デタラメだもの

デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。エッセイです。

自分の一生を全うするためには、「修正」という言葉を軽々しく口にしてはならない。『デタラメだもの』

それにしても世の中、大勢に影響のないことに拘る人間が多すぎる。

日常的に仕事でデザインの真似事などをさせてもらっていると、兎角、修正という言葉を常用したがる輩に出くわすときがある。

修正というのは良くない点を改めることだぜ、そもそも何が良いかなんて、君たちに分かっているのかベイビィ。それを分かったうえで修正という言葉を連呼するならまだしも、そうでもないなら修正という言葉は、そんなに簡単に使うもんじゃないぜベイビィ。

まぁ、商業広告の世界だから、お金を支払われるお客様の意向を優先。それは当然。お客様は神様も同然。などと韻を踏みはじめてもしょーがない。商業広告たるもの、スポンサーありき。テレビ番組を作るときにスポンサーのお怒りに触れてしまっては、広告費も出なくなるし、そうなると番組の存続すらも危ぶまれる。まぁ、お金の巡りとは、そんなもんだ。

修正修正言われるのが嫌だとか、そんなガキっぽいことを言いたいのではないのだ。もっと、アダルトなことを言いたいのだ。

限られたお前の人生において、そんなどうでもいいことに修正修正と拘り、足踏みしている暇はないぞ。もっと次の章を目指せよ、新たなステージを目指せよ、さらなる高みを目指せよ。人間、いつ死ぬか分からんのだぞ。今日を本気で生きろよ、今を本気で生きろよ。そう考えたら、今お前が文句をつけようとしている修正点なんて、どうでもよくなるぞ。さぁ、早く目を覚ませ。今日という一日、お前はその修正を我々に言いつけただけで仕事が終わってしまったとして、直後、何らかの原因で命を落としてしまったとしよう。それでもお前は後悔しないか? いや、お前ほどの人間なら、きっと皆まで言わなくとも理解してくれるはずだ。ほら、気づいただろ。その口を閉じろよ。今まさに、修正と言わんとする、その口を閉じてみろよ……。

と、熱く語ってみましたが、要するに今日は早く帰って、帰り道にホットアイマスクとかいう商材を買って帰りたいのでやんす。近ごろ、目がね、目の疲れがハンパなくてですね。目を温めて寝たい。そのために、ホットアイマスクとかいう商材を買って帰りたいのですわ。だからちょっと、今から修正、言われてしまいますと、僕のホットアイマスクが買えなくなるわけです。そのための詭弁です。

あと、こんな風にも思うわけさ。

スポンサーたちは、物を売ったり売上をアップさせたりのために広告という手段を使いますわね。ということは目的・目標はそこにある。そして、スポンサーの目的・目標を達成するために集ったものづくりのプロたちは、己のものづくりへの拘りとスポンサーの目的・目標を達成するというミッションの最大公約数の地点で、最高のものを世に送り出す。その地点のことを仮に「K点」と呼ぶならば、ときに広告の世界では、K点を大幅に超えるほどの大ジャンプがある。それは人々から名作と呼ばれ、後世にまで語り継がれたりもする。

だから、ものづくりのプロたちは、その前者も後者も疎かにしてはいけないと思っている。

そんな折にだ、お前はものづくりのプロ側の人間でもないくせに、完全にお前は己のことを雇ってくださっている会社様が広告予算を用意してくれているのにも関わらずだ、商品の販売や売上アップ、さらには企業イメージアップが目的・目標ということを棚に置き、ワシの作ったデザインの真似事に対し、背景のモノグラムの画像にもう少し、スプーンやフォークの画像を加えてみては? とホザいていやがる。断言しよう。背景にスプーンやフォークの画像を増やそうが減らそうが、売上の大小に影響はない。もしあったとしたら、切腹してやる。

ということはだ、あなたは今、あなたの命題であること、すなわち、あなたのことを雇ってくださっている企業様というビッグな看板が用意したお金(あなたがそのお金の使い方に失敗し、事前予測したほどの効果を生まなかったとしても、決してあなたの財布は痛まず、あなたの家計に響くこともなく、大なり小なり怒られる程度で済むような類のお金)を使って、社内貢献するべく、商品を売り、サービスを認知させ、売上をアップさせるということを放棄したことになるぞ。
お前はものづくりのことなんぞ考えんでええのだ。しっかりと売上をアップさせるという観点から、その観点からしか見えない、知り得ない切り口を持ってきてくれればいいだけなのだ。スプーンやフォークの画像のことは、お前が口を出すことではない。スプーンやフォークの画像に拘りたかったら、お前もものづくりのプロに転職すればいい。お前のことを雇ってくださっている企業様に失礼だぞ。アダルトDVDのカメラマンとして就職しているのに、「ついつい興奮してポコチンを出しちゃいました」は通らない。ポコチンを出すのは男優の仕事。君はそれを映像に収めることが仕事。なぁ、そうだろう。

また、お前に特別な才能や努力の跡があるならば、専門的な見地や飛び抜けたセンスから、修正などの意見を出してくれてもいい。お前がただの凡人なんだとしたら、お前に修正を言う資格は皆無だ。意見はいい。修正はダメ。お前は実際に商品を使う消費者でもなければ、デザインの良し悪しを導けるほどの技術もない。それなのにデザインに口を挟むのは越権行為だ。それでもし、納期が遅延したら、消費者に好かれなかったら、売上が伸びなかったら、お前のせいでもあるんだぞ。プロの仕事とは、結果に対して責任を負うこと。スプーンやフォークの画像を増やした結果、巻き起こる出来事のすべてに対して、お前は責任が取れるのか。無理なら口を挟むな。アダルトDVDのカメラマンとして就職しているのに、「興奮してポコチンを出しちゃった結果、女優と絡んじゃいました、てへぺろ」は通らない。女優と絡める資格のある人間は、どんなときでも女優にしっかりと快感を与えられる、与え続けられる人間。すなわち男優だけだ。女優を満足させるのは男優の仕事。君はそれを映像に収めるのが仕事。なぁ、そうだろう。

となると、お前にはお前にしかできないことをちゃんとやって欲しいんだ。スプーンとフォークの画像のことは俺たちが考える。お前は商品そのものがもっと売れるよう、お前にしかできない方法で、お前だけにしか入手できない情報と知恵を俺たちに授けてくれよ。たとえば、「前回の利用者アンケートでは圧倒的にオレンジ色のパッケージの商品が売れていましたよ」とか、「経営層と現場の意見は乖離しはじめています。既存顧客の保守に走る経営層と、新たな層を取り込まないと会社の未来はないと感じはじめている現場。僕はあくまで現場の人間。会社の将来のことも考え、今回は新たな層を取り込みたい。それが現場全員の意見です。だからデザインも若年層向けでお願いします!」とか、そんな立場でいておくれよ。お前がスプーンやフォークの画像に拘ってしまったら、会社の売上に拘る奴がいなくなるだろう。俺は俺側のプロでやるから、お前はお前側のプロでいてくれよ。で、商品を売ろうぜ、売上を伸ばそうぜ、サービスのこと、世界のみんなに知ってもらおうぜ。

と、熱く語ってみましたが、先日ですね、スマートフォンを新しいやつに買い替えましてですね。どうやら古いほうをどこかしらに送り返すことで、ポイントがキャッシュバックされてくるそうなんです。それの期限が今日まででして。それをしないことには、せっかく入手できるはずのポイントがもらえず大損をこいてしまう。商品の売上? 認知度の向上? ちょっとそれどころじゃないですね。スマートフォンをね。今日が期限なんです。だから早く帰りたいんです。そのための詭弁です。

生まれて死ぬということは、生きとし生けるもの全員に与えられた平等なこと。でも、何年生きられるかは人それぞれ。平均寿命まで生きられる保障なんてない。自分の命はいつか果てる。ということから逆算して日々の行動を考えてみれば、しょうもない修正なんて、口をつぐみたくなるぜベイビィ。人それぞれ、やるべきことをやろう。

そやそや、今日は早よ帰って、今使ってる鞄、2,000円くらいで買ったけど人々から20,000円くらいやと思われてる鞄の持ち手の付け根がちぎれたから、縫わなあかんのやった。ジッパーも3日目で使われへんようなったしな。やっぱり安いの買うと故障するのも早いなあ。どこかにええ鞄の広告、出てへんかなあ。

デタラメだもの

20180218

連絡無精の言い訳を対人関係にすることと緑豆もやしが枯れたことには大いに因果関係がある。『デタラメだもの』

今年一年を振り返る大晦日。それなりの年齢にもなってくると、大晦日に一年を振り返ったとしても、昨年と同じような一年だったなぁという感想しか漏れてこず、特に変わり映えのしない一年だったことに気づかされる。それも、毎年のようにそれに気づかされる。

そして、新年が明けたことで、「さぁ、今年はどんな一年にしてやろうか!」と発起してみても、結局、どんな一年にもできなかったことを次の大晦日で振り返る。要するに、未来が見えているというやつ。自分を占えているというスピリチュアルな奴。

そんなことを申し上げつつも、やはり一年を振り返りたくなる大晦日。今年はちょっと大きく出てみようと思う。どういうことかと言うと、自分とは果たしてどんな人間なのかということを考察してみようと思う。で、答えが出た。いともたやすく出た。どんな人間かというと、連絡無精な人間だ。

自分のことなので自分の内面は誰よりもよく知っているが、僕は連絡無精では決してない。対人関係がめっぽう苦手な人間なのだ。きっと。

というのも、他人様からの連絡というものは、こちらの予期せぬときにやってくる。たとえば僕がアーチェリーの競技中で、弓を目一杯にギリリと引き、的を射抜かんと緊迫している最中にも容赦なくやってくるはずだ。きっと。

そうなると、もちろんのこと、連絡を受けることができない。「あっ、今、連絡が入っているな」とは気づきつつも、連絡を取ることができない。さすがにアーチェリーの競技中なんだもん、連絡は受けられないよね、わかっちゃいないと思うけどわかってよね。そんなことを心中でボソボソと呟きながらも、連絡が止んでしまうのを心を痛めながら待つしかない。

で、ここからが対人関係が苦手な所以。それは何かと言うと、連絡を折り返そうとするときに、「あのとき、アーチェリーやってましてん! すんまへん!」と、どんなテンションで言えばいいのか迷ってしまうのである。ちなみに僕は、矢を放つのに持ち時間いっぱいいっぱい使うタイプなので、折り返すのに日を跨いでしまうことが多いから余計に迷ってしまう。

神妙なトーンで伝えようとすると、どこか嘘っぽくなってしまうだろう。「お前、俺の連絡無視したことを誤魔化すために、嘘ついてんちゃうん!?」と思われてしまっては、アーチェリーの競技に参加していたことに対しても失礼に当ってしまう。一方、明るいトーンで伝えようとすると、「お前、連絡取らんかったくせに、何をヘラヘラしとん!? 殺すぞ?」と、逆鱗に触れてしまいそうだ。

どうしよう、どうしよう、どんなテンションで折り返したらいいんだ。という葛藤を続けていると、大抵の場合、さらに次の日の朝を迎えてしまう。これで二度の宵越しだ。
しかし人にはきちんと接したい。不義理はしたくない。だから、たとえ二度も宵越ししてしまったとしても、その朝、ちゃんと折り返しを試みる。

がしかしだ、アーチェリーの競技中だったことをどのように伝えればいいのか悩んだ上に、今度はさらにひと晩寝かしてしまっている状態だ。どのように伝えればいいのか。事態はさらに悪化しているんだぞ。

「実は一昨日、アーチェリーの競技に出てまして。で、連絡が取ることができませんでした。昨日折り返そうとしたのですが、アーチェリーの競技に出ていたことを正しく伝えるにはどうすればいいのかを悩んでいるうちに、さらに夜が明けてしまいまして、で今朝を迎えております」なんて伝えたところで、誰が信用するねん。アーチェリーの事実までもが、さらに嘘臭さを増してしまうではないか。

取り返しがつかなくなってしまった事態に怯えていると、いかんいかん、連絡を折り返すことももちろん大切だが、お得意先様、お取引先様、業者様たちも僕を待っている。デザイン早よ出さんかい、文章早よ書かんかい、見積り早よ作らんかいと、僕を攻め立てている。すみませんが、アーチェリーの競技中にいただいた連絡の折り返し、少し寝かさせてもらいます。

気づけばその日の夜だ。もはや、どう説明すればいいのかわからない。事実をうまく伝えられなかったばかりに、数々の不義理をかましてしまっている。相手はもはや、激怒しているか愛想を尽かしているかのどちらかだろう。俺はやっぱりダメ人間だ。俺は他人様に迷惑しかかけることができない無用者だ。こんな俺に発せられる言葉はひと言足りともない。もう俺なんて黙ってしまえ。黙ることで意思を表明せよ。ええい、ケセラセラ。

と見事に、対人関係が苦手ゆえに連絡無精と思われていることを証明する数式が描けたと思う。
さらに補足するならば、このプロセスのどこかのタイミングで、再びアーチェリーの競技中に連絡をくれた方から、改めて連絡をいただくケースもある。しかし、ここでも問題が発生する。それは、不運なことに、改めて連絡をいただいた際に、カーリングの競技中であることが多いんだ。しかも、ブラシで氷上を掃いている最中が殊更に多い。

考えてみて欲しい。連絡をもらった方がいる。それを受けられなかった僕がいる。折り返す方法、というか、折り返すアティチュードに迷っている最中に、改めて連絡をくれるほど寛大な御方。にも関わらず、僕はブラシで氷上を掃いていて再びその連絡も受けられない。相手が抱く感情はひとつしかない。それは、殺意だ。対人関係が苦手なばかりに、寛大な御方を殺人犯に仕立て上げてしまうことになる。黙ることで意思を表明せよ。ええい、ケセラセラ。

さて、長くなってしまったが、ここからが本題。
こういった軟弱で身勝手な性格が如実に現れた事件が起こった。それは通称、緑豆もやし事件だ。

通信教材などのおまけによくありがちな、自宅で植物を育ててみよう風のものに対して比較的強い興味を持つ僕は、路上に設置されたガチャに、緑豆もやしを自宅で育ててみようという趣旨の玩具があることに気を引かれた。

少額の小銭を入れ、早速玩具を手に入れる。自宅に持ち帰りひとり、プラのコップに水を入れ、付属のキットの上に緑豆もやしの種を据える。暗所に設置せねばならないということで、自室の本棚の隙間に設置し、紙袋で光を遮ってやることにした。育成ルールとしては、日々、水を替えてあげなければならないこと。

ところがだ、自分は平日の朝に極端に弱い。休日ともなれば、どれだけ睡眠時間が短かろうが、意のままの時間に起きられるのに、平日ともなると、遅刻ギリギリの時間にならなければ起きられない。というか、ほぼ毎日、遅刻している。なので、朝の僕には時間がない。

では、夜に水を替えてあげればいいじゃあないの、ということになるが、夜は夜でお酒に酔っ払って、フランフランの状態で帰宅している。繊細な作業を要する水替えができる状態ではない。結果的には、緑豆もやしのことを気にはしているものの、水を替えてあげられない罪悪感に苛まれ、緑豆もやしに目を向けることができなくなってしまった。

日々、脳内では想像する。水がなくなってカラカラになって死滅してしまっているかもしれない緑豆もやしのこと。もしくは、清潔でなくなってしまった水で成長したことで、妙な成長を遂げ、人間では保護してあげることのできない物体に進化してしまっているかもしれない緑豆もやしのこと。

こうして幾日もが過ぎた。正しく育成すれば、育った緑豆もやしを食べることができますよ、という指定の日もとっくに過ぎた。しかしこれだけは言っておく。緑豆もやしのことを考えなかった日は、その間、一日足りともない。

僕も成人を迎えた大人。いつかは暗所に光を当て、自分の気の弱さにも目を向け、緑豆もやしを処分してやらねばならない。そう思い、僕は光を遮るための紙袋をどけ、ついに暗所に目をやった。

緑豆もやしは、元気なく枯れてしまっていた。それは僕が想像していたような悲惨な状態ではなく、愛を注がれなかった植物が、力尽きたという風情。胸が痛んだ。自分の弱さに嫌気がさした。果てしなく反省した。来年こそは、こんな身勝手な自分の性格を叩き直し、緑豆もやしを育てる機会があれば、正しく愛を注いであげ、たとえアーチェリーの競技中だったとしても、他人様の連絡はできるだけ受けるように務めたいと思った。

感傷に浸りながらも、最後くらいはしっかりと緑豆もやしを埋葬してあげようと、プラのカップを取り上げると、暗所に設置していたため気づかなかったが、緑豆もやしの種を据えるための付属のキット(黒い網状のプレート)に、白い綿状の菌が大量に付着していた。

最後くらい愛を注いでやろうと、威勢よく持ち上げたことで、綿状の菌が各々自由に世界へと放たれたことは言うまでもない。もちろん、彼ら彼女らの世界とは、僕の自室を指す。その光景はまるで、キラキラと輝く風花のようだった。嗚呼、僕もこの風花のように美しい人間になりたい。そして僕は風花に憧れを示すかのように、大きく深呼吸した。舞い散る風花を体内に吸い込んでしまったことは言うまでもない。

冒頭、アーチェリーの妙なたとえを出してしまったせいか、文章がどうにも的を得ていない気もするが、時の流れは光陰矢の如しとはよく言ったもので。来年もこんな風に、駄文の締めをどうにか上手いこと言ってすり抜けてやろうと企み、それに失敗した結果、スベった足元は氷。そうか、今はカーリングの競技中だったなあ。

デタラメだもの

20171231

先輩の仕事とは後輩を育てることではなく後輩に夢を見させてあげることだと教えてくれた河豚、否、おじさん。『デタラメだもの』

お酒を飲むときに、食べ物を口にしないタイプの人がいる。僕もそのひとり。基本的に、飲む、となれば物はほとんど食べない。逆に、食べる、となればお酒は飲まないくらい。要するに器用に食事とお酒の両方を楽しめない人間なのである。

そこで困るのが、目上のお方がよく、何らかの賞賛を与えてくださるときに飲みに連れて行ってくれるやつ。あれの何が困るのかというと、名目的には「飲みに連れてったる」やのに、その実、店に着くなり「うまいもん、どんどん食えよ」という大盤振る舞いにすり替わるからなのだ。

せっかく目上のお方とご一緒させていただけるんだから、こっちとしてはお酒を煽り、普段できない会話をしたり、普段言えないことを言ってのけたり、激しい議論を交わしたり、時に生意気な口を利いたりと、要するにお酒ありきのコミュニケーションをしたいわけだけれども、「どんどん食えよ」という縛りを設けられると、たちまちその場が苦痛に変わってしまう。食いたいわけじゃない。あくまで飲みにきたのだと。

なぜにこんなにもニーズにミスマッチが生じてしまうのか。そこには2通りの仮説が成り立つ。まずひとつめは、目上のお方たちが下々の人間へ与える賞賛の形が間違っている説。

わがまま勝手な言い分かもしれないが、賞賛されるには、賞賛されるに値する何かの貢献を、こっちがやってのけたということになる。となると、貢献したこちら側が望む形態の賞賛を欲するのは当然のこと。言葉でありがとうを伝えて欲しいだけの人もいれば、地位や名誉を与えて欲しいと考える人もいるだろう。ちなみに僕の場合は、お金で結構です。多くは望みません。わずかばかりのお金をいただければ、ぬへへ。

とまぁ、賞賛を受ける側のニーズを無視して、賞賛を与える側の思い込みで、「たいていの人間は、うまいもんをしこたま食わせてあげれば喜ぶだろう」と盲信し、「どんどん食えよ」ってなフレーズに結びついているんじゃなかろうかと。

ちなみに冒頭申し上げました通り、僕は飲みにいくと食べません。なので、飲みにきて且つどんどん食べるというシチュエーションもあり得なければ、それを欲することもないのでございます。
こんなことになるくらいなら、賞賛に値するような貢献をしなければよかったと感じるじゃあないか。賞賛に値する貢献をしてしまうと、「どんどん食えよ」と言われてしまう。それを避けるためには、賞賛に値する貢献をしないほうがいい。ならば仕事も控えめにやるべきだ。目の前に広がる広大なキャンバスのなかにデザインなどを施すのではなく、キーボードの溝に溜まった埃なんぞを掃除し続けているほうがよっぽどいい。そうすれば、「どんどん食えよ」とは言われない。それを避けることができる。と、まぁ、なるわな。

そしてもう1つの仮説は、「どんどん食えよ」と飯を食わせておけば、どんな人間も喜びよるやろ、一人ひとりの人間に合わせた賞賛なんぞ考えるの面倒臭いから、どいつもこいつも賞賛のときは、「どんどん食えよ」と言っとったらええわ、という投げやりな発想による行為説。

そりゃ美味しいものを食べれば人は喜ぶ。それは否定しない。しかし、ご馳走になるにも、ご馳走していただく御方に心がこもっていなければ、それを手放しで喜ぶことはできない。適当に食わしといたら満足しよるやろ。適当に食わしといたら、引き続き賞賛に値する貢献を続けよるやろ。ほんでまた、賞賛に値する貢献を連発しよったら、「どんどん食えよ」と言って、適当に飯を食わせておけば、ほいほい言うて賞賛に値する貢献を続けよるやろ。ほんま、アホなガキは楽やで。適当に食わしておくだけで、賞賛に値する貢献を続けよるんやもん。「どんどん食えよ」のひとことに、ウレション垂らしながら飯をバクバク食うとるわ。楽勝なやっちゃで。と、バカにされているようにも感じる。

相変わらずお前は性格が歪んでいるなと思われるかもしれない。まぁその実、性格は歪んでいる。歪みはそんなに簡単に矯正できないもんね。なんてことを脳内で考えていると、とある過去のエピソードを思い出した。

その昔、職場で僕のことを気にかけてくれていたおじさんが、僕と同じくらい熱量のある人間が社内にもおるからと、某高級料理屋で引き合わせてくれたことがある。会社のなかで若気の至りを暴発させ、会社を変えようとか社風を変えようとか、もっといい会社にしようと、時に上司に噛み付いたりしていた僕の鬱積したストレスを、似たような気持ちを持つ人間と引き合わせることで発散させようとしてくれたみたいだ。

肌寒い季節だったと思う。河豚でも食べんかと声をかけられた。君と同じくらいエモーショナルな奴がおるから連れて行くわとおじさん。当時まだ20代前半だった僕は、缶ビールとポテトチップスを夕食にするような粗暴な人間だったため、エレベーターが天空近くまで上昇していくような、そんな酸素の薄い位置にある料理屋なんてものにはもちろん無縁。ただ若かりし僕は、高級料理店に行くことよりも、自分と同じくらいのエナジーを持ち合わせた人間と会話ができることに胸を踊らせていた。

僕と同じくらいのパッションを持つとされるそのお人は、僕よりも6つ年上の先輩。同じ会社に勤めてはいるものの、まったく違う部署だったため、会話すらしたことがなかったところ、おじさんの粋な計らいで対面することに。

重ね重ね申し上げますが、僕は飲みに行くと、基本的に物を食べません。目の前にどんなに豪華な食材が並んでいようが、それには目もくれません。その日、僕たちの目の前には、てっちり、てっさ、白子など、今思えば目ン玉をひん剥くほどの高級食材が並んでいた。

ところが僕の興味は、その熱い気持ちを持ったお人と会話すること。同じくらいの情熱を持っているため、当然のように議論は激化する。お互いの考え方を戦わせる。いつしか議論が口論に変わる。しかしそこは上品で静穏な高級料理店。「うまいねぇ」と小声で料理に賞賛の言葉を述べる程度の会話しか生まれてこないようなお店。高級食材を口に運んだときに、小さく首を縦に数回振り、味を称える動作だけでも会話が成立するようなお店。そんなシチュエーションのなか、エモーショナルな僕は「これだから大阪の人って下品で嫌いなのよねぇ……」と忌避されるであろう大声で、しゃべり倒した。相手を打ち負かさんと、吠え続けた。年上の人間との議論が楽しすぎて、眉間に皺を寄せながら、打ち負かさんと咆哮した。相手も僕のペースに飲まれ、大声を張り上げる。こめかみに血管を浮かべながら、相手も吠える。僕も吠える。相手も吠える。吠える。吠える。吠える。

結果的に僕は、箸袋から箸を抜いていなかった。要するに、固形物を何ひとつ口に運んでいないことになる。あれほどの高級食材が目の前に並んでいたのにも関わらずだ。もちろん、お会計はおじさん持ち。相当な金額だったと思う。その行為がどれほど無礼だったか、今ならわかる。ただおじさんは帰りの道で僕に、こう言ってくれた。

「今日の目的は飯を食いにきたわけちゃうからな。お前とあいつを引き合わせて熱い思いをぶつけてもらうためにきたからな」
「はい……」
「楽しかったか?」
「はい……」
「ほな、よかった。また連れてったるわな」

数年後、おじさんの内情をとある人から耳にした。実は、僕が河豚で無礼を働いてしまった時期より少し前くらいから、時代の流れとともに事業が傾き、かなり苦しい生活を強いられていたらしい。ただ、貧乏な若手や後輩にいい思いをさせてあげたいからと、僕たちを飯や飲みに誘う際、キャッシングローンなどで一時的に借金をしていたそうだ。自分にお金がないにも関わらず、借金してまで飯を食わせてくれていたらしい。

おじさんはよくこう言っていた。「年上のもんが貧相に生きてたら、夢がないやろ。頑張ったらこんな風になれるんやって憧れを持たせてあげないと、若手の夢、奪ってしまうからな」と。

僕は今、当時のおじさんと同じ気持ちで生きている。もちろん、当時のおじさんよりはまだまだ若輩者だけど、後輩には「年上の人間はやっぱり違うなぁ!」と少なからず思ってもらえるような生き方をしている。もちろん、そんなに豪勢なものは食べさせてあげられない。美味しいお酒も飲ませてあげられない。あの日の河豚の高級さを思えば、自分の未熟さを鼻で笑いたくもなる。

ただ僕は「どんどん食えよ」なんて死んでも言わない。あの日、おじさんが、まったく箸をつけなかった僕に、どんどん食うどころか一切食わなかった僕に、飯が目的じゃないからと、楽しんでくれてよかったと、ニコチンで染まった黄色い歯を全開に見せて笑い飛ばしてくれた豪快さを、僕は忘れない。

おじさんはその後、大病を抱えることになる。弱っていく姿を人に見せたくないからと、周りの人間との音信を絶った。だからその後のおじさんの消息を知っているものは、少なくとも僕の周りにはいない。でも、気合いで病を克服し、ビシッと仕立てたスーツで再び繁華街を闊歩してくれることを信じている。そしてもし、おじさんとばったり街で会ったなら、こう言ってやろうと思う。「腹減ったっすわ! 河豚食いに連れてってくださいよ!」と。

デタラメだもの

20171014

正常稼働していた歯が治療され、あろうことか、その後の激痛に悩まされる日々。『デタラメだもの』

数ヶ月前に左上奥歯に被せている銀歯が取れたため、歯医者に通い出してからというもの、未だに卒業できないでいる。よほど歯のお手入れに力を入れている人を除けば、基本的に歯医者というものは、行かざるを得ない状況になってはじめて通院するものだと思う。例に漏れず、銀歯が取れて物が噛めない瀕死の状態になったからこそ、歯医者に行った。それをきっかけに、ここにも虫歯がある、こっちにもある、こっちにもと、数珠つなぎのように治療を重ねられ、先日、右下奥歯の治療を終えた。

その次は、右下奥歯のひとつ手前の虫歯の治療へと続き、最終的には、1年ほど前に別の歯科医院で治療を終えた右上奥歯の治療がずさんな仕上がりだそうで、それのやり直し治療を受けねばならないというスケジュールが組まれている。

そんな矢先に悲劇は起こった。なんと、治療を終えたばかりの右下奥歯が痛み出したのである。どれほど痛み出したかというと、冷たいものは受け付けず、熱いものも受け付けず、物も噛めないほどの痛みに襲われ始めたのだ。柔らかい煮キャベツを噛んだだけでも激痛が走る。要するに、使い物にならない状態というわけだ。

冷静に考えてみたい。僕は左上奥歯に被せている銀歯が取れたため、それを治療して欲しくて歯医者に行った。土曜の午後にそれが起こったため、土曜の午後も診察してくれる歯科医院をインターネットで探し、治療を乞うたわけである。そして、当該箇所の治療以外は、自覚のないものばかり。歯科医院に言われるがまま、治療を受けていった。だから、使い物にならなくなった右下奥歯なんてえのは、まったく正常に稼働していた部位である。にも関わらず、治療を終えた後に使い物にならなくなったわけ。この事態をどのように受け止めればいいものか。

これを医療ミスと捉えるべきなのか、それとも虫歯の治療には付き物の事象と捉えるべきなのか。インターネットで同様の症状を調べてみると、医療ミスだとする意見もあれば、虫歯治療あるあるだとする意見もある。さらに混乱する。が、事実はひとつ。右の奥歯で物が噛めないということ。

生活に支障をきたすということで、急遽、歯科医院を訪問し、痛みの症状を見てもらうことに。予約が埋まっていたにも関わらず、診察してくれたその歯科医院には非常に感謝している。ただ、症状を伝えたところ、痛むなら神経を取るしかない。しかし、神経を取る施術は、近ごろの歯科医院では行わないのが主流だ。でも、神経を取らないと痛みはなくならない。が、まれに神経が健康に回復し、痛みがなくなることもある。でも、なくならないこともある。だから、神経を取るか取らないかの判断は、患者であるあなたに委ねます。どうしますか?

いやいや。判断でけへんって。昔の歯医者さんは、神経なんか取りまくってたよね。虫歯の治療といえば、神経取るのとイコールなほどに。でも、最近の施術では神経取らないんでしょ? ってことは、神経を取るって選択することはつまり、旧来の治療を希望するってことでしょ。そんな重大な判断、患者任せでええの?
仮に携帯ショップにたとえてみるならば、「昔はガラケーを使っている人が多かったんですが、今ではスマホを使ってらっしゃる方がほとんどですね。で、どうされます? ガラケーで契約するかスマホで契約するかはあなたで選択してください」って聞かれたとして、「じゃあ、ガラケーで……」って言える?

最近の施術では神経を取らない方針が主流っていうなら、神経を取らなくても痛みが起こらない治療ってのも主流にならないとあかんのちゃうの? 主流を選択すると痛みはつきものなん? なになに? 主流ってのは、ドM的なやつなん?

僕は過去に、歯科医院で医療ミスを何度も体験している。あり得ないミスを。だから、基本的には歯科医院とは相性が良くないことを自覚している。
その昔、歯科医院っていうのは開業しやすいものだと聞いたことがある。だから、世の中には歯科医院が溢れていると。聞くところによると、日本全国に立っている電信柱の数よりも、歯科医院の数のほうが多いと言われるほど。
にしても、個人のスキルにバラつきがあり過ぎやしないかと感じる。歯は一生もの。大切にしなきゃね。そのわりには、バラつきのあるスキルを持った個人の裁量で、それを削られたり抜かれたり。削られたものは返ってこないじゃあないの。抜かれたものは生え変わらないじゃあないの。まぁそんなことはどうでもええわ。要するに、正常稼働していた、違和感すらなかった部位を治療していただき、その結果、激痛で使い物にならなくなった僕の右下の奥歯の行末だけ教えて欲しいわけだ。

近ごろ、セカンドオピニオンの重要性が説かれている。こういった場合、セカンドオピニオンに耳を傾け、どうすればいいか判断するのが適切なんだろうな……。ちゃうねんちゃうねん! セカンドオピニオンに行ったら、また初診料取られて、レントゲンも取られる。結果的に、時間も奪われるし、お金も消費する。歯の痛みだけじゃなく、財布のほうも痛むやんか。気軽にセカンドオピニオンとか言っていられないわけよ。ファーストオピニオンで右下の奥歯を復元して欲しいわけやんか。しかも、無料で復元して欲しいわけやんか。僕らだって、仕事の立場上、お客さんの商品を壊してしまったら弁償もするし、印刷物で誤植をやってしまったら、もちろん代金もいただかないし、こちらの財布からお金を出して刷り直しをするわけやんか。

僕のモットーは、どんなことが起ころうがヘラヘラと笑って生きること。辛いことがあろうが顔に出さず、愉快で痛快に生きていきたいと思っている。だからここ数日、僕と接触を持つ機会があった方々、いつも通り僕はヘラヘラと笑っていたことでしょう。ただ、心ではかなり泣いていたのさ。正常稼働していた一生ものの歯が削られ、挙句、激痛が走り使い物にならなくされてしまった。本当は泣きたいんです。本当は、泣きはらしたいんです。ビールを飲んで、忘れてしまいたいんです。でも、ビールがしみるんです。片方の歯だけで食べ物を咀嚼するため、しっかりと噛めないまま飲み込んでしまうから、消化の効率が悪くなり、お腹だって痛いんです。クライアントが別の業者ばかりに仕事を発注するから、ほとんど干されてしまってるんです。仕事がないんです。このままじゃあ、おまんまが食えないわけです。そう。歯的にも、仕事的にも。

個人的には、現在通院している歯科医院の先生、とても良心的な方なので、全面的に信頼しております。こんな無神経な人間ですが、どうにか、神経だけは生かしてやってください。そして、どうにか痛みを取り除いてやってください。再び右の歯で物が噛める日がやってきますように。正常に食べ物が消化されますように。お仕事が舞い込んできますように。これ以上、案件が削られませんように。

デタラメだもの。

20170815

男たるもの、酩酊したうえでの失態を他人に見せるべからず。ましてや介抱されるだなんて。『デタラメだもの』

仕事からの帰宅途中、最寄り駅の改札を出たすぐのベンチの上に、おっさんが横たわっていた。おそらく酒を飲み過ぎたんだろう。膝丈ほどの高さのベンチの上に、のんべんだらりと横たわっている。隣には奥さんと思われる女性。隣に立ち、おっさんの出っ張った腹を、「ほら、行くよ……」と言わんばかりトントンと軽く叩きながら、「ほら、みんな見てるよ……」と言いたげにトントンと軽く叩いている。

そういや道端や駅構内で女性に介抱されながら、オエオエやっている男の姿を見かけることがある。世間的には誠に情けなく映っている。男とあろうものが、酒に潰れて女性に介抱されるだなんて。という具合の視線を痛いほど浴びている。まぁ、当の本人は強烈な吐き気のなか、そんなことを意識する余裕もないだろうけれど。

勝手なイメージなのだけれどもねぇ。それほどまでに酔い潰れるということは、その女性とお酒を飲んでいるとき、ずいぶんと調子に乗っていたんじゃなかろうかと思うわけだ。自分が下戸だとわかっておきながら、女性を前にして、「日本酒、おかわりしよかな?」などと酒豪ぶって、ピッチ早く「おかわり」を連呼していたんじゃないだろうかと、勝手に想像してしまうわけ。

で、酔ったら酔っただけ舌も調子に乗り、やけに饒舌になり、我、笑いの覇者なりと周りをイジッてみたり、自分のことを自慢したり、政治を批判したり、上司の不出来を詰ってみたり、どこかのプロ野球チームの4番バッターの成績を非難してみたり。有能な評論家よろしく、大量の唾を飛ばして大声張り上げていたに違いない。

その結末が、これである。介抱である。なんとも情けない。酒に弱いことが情けないのではなく、誠に勝手なイメージで申し訳ないが、結末までの調子の乗り方と結末のギャップが酷すぎて情けないのだ。

もし仮にだ、同席していた女性がお酒を口にしない人だった場合、男の盛者必衰を冷静に見せつけられることになる。下戸に酒が入ることで調子に乗っていくさまを眺め、下戸に酒が入ったことで介抱が必要なほど崩れ去るさまも眺めることになる。いったい、どんな気分なんだ。さだまさしの関白宣言と関白失脚を同じ日に見せつけられるようなもんじゃあないのかい。

まぁ、駅の改札すぐのベンチで横たわっていたおっちゃんは、調子に乗ったんじゃあなく、日々のストレスが蓄積した結果なのかもしれない。そうだとしたら、放免だ。ただ、若くして調子に乗って、飲めない酒を煽った挙句、オエオエやって女性に介抱されている連中には同情できない。どんな面して、翌日、職場に現れるんだ。

じゃあお前の場合はいったいどうなんだい? と聞かれたならばこう答える。僕は酔いつぶれているさまを他人には一切見せないようにしている。どれほど気分が悪く、オエオエやりたくなったとしても、その宴が終わり、「おつかれっした!」と散り散りに解散し、姿が見えなくなるまでは、そういった素振りを一切出さないようにしている。

もちろん、アルコールを大量摂取しているため、酩酊した結果、電信柱に顔面をぶつけ、眉間から大量出血したり、二階に構えられた店で飲んでいるときなどは、帰りの階段で足を踏み外し落ちそうになったことなど、情けない失態を披露したことはあるものの、それは単に鈍くさいだけだもんね。酔ってなくても電信柱に顔面をぶつけることはあるし、酔ってなくても階段から落ちる人はおるしね。てへぺろ。

ただ僕の場合、「おつかれっした!」の後がタチが悪い。もともと気を使いすぎる性分のため、「おつかれっした!」の後、責任感から解き放たれた解放感が、爽快感とともに襲ってくるため、臨場感溢れる醜態を、孤独感のもと繰り広げるわけである。

まず、公共の場において自分だけが音楽を楽しめるように設計されているイヤホーン的なものを耳に装着する。音量をとにかく上げる。そうして、その音量に負けないほどの大声で、歌を歌いはじめる。俗にいう「原曲のキー」で歌うので、腹から声が出ることになる。ただ、イヤホーンのなかの世界に酔っているから、俗世間にどう聞こえているのか、どう見られているのかなんて関係ない。

そうやって歌いながら、テクテクと帰る。途中、コンビニに酔っては、追い焚きならぬ、追いビールをする。イヤホーンを付けたままレジの店員さんとの応対をするのは、人としてどうかと思うので、一旦イヤホーンをしまう。そして店を出た後、すぐにイヤホーンを装着し、再び音楽を鳴らし、大声で歌う。

さらにタチの悪いのが、歌に感情を込めすぎて、自分で自分に感動してしまい、大泣きすること。大声で歌を歌いながら、ワンワンと泣きながら、イヤホーンをしながら、缶ビール片手に歩いている。そんな中年。もはや救済の余地がない。
眼鏡をかけているため、スムーズに涙が拭けないので、涙を拭うときは缶ビールを地面に置き、立ち止まったまま拭う。あまりにも感極まっているときなどは、拭っても拭っても涙が溢れてきやがるから、その行為を一歩ずつ行うため、一向に家へと着かないこともある。

冷静に自分の様子を振り返ってみると、駅の改札すぐのベンチで奥さんに付き添われ、出っ張ったお腹をポンポンされたり、飲めない酒を煽ったがために、女性に介抱されながらオエオエやったりしている男のほうが、よっぽどマシなような気がしてきた。母性溢れる女性ならば、男性を介抱してやることくらい、お茶の子さいさい。むしろ、ウエルカムなのかもしれないな。それに比べて、僕の醜態は母性などくすぐるはずもない。忌避されること間違いなしだ。

お酒は強いか弱いかハッキリしているほうが良い。強い人ならどれだけ飲んでも故障しないだろうし、弱い人なら、すんなりと介抱だってしてもらえる。強くもなく弱くもない、僕のような人間がいちばん収まり悪い。酔ったからとて、他人に迷惑をかけるようなことは一切したことがないが、社会にはずいぶんと迷惑をかけているな。

もし、次に酩酊し歌いだしそうになった暁には、素直に改札すぐのベンチで、のんべんだらりと横になろうと思う。付き添いはいないため、お腹をポンポンされることはないだろうけど、駅が閉まる時間になれば、駅員さんに肩をポンポンされ、起こしてもらえるに違いない。それも一種の介抱と呼んでしまっても過言じゃあない。

酒に酔ったうえでの醜態は知られていないかもしれないが、自分に酔ったうえでの醜態は、多くの通行人に目的されているのかもしれない。

デタラメだもの

20170730

退屈しのぎにネクタイを巻いてみた。意味のないことにも価値あるものとそうでないものがある。『デタラメだもの』

あかん、何か変わったこと、違ったことをやらねば、毎日が同じ様子ばかりで息が詰まってしまう。退屈だ、退屈だ、ということで、ネクタイを巻いてみた。この世はクールビズ。今や東京都知事へと出世なされた時の環境大臣、小池百合子氏が提唱したクールビズ。たしかに、真夏のクソ暑い時期にネクタイ巻いて、上着を羽織って、何のメリットがあるのか意味分からんところを、見事にその悪しき慣習を打ち破ってくれたクールビズ。律儀に業者然とした振る舞いを貫き通している人たちを除けば、みなさん、涼し気な夏のビズを満喫しているのだろう。

そこで考えた。みんなと同じことをやってのけているから、毎日が退屈になってしまうのだと。やはりはみ出さねば退屈だ。あかん、あかん。もっともっとワイワイと世を盛り上げねばならん。そこでだ、このクソ暑い時期に、わざわざネクタイを巻いてみようと思った。車窓に映るノーネクタイの自分を見て、何かが足りないと感じたわけ。それが何かと熟考してみたところ、答えはネクタイだったのだ。

で、超意味のないこと。熱中症への危険が叫ばれる今の時期に、ネクタイを巻いてみるという無駄なことを継続している。さすがに同類の人間は、街ナカでほとんど目にしない。極度のアホと思われていること間違いなしであるが、それはそれで快感なのさ。ふふふん。

この世の中、意味のないことが多すぎる。たとえば、会社の定時システム。多忙な奴も暇な奴も、定時の間は会社におらねばならん。暇な奴は特段何もせず、インターネットでネットサーフィンなど楽しみながら、定められた定時という就業時間をやり過ごす。
就業時間の一時間前から多忙を極める予定を持った社員だって、始業時間から会社におらねばならず、多忙を極める時間までは、手持ち無沙汰で過ごす。そして、多忙を極めた一時間を経た後、即座に残業タイムへと突入する。
まぁ、世の中の中小企業なんざ、残業代など払う気もないので、会社にとっちゃ、社員たちが何時から多忙を極めようが知ったこっちゃないだろうが、どうにも人生という有限の時間を浪費させるシステムに感じて堪らない。

もっと意味のないこと。それは、無能なクセに日本の麗しき年功序列システムの恩恵を受け、管理職や上層部へと昇り詰めただけのおっさんが言う「今の世の中、実力社会だからね」というセリフ。お前が言う実力社会というものが、本当にこの日本を席巻しているのなら、まずお前みたいなもんから順番に、不要のレッテルを貼られ切られていくだろうよ。それなのに、お前みたいなもんが、のほほんと上層部面して会社に鎮座できている時点で、まだまだ実力社会でもなんでもなく、とどのつまり、お前のその発言も何ら的を得てないということを、お前みたいなもんが身を持って証明してるんじゃあないの。

考えればこの日本、能力が高いから管理職に就く、なんてシビアなシステムは採用されていない。外資系のように、能力者が抜擢されて、管理職や経営陣の仲間入りするようなビジネス慣習は、日本の中小企業にはほとんどと言っていいくらいに、ない。だから、中小企業の上の方の人間は、「昔からおる人間」になる。会社側も「昔からおる人間」には、それ相応のポジションを用意してあげなければならず、必然的に「昔からおる人間」が、社内で地位や権力を手にしていくシステムになる。

それに加え、「昔からおる人間」というのは、今のスピード社会にまったくついて行けてない。要するに、今の時代には不要なオワコンだ。慈悲と慈愛を込めた褒め言葉で称するならば、もはや彼らはレガシーだ。
それに加えて「昔からおる人間」は、景気の良かった頃の給与体系も手伝って、一律、高給取りなわけ。にも関わらず、レガシーは今の時代についていけてないので、お金を稼ぐことはできない。何ら生産できない遺産が、会社にとって最も維持コストがかかる。我々下っ端は、レガシーを守るためだけに、身を粉にして働く。そのうえでだ、営業成績が足りないだの、仕事の効率が悪いだのとブーブー言われる。どうやら、レガシーの守り方がなっていないようだ。腹筋がちぎれるほど、おかしなことをおっしゃる。

今の世の中、もっと実力社会の様相を色濃くせねば、とてもじゃないけれど生存できない。そして、実力なき者は不要の運命は、当然のようにレガシーにも当てはまる。日本社会は、会社に鎮座するレガシーにも平等に、実力社会を適用すべきだ。それが社会全体の流れなんだから。たとえ、創業時から会社にいる社員だろうが、それを理由に保護されるほど、今の日本社会は裕福じゃあない。
どうせ、レガシーたちはその高い給与ゆえ、豊富で潤沢な貯蓄を持っていらっしゃることだろう。そのうえ、未だに高い給与を得続けられては、いつまでたっても若手にチャンスは来ないってなもんだ。
レガシーたちに本当に愛社スピリッツがあるならば、自分たちの報酬をカットし、若手たちに分配し、経済を効率的に回すほうに脳みそをシフトチェンジするべきだ。そうしなければ、経済は停滞し、逆三角形の日本の様相は変わる兆しを見せないだろう。端的にいうならば、「あんたらはもうお金持ってはるんやし、高給は放棄し、恵まれないキッズに分配せよ」である。
「俺たちも生きていかねばならないから」とこめかみに怒りマークを浮き立たせられるかもしれないな。でも、それは老いも若きも同じこと。日本がこんな状況になることを読めなかったあなた方の落ち度であり、日本を継続するためには必要な選択なのだから仕方がない。中小企業が生き残るためには、レガシーを壊してでも、新しい建物を建築する勇気を持ち、それを実行する必要があるはずだ。

やっと言いたいことの30%程度は言えたかもしれないが、ネクタイの野郎がどうにも暑くてたまらん。ここはサウナか? なんで俺の部屋には冷房がないんだ。悪の声が囁く。「ネクタイなんか、外しちゃいなよ!」と。すると隣にいる天使がこう囁いた。「ネクタイなんか、外しちゃいなよ!」。僕はどうやら、ひとりぼっちでこのバカな拘りを継続せねばならんようだ。

デタラメだもの。

20170717

ラブホテル街にこだまする「ありがとうね」。今宵も美味なる缶ビールを片手に思いを巡らせる。『デタラメだもの』

それにしても痴漢の冤罪というものは恐ろしい。表沙汰にならず泣き寝入りしている痴漢被害も実際は多いとは思うものの、痴漢の冤罪被害も実際には多いんだろう。
痴漢扱いされてしまうと、人生が崩壊してしまうほどのダメージを食らうと聞く。それを恐れ、線路に飛び込み、走って逃げるケースもあるんだろう。いったい何から逃げているのか分からなくもなる。それで事故に遭ったニュースも目にするし、命まで落とした人もいた。もしかしたら、痴漢の犯人が逃走した末の結末なのかもしれないが、冤罪だったとしたら浮かばれない。

気候も良くなり、仕事後に缶ビール片手に、徒歩で帰ることが多くなる季節。ほろ酔いで繁華街を抜けながら、住宅街に着く頃には酩酊している。
2時間近く歩く日もあるので、さまざまな店の前を通り過ぎ、さまざまな人たちとすれ違う。飲み屋には相変わらず賑やかな笑顔が溢れかえっているし、道すがらも、陽気なのんべえたちの笑い声がこだまする。お酒の酔い方は人それぞれだが、自分と比べ、こうも仕上がりが違う人たちがたくさんいるのかと、自分の酔いを見つめ直すも、これが好きでそれが好きで呑んでいるんだからやめられない。

職場と自宅のちょうど中間くらいの街に、ホテヘルのメッカがある。昼間はひと目を避けて情事に耽る男女しか目にしないが、夜になるとネオンはギラギラ、ホテヘル嬢がホテルから出てくるのを待つ黒っぽい自動車の群れで埋め尽くされる。
そんなホテル街のど真ん中を、缶ビール片手にフォークソングを口ずさみながら突き抜ける。嬢待ちの車は窓を全開にし、中からはタバコの煙が吐き出される。サービスを終え、ラブホテルのエントランスから出てくる男女を目にすることもよくある。

「ありがとうね」
すっきりした表情で男は言う。女はその言葉に対し、何かしら呟いているが、そこまでは聞き取れない。ただ、いつも、男が言う「ありがとうね」だけは鮮明に聞き取れる。

男はどこか誇らしげ。まるで嬢が自分に好意を持ってくれているかの如く、「ありがとうね」と上から目線で言い放つ。
おいおい、相手は仕事だぜ。究極のサービス業の方々だぜ。お前なんかに好意があるわけないだろう。次回、指名してもらって、効率的に報酬を稼ぐための戦略だと思うぜ。疑似恋愛ならまだしも、リアルな恋愛の如く、甘い目線で「ありがとうね」を言うのはどうかと思うぜ。

「そんなこと分かった上でやってるんだよ、カスが!」と怒られてしまうかもしれないが、酔いも手伝って、その光景がとても虚しく映る。
いや待てよ、コンビニエンスストアで商品を買い、お会計を済ませたあと、サービスを提供してもらったことに対し、「ありがとうございます」と言うだろう。それと同じか? いやいや、どうにも違う気がする。だって、「ありがとうね」と言った男を見送った後、気だるそうにスマホを触りながら、イヤホンを耳に突っ込み、窓が全開でタバコの煙が車中から吐き出される真っ黒い軽自動車に乗り込み消えていく様子を、何度も目にしている。それが現実じゃあないのかい。

「そんなこと分かった上でやってるんだよ、カスが!」と、またしても怒られてしまうかもしれない。でも、真実を目の当たりにしてしまった人間は、もはやフィクションの中では生きられない。
きっと車中で嬢は、交際している男にLINEしたり、次の現場に向かうよう、スマホに飛んできた店からの指示に目を落としているかもしれない。さっきの男が言った甘い言葉、「ありがとうね」なんかは、もう意識の外。そいつへの好意なんて、微塵も感じていないんじゃあないだろうか。

ただ、冷静に考えてみると、自分に好意があると勘違いし、高額なサービス料を支払い、甘ったるい声のトーンで「ありがとうね」と言う男。自分を指名してもらうことで報酬も手に入るし、それで生活も維持できる。自分という特選品を選んでくれたことに対し「ありがとう」と礼を言う女。これでバランスが取れているんじゃあないだろうか。そこに自分のような、店呑みする金も持ち合わせず、缶ビールで酩酊し、精神を落ち着かせているような小者が口を挟む余地はないんじゃあないだろうか。そうだ、きっとない。
ラブホテル前で「ありがとう」を言い合う男女たちは逆に、ホテル街をプラプラと酩酊しながら歩く僕のような人間を見て、軽蔑しているかもしれないし、見下しているかもしれない。擬似恋愛でもいい、騙そうが騙されようが、「ありがとう」を言い合える自分たちのほうが、よほど高尚な存在だと感じているかもしれない。実におもしろい。

そうそう、だから何を感じたかって言うと、女の人がひと声あげれば、男は冤罪で捕まるし、人生だって崩壊する。男がどれほど女を支配しているような気でいて、「ありがとうね」なんて甘い声で呟いたとしても、女はそれを逆手に取り、カモ、としか思っていない。もちろんそれは、一個人の感想であって、実際には、真心込め、気持ちも心血も注いでサービスを提供している嬢もいるかも知れないが。
ただ、社会的な観点からすると、まだまだ女性のほうが生きづらい世の中だと思う。だからこそ、女性が逆襲できる場があるのは健全な気がするし、胸がスカッとする。もちろん、冤罪なんてひとつもあってはならないが、「やろうと思えば、アンタなんか潰せるんだよ、ふふふん」と、女性が強気に感じていてもいいと思う。

男のほうが上だからと威張っている男たち。世間に目を向ければ、カッコいい男や優秀な男なんて、それほどいやしない。それなのに、男、というひと括りで、「俺たちは上だから」とあぐらをかいている男が多いのもまた事実。そんな神輿は早々に崩れ落ちるべきだ。

吉田拓郎の今日までそして明日から、を口ずさみ終えた頃、ちょうどホテル街も終わり。両サイドに続く嬢待ちの車も見当たらなくなった。あれこれ思考を逡巡させてはみたが、辿り着いた答えは、自分は誰に「ありがとうね」を言うのだろうかということ。おっ! ちょうど大通りを渡ったところに、コンビニエンスストア発見! 手に持つ缶ビールも底を突いたし、買い直すか。

人生は特に難しく考えることなかれ。缶ビールの酔いに任せて生きればよい。気づけばレジ対応してくれた、将棋棋士の加藤一二三九段似のおっちゃんに、甘いトーンで「ありがとう」と言っていたじゃあないか俺。今宵も美味なる缶ビールを、ありがとう。

デタラメだもの。

20170611

新幹線で窓側の席から順に指定席が埋まって行く原理が分からない。『デタラメだもの』

新幹線の座席が、窓側から順に埋まって行く原理が分からない。
左側にシートが3列あって、中央に通路を挟み、右側にシートが2列。それぞれにアルファベットが付されていて、左の窓側から順に、A、B、C、通路があって、D、Eってな具合。AとEが窓側で、CとDが通路側。B席は、窓側と通路側の座席に挟まれている。

そこにニーズが集中しているからなのだろうが、なぜ、窓側から順に指定席が埋まっていくのかが分からない。まったくもって意味が分からない。

何を隠そう、僕は、奥まった座席が大嫌いだ。新幹線はもちろんのこと、居酒屋でも映画館でもそう、とにかく奥まった座席が大嫌いだ。その理由はひとつ、自由が奪われるから。

居酒屋などでも、奥まった座席に座ってしまうと、自由にトイレに行けなくなる。行きたいと思ったときに行けなくなる。
自分が尿意を催してトイレに立とうとしたとき、手前側の座席の連中の話が大いに盛り上がっているとする。それを遮ってトイレに立つことが罪悪に感じる。さすがにそれはできないや、ということで、尿意を我慢する。しかし、そんなときに限って、話の盛り上がりが鎮まる気配がない。尿意は増すばかり。膀胱が破裂しそうになる。
もう、あかん。さすがに座席で小便を漏らすわけにも行かないので、限界が来たところで、衝動的に立ち上がる。すると、タイミング悪く、連中たちの話の流れが、今まさに、大オチを言わんとする瞬間だったりする。完全に水を差してしまう。空気の読めない奴。小便を漏らす代わりに、ため息を漏らされる始末。

だから、奥まった席は、大嫌いだ。

その昔、ある恋愛系の映画を映画館に観に行ったことがある。奥まった座席しか空いていなかったこともあり、観ることを躊躇したが、「まぁ、2時間ちょっとぐらいなら、なんとかなるでしょ」と、気軽に考えたのが運の尽き。映画がスタートするや否や、自分の奥まった席への苦手感、恐怖感を強く意識してしまい、その意識が尿意へと直結。開始数分後から、尿意を催す事態に。

物語の進行に伴い、尿意もどんどんと進行。膀胱は破裂せんばかりに膨れ上がっている。体を前後左右に揺らして気を紛らわせていないと、耐えられないほどに。おそらく、後ろの座席のお客さんは、僕のことを、さぞかし不審な人間だと感じていただろう。

しかし人間には限界というものがある。もはや、尿が尿道の先までせり上がってきており、それを自らの親指と人差し指でつまみ、物理的に尿道を閉じている状態にまでなっていた。おしっこを我慢しているんじゃあ、ないんだぜ。おしっこが出やんとしているのを、指でつまんで栓をしているんだぜ。どれほど限界か分かるだろう?

もう、あかん。さすがに座席で小便を漏らすわけにも行かないので、衝動的に立ち上がる。奥まった座席に座っていたので、10人近くのお客さまの眼前を、手刀を切りながら横切る。
皆さん、リラックスして観賞していらっしゃるため、前の座席の背に足を伸ばしていたり、人によっては靴を脱いでいたり、もちろん足元には皆々様のカバンやらが据え置かれている。
小声で「すみません……」を連呼しながら横切っているとき、ふと、スクリーンに目が行った。すると、そこに映し出されていたのは、あろうことか、中盤のクライマックスと思しき場面。主人公とされる二人が乗った飛行機が南の島に不時着し、孤独感や不安感やらが二人の絆と愛をさらに深め、今まさに接吻しようと顔を寄せ合うシーン。
おそらく制作サイドは、この場面に、中盤のすべての力を注いだであろうシーン。ふはははは、こんな大事な場面で、小便を漏らす寸前のクソ野郎が、観覧者たちの眼前を横切るとは、誰ひとりとして予想もできなかったであろう。ふははははは。

今思えば、10人近くのお客さまの眼前を横切るとき、4度ほど、舌打ちされた気がする。ロマンチックな気分に水を差すクソ野郎。舌打ちだけで済んで幸いだった。

トイレに行くということは、トイレから戻ってくるという行為もつきまとう。となると、もう一度、あの10人近いお客さまの眼前を、今後は反対側から横切らねばならない。こいつ、何回邪魔したら気が済むねん。そう思われるのは間違いない。恐すぎる……。想像するだけで、小便がちびりそうになる。あっ。小便は今、出してきたところか。

恐怖に縮み上がり切った僕は、もう館内には戻らない、という選択肢を採った。だから、あの後、物語がどうなったのか、僕は知らない。知りたくもない。

後日、ガヤガヤしたコメディー映画なら、メンタル的な影響も少ないだろうということで、「ヨハネ・クラウザーII世」という神がかったキャラクターに仕上げられた草食系シンガーソングライターが、あろうことか、デスメタルバンドで活躍してしまうという痛快愉快な映画を観に行った。
客たちもガヤガヤ、映画そのものも、爆音激音が流れる激しいもの。何ひとつ気にすることなんてない。今回も奥まった座席だったけれど、何の問題もない。

気づけば、ラストシーンのちょうど手前で、手刀を切りながら、お客さまの前を横切る僕がいた。

そんなこともあって、僕は、奥まった座席が大嫌いだ。
新幹線なんて、窓側に何のメリットがあるんだ? 理解できない。寝たいと思ったときに、肘をついて眠れるからか? 上着をかける簡易フックが利用できるからか? 壁に設置されたコンセントでスマートフォンが充電できるからか?

いやいやいや。そんなしょうもないことで、数多の自由を奪われてなるものか。私は通路側にしか座らない。通路側以外に座らされようもんなら、連結部分のあたりに立ったまま目的地まで踏ん張ることを選択する。窓側なんて、死んでもいやだ。

だって、トイレに行きたくなったとき、得意先から携帯が鳴ったために、連結部分まで移動し電話を折り返さねばならないとき、喫煙室でタバコを吸いたくなったときに、通路側の奴や、AとCに挟まれた座席であるB席の奴が、簡易棚を下ろして食事していたらどうするんだ? 簡易棚の上にノートパソコンを広げて仕事をしていたらどうするんだ? 手刀を切ってその作業を中断させ、横切るのかい? もし、通路側の奴の足元にありえないくらい大きな荷物が置かれていた場合、もしくは、B席の足元にも通路側の足元にも、どちらにもありえないくらい大きな荷物が置かれていた場合、どうやって席を立つんだい? もしそいつらが寝入ってしまっていた場合、どうやってそれをどかすんだい? 手刀だけじゃ済まないぜ。最悪の場合、B席とC席、どちらの席の奴も、足元に巨大なカバンを置いていて且つ、簡易棚を下ろしその上にノートパソコンを開いた状態で、さらにそいつらが熟睡してしまっている場合は、どうするんだい? それらすべての難題を解決した上で、トイレに行く勇気と覚悟があるのかい?

僕には、ない。

だから僕は、新幹線の指定席で、窓側を選ぶ人の気持ちが分からないし、窓側から順に席が埋まっていく原理も分からない。常に同じ現象が起きていることを考えると、僕のほうがマイノリティだってことも分かる。だけど、なぜ、こちら側がマイノリティになるのかの原理が分からない。

僕にとっては、金を失うことや地位や名誉を失うことよりも、行きたいときにトイレに行ける自由を失うことのほうが、よっぽど恐怖なんだ。

デタラメだもの。

20170514

おっさんが我慢しても抗えないものそれは、えずく、という忌まわしき生理現象。『デタラメだもの』

若い頃には、なにを大げさな、と思っていた。そんなわけあるかいな、と思っていた。芝居じみて、誇張した所作だと思っていた。それが今や、当たり前になった。とにかく、えずく。

おっちゃんたちが、歯を磨くとき、歯ブラシを奥歯のほうに突っ込み、「おえっ!」と言って、えずく。「おえぇぇっ!」と言って、えずく。あれは大げさな芝居だと信じていたのに、気づけば、毎朝えずいている自分がいる。そして、とかく、口の中、奥が弱くなった。

ただ、えずいているだけなら、それほど生活に支障はでないものの、あからさまに支障をきたす場面がある。それが、歯医者。
子どものころは、「あの音が嫌だ」「痛いから嫌だ」などと、直接的なことに嫌悪感を抱いていた歯医者も、今では、「えずくから恐い……」に変わってしまった。人間、痛みには耐えられても、えずくことには耐えられないんだな、これが。

ちょっとばかり以前の話。奥歯に不具合が出たため、歯医者に通うことに。初日からやっちまった。
奥歯の様子を撮影するとのことで、「これを噛めば局部の写真が撮れるんです」なんてハイテクノロジーなフィルム型のアイテムを口の奥に突っ込まれた。もちろん、えずく。「おぇぇぇっ!」。
撮影は滞る。できの悪いグラビアアイドルの如く、時間ばかりを食わせてしまう。恐縮する。焦る。でも、えずく。シャッターは一向に切られる気配がない。なぜなら、えずいていることが原因で、うまくそのハイテクノロジーな機械を、上下の奥歯で噛めていないからだ。

涙目になりながら、なんとか局部の撮影を終え、初日の治療は終えた。
しかし、その後の治療が地獄だった。奥歯を削り、型を取り、銀歯をはめ込む作業。どの工程が地獄かっていうと、型を取る、それである。

虫歯の治療をしたことがある人はご存知かと思うが、型を取るためには、なにやらゴムみたいなガムみたいなやつを噛まねばならん。そいつが固まるまでの間、ずっと噛んでおかねばならん。こんなにも科学や技術が進歩した今の日本にいながら疑問に思う。あのゴムみたいなガムみたいなやつ、なんであんなにデカいの?

診察台はフラットな状態。ゴムみたいなガムみたいなやつを噛みながら、僕は天井を見つめる。ゴムみたいなガムみたいなやつは、大胆に喉の奥に触れている。今にも吐き出してしまいそうだ。でも、ここでこれを吐き出してしまっては、治療が滞るどころか、ゴムみたいなガムみたいなやつを無駄にしてしまう。医師は怒り出すかもしれない。どつかれるかもしれない。でも、今にも吐き出してしまいそうなほど、えずくのを我慢している。

あまりの苦しさに、目には涙。天井で灯る電灯の光が涙で滲み霞んでくる。もうあかん。いや、まだ行ける。そう自分に言い聞かせ、吐きそうになるのを我慢する。心の中で、大事MANブラザーズバンドの『それが大事』を口ずさむ。負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと。ゴムみたいなガムみたいなやつを吐き出すなとは、大事MANブラザーズバンドも言ってない。ってことは、吐き出して、楽になってもいいのか。俺はやる。俺は、もうやる。吐き出してやる。限界だ。こんなもの噛ませやがって。俺は噛ませ犬じゃないぞ。下らん。

そのとき、医師の声がした。
「起き上がって、うがいしましょう」
その言葉に僕は突き動かされた。目にもとまらぬ速さで起き上がり、ゴムみたいなガムみたいなやつを吐き捨てた。そして、喉の奥にたまっていた大量の唾液を垂れ流す。不幸にもその日僕は、ベージュの綿パンを履いていた。吐き出した唾液は、ちょうど股間のあたりに。完全に尿漏れだ。その量からして、残尿じゃあない。本尿だ。恥ずかしい。恥ずかしい。

そのトラウマを抱えた僕は、別の奥の銀歯が老朽化に伴い取れてしまった状態を、もう二か月も放置している。歯は治したい。しかし、えずくのだけはごめんだ。当面、当該箇所を治療する予定は、ない。

そうやって、えずきから遠ざかっていたある日。風邪をこじらせ、抗生物質をもらいに耳鼻科に行くことになった。普段はめったと病院には行かないものの、生活に支障が出るほどに症状が悪化していたし、他人に伝染してしまっては迷惑だとも思い、診てもらうことに。地域で信頼を集めている耳鼻科は、朝から強烈に混雑していたため、近所に最近できた行ったことのない耳鼻科へと向かう。その時の無垢な僕は、喉の診察にも、えずきが付き物だってこと、地獄のようなショーが待っていることを知る由もなかった。

自転車を止め、病院のなかに入る。待っている患者さんの姿はない。受付には、暇そうな看護師さんが3人ほど。最近できたばかりの病院だからか、外装も内装もとてもきれい。その新築っぽさが、なんだかこの病院の信頼度の低さを感じさせた。

待合室でかばんから小説を取り出した瞬間に、診察室に入れと名前を呼ばれる。待っている患者さんがいないためだ。すこすこと診察室に入る。するとそこには妙な光景が。それなりに年配でとても背が低く、それでいて色黒のスキンヘッドの先生が、そのツルツルの頭に、なんていうの、ハチマキみたいに頭に巻くタイプのカメラをセッティングして待ち構えていた。それだけでも違和感があったのに、診察室内には、先生のほかに看護師が3人。しかも、3人のうち2人は、机に座る先生の奥へと連なるように、並んで座っている。すっごく狭い診察室のなかに。意味がわからん。帰りたい。帰りたい。だから病院は嫌なんだ。帰りたい。

帰りたい願望はあっけなく無視され、丸椅子に座れと促される。「どうされましたぁ?」と先生。なんと、低身長、スキンヘッド、色黒、年配、頭にはスポーツカメラ的なやつ。特徴の海鮮丼的なキャラクターに加えて、おねえ口調という特徴まで持っていらっしゃった。恐い。帰りたい。なんで、おねえっぽいくせに、小狭い診察室に、若い看護師を3人も従えてやがるんだ。帰りたい。奇妙過ぎる。なんか医療ミスされそう。

かつてないほどの不信感に襲われながらも、喉のチェックをされることに。
まずは定番。銀色をしたアイスの棒のようなもので、舌の奥を押さえられながら、喉の炎症をチェックされるやつね。子どもが嫌がるやつね。あれね。子どもは嫌がるだろうが、こっちは大人だぜ。社会の荒波に揉まれて、日々戦ってるんだぜ。子どもとの違いを見せつけてやんよ。
誤算。この年齢になった僕は、舌の奥に異物を入れられることを、子ども以上に嫌がる人間に成り下がっていたのだ。

銀の棒が挿入される。舌の奥に触れる。条件反射的に、えずく。口を閉じる。口を大きく開けて「えーっ」て言ってくださいねと促される。再挿入。再接触。えずく。再閉口。それを数度繰り返すうち、チラッとだけ症状が目視できたのか、次のフェーズへと進んだ。赤茶色した薬品みたいなやつを、炎症部に塗るというやつ。今しがた繰り返したやり取りを再度行う。さすがに先生も痺れを切らしたのか、局部に塗るというよりも、まるで喉の奥にスイッチがあって、それを瞬間的にツンッと押し込むような程度に薬品を塗るという高等技術、要約すると、面倒臭さを全面に押し出したような処置でもって、局部に薬品を塗る工程は終了した。

そして、ついにはじまった地獄のショータイム。
これまでの工程で、極度にえずく体質の人間、要約すると、おっさん体質だということが判明したにも関わらず、あろうことか、喉の奥に細長いカメラを通して、局部を撮影します、なんて言い出しやがる。おいおい、こいつ正気か? あんたの顔面に、吐しゃ物ぶっかけちまうぞ?

あの丸椅子に座ると、もはや拒否権はない。黙秘権を行使しても、診察は続く。年配のおねえ色黒スキンヘッドの先生が、僕の前に立つ。顔を上げさせられる。「はい、大きく口を開けて、えーって言ってください」。細長いカメラが口のなかに。その時点で、えずく。脳はカメラを拒もうとするため、口を閉じさせる。「口は閉じないでください。大きく開けて、えーって言って」。それは理解している。充分過ぎるほど理解している。頭で理解できていても、体が動かないってこともあるだろうよ。頭のなかで100メートルを8秒で走りたいと念じても、体はそれをやってくれないだろうよ。だから、僕にはそれができないんです。勘弁してください。

何度いっても言うことをきかない相手に、苛立ちはじめたのか、徐々におねえ口調が、お叱り口調に変化してきた。「だからぁ……。口は閉じないでっ! えーって声に出したら、口は勝手に開くからさぁ」。そのとき僕は、えずくのを我慢するのと、目の前の低身長年配おねえ色黒スキンヘッドの先生の指示に従わねばという義務感とに板挟みになっていた。あらん限りの力で瞳を閉じ、目じりには涙が溜まっていたことだろう。そしてついに声を絞り出した。

「あーーーーーっ」

ひとつの発見があった。えずくのを我慢しながら口を大きく開けた状態では「え」の母音は言えない。「え」の口の形にしたとしても、発音されるのは「あ」になる。すごい発見だ。怪我の功名とはこのことか。
「だからぁ……。あ、じゃなくて、え、だってば! アッカンベーってできる? アッカンベーしたら、勝手に、え、って言えるからさぁ……。あとさぁ、別に目は閉じなくていいから」
新たな発見に酔いしれていた僕に、とんでもない侮辱が降り注いできた。きっと、先生はもちろんのこと、周りにいるであろう3人の看護師たちも、僕のことを見下しているに違いない。こいつ、え、も言えないでやんの。え、って言えって言われてんのに、あ、なんて言いやがんの。アッカンベーもできないでやんの。恐くて目を閉じてやんの。

腹を括らねば帰れない。吐しゃ物出てもええわい。そして絞り出した「えーっ」と「あーっ」の中間の音。英語のappleのaの音。あんな感じの、汚ねぇ音が出た。そこに勝機を見出した先生は、即座にカメラを喉の奥に押し込み、シャッターを切った。それはそれは、一瞬の出来事だった。
「はい、終わりです」
助かった。解放された。吐しゃ物出さずに済んだ。

丸椅子に正しく着座する。改めて先生と対峙する。先生は僕に症状やらを伝えてくれている。と同時に、先生の奥に腰掛ける2人の看護師のうち手前の人が、先生の前に設置してあるパソコンのキーボードに、おそらく僕の症状であろうフレーズを打ち込んでいる。なんかおかしくないか?
たとえば、ピアノの中央に看護師1名、高音の鍵盤付近にもう1名、低音の鍵盤付近に先生が座っているとしよう。普通、低音の鍵盤付近に座っているのは先生だから、低音パートは先生だよね。でもって、パソコンとキーボードは、低音の鍵盤付近にある。それなのに、ピアノの中央に着座した看護師がキーボードを打つもんだから、なんていうのか、先生が邪魔で邪魔で低音弾けません的な、ものすごく窮屈そうに入力している。恐い恐い。なにここ? ほんで、高音の鍵盤付近の看護師は、なんでそこに座ってるの。一般的な事務デスクくらいのサイズしかないのに、なんで、先生と看護師2人とがギュウギュウになって一緒に座ってるの。こんな滑稽な光景、生まれてはじめて見た。恐い。帰りたい。

「扁桃腺が腫れて炎症起こしてますね」

でしょうね。扁桃腺が腫れて炎症を起こしていると思って診察に来た者ですと、遅ればせながら自己紹介してやろうかと思ったが、おとなげないのでやめた。このひと言を聞くために、あんなに大それた、えずき、との対決を経なければなかったのか。あんなにも地獄のような時間を過ごさねばならなかったのか。割に合わない。やっぱり病院なんて、二度と来たくない。そして、喉の奥に異物を入れられる系の施術も、二度と受けたくない。と、心に誓った。

が、ここ数日、再び熱い戦いに出ろと俺様に言わんばかり、銀歯が取れた奥歯がズキズキと痛みやがる。

デタラメだもの。

20170430

こんなにも大将がスタッフを怒鳴りつける飲食店はかつて見たことがないぞ。『デタラメだもの』

頑固な大将がやってる寿司屋で、センスのない食べ方をした客が喝を入れられる。こだわり派の大将がやってるラーメン屋で、ペチャクチャおしゃべりしながら食べていた客が喝を入れられる。こういうのは、たまに聞く話。客は、そんな大将の態度よりも、余りあるほどの美味な食を求めて通う。これほどの味を提供してくれるんだから、大将の態度も仕方ないよね。むしろ、頑固な大将、こだわりの大将の存在も、店の価値を高めてるって、客自身が、自分の解釈で、店を良しとする。そんな話は、たまに聞く話。

職場近くに、お昼どき、サラリーマンたちがごった返す、焼きスパゲティの店がある。数種の限られたメニューしか提供せず、オフィス街の昼どきとあって、豪快で且つ、目にもとまらぬ速さで調理してくれる店。働き盛りのサラリーマンたちの胃袋を、十二分に満たしてくれる店。安く、そして量が多い。とてもありがたい店なのである。

ところがだ、その焼きスパゲティ屋、なにが曲者かって、大将が恐すぎる。どう恐いかって、店のスタッフに対する態度が、度を超してひど過ぎる。
「シバく」「殺す」「ボケ」「カス」は当たり前、狭い店内の中、ぎっしりの客の中にいて、店のスタッフさん、おばちゃんのときもあれば、おねえちゃんのときもあるが、これらの暴言を吐かれまくり、半泣きになりながら働いている。それはそれは異様な空間。さすがにそういったパワーハラスメントに耐えきれず、同じスタッフさんを二度は見ないほどに、入れ替わりが激しい。

皿を片付けようと、大将の後ろを通れば、「お前、邪魔なんじゃ、ボケ!」と言われ、皿洗いをしている最中に、大将から調味料を取れと指示を受け、それを優先で対応していると、水が流しっぱなしにしていたため、「水くらい止めろや、どアホ! 殺すぞ!」と言われ。とうてい、飲食店内で聞けるフレーズではない。

また大将、小声でやればいいものの、豪快な調理スタイルに任せて、そのままの勢い、大声でスタッフさんを怒鳴る。スタッフさんの顔が強張る。それを見て、「ボケッとすんなや! シバくぞ!」と、またしても怒鳴られる。それがいつもの流れ。

その店には、たまに後輩と訪れる。うどんやら安い定食やらを中心に食している昼どきに、焼きスパゲティを提供してもらえるため、本来ならばもっと重宝したい。
後輩と二人、焼きスパゲティを食することに、いつもちょっぴりワクワクしながら店内に入る。数種しかない限られたメニューのなかから、どれを食すか選んでいる間、さらにワクワクは高まる。注文した焼きスパゲティが運ばれ、ひと口。これがまた、なかなかうまい。気分を弾ませていると、今日もやっぱり、大将の暴言。スタッフさんが怒鳴られ、辱められ、貶められ、凌辱される。そのBGMを耳にしていると、だんだんと心が痛んでくる。後輩と二人、無言になる。悲しい気持ちになる。「やめてあげて……!」と、悲痛な叫びを、心の中で響かせる。焼きスパゲティの味が分からなくなる。

いたたまれない気持ちになり、ただただ無心で焼きスパゲティを胃袋に押し込み、椅子から立ち上がる。「ごちそうさまでした」。大将とスタッフさんにお礼を言うと、「いつも、あっりがとうございやすー!」と、満面の笑みを浮かべ、腰を低くして返礼する大将。いやいや、その笑顔には騙されないぜ。だって、あんた、そんな人間じゃあ、ないだろ。僕たちの目の前で、スタッフさんに怒鳴るわ、キレるわ、暴言吐くわ、そっちのほうがあんたの本性だろうよ、そんな付け焼刃のお客様第一主義的な笑顔には、騙されないぜ。だってさぁ、「あの人、ニコニコしてるけど、裏があるよね」とはよく聞くが、裏の顔を、表の顔以上にたっぷりと見せつけられたら、もはやどっちが裏か表か分からなくなるズラ。そう思いながら、いつも店を後にする。

ところがだ、ここ数回、スタッフさんは変わらず、同じ女性。ということは、大将という厳しい試練に耐えているのだろう。もちろん、大将の性分が丸くなったわけでもなく、そのスタッフさんが、殊更に優秀なため、大将の怒りに触れないということもない。
焼きスパゲティを平らげる時間のうちに、平均して四~五回は怒鳴られている。仮に焼きスパゲティを注文して平らげるまでの時間を、二十分としよう。二十分のうちに約五回怒鳴られていると仮定して、ランチの営業時間が三時間と仮定すると、都合、一日のバイト中に、四十五回は怒鳴られていることになる。僕がもしそこでバイトしたなら、初日は耐えられたとしても、翌日は店には足が向かないだろう。もしかすると、初日の途中で、逃げ出すかもしれない。もしくは、手近にあるフライパンで、大将の頭をどつきまわしているかもしれない。

それがだ、ここ数回、スタッフさんが変わっていない。暴言の精神的苦痛は、変わらず続いている。それなのにだ、その女性スタッフは辞めていない。なぜだ。なぜだ。考えろ俺。それがなぜかを、目から血が出るほどに考え抜け、俺。

そして思いついたのが、こりゃ大将、閉店後に抱いとるな。

その昔、学生の頃、不良と呼ばれる男子たちが、ふとした瞬間に優しい素振りなんかを見せると、女子たちはキュンキュンして、「めっちゃ優しい!」と、一気に胸をときめかせていたことはなかっただろうか。
日ごろ恐い奴、悪い奴が、急に優しくすると、レバレッジが効いて、極端に優しい人間に見える。そして、それに惚れる女子が、なんと多いことか。
ちなみに、日ごろから優しくしている奴は、ある瞬間、その優しさを欠いてしまうと、「偽善者」だの「本性はクズ」だの「終わってる」だの言われる。ちなみに、僕は圧倒的に後者。合計すると、優しさの回数は、恐くて悪い連中より多いにも関わらず、あっちは加点方式、こっちは減点方式。日ごろから人に優しくしている人間は、そうやって損をするケースがある。お分かりだろうが、焼きスパゲティの大将は、もちろん前者。

だからだ。店を閉めた後に、スタッフさんを抱きしめているんだぜ、きっと。抱きしめる以上のことをやってるんだぜ、きっと。その刹那、スタッフさんは、営業中に受けた恐怖やら悔しさのすべてを、テコに乗せ、原理を利用し、バッチーン! と、逆サイドに振るわけだ。そりゃもう、大将が魅力的に見えて仕方がないわな。法律で規制されている、やっちゃあいけないお薬を服用しながら、性交渉などをすると、平常時よりも快感が味わえるとはよく耳にするが、そういう類の現象と同種のものだろう。普通の人では受けることのない仕打ちをさんざん受けきったあとの、男の優しさ。かなりの快感と、中毒性が予想される。もちろん、次の日も、スタッフさんの足は、店へと向かうだろう。否。店ではなく、閉店後の大将の優しさへと向かっているのかもしれない。
家庭内暴力を受け、どれほどダメ男と分かっていても、そいつと離れられない女性がいると聞く。そんなタイプの女性も、同種の価値観を持っているのかもしれない。きっとそういう男は、打ちのめした後の女性に対し、「あれもこれも、ぜんぶ、お前のため」なんて撫でた声で言ってのけ、それに対し女性は「うれしい……」なんて、涙を流したりするんだろうなあ。

ということで、何が言いたいかってえと、基本的には、店側がスタッフ同士の揉め事を、客に聞かせるのはご法度だと思う。気分も害されるし、せっかくの食事が、マズくなる。しかし、閉店後に抱いてる場合は、良しとしよう。需要と供給が成り立っているから、こっちだって、心を痛める必要がないんだもん。それは、一種のプレイということだろ。僕らは、ある種のプレイを見せつけられながら、焼きスパゲティを食しているということで納得できる。良かった。これで、なんら気を遣わずに店を訪れることができる。

そんなことを考えながら、ナポリタンを食べていると、急にスタッフさんがおそるおそる大将に声をかけた。

「24番さん、ナポリタンじゃないです。明太子です」

どうやら、あまりの忙しさに、大将が24番テーブルのお客さんのオーダーを聞き間違え、違ったメニューで調理し切ってしまった様子だ。焼きスパゲティとは言え、調理には、それなりの時間を要する。待ってる側からすれば、今から作り直されるのはかなりの迷惑だ。なんせ、時間のないお昼どき。さぁ、どうする、大将。

「おい! とりあえず、24番に、作り直すから時間くれって言え!」

でました、逆ギレ。自分がミスしたにも関わらず、スタッフさんに怒りをぶつける。そして、何より、狭い店内。大将がスタッフさんに怒り交じりで発したその指示、当然のように、24番さんの耳にも入っている。耳を塞いでいたとしても、きっと聞こえていただろう。

スタッフさん自身が指摘してあげたのに逆ギレされたことで、スタッフさん、「え?」と、一瞬、理解ができない、といった表情に。それを見た大将。「はよ言いに行けよ! カス!」。こんな華麗な逆ギレ、かつて見たことがない。あまりの迫力に、スタッフさんは、即座に24番さん卓へ。

「すみません。作り直しますので、お時間いただけませんでしょうか?」

24番さんからすると、それ、さっき大将の口から聞いた。否。聞こえた。
もはや24番さんは、「はい……」としか言いようがない。しかも、なんか僕が明太子をオーダーしてしまって、店の調和を濁し、大将のミスを誘発し、それによってスタッフさんが怒鳴られるという、悲惨な事態を巻き起こしてしまって、なんかすみません。自分のせいじゃないのに、謝罪を強制されるような空気。

スタッフさんは、怒鳴られたこと、辱められたこと、お客さんを気まずい空気に巻き込んでしまったこと、それらを気にして、今にも泣き出しそうな表情。恐かったんだろう。辛かったんだろう。悔しかったんだろう。でもね、これだけは言ってあげたい。今日の閉店後は、うんと気持ちいいことが待っているぜ。

デタラメだもの。

20170311
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