

と小声で囁き、紙袋をぼくに持たせた。
チラッと袋の中身を見たぼくは、即座に気づいた!

吉野家特製丼や!

そうである、おっさんは、来る日も来る日も店に通い詰める(キャバクラみたいな表現やな)ぼくを、そしておっさんの下積み時代、他の店員や客がおっさんを責める中、冗談と愛嬌でミスをミスとせず接していたぼくを、そんなぼくを、最大級のおもてなしという名のサービス精神で包んでくれるべく、吉野家特製丼を、くれたわけだ!

おぉぉぉぉぉぉ、なんだこのサービス精神は!!!

おっさんは紙袋を手渡すや否や、すぐに照れて目も合わせず、自分の島(カウンター)に入っていき、何事もなかったかのように、次の客の注文を聞き始めたのでした。

ぼくは、その帰り道、泣きましたよ。
おっさん、ありがとう!おっさん、大きくなったなぁ!と。

こんなサービス精神溢れる話がある中で、前述のネギ係よ、かけうどんしか日々注文できないぼくに、もう少し、慈愛をくれんか、慈悲をくれんか、情けをかけてくれんか、恵みをくれんか、あんた鬼か?

黒い丼の中に、何の具もなく、純白のうどんのみ置かれた丼の中に、あんたよくあれだけ、ほんの一つまみのネギだけ置いて、はいお待ちなんて、ヌケヌケと抜かせるなぁ。

と心の中で思いつつも、サービス精神は強制するものでもなく、その人に委ねられ、その人に任せられ、ポスピタリティっちゅうんかいな?なんか、そういう横文字とかも入ってきて、よく分からんので、ぼくは少しばかりしょぼんとした様子を装い、天かすをてんこ盛りにトッピングしてやり、バカ野郎、俺は、ネギにゃ頼らねぇ、天かすまみれにして、茶色いうどんを楽しんでやる。俺様に緑色なんざ、似合わねぇよ、ぬはははははは。

と、油がギトギトと浮く、かけうどんを、今日も美味しく召し上がるのでした。

デタラメだもの。

20121017

社会で飛び交う薄っぺらい会話に「デタラメだもの」

社会人になって十数年がたつが、今だにあの、社会に飛び交う薄っぺらい会話というものに、どうも慣れない。

あの薄っぺらさが、とてもとても鼻につくわけです。

例えば若手社員が、上司や上層部に対して話す、お世辞にも満たない、太鼓持ちほど質の良くない、下品な媚び諂い。

例えば会社で催される飲み会などで繰り広げられる、その場限りの、妙に座りの悪い会話の数々。

そういった場に出くわしたりすると、もう寒気がして、これは夢か現実か?といった具合に、目の前のできごとを、疑ってみたくなる。

思い返せば、ぼく自身も、社会に出たての頃や、新しい職場環境になった時、あとほんの僅かではあるが、社会というフィールドでのし上がってやろうかしらん、そない思った時など、そう、思い返せばそんな頃、やってましたわ、媚び諂い、やってましたわ、その場限りの虚無な会話。

でもいつからだろうか、単純にそういう自分が、痴態を晒してるなぁなんて感じ出したこと。ほんま、シンプルに痴態めいて映ったわけです、自分のことが。

長渕剛も歌ってましたわなぁ。

偉い人に頭を下げたら いい奴だと口々にほめられた
心とうらはらの顔を鏡にうつしたら 恥ずかしい自分に気がついた

って。

ん?となると、社会に出ておられる皆々様方、ああいう痴態は、自らちゃんと痴態だと意識して、やはり社会に身を人質として取られている身分ゆえ、恥を忍んで実行しておられるのだろうか?

疑問である。はなはだ、疑問である。

そしてそして、さらに難解なのが、まぁ一方的にそういった下品な言葉を用いたり姑息な手段を取るのは、百歩、譲りたくもないが、譲ったとして、その言葉の数々を受け止める側も、なんだか、まんざらじゃないような、そんなニヘニヘした表情で、受け取るもんだから、これまた、難解。

いわゆる、捏造された言葉で、気持ちよくされたところで、ぼくだったらば、ぼくだったらばですねぇ、こいつアホちゃうか?そない歯の浮くような言葉、五月雨式に言いやがって、なんの信用も置けんぞ、こいつは。

と、まぁ、鼻持ちならず、まず疑ってかかりますわ。

それが社会では、なんだか、そういった下衆い言葉でキャッチボールが成立するときやがる。意味わからん。

さらにさらに、そういった奇妙な奴が、社内で地位を優位に確立したりだとか、出世したりだとか、得意先も拡大したりだとか、意味わからん。

社会とは、アホの集まりなのか?

まぁ、私自身、既に社会の標準レールからは、とうにはみ出してしまっており、すでにそのレールと私自身のひた走るレールとは連結されておらず、グイグイイと果て無き砂漠へと向かうレールをまっしぐらなわけですが、自分よりもずいぶん若い社員などが、そういった明け透けに下品極まりない言動・行動などを繰り返しているのを見ると、その器用さにゲロを吐きそうになり、こいつ、終わっとるな、そない感じてしまうわけです。

それと同時に、そういった、下衆の極み的な言葉を受けて、ニヘニヘヘとしておられる年配の方々、権力者の方々、ステークホルダーの方々、決裁権をお持ちの方々、そういった方々にも、心底の侮蔑の眼を差し向けてしまうわけであります。

社会とは、あぶら取り紙一枚程度の薄っぺらい人間関係で、バランスが保たれておるのかしらん?

そんなこんなで今日も、ウンコのような顔面の色を晒した決裁者と呼ばれるような方々に、やぁおはようございます、今日もナイスなウンコ色の顔面でございますね、とも言えず、かといって、いつも快活なイメージですね、何かスポーツでもやられてるのですか?キレイに日焼けされておられる、なんてウンコのようなセリフを吐けるわけでもなく、ただひたすらに、影響を及ぼし及ぼされるような方々とは、目が合わぬよう、伏目伏目で、今日も斜陽。

ともかく、社会で飛び交う薄っぺらい会話からは、いち抜けた、を続ける日々なわけであります。

20121012

会社で上司に怒られた時に「デタラメだもの」

上司って生き物は、よく怒ってきますよね。

上司だけにとどまらず、会社というものはやはり営利団体であるがゆえ、利益を求めて動く生き物であり、その利益が、つまるところ、われわれの給料につながっているわけで。
で、その給料というものを駆使し、生き続けるためにメシを食ったり、水を飲んだり、時に衣類を買ったり、ごくごく稀に、気分転換やストレス発散に、アルコールを嗜んだりする。

あと、税金を投げ捨てたり、ね。

なので、会社にとって、利益に直結しない人間、もしくは、利益に直結している人間を、サポート、バックアップできない人間というのは、不要とされるわけですね。

今より以前は、各個人個人に対して、こいつはどれほど利益に直結しているか、もしくは、利益に直結している人間をサポート、バックアップできているかを、そこまで厳密に測られなかった時代も、あるはず。今と比べて。

ところが今や、国内での競争はもちろん、諸外国との競争は激化し、たとえば「これまでよりも値段を下げて売る」といった抵抗を用い、競争社会の中で、会社というものは生き残ろうとするわけです。

するとね、オートマチックに、給料、下がるわけです。

もしくは、労働時間が長くなるなど、労働条件は苛酷になるわけです。

どんどんと企業内のピリピリ、ストレスムードは激増し、常に「怒り」に到達するような、そんな精神状態で、みな勤務してるもんだから、そりゃ、利益に貢献しないヤツ、利益に貢献しない態度、そういったものを見るや否や、

「お前、死にたいんか?」

などと脅され、「いえ…。死にたくないです。」なんて答えようもんなら、「会社にいらん人間やから、死んでくれ、頼むから」などと、哀願され、懇願され、「は、はぁ…」なんてため息をつく。

もうね、こんな繰り返しなら、いっそ、デタラメに生きるしかないわけですよ。

会社でルンルンと生き残っている人間は、別に仕事ができるからとか、会社に多大な貢献してるからとか、そういった尺度だけ、ちゃいますよ。

単にね、その会社での生き残り方に長けてる人間ってだけの場合が多いです。

だからね、すでにね、もうおかしくなってしまってるわけです。

なので、あなたも、おかしくなってしまいましょう。
「お前、もっと利益を生めよ!」なんて怒鳴られた場合には、「ぼくは男性なので、出産機能を持ち合わせておりませんが、何か?」とつぶやいてみたり、女性の方であれば「このボンクラ!」などと言われた場合など、「ボンクラって卑猥な言葉ですよね、幼稚園で習いました」などといって、もういっそ、逆なでちゃいましょう。

これ、いわゆる、火に油を注ぐってやつですよね。

でもね、でもね、変わらぬ現状、繰り返す現状を打破するためには、いったん何かを壊しましょう。ぶち壊してやりましょう。長淵剛も歌っていましたよ「希望がいつもガラス細工なら、壊すことから始めてみようか」と。

で、最終的に、激高され、罵声を浴びせられ、怒号のシャワーを浴びまくり、すっきりした後に、缶ビールなんか片手に、「デタラメだもの」なんて、つぶやいてみましょう。

「今を生きる」なんてカッコいいことはできないにしても、「今を"適当に"生きる」ってことくらいは、できるかも。
人間、リラクゼーションは必要です。

デタラメだもの。

20120814

デタラメ力で、このデタラメな世を渡る。デタラメだもの。

今のこの時代、とても強く思うわけです。

「デタラメ力」が必要だな、と。

相田みつをさんが云う「人間だもの」。
そうですよね、ぼくも何度もその言葉に救われたり、苦難や苦境に襲われても、「人間だもの」のひとことに、弱さを認めることができたり、自分の情けなさとうまく付き合うことができたり、そうすることで、重荷から解放され、スルリユルリ、かわせてきた人生の諸問題も多くございます。

がしかし、今の世の中、どうでしょう?

などと、まずは人並みに浮世を憂いてみる。
弱さを認めたり、自分の情けなさとうまく付き合っていくことで、日々迫り襲いくる諸問題モロモロを、ダマシダマシ、過ごしていくことなど、できましょうか?

無理。ムリ。むり。

なので、こう思うわけです。
「デタラメだもの」精神が必要なんじゃないかって。

現実的な問題でいうところの、不景気やら、低賃金やら、就職難やら、なんやらかんやら。
もっと現実的な話でいうところの、○○率が0.1パーセント改善されたので、景気が上向いています。は?なにそれ?それが0.1パーセント改善されたら、本日の夕食の小鉢、つまりはオマンマの数が一品増えるとでもいうのでしょうか?その違和感、みなさん、感じてませんか?

まぁ、ぼくたちわたしたちも、そんな0.1パーセントの数字に期待に身をあずけきるほど、夢追い人じゃございません。なめてもらっちゃ困ります。なので、はなから0.1パーセント改善なんてフレーズには、すがる気なんざ、ございません。

また、こんなフレーズも。

「今夏の企業のボーナスが○万円アップ!」はぁ?ボーナスなんか、そもそもないんですけど。ないもの、アップもクソもないんですけど。そのフレーズ、誰に向けて誰が得するフレーズなんでしょう?受け手がいない情報発信、あらまぁ、電波、紙面のムダ使いじゃございませんか。

結局、企業が潤うように国が施策を講じたり、補助金を出したり、なんやらかんやら、そんなことして企業が潤ったとしても、末端の従業員にその潤いが行き届くかなんて、誰も見届けちゃくれません。

企業の方針で、ボーナス出さん、決められた日にゃ、われわれド庶民のお財布事情は、なんら変わることなく、キュウキュウキュウキュウと、お札も小銭も入っとらんのに、まぁ息苦しそう。

税は上がる。まったく、ひどいぜぃ!年金の不安は増す。ほんと、閉口します。将来の保証なんて、ない。まったく、お父ちゃんは情けないよ、娘っこよ。こんな下らないダジャレしか、ほんま、よう言えません。

だから、提唱したいわけです「デタラメだもの」精神。

もういっそ、生きてて降りかかる難問・難題、みな、デタラメに捉えて、デタラメに処理して、デタラメに生きていこうじゃありませんか?

これまで若者は、反抗という名の武器で、抗い、自己を主張し、時に押し通し、時に押しつぶされてきた。

が、しかし、今の世の中、反抗しても、どうにもなりません。相手が巨大過ぎます。親に歯向かって、我が道を貫き通してみたところで、社会という名の、世間という名の、お国という名の、超巨大な障壁が、ぶっ潰しにやってきます。

ならば、華麗にかわそうじゃないですか。かわしながら生きていこうじゃありませんか。

そんな、かわしながら生きる術、それを支える力、それこそが「デタラメ力」であり、それに根付く精神を「デタラメだもの」精神と呼んでしまっても、何ら問題はないのではないでしょうか。

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